第一章 小学生≠大人 15
十五
和井得は完全に、重い話が来ると身構えた。仁楠は、ほんの少しは心の準備ができていたので、むしろ、待っていました、と言わんばかりであった。
「いわゆる、生き別れ、っていうものらしいんですよ。幼稚園から小学生にあがるころだったかな。物心ついたころに、あれ、わたし、お父さんいないな、ってやっと気づいて。母に聞いても、いつか言うよ、っていうことで、子供心ながら、まだ言えない事情があるんだな、と察して、それ以上はずっと聞かなかったんですよ。
それから、結果的に、聞けずじまいで、今に至って」
「え、今はもうさすがに聞いてよくない?」
「主任、正論はやめてください。なんだか、もう聞きづらくなっちゃって。母が自分から話し始めてくれたらいいな、と思って、あれこれ鎌をかけてはしているんですけど、中々そういう雰囲気にはならなくて」
「そうですよ主任。いまさら聞きづらいこと、ってあるんですよ」
和井得が初めて塚に見せた優しさ、共感であった。
仁楠からすると、ひとつの仮説、いや新説が生まれた。
塚がこのハンブルク研究所に入社したのは、偶然か、あるいは会社側の誰かしらの策略だろう、という説が主流であったところに、塚が、父探しをした結果、黒根こそがその父じゃないか、と突き止めて入社してきたのでは、という新説が生まれた。
「お父さんって何歳ぐらいなんだ?」
「え、主任、どうしたんですか? いやー、でも知らないんですよね。母は四十ちょっとですけど」
「若いね」
「はい。子供には言えない理由で、っていうのって、大体、若い時に望まない形で子供ができちゃって、結婚には至らなくて、でも出産はして、っていうパターンだと思うんですよね。年齢的には、十分頷ける年齢だなぁ、とは思いつつ、そういう形で生まれたのがわたし、っていうのは嫌だなー、って」
塚は少し悲しそうな顔をしていたが、語調は決して暗いものではなかったので、三人の空気は悪くならなかった。
「まぁ、この話は、また時間があるときにでもしましょう。ほら、もうすぐ休憩時間終わりますよ。かわいそうですけど、ここは一旦引き下がって、彼らには大人の厳しさってものを痛感してもらうって作戦ですよね」
「言動が小学生じみた君がそんなことを言うのは少しこっけいだな」
「どういうことですかサブ!」
「いやー塚さんは小学生ばりに若々しいからなぁ」
「主任もバカにしていますか?」
「ごめんなさい、本当にそういうセクハラとかじゃないんです、心からごめんなさい」
「ちょっと主任、別にぼくらそこまで過敏に反応しませんから」
卑屈な仁楠の態度は改善される気配はなかった。
先生たちは戻ってきませんけど、時間になりましたし、教室に戻りますか、と和井得は促して、ドアをノックしようとしたが、少し振り返り、仁楠にぼそりと小さな声で聞いた。
「もし、彼らが罪を一つも犯さずに、純粋にぼくらに意見をしていた世界線があったとしたら、どうしましたか。ハンブルク研究所として、彼らをサポートしましたか」
仁楠は少し考えたが、その瞬間、ガラリとドアが開いて、中から通狩くんが、
「時間です。さあ、結論を出しましょう」
と催促をした。話の腰を折られた仁楠は残念がった。