呪いからの解放
テオに初めて会った日のように、木枯らしが吹いてきた。
今日もヘイゼルはジャムを煮ていた。
またひとりになってしまった。
「あの子の顔が見えないと、なんだか寂しいねぇ」
魚屋の息子の結婚相手がまだ見つからないのだと縁談を持ってきたジョゼッタさんが、ミルクを飲んでいる黒猫に向かって残念そうに呟く。
ヘイゼルはジョゼッタさんを慰めるように言う。
「きっと、元気で暮らしているわ」
王になったテオの噂は隣国までよく流れてきた。幼いながら、国民の生活に寄り添った政治をすると評判も上々だ。
ついていかなかった事を、後悔していないと言ったら嘘になる。
今でもテオとイーサンに会いたい。
でももう遅い。
テオが王になった今は簡単に国境を越えることはできないし、会いに行ったところで、隣国の平民など門前払いが関の山だろう。
いつもテオの側にいなければいけないイーサンにも、もう会うことはないだろう。
寂しいけど、それでいいのだ。
二人が幸せに生きていてくれさえすれば。
こうしてヘイゼルは日常へ戻る。
減らないジャムの瓶だけが、台所に所狭しと増えていった。
********
ある日、野菜を納品しにジョゼッタさんの店に行くと、ジョゼッタさんとジョゼッタさんの夫が深刻な顔で話し込んでいた。
「どうかしたんですか?」
二人はハッとヘイゼルに気づくと「ヘイゼル、よく来たね、あ、野菜かい?いつもありがとね」とジョゼッタさんが取り繕う。
「おい、ジョゼッタ…」
「いいよ、おまえさんは黙っといておくれよ」
「でもこの子には知る権利があるだろう!」
状況が飲み込めないヘイゼルは何も言わずに珍しく声を荒らげたジョゼッタの夫を見る。
意を決したようにジョゼッタの夫は言った。
「ヘイゼル、君の両親が君を探している」
「え?」
「君の本当の両親だ。28年前、貧しさに育てられなくなって君を施設に預けたらしい。今は生活を立て直したから、君を探しているんだと、君を知らないかと聞きにきた」
生きていた。
死んだと思った実の両親はまだ生きていたんだ。
「それが本当ならもっと早く探しに来てたろうよ。どうせ金に困って、ヘイゼルに無心しようと探してるんじゃないのかい」
ジョゼッタさんが絞り出すように吐き捨てた。
「ジョゼッタの言うことも一理ある。どんな目的かは分からないから、君の居場所は伝えてない。でも連絡が取れるように連絡先は聞いておいた。もし会いたいと思ったら、連絡してみるといい」
ジョゼッタさんの夫は連絡先が書かれた紙を差し出す。
ヘイゼルはその紙を見つめ、受け取らないままジョゼッタの夫を見て言った。
「生きていると知れただけで、十分です」
「ヘイゼル…」
ジョゼッタさん夫婦の目には、実の両親が生きていたことに喜ぶ健気な娘に映っただろう。
実の両親が生きていたことはヘイゼルには朗報だった。しかし、実の両親に会いたいという気持ちは少しも湧かなかった。
本当の両親は、血が繋がってなくても育ててくれた両親だ。今までも、これからも。
実の両親が生きているという知らせは、ただ、ヘイゼルの思い込みの呪いからの解放だった。
ヘイゼルに深く関わると死ぬなんて、やはりただの思い込みだったのだ。
今まで背負っていたものから解放される気持ちがした。
そして一番に思い浮かぶのは、イーサンのことだった。
あの思い込みがなければ今頃イーサンの隣にいたのだろうか。
でももう過ぎ去ったこと。
この恋の結末は自分で決めたことだ。
黒猫が、珍しく「にゃーん」と足に体を擦り付けてきた。
「おまえも寂しいの?…私もよ」
黒猫は体を擦り付けながらゴロゴロいっている。
「ひとりじゃないって、僕がいるよって、言ってくれてるの?」
そう言った途端、黒猫はプイッと去っていきヘイゼルは置いてけぼりにされた。
小さく遠ざかっていく黒猫の後ろ姿を見つめながら、このメルヘンなところと思い込みの激しいところは直さないとなとヘイゼルは思った。
またひとり。でも平気。
もとの生活に戻るだけだ。
彼らがいた日々が特別な出来事だっただけ。
国民のために働くテオと、その側にいるであろうイーサンのことを思い浮かべると、心が暖かくなって寂しさが薄れる。
テオとイーサンと過ごした日々を宝物にして、ヘイゼルはひとり生きていくと決めた。
何度も流して枯れたと思っていた涙がひと粒、頬を流れた。
********
また春が来た。
ヘイゼルが暮らす山の麓の草原はタンポポの白い綿毛が広がっていた。
黒猫が綿毛をチョンと触る度に綿毛は風に乗って飛んでいく。
畑を耕していると、今でもテオの呼ぶ声が聞こえる気がする。
「…ゼル…!ヘイゼル!!」
ハッと振り向くと、山から会いたくてたまらない二人が手を振りながらこちらへ向かって来る。
「テオ、イーサン…どうして…」
「国境の山をこの国と私の国で共同管理する同盟が組まれました。よって山の麓は互いの行き来が許可証無しでも認められる特別区となりました」
「いつでも会いに来れるってわけ」
「公務がありますから、いつでもというわけには…イタ!」
テオに足のスネを蹴られるイーサンをヘイゼルが驚きの表情で見つめる。
「テオドール様のご発案です」
「二度とひとりにしないって言ってくれたろ。俺もヘイゼルを二度とひとりにしない」
しばらく見ないうちにたくましくなったテオを見つめた後、ヘイゼルはテオを抱きしめてワンワン泣いた。
「私もたまに遊びに来てもいいでしょうか」
神妙な面持ちでイーサンが尋ねる。
「ええ。いいわ」
ヘイゼルは涙をぬぐって、春の風のように暖かく微笑んだ。
その翌年、山が赤や黄色に色づく頃、ヘイゼルはイーサンによく似た可愛い女の子を産んだ。
バスケットの中にいるその赤ちゃんをテオドールが覗き込む。
晴れ渡る秋の空のような色の瞳の赤ん坊にテオはニヤリとして言った。
「おまえの母さんとおなじ緑の目をした俺が、おまえの兄になってやるぞ」
ヘイゼルはもうあの家には住んでいない。
イーサンと娘と黒猫と共に王宮の近くの家に住んでいる。
あの家から引っ越す時、「本当にいいのかい」とイーサンは聞いた。
「ええ。あなたが毎日山を越えて帰って来るのは大変だし、テオの側にもいられるし。
ここにはまたピクニックにでも来ればいいわ。
愛する人のいる場所が、私の家よ」
ヘイゼルはイーサンの横で笑っていた。
諦めていた幸せな未来がそこにあった。
これで完結です。
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【3/19追記】
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『不細工な王子様と灰まみれの平民の話』
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