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7 腹黒い王妃との対面

 それは、お昼前のことだった。ドスドスドスッ。髪を振り乱しながらセルディーが王子の書斎にやってきた。スヤスヤと安らかに眠るディディに向けて怒鳴り散らしている。


「こらーーー。いつまで寝てんのさ! さっさと起きろってんだよ!」


 いきなり脇腹を蹴られてしまい跳ね起きた。こんなことを平然とやらかすのは一人しかいない。


「セルディー!」


 言った瞬間、セルディーによって口を塞がれていた。


「その名前を口にするなってんだよ! もうすぐお昼だよ。胃が痛くて飯なんて食う気分じゃないけどね」


 ナプキンの置き方と唇の拭い方やスプーンやフォークの種類などは、こないだ説明している。ディディはふあーと欠伸をしながら言う。

 

「心配ないってば」

 

「心配するよ。どんな意地悪をされるのか分からなくて怖いんだよ。ガキの頃のジゼルが好きな食べ物なんて聞かれても分かんないよ。あんたなら分かるだろう? 何とかしておくれよ」


 本物の姫が偽者の泥棒娘の手助けをするなんておかしなことなのだが……。


「あたいの嘘がバレたら、あんたの嘘もバレちまうんだよーーー!」


「はいはい。運命共同体なんだよね」


 知恵を絞って難局を乗り切るしかない。


(うん、何とかしよう)


 王妃の館に向かうと、相手が待ち構えていた。まずは、王妃の友人のナティアが懐かしそうに笑いかけてきた。


 今日は、偽者のジゼルと王妃と、その友人の三人で食事をするのだ。


「ジゼル姫、お久しぶりですわね。すっかり大人になりましたわね」


 ナティアは腫れぼったい目をしていた。どちらかというと不美人な部類の女性だ。彼女はディディの叔母の御用商人だったのだが、戦後、アスベールの軍人と結婚している。元々、アズベール語も流暢に話せていたので、すっかり、アズベールの生活に馴染んでいるようである。


 セルディーは、頭頂の金の冠から垂れ下がる薄いベールを優雅に揺らして膝を折り会釈した。付け焼刃の割には上手にやれている。よくできましたと拍手したくなる。

 

 ここには外国人の女性などや王妃の親戚が訪れる事がある。


 ルビトリアの言葉て例えるならサロンのようなものだ。


 広い部屋には、王妃のお気に入りのローズオイルの匂いがたちこめている。調度品も豪華だ。ルビトリアと同じように椅子に座っての会食で、細長いテーブルの上には銀の燭台や花瓶が置かれている。

 

 セルディーが席に着くと、王妃が怪訝な顔でディディを睨んだ。


「そこの書記は何ですか? 邪魔ですよ。さっさと、衝立の後ろに下がりなさい」


 王妃が、ディディの存在を不審に思うのは当然だ。すぐさま、セルディーが苦しげな顔つきで告げた。


「ず、ずみませーん。じ、実は、ぎ、ぎのうがら咽を痛めて、お、おおお、りますぬぉのでぇすぅーーー」


 セルディーが呻いている。もともと枯れ気味の声なのだが、わざとガサガサと濁らせて喋っている。これでは何を言っているのか分からない。


「ですから、ぐぁ、ぐぁたくしは筆談しだ、い……のです……。ゴホッ。この書記の助けが必要なのでずぅーーー」


 セルディーを苛めようとしている王妃にとって部外者は邪魔でしかない。


「あのう、王妃様」


 いざ出陣。さぁ頑張ろう。ディディは勇気を持って発言していく。


「お、恐れながら申し上げます。僕が、ジゼル様が書かれた文字を隣で読み上げようと思っております。王子からも、非力なジゼル様を助けてやって欲しいと頼まれております。どうか、ここにいる事をお許し下さい」


 王子に頼まれたというのは真っ赤な嘘。セルディーとディディが勝手に決めた事である。


 王妃よりも先にナティアが不満そうに細い眉をしかめた。背後に控えている王妃の侍女や給仕の女奴隷も困惑している。王妃がネットリとした声で言う。


「我々の会話に書記が口を挟むなど前代未聞ですよ」


 しかし、ディディは負けずに言い返す。


「でも、皆様、聞き取りにくい状況でお話をなさるよりも僕が潤滑油となる方が王妃様達のお耳にとっても聞き心地がよろしいのではないでしょうか?」


「まぁ、それもそうですね……」


 おまえみたいな娼婦の声なんて聞きたくないと言いたげな顔つきで王妃は意地悪く笑っている。


 ルビトリアの料理は前菜から始まりデザートで終わる。


 緊張しているせいなのか、セルディーはナイフやフォークのことをすっかり忘れて骨付き肉を右手で掴んでいる。


 それを見た王妃は、さも嫌そうに口許歪めた。ピリピリとした空気が続いている。ディディが身構えていると、銀の杯に入った石榴の果汁を飲み終えた王妃が尋ねた。


「ところで、ジゼル姫。あなたは、どのようにして我が国に来たのですか? いつからここに? なぜ、今頃、名乗り出たのですか?」


 すると、セルディーは素早く文字を書き記し始めた。それはデイディだけに見えるものである。


『あたいはルビトリアの沿岸部とアズベール王都の間を行き来して暮らしてきた。とーちゃんは、ずっと元気だったのに、七ヶ月前に、突然、心臓を押さえながら死んじまった。しかも、借金をこさえていた。あたいは泣き続けたよ』


 ふむふむ。なるほど。しかし、この内容は王妃には内緒だ。


 ここから先は、ディディ自身が考えた言葉を伝えるのである。


「皆さん、御存知のようにアズベール軍が最初に上陸したのは沿岸部の我が父の領地でした。城館が戦火に包まれる前に安全な場所を探して逃げ惑いました。しかし、従者と共に逃げる途中で海賊に襲われて連れ去られました。子供の頃、砂漠で女中をしておりましたが、ある時、娼館に売られていたのです。と、このようにおっしゃっております」


 王の孫から娼婦に落ちぶれたと告白しているのだから何とも哀しい人生ではないか。


「驚きましたわ。売られた? あらまぁ可哀相に……。さぞかし辛かったでしょうね」


 王妃は、芝居がかった声で心にもないことを朗々と呟いている。そして、更に質問してきた。


「でも、それならば自分が姫君だということを今まで黙っていたのですか。王家の末裔が、そのような形で働くなんて考えられません。第一、あなたは、紋章入りの指輪をお持ちなのです。それを売ればもっと楽に生きられたでしょう?」


 年の功というやつなのか、なかなか鋭いところを突いてくる。


『指輪はマズイよぉーー。あたいの父ちゃんも銀の匙や絹のショールなんかは売り飛ばしてやったさ。王家の紋章入りとなると迂闊に売れないよ。緑の腕輪が、お守りだってのは知ってたから、身につけていたのさ』


 ディディは即興で語っていく。


「王家の紋章入りの宝石を手放すことは王族としての誇りを売りさばくのと同じでございます。この身を売ろうとも王族としての魂まで手放すことなど出来なかったのです。それに、無くしてしまったなら、わたくしが姫であるという証を立てることも困難になります。心無い人たちに偽者の姫だと後ろ指を指されることもあるでしょう。わたくしは、いつか自分が姫だと言える日が来ると信じておりましたので隠し持っておりました」


 心無い人達。その言葉を耳にした瞬間、王妃の上品ぶった顔が引き攣った。


 しかし、そんなことぐらいで怯むような王妃ではない。


「確かにそうですね。わたくしたちは疑ってはおりませんのよ。でも、他の者たちが噂しております。だって、あなたが、あまりにも粗野だから」


 愚弄されたセルディーは机の下で片方の指を握って下唇を噛みしめている。相当、キレているらしい。顔を強張らせたままヒステリックに文字を書きなぐっている。


『うるせー、うるせー。ばばぁ! おめぇも愛人を作っているって、もっぱらの噂じゃねぇか! 強欲ばばぁ。あたいに説教する資格なんてねぇんだよ! アルバ王子は愛人の子だろ!』


 ディディは、斜め前に陣取る王妃の顔を盗み見ながらハラハラしていた。


(うっそー。まさか! アルバ王子は王の子じゃないの? 噂なんていい加減なものだから、それを安易に信用しちゃいけないよね……)


 ディディは澄ました顔で王妃に返答していく。


「王妃様。わたくしが貧民街で姫のように振舞ったところで何になるのでしょう。気取っていると笑われるだけですわ……。と、ジゼル姫は申されています。ジゼル様は苦労されたのですから、大目に見てあげてはどうでしよう」


 王妃は、太く濃い眉をキリリと絞り絞るようにして吊り上げている。


「おだまり! 書記の意見など聞きたくないわ。身の程をわきまえなさい」


 蛇のように怖い顔に委縮したディディはすみませんと深く頭を垂れると、王妃は気を取り直したのか口許を緩めた。チラッと意味ありげにナティアと目線を合わせている。


「こちらのナティアは、あなたが幼い頃に何度か屋敷で会っているのですよ」


 ナティアは瞳の奥に底意地の悪いものを滲ませながら言う。


「お久しぶりですわね。ジゼル様は幼き頃に猫を可愛がっておられましたわね。真っ白の毛の長い猫でしたね。えーっと、猫の名前は何だったかしらね?」


 質問の後、セルディーが素早く文字を書いてよこした。


『どんな猫なのさ? あたい、旅暮らしをしていたから猫を飼ったことがないんだよね』


 セルディーは好奇心を溢れさせているが、ディディは、ナティアの悪巧みに気付いていたので落ち着いた様子で返答していく。


「わたくしの猫は真っ白ではありませんわ。灰色の短毛の猫でした。名前はビィビィです。とのことです」


「んまぁ……。その通りだわ」


 ナティアは少し驚いたような顔をしているが、懲りずに質問している。


「では、更にお尋ねしますわね。姫の御家族とその周囲のごく一部の方だけが知っていることですわよ。兄がいましたね?」


 ザワッ、ザワッ。ディディの胸の中が疼いてきた。


「その人は、親族一同からは鼻つまみ者として嫌われていました。だって、そうでしょう。アズベールの繁華街の混血の年増の娼婦が産んだ子なんですものね。一族の一員として認める訳にはまいりませんものね」


 久しぶりに、兄に対する露骨な嫌味を耳にすると心が澱む。


 ディディの父は次男だ。外交官としてアズベールの大使館で働いていた時、西区の年上の踊り子の女性との間に子供が産まれた。それがサリンダである。


 父の兄が死ぬと、爵位を継ぐ為に父は帰国したのだが、サリンダという見知らぬ子供を連れてきたものだから誰もが仰天した。


『我々は、その者を御子息として認めません』


『婚約者のシンシア様にどう告げるおつもりですか』


 そう、父には婚約者がいたのだ。


 ディディの母親のシンシアはルビトリアの王女だ。


 生まれつき目が不自由で身体も弱かった。それでも、自分のおこづかいを使って貧しい家庭にスープを配っており、は国民から熱烈に愛されていた。


 十九歳のシンシアはサリンダの存在を知らないまま結婚した。そして、ディディを産んだ数年後に他界している。


『そなたも早く再婚するがいい』


 王が何度か諭したが父は再婚しようとしなかった。もしかしたら、一人娘のディディが継子苛めに遭う事を怖れていたのかもしれない。


 馬小屋の二階で暮らしている使用人のサリンダはデイディに尽くしてくれた。ディディのことを、ジゼル様と呼んでいた。

 

 彼が、腹違いの兄だと認識したのはディディが四歳の時だ。父が、母の墓石に花を添えながら教えてくれた。


『シンシアが生きている時にはどうしても言えなかった。サリンダは賢い子だ。何かあればサリンダを頼りなさい。おまえを命がけで守ってくれるからね』


 暴れ馬が、七歳の幼ないディディを踏み倒そうとした時、覆いかぶさり庇ってくれている。


 お兄たん、いつもありがとう。だーいしゅき。誰もいない時にそう呟くと兄は大きな肩を揺らして静かに泣いていた。あの時、どうして兄が泣いていたのか分からなくてオロオロした。


(でも、今なら分かるわ)


 そんなことをツツラツラと思い返してたのだが、意地悪な眼差しにハッとなる。


「あなたの叔母様はいつも心配しておりました。あのような者が傍にいると姫様にとって良くありません。ところで、嫌われ者は今どこに?」


「そこの書記、どうかしたのですか? 姫の言葉をこちらに伝えなさい!」


 王妃がせっついている。セルディーも、テーブルの下でディディの脚を蹴飛ばして急かしている。


『早く、あいつらに言ってやりなよ!』


 デイディは動揺していた。これまでとは違って鈍い顔つきで説明していく。


「えっ、えっと……。その人は、わたくしを守ろうとして、アズベールの海賊に斬られて亡くなりました。どうか、その者の存在は御内密にと姫様はおっしゃっておられます」


 記憶を辿っていくうちに少しずつ思い出してきた。


 ルビトリアの貴族達の宴は退廃的だった。そごでの楽しみは人の悪口と不倫だ。


 高慢な叔母と仲がいいナティアなどロクなもんじゃない。


(あの人達、すごく不道徳だったわ)

 

 ディディはギュッと拳を握る。ナティアの目を真正面から見つめると、顎を上げてキリッとした声で告げた。


「申し上げます。姫様は思い出されたそうです。当時、叔母には、ハインツという有名な音楽家の愛人がおりました。叔母の友人達も、ふしだらでした。舞台俳優のクレールと付き合っていた女性は淫らな愛欲に溺れて堕胎したそうです」


 ナティアの手が止まった。下唇を歪めたまま黙り込んでいる。ディディが無表情のまま言い放った。


「あんな女は、いつか地獄に堕ちる違いない。最低のアバズレの馬鹿女は、今、どこにいるのか御存知ですか……と、ジゼル姫がおっしゃっておられます」


 ガシャン。ナティアか持っていたグラスを落としていた。顔を真っ赤にして肩を震わせている。


「お、王妃様、わたくし、気分がすぐれませんので、先に退出させていただきます。申し訳ございません」


「あら、ナティア……」


 王妃は驚いている。すると、そこにデザートの器が運ばれてきた。アスベールから伝承されて貴族の間で流行ったシャーベットという氷菓子だ。


 時間をかけて美味しいオレンジ果汁の氷菓子を堪能した王妃が澄ました声で告げた。


「あらあら、急に、ナティアも帰ってしまいましたし、そろそろ、わたくしも帰りましょうか。ジゼル姫も喉の御加減が悪いようですし、どうぞ御自愛くださいな」


 ディディは王妃よりも先に席を立つと最後の言葉を告げた。


「今日は王妃様と楽しいひとときを過ごせて幸せでした。と、ジゼル様が申されています」


 すると、立ち去ろうとしていた王妃が妙な事を言い出した。


「ああ、そうそう。言うのを忘れていましたね。婚約のお祝いにレイ王子に美しい娘を贈りたいと思っていますのよ。この国では、年頃の王子に奴隷の娘を贈るという風習がありますのよ」


 王妃は、その目付きや微笑に悪意の香りを漂わせている。


「ジゼル姫も王子のことを本当に想われるのならば喜んで受け取ってくださいますわよね。何しろ、殿方は愛する者が多いほど生きる力がみなぎるものですものね。それでは、御機嫌よう」


 それを伝え終えると王妃は先にサロンから立ち去っていった。


(奴隷の娘? 新しい侍女のことかしら)


 ディディは意図を理解していなかったが、セルディーは渡り廊下を歩きながら舌打ちしたのだ。


「ケッ、嫌味なばばぁだぜ。なーにが贈り物だよ。馬鹿にしやがって! 気に入らないね」


「どういう事なの?」


「ハレムの頂点に立つ母后が義理の息子に向けて『美しい女』を贈呈するという事は昔からよくあることさ。妊娠しない床上手な女を送り込むつもりなのさ。あたいと王子との新婚生活をぶち壊すつもりだよ。くだらない小細工しても無駄だ。賢い王子がそんな女を相手にするもんか」


「変な習慣だねぇ」


「まぁね、ここはハレムだし、この国は一夫多妻だからね。色々ややこしいのさ」


 王妃からの贈り物が、後に、大きな波乱を起こす事になるのだが、この時のディディは知る由もなかった。

      


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