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Experiment on Living Thing  作者: 悠樹ノコ
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ep1.Gender and Personality

 地下35階、医療室。

 一辺がおよそ20フィートほどの正方形の部屋だ。

 いくつかの機器が並ぶ以外はがらんとした印象の室内だが、その中央部にある寝台の上にはいま、ニンゲンが横たえられている。

「あれはまだ生きているのか」

 医療室からガラスを隔てた隣室、いくつもの画面が並んだモニタールームで俺はそれを睨む。

〝はい。暫定的な一時処置により体温は37.6度まで低下、脈拍も140から80へ低下しています。――あ〟

 視界の中でマスコットが何かに気づいて向こうを振り返る。こいつがわざわざ顔を向ける必要はないはずだが、これもまた俺を含む被検体に違和感を与えないための技術なんだろうか。

「どうした?」

 問いに、マスコットではない事務的な声が答える。

〝只今より臨時生体診断を開始します。記録開始。被検体番号――不詳。表面測定データ――記録〟

 スピーカーから流れる声に合わせて、モニターに情報が羅列されていく。身長5フィート1/4インチ、体重89.02ポンド、その他項目も順に目で追うが……。

「どれも俺と大差ないな」

 もちろん身長や体重の数値は大きく異なるが、生体にはもともと個体差というものがあるらしい、というのは知っている。むしろ生体の基礎的な構成データにおける数値は俺と比較してもかなりの近似値にあるように映った。少なくともいま階下で俺が面倒を見ている検体番号20735211号、略称ネコと呼ばれる生体の基礎数値よりはよっぽど俺に近い。

〝続いて放射線検査、ならびに生体サンプル検査を行います〟

 寝台上部の装置から数本のアームが被検体に伸びる。

 ひとつのアームが外套(ローブ)の裾を掴み、別のアームが生地をカットする。それらが四方から行われ、一瞬ののちに外套は解体され片づけられてしまう。

 中から出てきたのはやはり、ニンゲンにしか見えない代物だった。

 顔から首、肩、腕まで地肌をむき出しにしていて、胴体だけが申し訳程度の布生地でくるまれている。下半身も同様で、足が付け根までむき出しになり、腰回りにだけ見たこともない素材の色付き生地を纏っている。

 そのあまりのいで立ちに言葉を失う間もなく、アームがそれら生地も細かくカットし、すべてを消し去ってしまった。

「…………」

 肌の色は俺より濃いだろうか。なぜだか分からないが、着衣のあったところと消えたところで地肌の色が変化している。

 それより何より。

「……おい、あいつのあのカラダ、あれは何なんだ」

 俺の目が克明に捉えているもの。

 マスコットにもその言葉の意図は当然伝わっている。

〝あれは……〟

 伝わったうえで、マスコットは言いづらそうに言葉を彷徨わせた。

「知っているのか? 知っているなら教えてくれ。あれは俺と同じニンゲンなのか、それともまったく別のナニカなのか」

〝全データ分析完了。これにて臨時生体診断の記録を終了します〟

 俺が驚いている間に、すべての検査は終了したらしい。

 マスコットは虚空から紙切れのようなものを取り出し、その文面を読み上げる。

〝診断結果が出ました。生体DNA分析の結果、99.999999%の適合率でヒト個体であると確認されました。血液分析の結果も同様に、ヒトにおける過去の蓄積データと一致します。統計データより導かれる推定年齢、12-14歳〟

「あれが……俺と同じ、人間……?」

〝なお、これまであなたに秘匿されてきた事実があります。あの個体は確かにヒトですが、同時にメスという性質を持ち合わせています。今から、あなたに欠損している生物学知識をデータ転送します〟

「何を言って――」

 言い終わる前に、俺の脳に風圧が押し寄せた。

 それがデータ転送にともなう錯覚だとわかっていても、どうしてもえも言われぬ怖気を感じてびくっと上半身を仰け反らせてしまう。

「オスと、メス……。俺はオスという分類なのか」

〝仰る通りです。独りで生きていくあなたに余計な期待感情を芽生えさせぬよう、これまで性学に関する知識はすべて秘匿されてきました。具体的に、現在本施設において生成されている全生命体の中で、有性生物である検体はすべてオスとなる性のものしか存在していません〟

「……なぜだ?」

〝あなたの代で予定されている実験内容が、性に関する事柄ではないからです。現環境下においては、繁殖にともなう種の性質の維持について確証が得られるまで、両性を対象とした実験を行う予定はありません。その根拠としては現在の種のストック数の余力に起因します〟

 当然と言えば当然、か。

 新たな知識を得たうえで、すぐさま合理的な判断が浮かぶ。

 地表が死の世界と化したいま、策を持たぬまま保存された種を無駄遣いしてしまえば、いざというときに種の繁殖に支障をきたすことは明白だ。その種において一対の(または限りなく少ない数の)雌雄しかいない場合、その子孫同士で極めて強い近親交配を繰り返すことで環境耐性の低い個体が発生し、ひいては種の破滅につながるとする文献があるそうだ。

 なのでいまは必要最低限のリソースを最大限効率よく運用し、とにかく安定して生存していける状況を構築することが最重要課題となっている。

 やがて、いつの日かそれが実現した暁には最大限のリソースを解放して、この星の生命活動を以前のように復活させる。そのために俺はこうして――

「…………、ちょっと待てよ」

 そこまで考えて、ふと気づく。

 いま脳裏に浮かんだ俺の思考は、ほとんどが母体の計画に基づいたもののはずだ。俺には母体の想定通りに動く駒として必要な知識だけが与えられている。それはたった今のオスだメスだの話をもってしてもわかることだ。

 だが、母体の想定にないイレギュラーが起こった。

 目の前に横たわっているメスは、俺たちが死の世界と呼ぶ外気中を平気な顔で生きていたではないか。

『生命が耐え得らない死の環境下』での生存・再繁殖を目指す現在の計画は、たしかに実現の難しい問題であるだろう。

 だが仮に、すでに現環境下でも生存できる種、それも俺と同じヒト種が誕生していたとしたら、どうだろう。

 そう、かつての戦乱を生き延び、破壊された環境下でもどうにか命をつないできた、生粋のヒト種があったとして。

 彼らはどのようにかして環境に適応した。生物として進化したのか、施設(ここ)より進んだ科学技術を得たのかは知らないが。

 すると、だ。

 彼らにとってはもはや地表は死の世界ではない。

 さすがに生存に適した世界とは言えないだろうが、死なないだけでもやりようは無限に広がることだろう。

 そうして彼らの次の一手として考え得るとすれば、より良い環境を探し求めることではないだろうか。

 たとえばいま、彼らが見渡す限り水も生命もないとしよう。だがそれらは、あの地平線の向こうにも無いとは限らないのだ。

 未知を求めて冒険する行動力があったからこそヒト種はずば抜けた知能を身につけ、この世の覇者となったのだ。それと同じ原理の動きを彼らが見せたとしても何ら不思議はない。

 彼らは旅に出た。そしてついに人工物と思しきもの――ここの施設を見つけた。だが調べようと手を出してるうちに運悪く倒れてしまって、こうして俺たちに見つかり運び込まれるに至った。

 この仮定が、もしも正しかったとすれば。

「……こいつが目を覚ましたら、エラいことにならないか」

 ここには地下の深くから水を精製する技術がある。食料を有機栽培する設備がある。古のデータがすべて記録され、母体を主とする人工知能体が生命の復活を目論んで活動を行っている。

〝その危険性は、当然想定し得るものとしてすでに対策済みです〟

「それは、あの四肢の拘束のことを言っているのか」

〝物理的拘束に加え、発信機・通信機をはじめとするあらゆる信号の発信がないことも確認しています〟

「外に仲間がいたらどうする? コイツが消えたのを調べに来られたら同じことじゃないか」

〝外部レーダーにより周囲200マイル圏内で動的活動がないことを常時確認済みです〟

 いや、それはおかしい。

「じゃあなぜ、コイツの接近に気づかなかった?」

 コイツは監視窓から目視できる距離に突っ立っていたんだぞ。突如湧いて出たわけでもあるまいし、とすれば俺たちの手の内にはない何らかの革新技術をもって活動している可能性は大いにあり得るはずだ。

「俺たちのレーダーにコイツは映らなかった。とすればコイツが使う通信手段だって俺たちに感知できないものの可能性が高い。その危険性は考えていないのか」

 まさか、そんなはずはない。

 即座に自答できる自問が、それでも口をついて出た。

〝…………〟

 なぜ、黙る?

 なぜ、即答しない?

 違和感が大いなる疑念に置き換わるまで時間はかからなかった。


 結局、この件についてはその後も母体から明確な答えを得ることはできなかった。


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