4話 精霊と治療魔法
ウェッジたちは、冒険者たちを退けた後、警戒しながらも洞窟を進み、入口付近の広い空洞までやってきた。
「さて、もうすぐで洞窟を出ますね」
入口が近付くにつれ、一行の会話は少なくなっていた。
特に、アリスは街に着いた後のことを考えているようで、深刻そうな面持ちであった。
「最寄りの街に向かいますが、貴女がたはその後どこか行く当てがありますか?」
「まだ、そこまで考えてはおらん」
アリスが押し黙ったままなので、フィオが代わりに答える。
(結局、この精霊も謎でしたね……)
ウェッジも精霊のことはよく分かっていないが、意思を持つ精霊というのは聞いたことがなかった。
ただ、今この少女に必要な存在であることだけは理解出来た。
入口に続く道へと、ウェッジとフィオは進んだ。
しかし、アリスだけはそこで立ち止まった。
洞窟から出た後のことを考えてしまい、足が進まないのかもしれない、とウェッジは思った。
その時、アリスの向こう側、奥の通路から唸り声が響く。
暗闇から獣の気配。
それも、ひどく荒々しいもの。
「危ないっ!」
ウェッジが駆け出す。
闇から魔獣が出てくると、こちらに猛烈な勢いで突進してくる。
ウェッジはとっさにアリスをかばって、魔獣の前にその身体をさらけ出した。
魔獣は容赦なくその丸太のような前足を突き立てる。
ウェッジは自分の胸に魔獣の鋭い爪がめり込んでいく感触を味わった。
──痛みで視界が赤くなる。
──息が漏れ、次の息が吸えない。
──血が喉を込み上げてくる。
(これは、まずい……)
ウェッジは腰からナイフを抜き、魔獣の前足に突き刺した。
硬皮の合間に深々と刺さったが、魔獣は怯まずにウェッジの首元に噛み付こうとする。
ウェッジは魔獣に再度突き立てようと、さらにナイフに手をかけた。
「グオォウ!」
突然、魔獣が悲鳴を上げる。
ウェッジの身体から前足の爪を抜き、距離を取ろうとしてか後ろに跳んだ。
その場に倒れるウェッジ。
上半身を起こすと、胸は中身が見えそうなほど酷く切り裂かれていた。
血は胸を赤黒く染めて、さらに地面に広がっていく。
(致命的ですね……)
こんなときにも、あまりに他人事な感想しか出てこない自分自身に、ウェッジは少し呆れた。
そして、辺りを見ると、魔獣を阻む形で、アリスとウェッジを背丈ほどの炎の壁が囲っていた。
「貴様、よくやった。後は我に任せよ」
フィオの尻尾の先に炎の矢のようなものが浮かんでいる。
魔獣を退かせたのは、フィオの攻撃だったようだ。
この壁も、魔獣から身を守るために展開したものだろう。
魔獣は炎の壁と傷を負ったことで警戒したようだ。
しかし、手負いであっても、通常の魔獣より一回り大きな個体で耐久性は高いだろう。
加えて硬皮とあの敏捷性。
その気になれば、この炎の壁も突破出来るに違いない。
ウェッジはフィオの努力も時間稼ぎ程度にしかならないと判断した。
しかし、時間を稼いだところでどうなるのか。
ウェッジはすでに死に瀕しており、アリスはあまりの事態に顔からは血の気が引いている。
ここで魔獣の餌になることをウェッジは覚悟した。
しかし、アリスは違う覚悟を決めたようだ。
アリスは倒れているウェッジの側に駆け寄ると、震える手をウェッジの胸に添えた。
「あ、あなたを、死なせたりはしない……!!」
目尻には涙が溜まっていたが、アリスの顔は決意に満ちていた。
アリスの周囲に蒼白い光が浮かぶ。
「いけるのか! アリス!」
フィオが叫ぶ。
魔獣に攻めいる間を与えまいと、次々と炎の矢を放ちながら、アリスに問うた。
「大丈夫! ……絶対に、助けるから!」
アリスも叫ぶ。
光は強さを増して、アリスだけでなくウェッジの周りを囲うように展開していった。
「精霊よ! 我が魔力を鍵とし、生命の錠を開き給え!」
アリスが《合意文》を言い放つと、現れたのは辺りを埋め尽くすほどの《瞬間契約》の《契約書》。
《契約書》はアリスの目の前に次々と現れ、ひときわ輝くと、溶けるように消えていく。
その度に、ウェッジの傷が光り、癒えていく。
アリスが実行しているのは、ウェッジの傷を治すための《治療魔法》だった。
ウェッジは自分の致命傷が恐ろしい速度で回復していくのが、信じられない気持ちだった。
魔法による傷の回復はウェッジも経験したことがあったが、どれも血止め、痛み止め程度のレベルだった。
高位の《治療魔法士》でも単独の《瞬間契約》では骨折を治せる程度。
範囲、深度、速度、どれを取っても、アリスの魔法は規格外だった。
ウェッジは戦慄した。
アリスの魔法は死にゆく運命すら曲げるもの。
これは、人の手に余る力だ。
(狙われるのも、この力のためですかね……)
もはや、傷口は痕すら見えなくなるまで治っていた。
「ふぅ。これで、もう大丈夫、です」
疲れた様子でアリスが言った。
ウェッジは、すぐさま自分の身体の調子を見る。
具合は良い。
深い傷だったはずだが、それを忘れるほど完治している。
(すごい、これなら戦える)
フィオは炎の矢をまだ魔獣に射ち続けていたが、さすがに魔獣も見切りつつあるようだ。
避けられることも増え、攻めに転じる機を狙っているように見える。
ウェッジは魔獣を一撃で倒すため、ナイフに力を込めた。
ピリッと空気が張りつめる。
「フィオ! 壁を消してください!」
ウェッジが叫ぶと、フィオは意図を理解して炎の壁を一瞬で消した。
障壁が消えたことで魔獣がすぐさま獲物に喰らいつこうと、突進してきた。
魔獣の狙いはウェッジの後ろにいるアリス。
まっすぐ向かってくる魔獣に対峙するウェッジ。
その右手が鋭くナイフを放った。
◇◇◇
「アリス、フィオ、ありがとうございます」
ウェッジが深々と頭を下げた。
「そんな、あたしをかばってくれて、その、やられちゃったんだし」
「ですが、命を救われました」
ウェッジはアリスを見据えて、はっきりした口調で言った。
「これからの貴女の旅、私も同行してよいですか?」
ウェッジは命を救われた。
その恩義はある。
しかし、それは口実に過ぎなかった。
それ以上に、このコンビの行く末が気にかかったのだ。
瀕死の者すら治す最高位の《治療魔法》の遣い手。
意思を持つ炎の精霊。
彼女らが何をして追われているのか。
何処へ行こうというのか。
普段の面倒を嫌う性格も、このときばかりは違い、ここまで来たら、見届けるのも良いかという気にさせられたのだ。
自分の腕も多少は役に立つだろう。
ウェッジもそれなりに修羅場をくぐってきたという自負があるので、用心棒のポジションを買って出た。
「ウェッジさん、それ、ホントですか!?」
アリスが飛び上がらんばかりに喜ぶ。
ウェッジも、この反応は素直に嬉しくなった。
「ヒヒ、良かったな、アリス」
フィオもウェッジの同行には同意している様子だ。
「では、口頭ですが、護衛同行の契約をさせて頂きます」
ウェッジは改まった態度でアリスに向き合った。
「私、ウェッジ・モルガは契約者であるアリスに対し、同行し護衛することをここに誓約します。
この契約は貴女から頂いた恩を返すまで、朽ちぬものであり、貴女を害するものの全てを、この刃を以て打ち払いましょう。
私は願います、貴女の旅が良きものとなることを」
ウェッジが契約の内容を読み上げる。
アリスは最初戸惑ったように聞いていたが、最後には
「分かりました。ありがとうございます」
と強く応えた。
「これで契約成立です。特に、魔法効果などは付与していないので、契約としては拘束力の無いものですが」
契約には条件によって魔法が発動して強制力を持たせるものもある。
それに対し、ウェッジとアリスの契約は言ってしまえば、ただの口約束であった。
だが、ウェッジはアリスに契約という形で約束したかったのだ。
守りたい、という想いを。
契約も済んだことで、ウェッジは護衛としての立場から、アリスに方針を伝えた。
「洞窟を出たら、言った通り、街に向かいましょう。私はギルドで報酬の受け取りと旅に必要な物の買い出しを済ませますので」
ちなみに、ウェッジは討伐の標的である魔獣を倒した。
しかし、クエスト受注者ではないので、追加の報酬は受け取れない。
契約は厳密に運用されるため、そこは諦めるしかなかった。
「あの、ウェッジさん。それと、ここを出る前に、何か着る物を……」
「ん? この胸のところですか? 確かに、血みどろですが、私は気にしませんので」
「あ、あたしは気にするんですけど!」
アリスは何故か顔を赤らめている。
「そんな、胸をはだけさせて!」
ウェッジはアリスの言っていることの真意がまだ分からず、聞き返した。
「ですから、別によいでしょう。貴女も同性ですから、気にならないでしょう?」
「気になるよ! そんな、おっきい胸! ダメだよ、女の人が! もう、いろいろダメー!」
◇◇◇
新しいステータスが公開されました。
名前:ウェッジ・モルガ
種族:人間
性別:女性
スキル:ナイフ投げ……Sランク
名前:アリス・ワーグ・アリス
種族:人間
性別:女性
スキル:治療魔法……Sランク
名前:フィオ・デ・フィラム
種族:精霊(?)
性別:不明
スキル:炎系魔法……Sランク
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