12話 黒犬と曲射
ウェッジ一行が森の半ばまで進んだときである。
犬型の魔獣が襲いかかってきた。
ウェッジに向かって疾風のごとき速さで迫る。
しかし、ウェッジのナイフは紫電の速さ。
眉間にナイフが刺さると、魔犬は一撃で倒れた。
相変わらずの早業で苦労するところのない戦闘であったが、ウェッジは危惧していた。
(犬型の魔獣であれば、その生態も犬に準じる点が多い。そうであれば、知らずに群れの縄張りの中に入り込んでしまったかも知れませんね)
ただの野犬であっても、暗い森の中であれば、恐るべき脅威となる。
ましてや、魔獣であれば尚更である。
キャンプ地点まで着けば、獣は火を恐れて、ある程度の安全を確保できる。
アリスの体力の心配もある。
ウェッジは警戒を強めつつ進行を少し速めた。
しばらく進むと、フィオが突然止まった。
「待て、濃い魔力を感じる。大型の魔獣が近くに来ているな」
(ついに遭遇してしまいましたか)
ウェッジは覚悟を決めた。
恐らく、先ほどの魔犬の群れを率いるボスだ。
見つかる前に仕留めるのが理想だ。
しかし、犬型であれば、今から息を潜めても、体臭やわずかな音で存在を知られてしまう。
先手必勝が基本のウェッジにとって、先手を敵に握られるのはあまり好きではなかった。
ウェッジは周囲に意識を集中させて、相手の出方を探る。
ウェッジの経験と集中力が、木々の暗闇の中に違和感を発見した。
周囲を静かに歩き回り、こちらのパーティの穴を突き破ろうとする、獣の気配。
ウェッジはさらに眼をこらし、敵の動きを探った。
すると、獣の気配が消えた。
一拍を置き、ウェッジが叫ぶ。
「上です! 離れて!」
ウェッジはアリスを突き飛ばし、大振りのナイフを振り上げる。
ナイフと敵の爪がぶつかり、すさまじい衝撃がウェッジの腕に伝わる。
だが、相手の体重を片手では止められない。
ナイフで受け流すようにして滑らせ、すぐに横へ跳んだ。
地を揺らす衝撃を伴い、魔物が着地する。
ウェッジはそのまま距離を取って、ナイフを放った。
しかし、牽制で投げたため、大したダメージにはならなかった。
魔物がこちらを向いた。
姿形は犬型だが、熊ほどもある体躯で黒い体毛に覆われている。
そして、頭部には犬の首が三つ並んでいた。
名を《三つ首の黒犬》。
鋭い爪と牙、高い身体能力、獲物を追い詰める狡猾さ、どれを取っても脅威となる獰猛な魔獣である。
五、六人のパーティを組み、準備を入念に行った冒険者たちでさえ、黒犬になす術無く破れることもある。
ウェッジは黒犬と対峙した。
アリスは少し離れて、フィオの後ろに控えている。
(フィオと連携できれば良いですが……)
しかし、フィオに攻めさせるとアリスの守りが薄くなってしまう。
ウェッジは自身に黒犬の注意を向けさせることで、万が一にもアリスが攻撃されないよう立ち回ることにした。
ウェッジは黒犬の動きと攻撃力を削ぐために、黒犬の前足にナイフを三本、《抜打》で放つ。
それぞれ命中したが、堅い体毛と分厚い肉で、期待したほどの効果は出なかった。
黒犬はウェッジのナイフの威力を軽く見てか、攻めに転じてきた。
ウェッジに飛びかかり、牙、爪を連続で繰り出し、獲物を刻もうとする。
特に、三つ首の咬みつきはそれぞれの首が手足を喰い千切れるほどの咬力である。
だが、ウェッジは全て回避した。
ウェッジの体術と集中力があれば、並大抵の攻撃は躱すことができる。
黒犬の攻撃の合間に、ウェッジは攻め方を変えて、三つ首の眼をナイフで穿った。
しかし、眼に刺さったナイフを他の首が噛んで引き抜くと、その傷口を舐め始めた。
蒼白い光と共に、見る見るうちに傷が小さくなっていく。
(あれは、《治療魔法》による回復!)
ウェッジはフィオが言っていたことを思い出した。
魔力を持ち意思のある者であれば、魔法を使えると。
それは、たとえ魔獣であっても不思議ではない。
単発の攻撃では、それぞれの首が補完して回復してしまう。
ウェッジと黒犬、互いに攻め手に欠けると思われたが、ウェッジはまだ本領を発揮していない。
そして、対する黒犬も、それは同じだった。
突如、黒犬が咆哮をあげた。
三つの首それぞれの周りに蒼白い燐光が浮かぶ。
右の首が吼える。
雷鳴が轟き、周囲に鞭のような稲妻が走った。
中央の首が唸る。
大気が凍り、岩のような氷塊が飛んできた。
左の首が叫ぶ。
熱により空気が揺らぎ、雨のように火の玉が降り注いだ。
ウェッジはナイフを投げて、稲妻を反らし、氷塊を砕き、火の玉をかき消した。
しかし、どれもが間一髪であった。
今のウェッジに攻めに回る余裕は無い。
一気に形勢が黒犬の方に傾いた。
黒犬の三つの首はそれぞれに意思があり、それぞれが単独で魔法を実行することが出来る。
右の首が雷、中央が氷、左が炎、そして治療魔法も使いこなす。
黒犬が使うのは《原始魔法》という物理現象のみが出力される単純なもの。
人間の使う《瞬間契約》と違い、契約書も無く複雑な効果などは無い。
しかし、威力は《瞬間契約》に劣らない。
魔力量次第では、魔法の出力はかなりのものとなる。
ウェッジは魔法を躱し続ける。
高出力な魔法三種をナイフだけで捌くこと自体、誰にも真似できるものではない。
だが、このままではウェッジは確実に倒れてしまうことになる。
いかに卓越した技量を持っていても、消耗戦ではナイフがいずれ尽きてしまうのだ。
魔法と違い、ウェッジのナイフは無から生み出せるものではない。
(さすがに、まずいですね)
ウェッジは焦りを感じ始めたが、ここで一つの動きがあった。
アリスの前で警戒態勢を取っていたフィオが、ウェッジと黒犬の間、魔法が嵐のように渦巻く空間に飛び込んできたのだ。
「フィオ!」
ウェッジがフィオの身を案じ、叫んだ。
しかし、当のフィオは、
「魔法ならば、我に任せるがよい」
と自信に満ちた表情である。
そして、フィオが蒼白い光を伴った尻尾を振るう。
すると、氷塊は燃え盛る炎で蒸発し、火の玉は溶けるように消滅した。
「我の前で炎を使おうとするなど、度し難いな」
三つ首の魔法のうち、二つを攻略出来たことで、ウェッジは攻めに転じる好機を得た。
ウェッジが黒犬に向かってナイフを投げる。
黒犬の顔にナイフが刺さった。
黒犬はすぐさま治療魔法を実行し、続く追撃を防ごうと自分の目の前に分厚い氷の壁を出現させた。
「待っていろ、氷の壁など我が消し去ってくれる」
フィオが尻尾を振るおうとする。
しかし、ウェッジはそれを制した。
そして、
「氷の壁で守りに入ったのが、あなたの敗因です」
ナイフ投げの絶技で黒犬を倒すことにした。
氷の壁によって、真正面からの攻撃はほぼ食い止められる。
しかし、黒犬はウェッジのナイフ投げをまだ過小評価していたようだ。
ウェッジがナイフを構えて投げた。
ナイフは氷の壁に刃を立てること無く、黒犬の急所に突き刺さった。
黒犬が悲鳴を上げる。
ウェッジは続けてナイフを投げる。
またも命中。
ナイフは氷の壁を避けるように、弧を描いて黒犬に刺さったのだ。
ウェッジが《曲射》と呼ぶ独自の技。
精妙な力加減で回転を加えて投げることで、ナイフの軌道は曲線を描き、思わぬ角度から敵に襲いかかる。
構えが必要なことと、軌道が曲線のため通常より到達が若干遅い、という欠点があるが、このような守りを固めた敵に対しては極めて有効である。
次々と黒犬の身体にナイフが突き立つ。
壁の向こうへの狙いであっても、眉間、眼、喉元、左胸、と肉の薄い急所を突いていく。
氷の壁で自身の移動範囲を制限したことが仇となった。
黒犬はその場に縫い止められたようになり、治療魔法による回復も追い付かなくなっていく。
そして、ウェッジが最後に放った三本のナイフをそれぞれの首の脳天に受け、ついに黒犬は動かなくなった。
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