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堂々巡り

作者: 苦水甘茶

自分の記憶とは信用できないものです。

そして同じ物事は繰り返されるものです。

 つい今しがたのことだ。ふと昔、とは言ってもほんの二、三年まえの話なのだが、俺はある人から、現実を見ろと言われたことを思い出した。そこで俺はなんとなくその言葉どおりに努めてみようという心持ちになった。

 さて、とは思ったものの、現実とはなにか、それがまずよく分からなかったので、現実というものについて定義することから始めた。

 現実、それは”ここ”であり、”いま”だ。俺が”いま”いる”ここ”が現実だ。と俺は理解していた。

 だから、俺はすでに現実を見ているはずなのだが、あの人は現実を見ろと言った。なので、俺が理解する”現実”と、あの人の”現実”は別物だったのだろうか。

 まあ、人の価値観や考え方は千差万別、十人十色、色とりどりってことは周知の通りだが、それにしても、現実という誰にとっても身近で、離れがたいものについて意見が分かれるなんて思っても見なかった。もしかしたら、普段話している言葉のなかにも、通じ合っていると思い込んでいながら、全然違った意味で理解し合っていることがあるのかもしれない。

 たとえばの話だが、俺が林檎について話をしているのに、相手は桃を想像しながら相槌を打っている。俺はしきりに林檎の美しさ、芳しい香り、みずみずしい果肉、そして感動的な甘さについて語っている。それに対して聞き手は同調し、激しく頷きながら俺の話を促す。

 俺は相手が俺の話を完璧に理解し、通じ合えていると信じきっている。相手も俺の話を心の奥底で理解出来ていると信じきっているのだ。まったく滑稽だ。林檎と桃とを間違えるなんて。

 まあ林檎と桃を取り違えることはそうそう無いだろうが、これはたとえばの話だ。もっと上手い例えを言うべきなのだろうが、いかんせん俺には思いつかなかった。なので、この話はどうか比喩として受け取ってほしい。

 話を戻そう。現実とはなんだろうか。

 実を言うと俺は答えに気づいてしまった。そう、林檎と桃の話をしている最中に。

 こういうこともあるもんだ。中心から外れ、無駄なことをいつまでもベラベラ話しているときに閃くことがある。

 答えは林檎と桃だったのだ。これは比喩だ。林檎、と桃、これは果物という同じ食物であって異なる果物。矛盾しているようで、実際のところ矛盾していない。現実においてもそう、現実という言葉は一つだが、異なる意味は複数あるということだ。

 だれかの考える唯一の現実が正しいのではなく、ときによって現実は姿を変える。

 俺が考える現実も正しいし、でも別の意味もあるからそれも理解しないといけない。

 おっと、まだ答えに辿り着けていなかった。では俺が見なければならない現実とはなんだ。

 答えを求めるために、まずは問題のなかからヒントを探すことにしよう。ヒントはその言葉を言われた状況にあるはずだ。うむ、まず場所は学校。時は放課後、日も暮れだして、夕日が教室に差し込んでいた。教室には俺と担任の榊先生の二人。他には誰もいなかった。一番前の戸に近いあたりの机のうえに、だれかの鞄が置きっぱなしになっていたのを覚えている。植田だったか、篠原だったか、たしかそのどちらかの席だったと思う。かと言って、その鞄がその二人どちらかの鞄だったかと言うとそれは分からない。違う席のやつがとりあえず置いていったのかもしれない。まあ、その鞄についてはどうでもいい。

 放課後だ。時間も遅くなっていたので、各部活動はそろそろ終了して帰宅の準備を始める頃だったろう。俺も帰ろうと腰を浮かせたときだった。ガラリと教室の戸が開いた。前のほうの戸だ。俺の席は窓側の一番後ろだったからとても離れていた。榊先生は多分教室をチェックしに回っていたのだと思う。まず机のうえの鞄に目をやり、つぎに俺と目が合うと、一瞬驚いた顔をし、そして鼻でため息を吐いてからニッと笑った。俺もヘラヘラ笑い返した。

「まだいたのか。そろそろ完全下校の時間だぞ」

 わかってますわかってます。

「まったく。いつもマイペースだな」と言って先生は俺の席に近づき、そして隣の席、確か木下の席、に座った。

 そうですかね?

「まえから言ってるけど、お前は部活に入ったほうが良いと俺は思ってるんだよ。運動部でも文化部でもお前ならやっていけるだろ」

 いやぁ、そんなことないですよ。先生は俺を買い被りすぎです。

「別に忙しいわけでもないだろ?バイトもやってないし。部活に入ればメリハリもつくし、お前のためになるはずなんだが……」

 そうですかねぇ。

「ま、この学校は絶対に入部しなけりゃならないなんて校則があるわけでもないからな。お前がどうしても嫌だってんなら、俺はこれ以上無理にとは言えんよ」

 それは助かります。これ以上熱く語られたら考えちゃいますし。

「お!じゃあもっと誘おうか。……冗談だよ。そんな焦った顔をするな」先生は立ち上がり、教壇のほうへと歩いていく。

「おっともうこんな時間か」と先生は自分の腕時計を見て言った。

 俺も黒板の上にある時計を見上げる。時刻は完全下校に迫りつつある。

「じゃ、俺は先に出るぞ。お前も早く帰れよ。鍵、締め忘れないように」

 はーい。

「……バレー部入部のこと、よかったらでいいから考えておいてくれよ」

 先生、全然諦めないじゃないですか……。

 ガッハッハと先生は豪快に笑いながら教室から出て戸を閉めた。廊下に出ていったあともしばらくのあいだ小さくなっていく笑い声が聞こえた。

 一人残された俺は先生が出ていった戸から首を百度ほど左に向けた。外はさっきよりも暗くなっている。教室には電気が点けられていなかったので、先生と話しているあいだにも暗くなっていってることに気づいてはいたのだが、改めて外を見ることで時間の経過をより感じた。

 最後の灯火は眩く、闇すらも照らしているかのようだった。俺は目を細めながらもその光を正面から見続けた。

 沈む。闇は無慈悲にも光を下へ下へと押し込めていき、そして光の残滓だけが残り、眩しい光の塊は山の下へ隠れてしまった。今日という日が終わりを迎えつつある。

 ……。先生は去り、太陽は沈んだ。教室はほとんど真っ暗になっている。

 ……。帰るか……。

 ……。いやいや、ちょっと待て。先生行っちゃったよ。現実を見ろって言わずに行っちゃったよ。

 先生ではなかった?言ったのは先生ではなかったのか?それとも”この日”ではなかったのか?

 俺は机の横に掛けていた鞄を手に取った。帰ろうと決めて立ち上がった。

 そうだ。これで終わりではなかった。まだ俺は帰ることはできない。

 ガラリと教室の戸が開く。今度は後ろのほうの戸だ。そして素っ頓狂な声が教室に響いた。

「あっれー。誰かいるー」

 声の主は山本だった。サッカー部。クラスの中心的な人物であり、爽やかな美男子。明るい性格、そして文武両道ということから友人は多く、ファンも多い。

 学校全体でサッカーの試合の応援に行ったとき、山本への黄色い声のうるさかったことうるさかったこと。俺の横にいた女子が終始金切り声をあげるもんだから、俺は試合中、観戦に集中することができなかった。欠席すればよかったと後悔しながら、いまからでも席を外そうかな、と試合終了まで悩んだ。が、まあ、試合は勝てたので、喜びがその鬱陶しさをかき消してくれた。2-0。その二点とも山本によるシュートだった。が、俺はその二回とも、立ち上がる周りのクラスメートたちに埋もれてしまい、見逃してしまった。

「まだいたの?帰らないの?」

 いまから帰ろうと思ってたとこ。

「俺も俺も。さっき片付け終わって帰ろうと思ったんだけど、教室に鞄置いたままだったこと思い出してさ」

 そうか、あの机に置かれたままの鞄は山本のものだったのだ。ちなみに、その鞄が置かれた机は山本の席ではない。それは確かだ。山本の席は俺の前だったのだから。それは確実に覚えている。

 山本はユニフォームの上にジャージを羽織り、シューズの入った袋を手にぶら下げていた。戸から小走り、というよりはスキップのような足取りで前の席まで行き、鞄にシューズの袋を収めてから肩にかけた。

 俺はなんとなく、つっ立ったまま彼を見ていた。暗い教室では、何かを見るのにも目を凝らす必要があった。

「ってなんだ。○○○じゃん。一緒に帰ろうよ」

 山本は俺のそばまでやってきて、俺の顔をジロジロと見た。暗くなってきたのと、さらに逆光だったことで山本からは俺の姿がよく見えなかったのだろう。

 教室の戸に鍵をかけ、俺と山本は並んで歩いた。特に会話もなく、俺たちは職員室まで鍵を返しに行き、そして校門へ向かった。

 部活終わりの大勢の生徒たちが校門へと向かっていた。サッカー部、野球部、バスケ部、バレー部、テニス部、卓球部、弓道部、吹奏楽部、文芸部、茶道部などいろいろ。サッカー部の数人が山本にむかって声をかけたが、山本は笑いながら手を振っただけで彼らとは合流しなかった。

 そして俺は校門をくぐった。くぐってしまった。

……まだ、言われていない。いつだ、いつ俺は言われたのだ。やはり、この日ではなかったのだろうか。記憶が混同してしまっているのだろうか。まあ、あり得ることだ。人間の記憶なんて曖昧なものだ。昨日の夕飯のメニューだってすぐに思い出せないのだから。

 でもまあ、折角だからもう少し回想を続けてみよう。

「今日の練習でさぁ…」

 山本は歩きながら、練習中に起きた面白い出来事について話し始めた。残念ながら、その詳しい内容を俺は覚えていない。ただ、俺も一緒に笑いながら聞いていたことは覚えている。きっとこのときは、俺はちゃんと山本の話す言葉を理解できていたはずだ。俺はサッカー部ではないが、山本の話すなかに登場した人物たちを俺はよく知っていたし、サッカーのルールも理解していた。だから、山本の話は俺の頭によく浸透していた。

 俺たちを含む多くの生徒は学校から徒歩で三分ほどの駅へと向かっていた。無人の小さな駅で、ホームは同校の生徒で溢れていた。

 すぐに電車は来た。が、一両しかない電車はホーム内の全ての人間を収納することは出来ず、あっという間にぎゅうぎゅう詰めになった。

「あと一回あとのに乗ろうぜ」

 五、六人を残して電車は発車した。

 適当に時間を潰していると、ほんの数分で次の電車がやってきた。この電車は二両編成だった。待っているあいだにもう四、五人の生徒がホームに入ってきたが、それでも車内には十分余裕があった。

 待ってよかったな、と話しながら俺と山本はイスに座った。

「そういえば、今度の誕生日のことなんだけどさ」

 ああ、思い出した。思い出したと言っても現実云々の話ではなく、誕生日についてだ。

 この日の四日後の日曜日は誕生日だった。俺の誕生日ではない。山本の誕生日である。山本は山本でもこのとき俺の目の前にいた山本ではなく、この山本の妹の誕生日である。

「プレゼントってもう買った?」

 いや、まだ。

「じゃあさ、今度の土曜日一緒に買いに行こうぜ」

 俺は頷いた。そして俺たちは何を買うか話し合いを始めた。

 俺と山本はマンションの部屋が隣同士の幼馴染だった。物心つくまえから一緒に遊んでいた。だから自然と二歳下の山本の妹とも仲良くなっていた。

 俺と山本が小学生に上がったころからだろうか。お互いの誕生日にプレゼントを渡すようになった。そのころのお小遣いといえばちょっとしたものだったので、駄菓子だったりちょっとしたものではあったが、 俺たちは嬉しかったし、楽しかった。それを山本の妹が羨ましがったことから、彼女にも誕生日プレゼントをあげるようになった。

 この年は年末年始に入ったバイト代の残りがあったので、それなりに上等なプレゼントが買えた。

 ……。話がズレていることは承知している。だが、まあ、しばし待て。もう少しな気がするのだ。

「あいつ、ネックレスが欲しいとか生意気なこと言ってたんだよ」

 電車が駅に着いた。三人の同校生徒と一人の一般乗客が降りていった。ここの次が俺たちの降りる駅である。

「だからそれはダメなんだって」

「じゃあどうしたらいいんすか」

 二十歳前半くらいの男二人が乗車した。一人は少しうるさい音量で話し、もう一人は面倒くさそうにボソボソと話していた。 

「なんだ、あいつ」

 山本が俺だけに聞こえるように呟いた。その声にはあの無作法な大声に対しての憤りがこもっていた。

 ほかの乗客の目も気にすることなく、大声の男は小声の男へ話を続けた。

「なぁ、お前も十代を過ぎて若くないんだからさ、現実見ろって」

 ……!!!

 いた!言った!聞いた!

 現実を見ろという言葉にようやく出会った。それは名も知らぬ男から発せられた。

 だがそれは俺に向けられたものではなかった。勘違いだったのだ。

 俺と山本が次の駅で降りるまで、大声の男は威勢良く話し続け、小声の男はほとんど黙ってその話を聞き流しているようだった。

「うるさかったなーあいつ。すっげぇ偉そうだったし。周りに迷惑とか考えないのかな」

 マンションへの帰路、俺と山本はあの男について悪口を言い合った。そして、各自部屋のまえに着くと「じゃ、また明日」と言って別れた。

 これでこの日の話は終わりである。

 これだけ話し続けておいて申し訳ない。俺の勘違いでした。現実見ろと俺は誰からも言われていませんでした。

 なぜ俺が言われたと誤った記憶を持ってしまったのかというと、それは多分、この日の夜、俺はその言葉について一人考えたからだろう。俺に向けられた言葉ではなかったが、俺はこの言葉が心に残っていた。

 現実、現実、現実。それは”いま”いる”ここ”だ。当時の俺もそう考えた。だから、誰だって現実を見ているはずだ。そこへさらに「現実を見ろ」?どういうことなのだろう。

 眠くなるまで俺は考えたが、結局よく分からないままで寝てしまった。で、次の日になると昨日のことなどスッキリ忘れてしまい、それから現実についてさらに熟考することはなかった。

 もう一つ、この日を思い出した理由は、今日が山本の妹の誕生日だったからかもしれない。先ほどまで俺は誕生日パーティーのため山本の家にいた。パーティーといっても山本家と俺の家族の七人だけだが、シャンパンで酔った俺と山本のオヤジ二人がはしゃいだことにより、パーティーは大盛り上がりになった。まあ、盛り上がったのはオヤジ二人で、逆に主役である山本の妹は不機嫌になったのだが。

 今年の山本の妹へのプレゼントはネックレスだ。俺と山本の二人のバイト代で購入した。少し高額すぎるのではないかと各両親に言われたが、二人分のプレゼントだからと言って納得させた。山本の妹はあまり顔には出さなかったが、喜んではくれたようだ。

 パーティが終わり、というか、散々騒いだ両オヤジがついに酔いつぶれ、俺と母さんでぐでんぐでんの父さんを引きづって退散した。俺はそれからすぐに風呂を沸かして入った。そして湯に浸かっているさなか、あの言葉を思い出した。風呂から出たあと、自室のベッドで横になりながら俺は回想していたのだ。

 そして、現実を見ろと、いつ誰が言ったのかはっきり思いだしたところで、現在の俺も眠たくなってしまった。

 彼が見るべき現実とはなんだったのだろう。少し大人になった俺なら分かる気がする。でも、もうダメだ。瞼が重く、なって、きた……。

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