第八話【将来の話・前5】
地響きが続いた。俺とソラは無事地面に叩きつけられ、さっきまで俺たちを見下ろしていた巨猿の腕は大地へ沈み込んだ。
「柏木! 矢切場!」
吉野と言う自称年上の少女が俺たちの名前を叫ぶ。そうだ、早くこの場所を離れなければ。ソラと俺は顔を見合わせ、あとでエルに文句を言う事を腹に決めて急いで走り出した。アレはこの場からは動けない。俺たちが無事に脱出すればそのうちに落ち着いて元の無害な姿に戻るだろう。ただ、エルの最大電力を二発受けてなお、アレが気絶した様子が無い。底の知れない超大型に俺は心底ワクワクする。俺達は……俺はいつか……
俺たちと吉野ちゃんの四人以外は既に避難を終えていた。無我夢中で走り抜けた先には呆れた顔で警官や生徒達が待っていた。ソラの第一声は……大体予想できる。
「馬鹿! この……大馬鹿が! 二人とも本当に反省しろ! 今日こそ! 反省を! しろ!」
「わ、わかったわかった……僕たちが悪かったって。な、アツキ?」
何が悲しくて俺たちはみんなの前で説教をされなくちゃならないんだ。だがソラの言い分が相変わらず全面的に正しい以上、俺は閉口して反省の色を見せる他ない。と言うかそう言うのは大人の、この場合は警官達の役目だと思うんだが。ソラの剣幕にむしろ周りが引いてるというか、もうその辺でなんて言い出してしまっているじゃないか。
「まったく……お前らはいつもそうだ。解決できる力があるのは認める。でもだからって問題を起こしていいわけじゃない。今日に関しては他に人もいて、被害が出てもおかしくなかったんだからな。大体あのデカイのがもっと動ける個体だったらどうするつもりだったんだ。特にアツキ、お前はいつも行動が先に……」
「……別になんとかなったんだからいいじゃんか……」
やべっ、と俺はつい溢れた愚痴に口を塞いだ。エルは怯えた顔で俺を見ていた。恐る恐る顔を上げると……やはりそこには鬼神の如き形相をしたソラが立っていた。
「アツキッ‼︎ お前は‼︎ 本当に反省ってものを‼︎」
「ま、まあまあ。落ち着いて矢切場くん。二人もほら、ちゃんと謝って……」
「俺に謝ってどうするんですか! いいんです、コイツらにはいい加減お灸を据えなくちゃいけないと思っていたところなんで! エル! お前も他人事じゃないぞ! 勝手に突っ込むのも勿論だけど、お前は加減ってものをだな‼︎」
ど、どうして俺たちは保護者や教師ではなく親友に説教されているんだ。そして何故親友は警察の制止すら振り切って説教を続けるんだ。
「は、反省してます……今後はちゃんと、団体行動を心がけ、みんなに迷惑がかからないように精進します……」
「お、同じく反省してます。これからはちゃんと威力をセーブして……いえ、電撃を放つ必要のない生活を心掛けます……」
「…………まったく。今度こそ口ばっかりの反省じゃダメだからな?」
はい、と俺とエルは項垂れながら答える。どうして俺とエルとソラの三人で、一番能力の弱いソラが一番強い立場にあるのだろう。不思議と逆らえない、凄みのような何かを感じるのは何故だろうか。そろそろ機嫌を直した頃だろうソラに目をやると、もう俺たちのことなど放っておいて警官や吉野ちゃん、それから騒ぎを聞きつけたディフ高の教師達に謝って回っていた。どうしてだろうか、完全に保護者のような立ち振る舞いだ。
「……えーとね、柏木くん、木下くん。矢切場くんが怒ることはほとんど怒っちゃったから、僕からは怒ることはないんだけど。これだけは、って事を伝えておこうと思って」
そう言って俺たち問題児の前にやってきたのは引率していたディフ警の中でも一番気が弱そうというか、大人しそうな警官だった。名前は……名札には横田と書かれている。
「今日のフィールドワークは、猿型の生態調査であって捕獲や討伐じゃない。それからあの超大型。ああいうのが出たら本当は僕たち大人に任せて欲しい。君たちは確かに凄い能力を持っているけれど、だからって危険な事をしていいわけじゃない。そういうのは大人がすればいいんだから。ね」
「……はい、すいませんでした」
あのデカブツをどうにかしようって言い出したのはソラだけどな! 俺は今度こそ言葉を飲み込んで謝罪の弁を述べた。だが正直な事を言うと、俺とエルと、指示を出してくれるソラがいればなんだって出来る気がする。これは思い上がりでもなんでもなく、きっとソラがその気ならあのデカブツだって完全に動けなくするくらいは出来たと思っている。
「それじゃあ今日は帰りましょう。みんな、バスに乗って」
俺たちはまたあの長い道のりをバスに揺られ学校に帰ってきた。そしてすぐに解散して各々が帰途に着く。俺達は……ソラの機嫌を伺いながら帰っていいものか思案することにした。
「……何やってんだよ。ほら、もういいから帰るぞ」
「……よし」
つい溢れたガッツポーズの隙間から脇腹を突かれ、俺は「ゔっ!」と情けない声を上げてしまった。ソラの不機嫌はもうどこかへ行ったようで、いつも通り三人笑って歩いて帰る。別に何も特別な事なんて何もなかった、平凡な一日の終わりには相応しい。
「…………俺さ。やっぱり自分の力を使える仕事に就きたい。別にディフ警になりたいってわけじゃないけど、ああいうデカイのとか。ワクワクすることがしたいよな」
「小学生かお前は。俺は研究職を目指したいけど……お前がそういうとこ行くんなら俺もそっちの方が良いかもしれないなあ……」
「二人とも色々考えてるんだなぁ。僕は……うん、とりあえず女の子にキャーキャー言われるような……」
わかる。波長の合う方の親友とハイタッチをしながらクラスの女子談義に花を咲かせながら、息の合う方の親友には酷く冷たい目で見られながら。気付けば俺たちは分かれ道まで辿り着いた。
「じゃ、また明日な。二人とも課題はちゃんとやってから寝ろよ」
「わかったって。じゃあね」
「おう、また明日」
俺たちから、一番寮の入り口から近い部屋の前でソラが別れた。三つ並んだ部屋がソラとエルと、俺の部屋だ。別にアイツらとだったら一緒の部屋でも面白そうだったが、ディフ高生は荷物多い。やたらと買わされる実験やら研究の器材が部屋を圧迫しそうだから、と結局一人一部屋にしたのだった。
「……この能力を…………」
エルとも別れて自分の部屋のドアノブに手をかけた時、ふと子供の頃あった事故を思い出す。別に大した話じゃ無い。
ソラが始めて発火を成功させた日。まだエルと出会う前、五歳の頃だった。俺がとっくに使っていた能力をやっと出来るようになって、まだ今みたいに大人ぶってなかったソラがはしゃいで、俺が少し火傷を負ったと言うだけ。別に痕も残ってないし、そのこと自体はあんまり覚えていない。ただ、その時のソラの怯えた顔だけは焼き付いて離れない。そんな幼い親友の顔が、また今になってふと思い浮かんだ。
「……ただいま」
実家から出たと言うのにまだ抜けない癖で、誰もいないはずの部屋に向かってそう言った。そしてもう一度、今度は自分の意思であの時の自分の事を思い出そうとする。
「ソラは能力に怯えていた。俺は…………?」
俺も……怯えたんだろうか。今と同じように大した事じゃ無いと笑っただろうか。それが思い出せない。
「……ソラは…………覚えてるだろうけど。聞けんよなあ」
流石に過去の事故を掘り返すのは気がひける。ああ、もう良いや。今日は寝よう。課題は…………明日エルに……エルも同じ事を考えているだろう。仕方ない、ソラに頼み込んで見せてもらおう。さっき交わしたばかりの約束を早速反故にして、俺はさっさとシャワーを浴びて寝ることにした。
その晩、一件の知らないアドレスからメールが届くのだが、俺は眠たいしめんどくさいと言うことで、それを知るのは翌日の朝の事であった。