第七話【将来の話・前4】
「ああ、うっかりしていた。私は吉野姫路。れっきとした警察官、というわけでも無いんだが……まあなんだ。そこそこ偉い人だ。君たちは勘違いしているようだが、君たちの倍は生きている」
未だ収まらぬ揺れの中、少女だと思っていた女性が呑気に自己紹介を始める。果たしてこれは今する必要があるのか。とか、それは紹介になっているのだろうか。とか、嘘しかついていないんじゃあ無いか。とか、問い詰めたいこともあったがもっと困惑しているアツキとエルにこれ以上情報を増やすまいと俺は口を噤んだ。
「柏木、木下。君たちは出力という点においては大人を凌駕する。あのサイズだ、危険は承知で二人の力を貸してもらう」
「お、おお。なんだか知らんが突然仕切り出したな……」
彼女が本当に歳上で、役職についていて、という前提条件も加味してアツキは随分失礼な態度で吉野さんの機嫌を損ねた。さっきまであれだけ大事そうに扱っていたタブレットを振り回して彼を追いかけ回す姿に、本当に信用出来るものか否かと頭が痛くなってくる。
「吉野……さん。遊んでないで二人にもちゃんと説明を……」
「……ん。大人気なかった。柏木、許してやるから戻ってこい」
どこまでも上から、というか意地を張っているようにも取れる態度のまま彼女は説明を始める。
「アレも生物だ。あくまで猿型ディフの超大型個体と推察。アレが動き出した理由は外敵の侵入を気取ったから。しかしアレの興奮が収まるより早い撤退は不可。よって一度気絶させ、近隣を完全封鎖することで沈静を待つ」
「気絶……って簡単に言うけどさ。僕の最大出力でようやく片手が痺れただけだよ? それこそ脳髄に直接流し込みでもしないと……」
「流し込めばいい。矢切場、手段は任せる」
任せる。任せるときたか。なるほど、俺も随分評価されたものだ。しかしそのためには解決しなければならない問題も多い。それを説明して欲しかったのだが……この際仕方ないか。
「……アツキ。さっきの要領で表面に積もっている土を剥がす。両腕が動かなくなれば頭を出すか、いっそそのまま大人しくなってくれれば儲けだ」
「剥がす、ね。また良いとこはエルに……」
「お前なぁ……」
分かった分かったと俺が文句を言うのを察して先に被せてくる。この男には緊張感というものはないのだろうか。今目の前にしているのは前代未聞の超大型のディフなんだというのに。
「……まあ、今更怖くなんてないよな」
俺たちの誰もが恐怖に震え上がるということは無かった。この程度の恐怖体験ならとっくに克服済みなのだ、と。思い出話はいつかに取っておいて、タブレットに表示された同種と思われるディフの剥製の画像を使って四人顔を付き合わせて作戦を練る。
「矢切場が仄めかしたようにアレはもう自重を支えられず、被さっている土を退けることも出来ず。手が動かなくなった時点で行動不能となる可能性は高い。が、出来れば後処理が面倒なのでキッチリ気絶させて欲しい」
「エル、も一回さっきの威力で撃てるか? 余力は残さなくていい」
頷くエルと対照的に吉野さんは俺を睨みつけた。後処理が面倒くさい、と言うのは申し訳ない。しかし気絶させる、となれば流石に骨だ。そして何より……っ!
「ソラ! もう話してる時間ねえぞ!」
「ばっ! バカ! 待てだアツキ!」
ごうごうと地響きを伴ってゆっくり振り下ろされるその腕に、バチバチと手のひらに火花をあげながら迎撃態勢をとるアツキを呼び止める。アツキが得意としているのは発火と燃焼。静電気や摩擦熱によって火種を作り、チリや可燃性のガスと空気を送り込んで炎の勢いを強める、というもの。彼はその精度が人より高く、結果高い火力を実現しているのだ。
「でも!」
「でもじゃない! お前もう結構使ったろ!」
しかしそれは無制限ではない。使い過ぎれば当然酸素は薄くなるし、そもそもの発火能力が彼の手のひらの上で行われる都合火力を上げれば上げただけ自身が焼かれる危険が増す。集中力が落ちれば事故にもつながる。ただでさえ短気な男だから、これまで何度も大火傷を繰り返してきた。
「吉野さん、少し移動します。掴まって」
俺は依然タブレットに釘付けな彼女の手を引いて腕から距離をとった。そして二人の親友に目を配る。エルは……充分に発電出来ている。アツキも頭が冷えたようだ。
「……頃合いだな。矢切場、出来れば気絶の方向で……」
「エル、さっきと同じ。お前の前に目標を持ってくるから」
さっきよりずっと露骨に不満そうな目を向けられた。しかし吉野の事情はそれとしてこの窮地を脱することが先決だ。俺はアツキを先導して大木のような腕に向かって走り出した。
「アツキ! 今度は登るところからだ! 無駄撃ちはするなよ!」
「わかってるって!」
目は見えていないはずだ。ならば足音か、熱か。分からないがそれは間違いなく接近する俺たちを感知し、外敵とみなして排除しようと動く。上から千切れて落ちてくれば脅威だが、結局それは素早く器用に動かせるだけの質量を超えてしまった、成長しすぎてしまっただけだ。足元の悪さと揺れだけに気を配ればアツキの超えられないハードルじゃない。
「ソラ! 気を付けろよ!」
俺たちは腕の根元に辿り着いた。もっと激しく動いていたのなら落石だとか警戒することもあったろうが、なんの苦もなく盛り上がった急斜面を駆け上る。いつかの象型のように動ける範囲で最大限に質量を増した個体が一番厄介だと再認識する。獰猛な獣にも虫がつくように、このサイズ差ではお互いに害を成し得ないのだ。
「アツキ、まずはさっきと同じように根を剥がす。岩に絡みついてるような木を探せ」
任せるとは言われたものの、俺としてもアツキに任せっきりでしかないのだが。腕に積もった土を退かすにはまずそれを固めている木の根を除去しなければいけない。きっと長い年月をかけてディフの腕に絡みついたものもあるだろうが、全部がそうじゃない。絡みついている岩を砕いて、出来た空洞で一気に根を焼けば一気に掘り進むことが出来る。うまくいけばさっきのようにその時点で肌を露出させられるが……
「ソラ! こっちだ! ここは硬い!」
アツキが声をあげた。岩では無かったが粘土のように粘性も無い、サラサラとした地質は条件としては問題ない。
「すぐ空ける!」
俺にはアツキやエルのように秀でた能力は無かった。子供の頃はそれがコンプレックスだったような気もしたが、それはもう関係ない。バスッ! バスッ! と何度も土が撒き散らされる。アツキのようにはいかない、俺に出来る最大の発火と爆発でアツキの爆弾を仕込むための穴を空ける。そして俺たちは急いでその場から離れた。
一瞬後から俺の耳は機能を著しく落とす。文字通りダイナマイトのような爆音をあげて地面は大きくえぐれ、そして支えを失った砂は水のように流れ落ちていった。
「あーーーっ! アツキーっ! くそっ! やり過ぎだバカっ!」
自分の声も聞こえなかったがアツキが何をいったのかはわかる。バカなこと言うな、と言えたかもわからない文句は他所に、たしかに大穴は空いた。問題はその深さだが……
「——————」
キンキンなる耳にキンキンした声が届いた。ああ、もう少し待て! と言っても待たないだろう。まだ完全に土を除去できたわけじゃない。だから待……ああ、もう。
「アツキ! 急げ!」
俺たちが飛び降りるのを見てなのか、全く遠慮なくなのかは分からないが今日二度目の落雷が轟音とともに落ちた。