第五話【将来の話・前2】
ニオイがする。エルはそう言った。俺は親友の直感を信じている。俺はエルとともにソラの監視をすり抜けて隊列を離れた。
「こっち! アツキ、急いで!」
出来るだけ音を立てないよう雑木林の中を駆け抜ける。もう隊の姿が見えなくなった頃になればなんにも気にせずガサガサ背の高い草を踏み倒しながらともかく走った。
「エル! どこまで行くんだ⁉︎」
「もうちょっと……アツキストップ!」
突如親友は足を止めてすぐにしゃがんで草の陰に身を隠した。俺も続いて側の木の陰に身を隠す。
「居たか?」
「…………まずったかも」
ジリジリと静かに後ずさりするエルの姿に彼の視線の先を凝視する。なるほど確かに、辺りを見回している影が一つ。大きさは……人とそう変わらないだろうか、警戒しているのか辺りをぐるぐると見回して……つ!
「見つかっ——」
「アツキ! 走れ!」
それはものすごい勢いで迫ってきて立ち上がりかけたエルを押さえつけた。その姿は俺たちが一番危惧していたものだった。
「お・ま・え・ら‼︎」
鬼の形相でエルを縛り上げる人型ディフ、もといソラの姿がそこにはあった。
「アツキ! 俺に任せて……」
「逃げんな! アツキ! そこに座れ!」
両手を上げて俺はソラの言う通り膝をついた。親友を見殺しにはできない。っていうかその麻縄持ち歩いてんの?
「お前らはなんで…………っ!」
怒鳴りかけた口を自分で抑えてソラは俺たちに近付くようにハンドサインを出した。きっとソラはバレないうちに隊列に戻ろうという魂胆なのだろう。
しかし俺たちは戻るわけにはいかない。隊に戻れば……大人のところに戻れば好き勝手には出来ないからな!
「ソラ、分かってくれ。俺たちはワクワクには逆らえない。お前だってそれは分かっているだろう」
「分かってるよ嫌という程。だからこうして連れ戻しにきてるんだよ」
出来るだけ小声のまま語気を荒げてそう言った。うん、これでこそ親友であり俺たちのストッパー。くるっくるに縛り上げていたエルの縄を解きながらソラは辺りを見回して警戒しているようだ。
「……エル、それでどうだ。いるのか?」
「うん、いるね。もう少し行ったところ。デカいよ」
ソラもエルの直感については知っている。それは俺たちの出会いに由来しているのだが今はそんな話はいいだろう。さっきまではピクニック気分だったのだが、ソラが来たことによってピリピリと空気が引き締まる。いや逆だ。ソラが来た辺りから周囲の空気が妙に静かになって、林の方が異常を知らせているような異様に俺たちは少しだけ緊張していた。
「戻るぞ。お前らは出しゃばらず……」
言葉を不意に切ったソラに俺たちの視線が集まる。何か……遠く。林の奥の方を眺めて……っ?
「子供⁉︎ なんでこんなとこに⁉︎」
「……あの子……クソちゃんと列について行けって言ったのに……っ!」
なるほど、二人の言う通り林の奥の方に奥の方に進む人影が……
「っっ! ソラ! 行くぞ!」
「ああっ……くそ! しょうがない!」
二人に先んじて俺は人影に向かって走り出し……なぜかその人影も俺たちから逃げるように林の奥へ走り出してしまった。
「なんで! 待って!」
「アツキがデカいから! ディフと勘違いしたんだ!」
叫びながら走る俺にエルはそんな冗談を言った。いや、二つの意味で冗談じゃない。ディフと勘違いして逃げているというのは妥当な推理だろう。そして俺たちが、エルが案内しようとしていた方向に逃げているのが一番冗談じゃ済まない、シャレになってないというやつだ。
「……っ俺だ! 矢切場だ! そっちに行っちゃいけない!」
そんなソラの呼びかけにようやく立ち止まり、その姿が少女であると確認できて安堵するのもつかの間。彼女の背後にはいつか二人が対峙したという猿型のディフが木にぶら下がってこちらを見ているのがうかがえた。
「っっ! こっちへ! 急いで!」
ソラは手を伸ばしてそう言った。エルは既に攻撃態勢に入っている。俺は……俺は?
「——っらぁああ!」
「ッッ⁉︎ アツキ⁉︎」
もう攻撃していた。ぶら下がってこっちをぼうっと見ているだけの、言ってしまえば少し大きいだけの猿だ。走って来た勢いそのままに俺は思い切り殴りつけた。
「こんの……っ⁉︎ お前ら‼︎」
バチバチとスパークする音、そして通電して裂ける葉の音。俺は急いで猿型から離れた。
「美味しいとこどりかよ!」
「美味しくない! バカやめろエル!」
ソラのツッコミが間に合ってない! 今なら……
バンッ! という音ともに猿型は飛び上がるように痙攣した。そしてすぐにゴロゴロと雷の音がやって来た。音はやがてバキバキとか、ミシミシとか音を変えて林の一部が無くなることを示唆し始める。
「〜〜〜っ! んのバカエル! やりすぎだいつもいつも!」
ソラは少女を抱えて既にその場から離脱しようと走り出していた。俺もそれに続いて余韻に浸ってカッコつけているエルを小脇に抱えて走り出す。
「どーよ俺の雷鳴一線! 一撃必殺!」
「横取りしやがって! あれは俺が倒す予定で……」
「横取りでもないしどうでもない! お前らいい加減……」
ビリビリと俺たちの鼓膜を痺れさせるなにかが背後から聞こえた。派手に倒木したわけじゃない、これは何かの鳴き声……いや、叫び声だ。
「アツキ、エル降ろせ。二人とも背後を警戒しながらとにかく走れ」
ソラの口調がお説教モードから真剣な声色に変わった。さっきの猿型なら間違いなくエルが倒したはず。エルの方を見ると……やはりこの男。
ソラの忠告などそっちのけで俺たちは目をキラキラさせながらそれが姿を表すのを心待ちにした。