第四話【将来の話・前】
「校外実習……ですか」
ああ、そうだ。だらしなく無精髭を伸ばした口がそう告げた。先の一件、デパートで象の様な大型ディフ二頭に猿の様な人型一頭と遭遇し、結果デパートにも学校にも被害をもたらす形で解決して以降、市街地での中型以上のディフ発見例は無い。尤もそんな人に害が出るサイズのディフ出現例など年にそう何度もあるものでは無いのだが。
しかし、実習という名目でかつアツキやエルでは無く俺に話が回ってきたということは……
「危険は無い。とははっきり言い切れないがディフ警も立ち会いの下のフィールドワークだ。安心はして良い」
ディフ警。対外武装警察、ディフ専門の国営警察組織だ。取り扱いが特殊である場合の多いディフへの対処、また同時にディフの絡んだ犯罪に対して出動する武装組織であり、またディフの飼育届や植物の栽培許可等の保健所の様な組織。国営とは銘打ってあるものの、本拠を米国に持ち、そこから派遣された監督官を加えた司令部要する本庁を起点に組み上げられた警察であり、どちらかと言えば国際機関である。
そしてそんな組織がわざわざ出張る実習、となれば恐らくは中型ディフの生態調査を含め検体の確保。要は狩りだろう。
「一応人数は五人まで、だそうだが。成績的にもお前には是非経験して貰いたいと思ってな」
それは光栄な事だ。俺にとってもこの機会を逃す手は無い。
のだが、気掛かりが一つある。
「ありがとうございます。えっと、あとの四人はもう決まってるんですか?」
「いや、まだだ。出来ればお前の様に優秀な生徒に受けて貰いたい。何人か候補は決まってるんだが、やはり誰よりまず矢切場に声をかけようと思ってな」
唾を飛ばしながらそう言うと豪快に笑いながらA4紙が何枚か入ったクリアファイルを渡された。学年主任でもある先生に目を掛けてもらえるのはありがたいが、正直このあからさまな成績主義の贔屓は好きになれなかった。
だから、と言うわけでも意趣返しでも無いが、俺は自然と口を開いていた。
「なら柏と木下を推薦します。仲がいいからとかで無く、あの二人も優秀だと思いますから」
ほら、苦い顔をした。それもそうだろう。かたや新入生挨拶まで務めながら期待を早々に裏切る形で課題の未提出を続ける問題児。かたや先日の件で被害を大きくした問題児。いくら優秀だったとしてもこの男にいい顔など出来やしない。
「……そうか、なら二人にも声をかけておこう」
正直あの二人の不真面目さと抑えの効かなさには俺も頭が痛い。それでもあの二人よりも優先してこんな貴重な体験をさせるべき生徒などそう多くないと、贔屓目無しに思うのも事実だ。
きっとこのままだと二人にはこの話は行かないだろう。だから俺は「二人にも話しておきます」と残して職員室を後にした。
一週間後、制服から着替える事もなく俺達はバスに乗せられた。
「えー、本日皆さんの引率を務めます石崎です。授業後という事で疲れているかもしれませんが、危険が伴う現場ですのでくれぐれも気をつけて、私の指示に従って行動して下さい」
長身で深緑のベストを着た警官の挨拶だった。ディフ警の制服は通常の警察官の物とさして変わらず、ただ一目で区別がつく様に色と胸と帽子の紋章に差別化が計られている。群青など青基調のものから柚葉色など緑基調に。そして旭日章は雲のかかった上限の三日月に。
「流石に今日は大人しくしてろよ二人とも」
引率の挨拶など何処吹く風で、黙ってこそいれどいつもより明らかに高いテンションの二人に釘をさす。貴重な実習の機会も厳格な警察官も、二人にかかればまるでバスガイド付きの遠足にでもなってしまいそうだ。
学校を出て駅を越えて、件のマルハチ百貨店もとうに越えてまだバスは走る。まだ傾き始めだった日ももうとっくに橙色に焼け、伸びた影を連れて帰路に就く人々を追い越して、ロクに灯りもない雑木林が姿を見せたあたりでようやく俺達は降ろされた。
「それでは点呼をとります。学校で渡された番号順に並んで下さい」
石崎という大柄な警官と、それに負けない屈強な警官が二人。それからバスに乗っているときには気がつかなかったけど一人中学生くらいの女の子が俺たちの前に並んでいる。背景にあるのは向こうにあるはずの夕日が光を通せないほど鬱蒼と茂った雑木林。足元も悪く、タイヤ痕のついたところ以外は足先が見えなくなるほど雑草に覆われていた。
点呼をとり終えると警官三人の先導の元俺たちは林へと入っていく。勝手にどこかへ行ってしまいそうな二人をしっかり見張りながら歩いていると、先ほど警官と一緒にいた少女が俺のところにやってきた。
「君が矢切場宙? 脂臭い教員がやたら推していた優等生くんの」
脂臭いとはまたなるほどと頷ける罵倒だ。彼女の来訪に驚く前にそんな感想を抱く。そして彼女の問いに首を縦に振ると、それを見て少女は何やらタブレット端末を弄り始めた。
「ふむふむ、体格は年相応……いや平均より少し小柄かな。成長期だし将来に期待するとして……ふむふむ」
何やらブツブツ言いながら端末を眺め、時折何かを打ち込みながら俺たちについて来る。
「えっと、足下危ないぞ? それ一回しまって、ちゃんと前と下見ながら……」
言葉の最中にも彼女は木の根か何かに躓いた。手を付くよりもタブレットを守ろうと両手を頭の上に持って来るあたりよほど大事なデータでも入っているのだろうか。彼女を受け止めながらそんなことを考える。
「ほら……言わんこっちゃない」
思いっきり目を瞑って衝撃に備えていた少女はやがて目を開けて俺の方をまじまじと見てきた。そして俺の手から離れて性懲りも無くタブレットに何かを打ち込んでいる。
「ふむふむ……顔もよし、性格もいい。ふむ……」
一体なんなんだこの子は。その後も幾度となく転ぶ彼女を何度も抱きとめ、随分林の奥の方まで入ってきた時に事件に気付いた。
さっきまで俺たちは警官の先導に従って進んでいたはずだ。それがいつの間にか俺だけになっている。いや違う、少女も他の学生も、警官三人もちゃんといる。
「……やっぱり推薦なんてやめとけばよかった! あの馬鹿コンビ!」
二人がいない。彼女に気を取られて監視が緩んだ隙に勝手にどこかへ行ったんだ! 背筋が凍りつく。親友二人が危険なディフのいる林の中で孤立したことにじゃない。この林が燃え尽きて犠牲者二人なんかよりずっと酷い事件になる可能性にだ。
「ゴメン、気をつけてみんなについて行って! ちょっと逸れたバ……友達探して来る!」
出来るだけ警官に気付かれないように列を抜け、アテもなく林の中を走り出した。