第二十九話【落としたもの、落としてないもの】
吉野さん。と、彼女ひとりに声を掛け、それからどう打ち明けたものかと考え始める。エルに始祖黄金の力の一部が戻ったかもしれない。ディフを感知する能力では無く、現始祖黄金とリンクしてその行動を把握する能力だ。と、素直に打ち明けて平気だろうか。少なくとも、他の署員に聞かれたい話では無い……よな。なら、まず……
「ちょっといいっすか。外、見て貰いたいもんがあって」
「……珍しいな。君がバレると分かって下手な嘘をつくのは」
ぐっ……。流石に不自然過ぎたか。だが、吉野さんはその真偽を問うつもりは無いらしい。聞かせて貰おうとだけ答え、そして他の署員に現場を任せて俺達について来てくれた。ありがたい限りだが、どうにも釈然としない。
「……っと。アイツ……セツカは、下からここまでを一本の階段で繋げて登って来ました。氷の階段です。ガチガチに硬くて、全然壊れる様な代物じゃない……」
「建前はいい。必要ならエントランスまで降りよう。本題を話せ」
うぐ……どうしてこうも可愛げが無いのか。見た目は子供みたいなもんだって、最初は思ってた。でも、こう……慣れてくれば、とてももう子供とは思えない。これはこういうもんだ、と。その上で、やっぱり食えない人だと。
「……分かりました。それじゃ一応、下まで降りてから」
俺がそう言うと、どうしてかエルの方が不服そうな顔をした。お前なぁ……っ。だが、吉野さんがそれを許すなら、エルがどれだけ不機嫌になろうと関係無い。始祖黄金の件については、可能な限り秘匿を続ける。面倒の種は増やさない。今はそれを刈り取ってくれるソラもいないんだから。
入り口に着いても、俺はまだ話を切り出せないでいた。しかし、それで焦れた様子を浮かべるのはエルだけで、吉野さんは何かこちらの真意を見抜いているかの様に黙って待っていた。もし気付いてるんなら、むしろ急かして早く現場に戻りたがると思ったが、これはどういう……
「……はー……よし。吉野さん、実は……」
ここへ来たのは——ここに何かがあるとアタリを付けたのは、偶然では無かった。始祖黄金の力——エルの持つ直感によって引き寄せられ、そして現在の始祖黄金と接触した、と。言葉はぶつぶつに切れて、説明もロクに筋が通ってなかったかもしれない。だが、取り敢えず伝えるべきことは伝えられた……筈だ。だが、問題なのはここから……
「コイツは一時的に始祖黄金と繋がり、その行動の一部を把握してました。でも……それはすぐに切れて、そしてまた元の役立たずに……」
「おい! 役立たずって何だよ! 役に立つよ! そのうち!」
そのうちな。そのうち——今じゃない。今のエルはまだそう利用価値も高くない。そう伝えたくて選んだ言葉に、そのエル本人が突っかかってくる。コイツなぁ……っ。でも、そのポンコツさ加減がうまく作用してくれるかもしれない。吉野さんは頭を抱え、大きくため息をついてイライラした素振りを見せた。
「……始祖黄金……か。柏。ひとつ、我々は大切なことを見落としている。いいや、忘れている。忘れさせられた……のでは無く、うっかりの見落としだ」
「……? 見落としなんて、思い当たる節は無いっすけど……」
忘れているんだから思い当たらなくて当然だ。と、言われれば、黙って頷くしか無いんだけど。でも、うっかりで忘れる様なことがあっただろうか。少なくとも、始祖黄金やあの連中について、んなドジみたいな話があるとは……
「本来、我々の目的は始祖黄金では無い。当然、連中でも無い。そして、ディフの討伐——検体の確保でも無い。本来の目的は街の安全、市民の安全を守ることだ」
「そ、それは分かってますよ! でも、街を守る為にはディフをどうにかしなきゃならない。ディフを倒すにあたって、情報が不足すれば危険になる。それを避ける為に研究をする、その検体を手に入れる。その為に、あの連中が邪魔になって、始祖黄金の力が必要になって……」
いいや。お前は見失っている。と、吉野さんは躊躇無く切り捨てた。何を……っ。俺が何を見失ってるってんだ。何を忘れてる、見落としてるってんだ。つい大きくなった言葉をゆっくりと落ち着かせ、そして俺は吉野さんの返事を待った。
「何もお前だけを責める意図は無い。私とて始祖黄金には躍起になった。だが、今のお前には、その時の私以上に視界を妨げる靄が掛かっている。一度落ち着け、そして自らを省みろ。本当にお前は何も見落としていないか?」
「だから俺は——っ。ふー……はー……」
落ち着け——。落ち着け、落ち着け。念じる様に頭の中で繰り返し、そしてゆっくりと呼吸を整える。吉野さんが——他人がこう言うんだ、俺はどこか見落としをしているんだろう。冷静になれ、一個ずつ確認しろ。どこだ、どこで落とした。みんなの安全を確保する為のディフ警。その一員として、嘱託ながらも前線に出てきた。その間に、俺は何を見落とした。
「……っ。俺が……何を……」
「……答えは出ない様だな。では、いつか聞かせて貰おう。そして、木下。君については…………私から見ても役立たずのままだ。せめてもうひとつ上の段階まで登ってから戻って来い」
ひっどい! と、癇癪を起こすエルを無視して、吉野さんはまた現場に戻ってしまった。なんだ、俺は何を見落としてる。吉野さんは俺に何を思い出させようとしている。昔の様になれ……とでも言うつもりか? それこそ、周りの迷惑を考えろとソラに口酸っぱく言われてた頃みたいに。でも、あの頃の方がもっともっと見落としがいっぱいあった筈で……
「僕達も戻ろう。こうなったら結果で示してやる。僕は役立たずじゃない、結構やれる男なんだって。ほらアツキ、早く行こう」
「お、おう……」
吉野さんは、いったい俺に何を求めているんだ……? 答えは分からないまま。そして、現場からも何も情報は得られないまま、その日は解散して各々帰宅することになった。俺は……何を……
——私から見ても役立たずのままだ。せめてもうひとつ上の段階まで登ってから戻って来い——
頭の中で吉野さんに言われた言葉がぐるぐるする。うぐぐ……せめてもうひとつ上の男になってこい、か。言わんとすることは分かった。あとはその方法だけど……
「……アツキのやつ、大丈夫かなぁ」
しかし、もっと気にすべき問題はアツキの方だ。始祖黄金が再び現れた。そして、またノッポさんも現れた。NGAtDと始祖黄金は繋がっているもんだと思っていたから、それが敵対している様を見せられて混乱しまくってた。でも、吉野さんの言う通り。アイツはもっともっと根っこの部分でおかしくなってる。それは……
「……俺がなんとかしないとな、と。うん、これだろ」
簡単に言えば、気負い過ぎだ。今のアツキは、自分の力で目の前の問題を解決することばかりに意識が行ってる。始祖黄金という存在が、果たしてどれだけ市民に被害をもたらすだろう。やはり、ディフを呼び出すのだから。当然厄介なのを呼ぶ可能性もある。だけど、思い出せばそうで無いケースばかりだったじゃないか。少なくとも、僕が聞いてる話の中では。
僕よりも前——小さな鳥の姿をしていた時は、それこそ子供のアツキに殺されてしまうくらい脆くて弱っちい存在だったという。それがなんの害をもたらせよう。そして、僕の時も。最後の最後にヤバいもん引き寄せちゃったけど、アレは僕の——エルとしての思い出の再現の為に無茶した結果だ。普通はそうならない。だって、ディフを呼ぶのは食べる為なんだから。楽にお腹いっぱいになる方が良いに決まってる。
そして次、NGAtDの件もそう。アイツら、結局どこにも被害を出してないんだよね。今回、廃団地の一画を吹き飛ばしたけど。でも、一部では支持する声が上がるくらい人々に迷惑を掛けていない。ディフ警をはじめ、ディフ関係の研究施設は大迷惑だけど。でも、市民はしっかり守ってる。
とどのつまり、アツキが見落としているものはそこだ。というか、ディフ警みんながそれをちょっと忘れてた。アツキが今回熱くなったおかげで、吉野さんは思い出せたらしい。僕も聞いたらなんとなく気付けたくらいだから、みんなすぐに気付くのだろう。でも……本人がなぁ。
僕達は安全の為にディフを倒す。その為に、始祖黄金とNGAtDが邪魔なら対処する。でも今はそれが逆になっちゃってたよね……って、それだけ。順序の意識付けの問題なんだろう。
あとは……不服だけど、僕の件だね。アツキは僕を、まだ何も出来ないただの同級生として扱ってる節がある。でも、忘れちゃいけない。僕だってディフ警の手伝いをしているんだ。つまり、アイツが守ろうとしてるものは市民では無い。一緒に戦う筈の僕を、過保護に庇おうとしてしまっている……とか、そんなことを言いたかったのかもね。
「……ま、仕方が無いよね。だって、こうでもしなきゃお前はうるさいから」
ゴロンと布団に寝転んで、そして目を瞑ってあの時の光景を…………あっ、寝そう。疲れが……思ったより疲れがあって……いけないいけない。
もう一歩だ——。もう一歩、あと少しで力を取り戻せる。勉強はサボったから本当に出来なくなった。でも、思考能力までどっかに落としたわけじゃない。アツキの過保護がうるさくならない様に、ちょっとした迷彩を掛けるくらいはわけ無いとも。
「……ソラ。今なら……ソラの気持ちが……むにゃ……ちょっと分かる…………よ……」
あ、やばい。意識が……意識が切れる。課題……あー、課題…………ま、いいや。明日アツキとカナエと先生に怒られれば済むしね。うん、今日は……疲れたから……ね。近い未来への期待、明日への不安、そして親友への心配を抱き、僕の意識は夢の中へ沈んでいった。