*第九話*
「これはどうも、異星の方でしたね。聞いたところでは土星人ですとか」
エンリケ氏は黙ったまま頷いた。この男が信用に足る人物なのか、まだわからなかったからだ。その局長を名乗る初老の男性はさらに満面の笑みを浮かべて、異星人でも一向に構わないんですよとでも言いたげだった。自分を裏切って警察庁に訴え出るような緊張した態度は微塵も見られなかった。
「土星からここまでは遠かったでしょう? 宇宙船はどうやって手に入れられたんですか? ああ、なるほど、もう長い年月が経ってしまってここにたどり着いた当時のことは忘れてしまったというわけですね。それでいいんですよ。そういう方も多くいられますからね」
エンリケ氏は目の前の男の丁寧な態度におされて、今日一日の出来事、ここまでの流れをかいつまんで説明した。朝のニュースに驚き面食らい、冥王星人に脅され、会社の同僚と自分の未来について相談した結果、ここへ来ることにしたことなどである。局長はその一連の話をまったく動揺を見せずににこやかな表情で聞いていた。
「お話はわかりました。朝の政府の発表で動揺されてしまったわけですね。まあ、突然の発表でしたからね。お気持ちはよくわかります。いろんな方が政府の発表で混乱されて区役所を訪れているようですね」
「そ、そうなんです。この星の一般の方が多数押しかけていて、役所は手が足りず、混乱していて、職員には相手にしてもらえなかったんです」
エンリケ氏は少し前のめりになって、区役所の女性職員に追い払われたことを話した。
「ほう、そうですか。精神に異常をきたした地球人と勘違いされてしまいましたか、あそこのまずい対応は勘弁してやって下さい。異星人課は区役所でも特に忙しい部署なので、職員もイライラしているんでしょう」
白髪の局長は頭をかきながら、そう説明してくれた。しかし、ここはまったく静かな部署だった。周りで働いている十数人の職員にも、エンリケ氏が異星人であることはすでに伝わっていることだろうが、誰も動揺する気配がなかった。皆冷静に淡々と自分の仕事に取り組んでいた。
「しかし、あまり政府を責めるわけにもいきませんからね」
エンリケ氏が無言でいると、局長がまた話し始めた。
「何しろ、これだけの問題ですからね。異星人がすでにこの地球に住み込んでいるということですが、一般の人にはまったく寝耳に水ですからね。いくら状況が切羽詰まったからといって、簡単には公表できなかったんでしょう」
「切羽詰まったといいますと?」
「それは異星人が増えすぎたということですよ。十人や二十人の頃は警察や公安の管理も行き届きますから良かったんですが、今はもう、あなた、数万人は入り込んでいますからね。警察の方も状況は把握しとるんですが、あなたも先ほど仰られたように、異星人同士のトラブルが次第に増えてきて、一般の人々も疑問を持ち始めた。これ以上隠しきれなくなったわけですな。空中浮遊やらテレポーテーションやら、明らかに地球人とは異なる能力を発揮して事件を起こしているのに、いつまでも、『いや、その人は少し変わっている地球人です』では通りませんからね。暴力的な事件は冥王星人によって起こされることが多いようですが、火星人も土星人も少なからず事件を起こしているわけです。酒やら女やら淫らな世界をここに来て初めて体験したわけですからね。異星人は皆心が浮かれています。事件が起きやすくなっている。地球人なら誰しも旅先の観光地の浜辺で夜間に浮かれてしまうのと同じですよ。あなたは先ほど、土星にはこんな厳格な法律はないと仰ってましたが、それはその通りなんです。火星にも金星にも人を殺してはいけないなんていう法律の条文はないわけです。中には、人口の抑制には望ましいことだから、どんどん人減らしをしろという条文がある惑星もあるくらいです。同様に、窃盗やスパイ行為が罪にならず、日常的に行われている惑星もある。そういう星に長年生きてこられた方が、いい大人になってから、突然、この地球のように厳しい法律のある惑星に降り立たれても、当然容易には馴染めないわけです。そりゃあ、当初は政府も黙認していましたよ。この広い社会に一人や二人変人が混じっていても、まさか気づかれないだろうと、あいつは異星人だなどと、騒ぎ出す人間なんていないだろうと考えていたわけです。その人は精神異常者ですと偽って、それで追撃をかわすこともしていたわけです。まして、異星人が一人見つかったところで、それを政府の責任にされることはないだろうと考えていたわけです。宇宙船がある限り、この星に侵入する方法は無限ですからね。まさか、政府の側が異星人を誘致しているなんて思いを巡らす人はいなかったわけです」
「それでは、政府は異星人が大量に流入していることをすでに知っていながら、それを国民全体が知ってしまうことは都合が悪いと判断して、これまで隠していたわけですか?」
「その通りです。異星人の存在なんて、各国の首脳はずっと知っていたのです。1960年代にアームストロング船長が初めて月に降り立ちましたが、あのときに人類は初めて異星人を見つけたんです。月に住む異星人ですね。現在では月星人などと呼ばれて非常にポピュラーですが、NASAの月面着陸の時にはすでに発見されていたんです。しかし、公にはされなかった。宇宙飛行士たちはえらいことを発見してしまったと、顔を真っ青にして地球に戻ってきましたが、諜報機関を通じて政府の意向、つまり沈黙を強制されてしまう。当然ですよね。当時は冷戦の真っ只中ですし、敵国に自国の不利になる情報を渡す必要はない。しかも、どこの国にも異星人と緊張した外交を行える余裕はなかった。それが漏れて伝わっていったところで、その情報を有益に使える国はありませんでした。どこの国も第二次大戦後の復興にすべての神経を使っていて、異星人と同盟を結ぶことに利益を見出せなかった。しかし、もし人民がこの事実を知ってしまえば、何をぐずぐずしている、早く接触をもてと、そういう流れになるに決まっています。一般大衆はテレビやラジオで流される幼稚なストーリーを見てよく知っていて、異星人なるものの存在を強く信じていたし、出来れば、早く発見されることを望んでいた。異星人を自宅でも飼えるペットか映画スターくらいにしか思っていない。自分たちの平凡な日常を大きく転換するようなワクワクさせる存在だったわけです。せっかく月星人を発見しておきながら、外交も持たずにそのまま放っておくなんていう政策を許しはしなかったでしょう。ところが、当時のアメリカもソ連邦も核戦争を間近に感じていたわけで、直近の軍事衝突を差し置いて宇宙人と対話をしていく余裕などまったくなかったので、NASAの最終的な判断でこの問題はとりあえず棚上げされることになったわけです。月星人とは出会わなかったことにされました。宇宙飛行士たちは固く口止めされました。異星人との接触に関わる機密文書はすべて破棄されました。この時点では異星人の存在を知っていたのはアメリカの一部の人間だけでしたが、70年代に入ると、各国が高性能な宇宙船や望遠鏡を競って開発していって宇宙開拓の歴史が始まるわけです。そこでさらに驚愕の発見が次々となされるわけです。まずはソ連邦の宇宙船が地球の周りを周回中に火星人の宇宙船を発見して接触を持ってしまう。驚いたことに彼らは地球の言語を知っていた。地球はすでに他の惑星によって知られていたのです。どう考えても我々の発見が先だろうと地球人は考えていましたが、そうではなかった。地球はすでに他の惑星の住人によって発見され、監視されており、もっと言えば、地球人の生態は詳しく研究されていた。
『仲良くしましょう。良かったら貿易でも始めませんか?』
思ったよりもフレンドリーな態度でそう尋ねられてしまう。続いて、スイスの開発した強力な望遠鏡が水星や木星にも人が住んでいることを発見してしまう。もちろん、当初アメリカが発見してそのままにしておいた月星人もこの時点で見つかります。あんな目立つところにいるのに隠しておけませんからね。しかも、外見は我らと対して変わりはない。それだけでなく、生活様式も服装までも地球とそう変わりはないことがわかった。月面のクレーターにはコンビニまであったそうです。この時点でも、この事実を知っていたのは各国の首脳だけでした。マスコミには知らされないから庶民の耳までは届かない。口の軽いスイスやソ連邦の首脳から各国の首脳にこの事実が伝えられる。そこでようやく『なんだ、アメリカはずっと嘘をついていたんじゃないか、異星人と地球人はすでに接触を持っていたのだ』ということになったわけです。そこで、隠しきれなくなりアメリカも各国に真相を伝えます。
『これこれこういうわけで、60年代にはもう異星人の存在を知っていて、各国に黙って接触を持っていたんだ』
ここでやっと世界中の首脳が騒ぎだすわけです。今さらどうしたらいいんだ。今から月星人と同盟を結ぶなんて遅すぎる。他の惑星の異星人を発見した今、月なんて枝葉の存在だ。まずは、地球を攻撃しようとしている惑星と外交を結ばねば、となる。しかし、月を放っておいて気を悪くしてしまい、敵対関係に陥ると余計厄介なことになる。何しろ、地球から目と鼻の先ですからね。とりあえずは現状の維持を望むと相手方に伝えなければ。でも、話し合うと言ったって、どこの国の誰が対話をしに行くんだ? 最初に見つけたアメリカか? いや、おまえはダメだ、血の気が多すぎる。もっと冷静な民族がいい。あんまり弱腰になってもいかんぞ。なんでも『はい、オッケーです』で対応してしまうと幕末の日本のようになる。こちらに優位になるような条件でなら同盟を結ぶのもやぶさかではない。アメリカとソ連邦の関係よりは地球と火星の方がずっと仲良くしていけるかもしれない。そのタイミングでイタリアの首脳が切り出す。
『地球人のサンプルが欲しいと言われたらどうしようか』
それはまずいぞ、人権問題だ。イルカや鯨を捕獲するだけで怒り出す国もあるのに。しかし罪人や捕虜くらいなら渡しても構わないだろう。彼らの人権なんて国によっては曖昧なままだ。その通り、火星人や冥王星人を怒らせる方がよっぽど恐い。いつミサイルを撃ち込まれるかわからない。それより、移民を受け入れて欲しいと言われたらどうしようか? 少人数なら構わないだろう。地球の文化や道徳をきちんと伝えられる国がいい。どこがいい? 該当するのは日本とアメリカとカナダくらいか。では、その三国になら、他の惑星の宇宙船が着陸してもいいことにしよう。異存はありませんか? では、日本の行政機関は異星人受け入れの準備をして下さい。そんなに嫌な顔をしないでください。国民に他の惑星との関係がばれたらどうしましょうかって? あなた、そんなこと自分で考えなさい。そんなことも決められない政治家ばかりだから、弱腰外交なんて言われるんですよ。
とまあ、他国とのこういう協議を経てこの国に異星人を受け入れる流れになったわけです。しかし、いざ受け入れると決まってしまうと、どこの惑星も競い合うように次々と宇宙船を送り込んでくる。外交目的で来た例もありますが、ほとんどはあなたのように個人が自家用宇宙船で偵察目的で来られるわけです」
「待って下さい。そこまでは理解出来ましたが、私は決して悪気があってこの星に来たわけじゃないんです。土星のために情報収集をしようと、後で地球を侵略するためにですね、そういうつもりはさらさらないんです。あくまで観光が目的なんです。地球の文化を深く知りたかったんです」
エンリケ氏はどこの口からこんなセリフが出てくるのだろうかと自問自答しながら自然とそんな嘘をついていた。本当は地球を探りに来たというのに……。
「では、お聞きしますが、あなたがもしこのまま土星にお帰りになられて、自国の上官から『地球との外交を有利に運びたいから地球人の弱みを教えてくれ』と言われたらあなたはどうするおつもりですか?」
局長の問いは厳しかった。エンリケ氏はしばし考え込んでしまった。
「わかりました。私はこのまま地球人としてこの星に骨を埋めることにします。もう、土星には戻りません」
「素晴らしい決心をなさいましたね。しかし、向こうの方で、土星の方であなたを迎えに来るのでは? 政府の機関が接触を持ちたいと言ってきたらどうなさるおつもりですか?」
「それは心配いりません。土星にはそんなに温情のある人間はいないのです。皆、自分のことばかり考えて生きています。私がいなくても、土星の行政は着々と進んでいるでしょう。この数年間に何度か非常用の連絡ボタンを押してみましたが、それでも、誰も助けには来てくれませんでした」
「それならば、このまま地球人として生きるのが、あなたにとっても、周りの人にとっても良いでしょう。政府は今日から少しずつ異星人についての情報を開示していって、あと2週間もすれば、この国のほとんどの人が異星人は普通に存在するという現実に気づかされるでしょう。そうなったとき、市民はどう対応するでしょうか。ああ、やっぱりそうだ、異星人とも共存していく時代なんだと素直に納得してくれる人がどのくらいいるでしょうか? やはり、他の惑星の住人の存在を許せない、出来れば追い出してやりたいと思う人の方が多いのではないでしょうか。それはこれまで黙り通していた政府への怒りではなく、何の法的な根拠もないままに土足でこの地球に乗り込み、平然と生活をしている、あなた方異星人全員にその怒りは向かうかもしれません。言葉は悪いですが、異星人狩りのようなことが起きるかもしれません。飛び交う罵詈雑言、それまで大人しかった市民が突如として鋭い刃物を手に持って暴れまわる。それとも、ああ、これは想像の飛躍になりますが、異星人といっても外見で簡単に判別できるわけではありませんので、地球人同士でお互いの出身を疑いだし、そのうちにとんでもないデマが流れ、例えば、肌の浅黒い人や声のかん高い人は異星人だなどといったものですが、そうなれば、すぐに地球人同士で同士討ちが始まり、流血の事態になるかもしれません。想像するだけで恐ろしいことです。なるほど、これまで政府が異星人の存在を伏せていた理由がわかります。ひとたび、異星人の存在を発表してしまえば、それほどの混乱、警察や機動隊が出動しても抑えられないほどの大混乱が起きる可能性を政府は知っていたのでしょうね。彼らは彼らで、事の重大性に気づいており、何とかこの情報の発表を遅らせようとしていたのでしょう」
局長は次第に声を震わせながら、顔を青くしてそう語った。
「実は私は新聞社の人間なんです。明日の朝刊にはどうしたって異星人についての詳細な情報が掲載されるのです。市民がそれを読んでどのような反応を示すでしょうか? 実は私が異星人であることをすでに知っている人間が数人いるのです。私が黙っていても、彼らの口から私の正体がばれてしまうかもしれないんです」
「そういうことであれば、今日のうちに口止めしておいた方がいいでしょうな」
局長は腕組みをして少し考えてからそうアドバイスをくれた。他人に自分の正体を明かしたことで気分的にはずいぶん楽になったが、事態はまだ一刻を争うようだった。エンリケ氏は少し名残惜しそうにゆっくりと立ち上がった。
「色々とお世話になりました。これから、私の素姓のことを黙っていてくれるように同僚に頼みにいこうと思います」
「あなたが地球人として平和に暮らしていけることを祈ってますよ」
局長は最後は元の清々しい笑顔に戻ってそう言ってくれた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。もうしばらく続きます。