*第四話*
「これから申し上げることは、とても重大なことでして…、ことによると、これからの我が社の方針を180度転換しなければならなくなるかもしれません。皆さんが笑っていられるのは、私がこの話をする前までかもしれないのです。事は重大ですので、このことを世間に向かって発表するか否かは部長にお任せします」
「わかった、とにかく話してみろ。それからのことは話の内容次第だ」
部長は焦りの色を隠そうとせず、早口でそう言った。
「ええ、わかりました。取りあえず事情をお話ししますね。最初に言っておかねばならないことは、とにかく、私にはいっさい悪気はなかったということなのです。かつての惑星の盟主からどんな指令を受けていたとしても、この星に降り立ったその時には、私は誰を騙すつもりも無かったのです。私はあるいは地球人よりも純情無垢な異星人だったのです」
「なんだと!」
部長が叫んだ。トキナー嬢は顔を真っ青にして両手で口を抑え、声も出ない様子だった。
「ええ、そうなんです。私は5年ほど前に地球に降り立った異星人なんです」
「なんてこった……」
部長はすでに頭を抱えてしまった。しかし、心のどこかでは彼がそんなことを言い出すのではないかと感じていたようだった。トキナー嬢は静かな視線をエンリケ氏に向けた。
「私は薄々気づいていたわ……、あなたが異星人だということも、いつか、こうやって打ち明けてくれるということも……。それとわかっていてあなたと付き合っていたの。あなたと打ち解けて話していれば、楽しい空気の中で時間を過ごしていれば、ふと心の片隅に沸いて来る、あなたが異星人かもしれないという疑惑の念はどこかへ吹き飛んでしまう気がしたの。ああ、実際は出会いしなに、あなたが地球の人ではないという疑念を抱いたのかもしれない……。でも、そんなことを冗談にも口には出せなかった……。あなたとの関係が、あるいはあなたと社会とをかろうじて繋いでいる糸が、そんな無邪気な一言で壊れて、断ち切れてしまうような気がしていたの……」
「ええ、私は弱腰でした、それ以上に臆病でした。もっと早く皆さんにお伝えしておけばよかったのに…」
エンリケ氏は申し訳ないように、何度も何度も頭を下げた。
「謝るのは私の方よ!」
トキナー嬢も感極まってそう叫んだ。部長は苦々しく二人の様子を見守っていた。このことによって一番被害を受けるのは自分なんだと、そう言いたいようだった。
「それで……、まさか、飛んできたわけじゃあるまい。宇宙船に乗ってここまで来たのか?」
「そうです。いわゆる偵察用の、外見は隕石を模倣した造りになっています」
「その宇宙船はまだ使えるのか?」
「いえ、この間、確認にいきましたら、長い年月の経過ですでに使えなくなっていました……」
「そうか……、すでに戻ることも出来ないわけだな……」
ハムロン部長はすっかり悲嘆にくれてしまった。
「先ほども申し上げました通り、私は誰も騙すつもりはありませんでした。実は私は土星人なのですが、地球人の実態調査のためにこの星に送り込まれたのです……。土星の閣僚は決して地球人に悪意を持ってはいません。今回のことは、いわば観光のようなものだったのです。地球が今どんな様子か、休暇を利用して見てこいと、そんな感じに指令を受けたのです。しかし、私は地球で救われて、長い時間をここで過ごしているうちに、自分が土星人であることすら忘れて日常に埋没してしまったのです」
「しかし、それが本当なら、ここでクヨクヨしていても仕方あるまい。自分の方から区役所か警察に訴えでた方がいいだろう。向こうの捜査で追い詰められて、見つかって捕まるよりもこちらから自首した方が罪としては軽くなるかもしれんな」
「私は反対よ」
そこでトキナー嬢が口を挟んできた。
「それが事実だとしても訴えでるのはよくないわ。警察やマスコミはすでに躍起になっていて、異星人を害のある生物として、とことん追い詰めて晒し者にしながら捕まえる気なのよ。これまで地球人として普通に暮らしていたから同情してくれ、なんて言っても通用しないわよ。土星に送り返されるならまだいい方で、最悪の場合、一生研究施設の檻の中で暮らす羽目になるかもしれないのよ」
「いや、黙っているのはさらに良くない。こちらから頭を下げて相談すれば区役所の方で何らかの対応を考えてくれるかもしれん」
部長のこの一言で結論は出た。エンリケ氏は役所に訴えでることにした。この時点ではそれが最善だと思われた。彼が黙って地球人の中に隠れていても、これまで捕まった異星人たちが彼の存在を明かしてしまうかもしれないからだ。
「トキナー君、君が役所まで送っていってくれ」
部長からそう命令を受けて、トキナー嬢がついてくることになった。
「役所が結論を出すまで、記事にはしないでおくから」
「ハムロン部長、いろいろとありがとうございました。おかげで助かりました」
エンリケ氏は最後にそう挨拶をしてから逃げるように会社を出た。新聞社の前には夜勤を終えた社員目当てのタクシーが必ず待機しているものである。この日も4台のタクシーが抜かりなく待っていた。二人は先頭の車両に乗り込んだ。
「どちらまで?」
「区役所までやってください」
「はいよ、区役所ね、何か問題でも起こったんですかね」
中年の運転手は渋い声でそう尋ねてきた。
「ううん、何でもないのよ。早く車を出してちょうだい」
トキナー嬢は何も悟られまいと、慌てて否定した。エンリケ氏は黙り込んでいた。生来大人しい性格の彼には、これから起こることがとても怖かった。
「すでに知っておられるでしょ、異星人のこと。まったく、困ったことになりましたなあ。政府は朝の情報を出した後はすっかりだんまりだし、まあ、政府はいつもそうですけどね。自分たちに都合の悪い情報は絶対に出してこない。こっちからはこれ以上の情報は出さないから、推測の記事でもいいなら好きなだけ取材して書けって言うわけですよね。まったく、マスコミをなめてる。それ以上に国民をなめてるわけですよね。これまで何年も異星人をかくまっていたくせに、今になってもちゃんとした情報を出さないんですからね」
車はようやく走り出した。スピードはぐんぐんと上がって行く。景色は目まぐるしく変わっていった。重苦しい空気の中で二人が何も返事をしないでいると、運転手はさらに自説を続けた。
「まったくね、これはすっかり社会情勢に無関心になっちまった国民も悪いんですよ。自分の国に異星人が土足で踏み込んでいるのに、何の関心も示さないんですからね、窓の外をご覧なさい。みんな昨日のスポーツのことで、アイドル同士の恋愛発覚のニュースのことで騒いでるんですよ。まったくね、どこまで愚かなんでしょうかね、異星人のことは今後自分の命に関わる問題ですよ。奴らは舌なめずりをしながら常に私らを観察しているんです。そして隙を見せれば頭からつま先までかじってしまうような連中が何人上陸したかわかりゃあしない。それを軽視してるんですからね。そりゃあ、なめられますよ。私なんかはね、強力な愛国者ですからね。まあ、今はこんな商売をしていますけれどもね。しかし、どうなんですかね、昨今は底辺層の方が愛国者は多いとか専門家はいいますね。本当なんですかね? 逆に中級以下の公務員にはレベラル? リベラルでしたっけ、そういう、反体制的な連中が多いそうですね。まあ、とにかく、私の一家は揃いも揃って愛国者ばかりでして、テレビではバラエティそっちのけで時代劇ばかりを見たり、夜寝る前に国旗を拝まないと寝つけないたちなんですが、うちの親族の中で一番強烈な愛国者が実は姉でして、これがもう、皇族になってもおかしくないほどの筋金入りです。彼女が一度飛行機で海外に行ったことがありまして、ええ、後にも先にもその一回きりです。ところが、離陸前に手荷物を棚の上に上げようとしましたところ、彼女一人の力ではなかなか難しいようでして、何しろリュックの中にぎゅうぎゅうに着替えやら土産やら何やらを押し込んでありましたので相当な重さになってましてね。そこで彼女はブザーを押してスチュワーデスを呼んで、自分の代わりに上げてもらおうと思ったんですが、スチュワーデスの方もその時は忙しかったらしくてですね、なかなか来てもらえなかったわけです。そうこうしているうちに、離陸の時間も差し迫ってきまして、姉の方でも相当に焦っていたらしいんですが、そんな時、隣りに座っていた金髪の外人さんがこころよく手伝ってくれまして、荷物をひょいと上にあげてくれたわけです。普通ならそこでお礼を言いまして、それはただの美談で終わるところなんですが、うちの姉の対応はまったく違うものでして、後から駆けつけてきたスチュワーデスの右頬を思いっきり殴りつけまして、ええ、なんで余所の国の人間なんぞに自分の大切な荷物を触らせたんだと、そりゃあもう、すごい剣幕で怒りまして、スチュワーデスに土下座まで要求したというではありませんか、機長が仲裁に入りましても、うちの姉の怒りはいっこうに収まりませんで、飛行機の離陸時間が大幅にずれ込んだといいますから、その一連の騒ぎは、そりゃあもう凄いものだったようです。実は後で裁判沙汰になったということですが、ここから先はもう、人様にお話しするようなことではないんでしょうな。その姉がもしこの事件を知ったらなんというか、もちろん、今も健在ですがね、会いに行くのが怖いだけでして……、へへ。知るのも怖いことですわな。うちの姉が自分の身近に異星人が迫っていることを知ったらどうするか、これはあなた、私だって知りたくもないほど怖いことですわな。それこそ、付近の住民に迷惑がかかるような言動や行動を今現在、絶対にとっているに違いないんですからな」
運転手が勢いよくそこまで話してしまっても、二人は一度も相槌を打たなかった。異星人の発見のニュースはすでに他人事ではなくなってしまっていた。車はすでに区役所の表玄関までたどり着いていた。
「ここでいいんですか?」
「ええ、ありがとう」
二人は車を降りた。区役所は七階建ての立派な建物だった。300台は止まれるような駐車場が隣りの敷地にあった。新聞社の前よりも多くもタクシーが並んで待っていた。
「私はここで帰るね」
「わざわざ、一緒に来てくれてありがとう」
「ううん、いいのよ。あなたが異星人だと知ったときは、そりゃあもう驚いたし、許せない気持ちも多分にあったけど、今はもうどうでもいいと思えるようになったわ。だって、人には必ず他人に言えない秘密が一つはあるっていいますものね。それを長年に渡ってうじうじと打ち明けられなかったからといって、その人を責めるべきじゃないわよね。私だって、もし、自分の家族に異星人がいたとしたら、あなたにも、他の誰にも言えなかったと思うわ」
「ありがとう、うまく解決出来たらまた君に会いに行くよ」
二人は区役所の前で別れた。エンリケ氏は一度大きく息を吸い込むと役所の中に足を踏み入れた。
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