*第三話*
二階のフロアには5つの会議室がある。整理部は30人もの部員がいるのだが、朝の打ち合わせはいつも一番狭いA会議室で行われる。最も広いC会議室は、役員が緊急のミューティングで使用することが多いからだ。エンリケ氏が部屋に入るとすでに中はぎゅうぎゅうで十数個ある椅子はすべて先に来た部員で埋まっていた。座りきれない部員はいつも立ったまま壁際に寄りかかって部長の話を聞くのである。エンリケ氏はメモ帳を構えて部長の話が始まるのを待った。だが、心は上の空だった。まだ部員が全員揃っていないので、部長のハムロン氏は目を閉じたまま、中央の席で身動き一つせず、何か深い考えごとに陥っている様子だった。これは彼が重大な発言をするときの前触れだった。ハムロン氏は50代の小柄な体躯で黒ぶちのメガネをかけ頭はカツラかどうかはわからないが、年齢から考えて不自然なほど黒々としていた。他人とはあまり目を合わさず、自信がなさそうに小さな声でボソボソと話すので、とても会社の幹部とは思えず、威厳はまったく感じなかった。しかし、数年前アルバイトとして働いていたエンリケ氏をこのハムロン氏が社員に登用してくれたのである。この部長は普段はぶっきらぼうで決して優しい人間ではない。なぜ突然に登用してくれたのか、当時の彼にはわからなかった。努力家だからというのがその理由だった。
やがて、全員が室内に入ると、ドアが閉められ、ハムロン氏の演説が始まった。
「よし、じゃあ、始めようか」
彼はややはっきりとした声でそう言ってから、みんなの顔をゆっくりと見回した。これも大事な話があるときの癖である。新聞社では重大な事件が動いているときの会議は往々にして空気が重くなりがちであった。
「みんなも知っている通りだが、今朝、政府から緊急の発表があった。事情はまったくわからんが、この地球にはすでに21人もの異星人が侵入しているということだ。ニュースでも散々報道されていた通り、ここ数年、UFOの目撃談が非常に多かった。中には、実際に異星人が地上に降り立つところを見たとか、地球人の男女が両手を縛られ、宇宙船内に連れ込まれるところを見たとか、極端な例になると、自分は異星人と直に話したというタレコミまであった。しかし、政府は我々マスコミの厳しい追及にも関わらず、今日まで異星人の存在を明かしてこなかった。それが、今日になって突然、その存在を認める発表があったわけだ。現在、発表できる情報は異星人が実際に地球上にいるという情報だけだが、今後の政府の発表でどこの惑星の異星人が何人潜入しているのか、これまでも地球政府と他の惑星との接触はあったのかなど明かされると思う。そのときのために各自、いつでも特別態勢が取れるよう準備しておいてくれ。特にここ数日間は、この国でかつてなかったほど、重要な情報が飛び交うことになると思う」
部長はそこで一旦話を区切った。
「21人が潜入しているっていうのは何が根拠なんですか?」
壁際にいた部員からさっそく質問が飛んできた。
「それは政府が詳しい情報を明かさないから、まったくわからん。政府が独自に調査をしていて、地球で活動する異星人のうち、21人の尻尾をつかんだということかもしれないし、元々政府と他の惑星の首脳との間に密約があって、その数の異星人を我が国で受け入れることを承認していたということかもしれない。とにかく、今は何もわからんのだ」
部長はそう言って下を向いてしまい、ハンカチを取り出して額の汗を拭った。もちろん、この一件で一番苛立っているのは、このハムロン部長を始めとするマスコミの幹部たちだった。
「次の動きを待って記事を書くことになりますか?」
「そうだな、憶測で何を書いたところで、近いうちに報道規制が出るかもしれんし、今日中にまだ大きな動きがあるかもしれないからな」
エンリケ氏などはこの話を聞いている間、身が凍りつくような思いだった。みんなが躍起になって探そうとしているのはこの自分であり、土星では遥かに軽かった自分という存在が、今やこれだけ世間を騒がせているのである。思い切って、実は異星人はこの自分ですと、もう地球に5年近くも住んでますと、大声で言ってやりたくなったが、みんなに余計な迷惑をかけることになると思うとそれは出来なかった。この国中のマスコミが必死になって追っている異星人が実はその内部の新聞社にいました、などということになったら、うちの会社が持つ信用は失墜するだろう。幹部は責任をとらされ、従業員たちは他の民間人に笑われながら仕事をしなければならなくなる。正体を隠していたことについて自分にはまったく悪気はなかったが、他のマスコミの目から見れば数年にも渡って異星人を働かせていて、しかも、同僚の誰もがその正体を見破れなかったとなれば、十分なもの笑いの種になってしまう。
「しばらくはいつもより多くのメンバーに遅番をやってもらうからな。仮眠室をフル活用してくれ。他に何か質問はあるかな?」
部長がそう言ったとき、凄い勢いでドアが開かれ、トキナー嬢が駆け込んできた。彼女の切迫した表情を見ただけで、全員がこの一件で新たな動きがあったのだろうと推測した。
「たい、大変です! 先ほど、この近辺で異星人が逮捕されたそうです!」
それを最後まで聞くことはなく、全員が床を蹴って走り出し、テレビの置いてあるフロアに向かって飛び出した。
「何てこった! こんなに早く来るとはな!」
「早く! メモできるものを貸して!」
「これから紙面の大幅な移動あるよ!」
テレビで確認をするまでもなく、誰かがそう叫んだ。テレビの画面はすでに現場からの中継だった。隣町の魚市場の前が映されていた。つい30分ほど前、現場をパトロールしていた警官が目つきの悪い不審な男に職務質問したところ、異星人であることを自供したのだという。男はその後警官の手を振りほどこうとして大暴れし、その上わけのわからないことを叫びだしたため現行犯逮捕された。現場からの中継をしているアナウンサーはその時の様子を早口でまくし立てていた。続いて画面は警察署の前に切り替わった。逮捕された異星人が署の中に連行されるところだった。エンリケ氏はその画を見て目を丸くして驚いた。数人の刑事たちに両肩を抑えられて連行されていたのは他でもない、先ほど、エンリケ氏を脅迫していった異星人だった。彼は顔を隠そうともせず、ふてぶてしく笑いながら、時折刑事たちの手を振りほどこうと、激しく抵抗し、もがいていた。
「いいか、地球人ども! 俺以外にも異星人はいっぱいいるぞ!」
彼はカメラの前を過ぎるときそう叫んだ。エンリケ氏はそれを聴いて震えあがり、画面から視線を逸らした。
「凶暴そうな奴だなあ。前科はあるのか?」
「とりあえず、一面は今のところ、これでいきますよ!」
「政治面に閣僚や大物議員の談話を入れるから一段空けよう!」
フロアを色んな叫び声が飛びかっていた。後ろから誰かが彼のシャツを引っ張った。
「とんでもないことになったわね」
振り向くとトキナー嬢が青ざめた顔をして立っていた。彼は彼女の身体を椅子に座らせた。
「なんてことはない。大丈夫さ。歴史上、こういう危機的な時期は何度かあったけど、人類は知恵を発揮して状況を打開してきたんだ。この騒ぎだってあと一月もすればきっと収まるさ」
「でも、この様子じゃ、政府の発表はまるっきり嘘かもしれないわよ。実際は何人の異星人が紛れ込んだのか、誰も知らないのかもしれない。本当はもう私たちは凶悪な異星人の集団に包囲されているのかも……、ああ、恐ろしい!」
彼女は両手で顔を覆ってしまい、身に迫る恐怖を表現した。
「心配しなくても大丈夫さ。異星人だって地球の侵略が目的だと決まったわけじゃない。それは想像の中の世界さ。観光や会談のために来ているのかもしれない。とにかく、政府がこれまで情報を公にしなかったのには、それなりの意味があると思うんだ」
「いたずらに国民を混乱させたくなかったってこと?」
「そうさ、もし、本当に危機的な状況なら、とっくにG7の各国が連携して防衛軍が組織されているはずさ」
トキナー嬢をそんなふうに励ましながらも、エンリケ氏は今の事態に相当緊張していた。このまま緊迫した事態が続けば、いずれこの会社も詳しい内部調査が行われることになり、自分の正体を明かさねばならないことになるかもしれない。何より、自分はこの世界にすっかり順応しているが、異星人が侵入していることに対して、地球人がこれほど危機感を持っているとは思ってもみなかった。彼は立ち止まったまま考えた。このまま自分が異星人であることを隠していて、後でもっと切迫した局面になってから、警察の捜査などによって正体がばれてしまったとすると、職場のみんなに与える衝撃は計り知れないほど大きなものになるだろう。何より、これまで自分を評価して使ってくれた部長や他の管理職の方に申し訳がなかった。それならば、今のうちに素直に正体を明かしてしまった方が、皆に与えるダメージは少なくて済むのかもしれない。彼は次第にそう考えるようになっていた。彼はうつむいているトキナー嬢の肩をぽんと叩いた。
「少し話があるんだ」
「どうしたの? 今じゃなきゃダメな話なの?」
「ああ、大事なことなんだ」
彼はそう伝えて彼女を連れ出した。
その頃、整理部の一面担当の記者はA3の割り付け用紙に大きな文字で【異星人大量侵入、一人逮捕】と書き込んでいた。ハムロン部長や他の管理職はその様子を真剣な面持ちで眺めていた。今まさに、後世に長く伝えられるであろう、極めて重要な、そして歴史的な紙面が作製されているのだ。周囲の緊張感も凄いものだった。記事が一つ流れるたびに、整理記者はその扱いについて幹部のアドバイスを求めていた。明日には大衆が雪崩を打ってこの新聞を買い求めに来るのが今から目に見えるようだった。
そんな状況の中でエンリケ氏は部長の横に立った。
「どうした? さらに何か起きたのか?」
部長は心配そうな表情でそう尋ねてきた。
「少し、お時間をもらってもよろしいでしょうか?」
「今がどんな時かわかっているのか」
部長は思いの外厳しい表情だった。
「どうしても、聞いて頂きたいことがあるんです。この異星人の一件に関することです」
部長は彼の真剣な表情に押され、渋々後をついてきた。三人はそのまま会議室に移動した。
「それで……、なんだ、話というのは」
席に着くなり、部長は厳しい口調でそう尋ねてきた。これから自分の指令の元で教科書に残るような、劇的な誌面が作られていくというのに、それを途中で中断させられたので、苛立ちを感じているようだった。エンリケ氏は一度頷き、トキナー嬢の方をちらっと見てから話を始めた。
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