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異星人のふるまい  作者: つっちーfrom千葉
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*第十話*

エンリケ氏は何かこれまでの呪縛から解放されたような気がした。フロアを後にすると、すぐにエレベーターに乗り込んで保健所の1階に降りてきた。彼は廊下の隅に設置されていた薄汚れた公衆電話の受話器をつかんだ。ダイヤルを回すと彼女の携帯電話へと繋がり、すぐにトキナー嬢の声が聞こえた。


「もしもし、あなたなの? 本当にエンリケさん? こっちはもう大変な騒ぎよ。ううん、あなたの正体のことは誰にも話してないわ。そんなことで心配しないで。少しは私たちを信頼してよ。それより、あなたと別れた後、正午頃だけど、社に戻ってテレビを見ていたら、突然政府が公営放送で記者会見を開いたの。そうそう、今日二回目の会見ね。そこでね、すでにこの星には大量の異星人が侵入していることがわかったの。それを発表した大臣は顔が真っ青だったわ。そう、最初に発表された数字は大嘘だったのね。内訳については詳しく語られなかったけど、ええ、もちろん、偵察目的で侵入した人も、あなたのように移民目的の人もいるでしょうよ。そうよ、これでわかったでしょ? やはり私の思っていた通りなのよ。この星の首脳たちは他の惑星との関係のことを何もかも黙っていて、本当はこの世界はすでに異星人大量流入の時代に入っていたのよ。他の惑星の支配者に知らないうちにずっと圧迫されていたってわけ。子供の頃から夜空を見るたびにひしひしと感じていた霊的な緊張感は本物だったんだわ。ああ、私たちがバカだったわ。もう少し、異星人についてあれこれと調べておけば……、政府の不審な動きをもっと早く察知できたかもしれないのに……。でも、もう今となっては手遅れよね。すでにこの星の誰にもこの流れを止めることは出来ないんだわ。私のような純情そうな美女が無防備に街を歩いていれば、異星人たちの興味の視線に晒されることになるのよね。どこかの本に書いてあったわ。太陽系の中で地球人ほど顔の造形に優れた民族は無いんですって、地球で美女と崇められていれば余所の惑星に行っても通用するってことよね。ああ、私ったら、この間も肌を大胆に露出させるようなワンピースを着て街を歩いてしまったのよ。だって、あの頃はこの地球にそんなに多くの異星人がいるって知らなかったですものね。周りはすべて善人だとそう思っていたんですものね。でも、もうだめだわ、私はすっかりマークされてしまったのね。


『おい、見ろよ、あそこにえらく可愛い娘が歩いているじゃねえか。白い肌をあんなに大胆に晒しちまって、あれじゃあ、さらってくれって言ってるようなもんだぜ、なあ?』

異星人たちがそう呟きながら、私の姿を見ていたんだわ。私はもうすぐにさらわれてしまうに決まってる!」


彼はそこまで話を聴いて、これは何とか彼女を落ち着かせてやろうと考えた。

「まあ、こういうときはとにかく落ち着くことだろうな。異星人の大量流入が決定的になったからって、何も君までがそこまで落ち込むことはない。冷静になってみると、土星人や火星人の全てが悪人というわけじゃない。分をわきまえて地球人の中に溶け込んでいる人達もいる。いや、あるいはこれまで生活をさせてもらった恩義を返そうと地球人以上に道理を守って生活をしている人もいるんだ。思えば、異星人が流入してから、もう数年は経っているのに、まだそれほど大きな騒ぎが起きていないのは、地球に降り立った異星人に比較的穏健派が多いということの証ではないかな」

エンリケ氏は落ち着いた口調でそう説得してみたが、トキナー嬢の熱くなった気性はどうにも収まりがつかなかった。


「そんなことで落ち着けってそれは無理よ。確かにこれまでは異星人たちはおとなしく生活していたかもしれない。でもね、明日からは、いえ、今日からは状況が一変するのよ。この星の大衆がこぞって身近に異星人がいることを知るようになる。あなたも知っているように大衆なんて単純なものだわ。他人事ならいざ知らず、自分の身に不幸が降りかかるときには躍起になって反乱するのが一般人でしょ? きっと混乱して目を釣り上げた人達が街頭に飛びだして、闇雲に民家や商店を襲うに決まっているわ。人間の心はそれほど弱いものなのよ。誰もがお坊さんのようにどんなときでも座禅を組んでいられるわけじゃないの。そういう立派な方々なら言うでしょうね。


『こういうときこそ人間の知性を発揮する時です』


 でもね、私たちの周りに暮らしているのはもっと素朴な人達なの。仕事や学業でどんなに悲惨な事故があったその日でも、テレビに映っているスポーツで自分の応援しているチームが勝ったの負けたので一喜一憂できる人達なの。それで自分の毎日の哀楽を支えられるような人達なの。胡散臭い政府の発表も財界からの提言も疑ったことが無いような人達なの。そういう単純思考の人達が、すでに自分のすぐ近くにまで異星人が迫っていることを知ったらどうするでしょうね。いえ、反対に異星人たちの方だってこの事態を指をくわえて傍観しているわけないわ。やられる前に牙を剥いて地球人に襲いかかるかもしれない。何しろ、本当はこの国の治安には何の興味もない人達なんですからね。家族は故郷の惑星にいるのかもしれない。ねえ、あなたならわかるでしょ? 火星人や土星人は火事や混乱なんて怖れないわ。逆にこの混乱に乗じて地球人の土地を侵略してやろうと考えているかもしれないわ」


「少し落ち着いた方がいい。そうでなくたって君はいつも小さな事件で右往左往しがちなんだ。大物大リーガーのトレードくらいで目を血走らせて大騒ぎしたこともあったじゃないか。そうだ、今すぐに僕のところへ来ないか。そして、二人で善後策を考えよう」


エンリケ氏は試しにそう呼びかけてみた。うまくいけば大人しいうさぎを捕らえられるかもしれない。トキナー嬢は少し考えてから返事をよこした。

「ダメよ、それはできないわ。あなたの言うとおり、今は落ち着いて行動すべき時だわ。こんな時に軽薄なふるまいはできないわ。こうなった以上、すでに誰も信用できないわ。あなただって例外じゃない。これまでは私も子供ぶってみんなに甘えていたかもしれない。仕事でも私生活でも猫を被っていたかもしれない。周りからは主義主張のない女だと思われていたかもしれない。でも、これからはそんな生き方じゃダメなのよ。異星人との共存の時代に入ったからにはね。周りの人間の行動をすべて疑ってかからなきゃいけないの。なぜって、これまで単純な私の思考はあなたを恋人のように、また実の兄のように慕ってきたけど、そのあなたがまさかの異星人だったわけですからね。言いたくはないけど、一番信頼していた人に裏切られた気分よ。あなただって少しは悪意もあってずっと黙っていたわけでしょ? もっと早く打ち明けることだってできたわけでしょ? これ以上、他人を信じて酷い目に遭うのはゴメンよ。ええ、極端思考な女と思われてもけっこうよ。今日からは周りの人間をすべて異星人だと思って暮らすことにするわ。あなたをこれからも信じてあげたいけど、それはもはや無理だわ。さっきの記者会見を見たら、人を信じる心なんて吹き飛んでしまったわ。この国の最高権力にある人たちが、長年に渡って嘘をつくまくって国民を騙していたんですからね。政治家の二枚舌は当たり前ですって? まだ、そんなことを言ってるの? 税金や福祉と異星人の問題を一緒に考えられないわ。お金のことで政治家が国民を欺くのは大昔から、それこそギリシャ・ローマの時代から行われてきたんでしょうけど、異星人の問題はまた別ですからね。これだけは、『はい、そうですか、やはり嘘だったんですか』で済ませることはできないわ。だって、そうでしょ? おかげでこの国の大多数の人にとって今日が人生の曲がり角になってしまったわ。開国を体験した江戸時代の人々だってこんな屈辱を感じることはなかったでしょうよ。それに私は騙されていたの、あなたという異星人にね。まさか、あなたがあの野蛮極まりない土星人だったなんて……。悔やんでも悔やみきれないわ。本当のことを知っていたら、あなたなんかに気を許したりしなかったのに。前にも話したわよね? 異星人は常に地球の美女を探しているって。私がまさにそうだったんだわ。他人に気を許してのんびり暮らしていて、ある日突然宇宙船に連れ込まれて他の惑星に連れ去られる運命だったのよ。あなたは優しい社会人を装って近づいてきて、この美しい無垢な揚羽蝶のような私を土星に連れ去ってしまおうと画策していたのね。ようやくそこに気づいたわ。私は蜘蛛の巣に絡めとられる寸前の蝶だったってわけ。私は地球から土星への貢ぎ物にされるところだったんだわ。え、なに? そんなつもりはないですって? それも嘘だわ。名探偵のポワロも言っていたけど、一つでも嘘をつく人はそれを隠すために嘘を次々と積み重ねることになるんだわ。あなただって、今頃は正体もばれたことだし、さて土星に帰還するかと画策しているところでしょうよ。そのお土産が私だったんでしょうよ。もう、あなたのことは信じないわ。会いに行くなんてまっぴらごめん。もし、疑いを晴らしたいんだったら、今すぐに新聞社まで戻ってきて弁解してみせてよ!」


 受話器を乱暴に置く音が聴こえて、そこで通話は途切れた。エンリケ氏は静かに受話器を置くと顔を上に向けて考え事に耽りながら歩き出した。保健所の外へ出るとすでに外は真っ暗だった。星は見えなかった。今夜は満月だった。神秘的な夜空だが、地球上では一番犯罪の多くなる日だ。それでも、エンリケ氏は何も心配することなく路上を歩いていた。地球人が皆、自宅に引きこもってテレビを見ていることに確信を持っていた。何台かのタクシーが表で待っていたがそれには乗らなかった。そろそろ、自分の身の振り方を考えなければならない。無理をして地球に居続けたところで、すでにこれまでと同じ日常を送ることは困難だった。土星の官僚からは、我ら土星人が地球を侵略するその日まで地球にいて、注意深く情報を集めろという指令が続けざまに来ていたが、もはや、それを遂行するのは難しくなっていた。マスコミの社員でいられない以上、これまでのように情報を切り取って秘密裏に本国に送ることは出来なかった。それどころか、自分が異星人だと公的な機関で打ち明ける羽目になったことで、これからは地球人からも他の惑星の異星人からも微妙な視線で見られることになる。幸いにして、地球人の多くは、あれだけ衝撃的なニュースを見せられても、未だに身の危険を感じていないようだが、自分がこれ以上この星で諜報活動を続ければ、やがて、土星の思惑に気づく人間が現れるかもしれない。自分に疑いの目を向ける人間があの女の他にも現れるかもしれない。ここから会社まで戻って彼女を説得することは簡単だ。どんなに小賢しい理屈をこねてみたところで、あれは単純な人間、ちょっと真剣な顔をして、『大丈夫、最悪の事態になったら僕が守ってやるから』とか恋愛ドラマのようなセリフを聴かせてやれば、またほいほいとなびいてくる。しかし、地球の政府はまだ情報を隠し持っているはずだ。土星や火星が地球の資源を狙っていることを嗅ぎつけているかもしれない。遠くない日にそれが発表されたとき、マスコミ関係者の鋭い視線が再び自分に集まることになるかもしれない。その時のために自爆用の爆弾を身につけてはいるが、そんな手段はなるべく取りたくないし、それが使えなくなるような事態に発展するかもしれない。フォックスさんも言っていた。ここは身を引くべきなのかもしれない。


 エンリケ氏はそこまで考えて、ポケットの中の秘密のスイッチを静かに押した。本国へ連絡を取るのは一年ぶりだった。今日になって、自分は善人で地球人の味方だと散々嘘を重ねてきたように、地球という星に多少の未練はあった。本国を捨ててここで安楽な生活を続けることも悪くないと思えた時期もあった。しかし、やはり自分は異星人、地球人と同じ思考を持つには至らなかった。これまで作り上げてきた人間関係の全てに終止符を打つ時が来たのだ。土星に戻れば、これまでのスパイとしての業績が認められて自分も官僚になれるだろうか。地球で一般人として暮らしたこれまでよりは楽な暮らしが出来るのは確かだった。これまで本国へ送った地球の詳細なデータはここを侵略する上で十分役に立つはずだ。今頃本国では何百隻もの宇宙船が地球を爆撃するための準備を整えているはずだった。やがては勇猛な土星軍の兵士がここを攻めてきて、愚かな地球人の首を次々と跳ねるだろう。


 彼はそんなことを考えながら十字路を左折した。人通りはほとんどなかった。角にある電気屋にはまだ灯りがついていた。店内には少数だが客の姿もあった。ウインドウに展示されたテレビでは先ほどの記者会見の模様が続けざまに映し出されていた。マイクを手にしたこの国の官僚や政治家たちは記者からの鋭い質問に顔を真っ青にして答えていた。これからどんな事態が起こるかなど、彼らにだってわからないのだ。今マイクを手にした大臣は額に脂汗を浮かべながら、記者からの質問にこう答えた。


「ええ、国民の皆さんがお聞きになりたいことはよく承知しております。これまでの異星人との接触の詳細についてですよね。我が日本政府はこれまでも各国と協議を重ねながら、異星人と慎重な態度で接触を持ってきました。ええ、もちろん、相手の要求をすべて飲んできたわけではありません。相手の無茶な要求には毅然とした態度で対応して参りました。ええ、異星人からの要求で一番多かったのは、地球上のどこかに異星人だけが住める土地が欲しいということでして……、まあ、地球も人口過剰でこんな有様ですから、他の惑星が土地問題で困っていても無理はありません。しかしながら、まだ同盟も成立していない惑星の住民を簡単に受け入れるわけには参りません。しかし、土星や火星の首脳は強行でして、移民を受け入れなければ、地球を攻める準備があるとまで言ってきたわけです。我らの心情も計って下さい。そこまで言われて、『いや、ダメだ、異星人は断じて受け入れられない』などと答えてしまえば、火星からの大型ミサイルが雨のように地球に降り注いだかもしれません。多くの命がすでに失われていたかもしれません。そこで、我々政府の首脳は協議に協議を重ねた末に、多くの異星人移民をこの国に受け入れることにしたわけです。皆さんが不本意なのはわかっております。我々としても不本意です。こうして親交を深めていき、やがては火星や土星ともできるだけ対等な同盟を結んでいきたいと思っております。国民の皆さん、その日までどうか耐えてくださいませ……」


 大臣がそこまで話したところで記者会見は打ち切られた。画面が切り替わっても、幾人かの客が信じられないといった表情で未だに画面に釘付けになっていた。エンリケ氏は店の外に出た。

「地球人よ、今さら、あたふたとしても無駄だ」

彼は暗がりの中で一度立ち止まり、低い声でそう呟いた。今までに見られなかったほど冷徹な表情に変わっていた。空を見上げると、雲の切れ間から、何か大きな円盤状の物体が、木の葉のようにゆっくりと舞いおりてくるのが見えた。どうやら、迎えが来たようだ。優しい顔をして、愛想良く地球人の相手をするのはここまでだ。まず非情ありきの土星人らしい心が蘇ってきた。この宇宙船に乗れば、五日ほどで土星に到着する。祖国の土を踏む日も近い。


円盤はこちらを伺うかのように、エンリケ氏の頭上で数回旋回し、それから目の前の空き地めがけて垂直に降りてきた。彼はそれに向けて右手を大きく振って合図をした。周りでこの光景を見ている者はいなかった。円盤は風圧で草木を薙ぎ払いながら、地上に着陸した。上部に付けられた金色のランプがちかっちかっと点滅していた。やがて、ウイーンという機会音と共に正面の扉が縦に開いた。中からはもうもうと煙が吹き出してきた。


「土星外交官エンリケ様、お迎えにあがりました」

内部から機械的な声でそう声をかけられた。エンリケ氏は満足そうに頷いた。

「よく来てくれた。地球での任務はようやく終わったよ」

 彼は一度振り返った。辺りに人の気配はなかった。野良猫が一匹こちらを見ていたが、金色に光る宇宙船の姿を見ると恐れをなしたのか、慌てて走り去っていった。エンリケ氏はしばらくの間、名残り惜しそうに地球の風景を眺めていた。おそらく、もう二度とここへ来ることはあるまい。人生の残りの日々は土星で静かに平穏に過ごすことになろう。


「地球人よ、安閑としていられるのもあと数日だ。せいぜい、つかの間の平和を楽しんでおくがいい」

その言葉を残して、彼の姿は金色の光の中に吸い込まれていった。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。興味を持たれた方はぜひほかの作品にも目を通してみてください。

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