59◆『悪竜の瘴玉』
エルフの国の王宮、女王に謁見するための広い部屋。土足禁止だけど今はこだわっている場合じゃない。
そこに俺たちが到着したときには、ほぼほぼ終わっていた。
マリーが、うつ伏せに横たわっている。その後方にはシルフィのお母さんであるエレオノーラ女王がペリちゃんをかばうように立っていた。
彼女たちを射竦めるのは、アケディア。マリーとはすこし距離があるものの、その手に真っ赤な球体を握っていた。
「アケディア、お前……」
俺は一瞬頭に血が上ってしまったが、マリーの状態を確認して冷静になれた。息はある。ダメージはあるが外傷はない。意識を失っているだけのようだ。
アケディアは無表情で俺を見据えた。
「誤算。マリアンヌ・バーデミオンとの戦闘に注力するあまり、監視を怠っていた。だが――」
予備動作なし。アケディアが跳んだ。
「もう遅い」
マリーへ向けて、手にした球――『悪竜の瘴玉』を突き出す。
「させるかよっ!」
あの球体は『悪竜の瘴液』よりも高濃度。アケディアはあれをマリーたちに埋めこみ、強化したうえで自身に隷属させるつもりだとアワリチアは推測していた。
アケディアの真意はまだわからないが、それを確認する前に実行させるわけにはいかなかった。
俺は床を蹴り、マリーを守ろうと飛びかかる。
でも俺との間には距離があった。アケディアのほうが速い。
魔法で止める、あるいは牽制するのも無理。あいつはお構いなしで目的を果たそうとするだろう。
だったら――。
「こ、のおっ!」
俺は腰から『勇者の剣』の鞘を抜き、投げつけた。アケディアが持つ『悪竜の瘴玉』をめがけて。
彼女は止まらない。やはりお構いなしでマリーに球体を埋めこむつもりだ。球体が鞘で弾かれないよう、ぐっと強く握った。
「いいね。そのまま離すなよ?」
「――ッ!?」
鞘が虹色の光に包まれると、その形状を変化させた。鞘は『その場にもっともふさわしい防具に変化する』という特殊効果を持つ。
何に変わるかは俺の自由にはできないのだが、今回もまた俺の希望通りのものに変化してくれた。
べちゃりと、粘性体がアケディアの手を『悪竜の瘴玉』ごと包みこんだ。直後、すぐさま硬化する。
見たかっ! なんだかよくわからない謎の硬化物質の威力をっ。
これであいつは『悪竜の瘴玉』をマリーに埋めこむことはできなくなった。
「うらあっ!」
俺は鞘に遅れてアケディアに斬りかかる。
アケディアはたまらず大きく飛び退いた。
「マリー、大丈夫か?」
彼女を背に、剣を構える。
「ぅ、ぅぅ……」
マリーは意識を取り戻したようだが、体が痺れているようで立ち上がれないらしい。
さて、ひとまず危機は去った。
ゆっくりあいつの真意を問いただすとするか。
と、鞘が元に戻り、床にぼとっと落ちた。真っ赤な球体が露わになる。
そういや、アレをちゃんと見てなかったな。
話をする前に、と『悪竜の瘴玉』を読み取って――。
「…………なんだよ、それ……?」
俺は愕然とした。
『悪竜の瘴玉』の本質。それを理解すると同時に、アケディアの真意も知れたからだ。
やはりこいつは、悪竜を裏切っていた。
悪竜の体の一部でありながら、悪竜の打倒を目指しているのは間違いない。
いや、でも、なんで?
なんでこいつは――。
「失態。誰か一人にでもコレを使う前に読み取られては、計画は破綻したものと我はみなす。残念、無念である」
「お前……」
「しかし我は諦めない。諦めたくは、ない。ゆえに我は説得を試みる」
アケディアは『悪竜の瘴玉』を掲げた。
「コレこそ、諸君らが求めていた悪竜打倒を実現する『解』である。コレは、その身に宿せば最高神たる悪竜の力を得、使用者に大きな恩恵を授ける効果を持つ」
悪竜の瘴気を液体に溶かした『悪竜の瘴液』は、悪竜が食らった勇者のステータスを上書きするものだった。
一方『悪竜の瘴玉』は、使用者の特性にそったすさまじい恩恵を与えるものだ。
効果は使用者によるから一概には言えない。
ステータスの大幅上昇。
固有スキルのランク上昇。
潜在能力を引き出し、新たな固有スキルの付与。
他にも様々で、ひとつだけとは限らず、複数の恩恵をもらえる場合もある。
場合によっては、最強と謳われた『剣の勇者』を凌駕する可能性を秘めていた。
それだけではない。
悪竜の力を得るということは、その属性も引き継げる。
神性、および竜種の属性。
人の身では打倒不可能な悪竜を、打倒し得る権利が得られるのだ。
しかも『悪竜の瘴液』のように、〝混沌〟の呪いに侵されることはない。理性も保たれる。
至れり尽くせりの万能アイテム――では、もちろんなかった。
「だからって、『三日以内に悪竜を倒さなければ死ぬ』ってのは、どうなのよ?」
呪いがない代わりに、とんでもなく理不尽な制約がこのアイテムにはあったのだ。
ついでに言うと、期間限定。
恩恵が受けられるのは、その三日間に限られる。
「受け止め方次第である。諸君らが悪竜の打倒を目指しているのであれば、コレを使用する以外の選択肢はない。逆にコレを使えば、打倒の可能性は一気に上がる。そも悪竜との戦いは命がけ。ゆえにデメリットにはなり得ないと我は断言する」
「そんなわけないわ!」
俺が言うより先に、ペリちゃんが叫んだ。
「たしかにそのアイテムを使えば、悪竜は倒せるかもしれない。けれど『封印』という最終手段を行っても、確実に犠牲が出る。私は、私以外の犠牲を容認できないわ」
俺は欲張りなので、自分はもちろん、ペリちゃんの犠牲を伴う『封印』も容認してない。
で、『封印』を容認できないのは、アケディアも同じらしい。
「今後、当代の勇者と同等以上の可能性は期待できない。今回が最初にして最後の好機であると考える。ゆえに、『封印』は選択肢として存在しない。存在しては、ならない」
アケディアがわずかに目を伏せた、ような気がした。
「ま、俺も『封印』で許してやるつもりはない」
後の世代に押しつけるなんてまっぴらだ。
「けどな、お前の説得にも応じられない」
「……いちおう、理由を問う。なぜか?」
「簡単な話だ。どうせここの会話なんて、悪竜には筒抜けだ。『三日間倒されずに踏ん張れば、敵は勝手に死んでしまいます』。俺が悪竜なら、間違いなく時間を稼ぐ。ていうか逃げ回る。追いかけっこして三日逃げ切れば勝ちなんだし」
「否。堕ちようとも神である〝我〟は、挑む者から逃げることはできない」
「でも、時間稼ぎくらいはするだろ?」
「否定はしない。が、対策をされたとしても三日をかけて倒しきれないならば、そも最初から打倒は困難と考える。また、現戦力であれば、時間稼ぎに傾倒した相手こそ期間内に打倒は可能と断言する」
「それは、まあ、そうかもしれんけども……」
「貴公は仲間のこととなると、合理的判断よりも感情論に流される傾向がある」
「仕方ないだろっ。嫌なもんは嫌なんだからっ」
わかってるさ。『悪竜の瘴玉』を使えば、きっと勝てる。でも、死の制約を誰かに課すなんて、どうしても……。
「だいたい、やり方が気に入らない。お前、マリーにそれを使ってからネタ晴らしするつもりだったろ? もう取り返しのつかない状況にして」
「肯定。我は初めから、貴公の説得を諦めている。今も、そうである」
「は?」
アケディアは俺を見据えたまま、
「『怒れる者』よ、我は問う。死の恐怖に耐え、三日の間、勇者の『剣』となって悪竜に挑むか?」
最後に、その名を告げる。
「マリアンヌ・バーデミオン」
ふらふらと、俺の背後でマリーが立ち上がった。
質問しておきながら、アケディアはさらに語った。
「『狂化』とは自身に内包された感情の具現。貴公はあの日から常に『怒り』を内に抱え、表には出そうとしなかった。母を殺したモノへの怒り。救えなかった自身への怒り。ゆえに、『憤怒』の反転たるイラに適合する」
手にした赤い球体をマリーに向ける。
「コレを使えば三日の間、貴公の『狂化』はランクSになるだろう。一部ステータスも上昇し、物理攻撃力の面では、悪竜をも凌駕する」
あらためて、アケディアは問う。
「コレを、受け取るか否か」
「はい――と即答したいところですが、まだ情報が足りません。貴女は、なぜ本体である悪竜を倒したいと考えているのですか?」
あ、それね。俺も気になってた。そこかなり重要。
アケディアは一瞬目を伏せて、「その前に」と。
「アワリチアよ、その行為は推奨しない」
ん?と俺は振り返る。
「メルく~ん……」
アワリチアがシルフィを後ろから抱きしめ、首に短剣を添えていた。
「何やってんだお前っ!」
「話の流れ的に、悪竜が倒される危険があると判断しましたため、人質を取って思いとどまらせようとしています」
わかりやすい。そして実に素直だ。
「でもシルフィの柔肌に傷のひとつでもつけてみろ、マジ許さんからなっ」
相手は一般人並みの力しかない。勇者パワー全開で飛びかかれば、あるいは……。
「待て、勇者よ。我が説得しよう」
「ほぼ100%、お前のせいでこうなったんだがな」
そもそも説得なんてできるのか? と疑いつつ、任せることにした。
「先のマリアンヌ・バーデミオンの質問にも、同時に答えよう」
アケディアはアワリチアに正対する。
「我はすでに本体との接続を切断している。この状態で本体が倒されれば、その呪縛から解き放たれ、自由が得られる」
「えっ、マジで?」
「マジだ。我は自由を得るために、悪竜に反旗を翻したのだ。しかし直接本体に攻撃をしかけることは禁じられている。ゆえに、諸君らの力を利用すべく、諸君らを強化しようと画策した」
アケディアはまっすぐにアワリチアを見据える。
「我が〝姉妹〟、アワリチアよ。自由を、得たいとは思わないか?」
「……今も、わりと自由ではあるように思います」
「永遠に絶望を集めるのを良しとするか?」
「わたくしは苦にしていません」
「ならば、死は容認できるか? 悪竜を打倒してのち、我が〝姉妹〟は全員同じく亡き者にする予定であるが、貴公は見逃してもよい」
「死にたくはありませんが、本体が生きている限り、わたくしはそもそも死にません」
ふむ、とアケディアはうなずいて、
「説得は、失敗した」
「この役立たずがっ!」
最後は脅しまでしておいて、まったくの成果なしとは。
仕方がないので俺が説得することにした。
とはいえ、説得の材料は何もない。
だから本人にその材料を求めた。
「悪竜を倒すな、って要求以外でなんかない?」
「アワリチアは無欲である。質問の意味がない」
「アケディアは黙っててくれ」
でも、そういえばアワリチアは、前に『何も望まない』とか言ってたよな。
がっくりしかけたが、アワリチアの様子が変わったのに気づく。
目は閉じたままだけど、眉尻を下げ、どこか困ったような、迷っているような?
「わたくしは、何も欲しません。何も望みません。そのような存在だった、はずなのですが……」
しばらく困惑した様子をみせたあと、重く口を開いた。
「再生途中であったからか、今のわたくしは以前に比べて不完全であるようです。その、ひとつだけ、お願いが……」
「うんうん、それは?」
「…………でき得るならば、ルクスリアとともに平穏な日常を」
なんか百合百合しい発言にちょっとドキドキしてしまう。
でも待てよ?
ルクスリアって、真っ先にアケディアが球体にしちゃったんだよね。
もはや手遅れ……でもないかっ!
さっきアケディアは言っていた。『悪竜を打倒してのち、我が〝姉妹〟は全員同じく亡き者にする予定である』と。
つまり――。
「おい、アケディア。球にした連中って、あとで復活できるのか?」
「できる、というより、復活してしまうのだ。現状、〝姉妹〟たちは球体に姿を変え、眠らせている状態である」
アケディアは球体をぴんと指で弾いた。
『いった~い。あたしぃ、なにか悪いことしましたかぁ~? だったらごめんなさ~い』
「誰っ!?」
球体から甘ったるい声が聞こえてきたぞ。
『ん~? あれ~? なにこれぇ? あたし~、なんか変じゃ――』
アケディアが球体に手をかざすと、声がぴたりと止まった。また眠らせたらしい。
「このように、自我はいまだ残っている。事が済めば、勝手に使用者から抜け落ち、勝手に元の人型に戻る」
「今戻すこともできるのか?」
「可能。が、推奨しない。特にルクスリアは悪竜の打倒には絶対に賛同しない。邪魔をされる危険がある」
「じゃあ、やっぱり悪竜を倒してから、になるか。それでどうかな?」
俺はアワリチアに尋ねる。
「事後承諾となる行為を、貴方は先ほど咎めましたよね?」
「それはそれ、これはこれ。ということでご理解いただければ……」
まあ、ルクスリアはめちゃくちゃ怒りそうだけど。そこは誠心誠意、謝るしかない。土下座も辞さないよ、俺は。
どうだ?ともう一度訊くと、アワリチアは短剣を静かに下ろした。
「正直、まだ迷ってはいます。貴方がたの感覚からすれば、親を売り渡す行為に近いですから」
ただ、とアワリチアは閉じた目をわずかに開く。
「わたくしはやはり、どこか壊れているのかもしれません。それが……それこそが、正しい行いであると感じるのです」
「……お前もそれでいいな、アケディア。とりあえず、全員だぞ。復活したときに、ちゃんと話し合おう」
まだ二人逃げ回ってるから、そっちはそっちで事前に話し合う必要もあるけど。
「不本意ながら承諾。流れから、我の目的は果たせると考える」
「ん?」
「コレを、使う決心がついたのではないか?」
真っ赤な球がこちらを見ている。
いや、うん、『悪竜の瘴玉』を使うかどうかは――。
「保留っ!」
あ、無表情だけど呆れてるのがわかる。
「てか、俺の一存じゃ決められないんだよ。やっぱり、一人一人にちゃんと考えてもらわないとさ」
俺が『使う』と決めたら、みんな笑顔で受け入れてくれると思う。
でも、それはなんか違う気がするのだ。
「わたしも、それでいいと思う」とシルフィ。
マリーも、ペリちゃんやエレオノーラ女王も、それぞれ了承してくれた。
ただ、俺は引っかかりを感じてもいた。
自由を得る。
アケディアがそう口にしたのなら、それが彼女の目的であるのは間違いない。彼女は神の一部であり、嘘がつけないからだ。
でも、はたしてそれだけだろうか?
いや、違うな。
そもそも『自由を得る』のは彼女の目的であって、『願い』じゃないと思うのだ。
なら、彼女の本当の『願い』は?
それを俺は、知らなくちゃいけない気がした――。