57◆孤独な反乱
エルフの国、フィリアニス王国内にある、とある森の中。
「うぎゃーっ、また来たですーっ!」
「ちょ、クララ! そっちじゃなくてこっち! 誘いこんでっ」
「むーりーでーすーっ」
「あーっ、もうっ!」
少女二人の絶叫がこだまする。
遠く、それを聞きながら、褐色の少女アケディアは岩の上に立っていた。
その傍らに近寄る影。男装の麗人、ルクスリアだ。
「やあアケディア、久しぶり。というか、直接会うのは初めてだったね」
アケディアは一瞥すらなく、木々を眺めて応じる。
「ルクスリアと認識。用件は何か?」
「特に用事というほどでもないのだけどね。キミとは一度、話をしておきたかった」
「疑問が浮上。用事がないのに、話すことがあるか?」
「つれないなあ。アワリチアと似たタイプだけど、根本はまるで正反対だね。彼女はオレの話によく乗ってくれた」
アケディアはいまだ前方を見据えている。クララとリザが今、森の中で魔物と戦っているのだが、彼女らに命の危険があればすぐさま助けに行くため、注意を半分向けていた。
もう半分は、〝境界〟を隔てた世界に、だ。
ルクスリアに割く意識がほとんどない。
アケディアがだんまりを込めこんでいるため、ルクスリアは肩をすくめた。
「じゃあ、こちらから一方的に質問させてもらうよ。アワリチアの状況を、知っていたら教えてほしい。オレたちと違って、キミは本体と繋がっているから、もしかしてと思ってね」
しばらくの沈黙。
しかし返答が期待できると感じ、ルクスリアは待った。
「尾の再生はほぼ完了している。が、全工程からすれば15%ほどの進捗である」
「ということは、単独で活動できるのはまだまだ先だね」
ルクスリアは肩を落とす。
「他に質問がないのであれば、我は監視に集中したい。退去を願う」
「監視、ね……。見たところ意識の半分は、ここではないどこかに向けているようだけど?」
「我は〝我〟より遠隔監視能力を一部与えられている。脅威に対する監視も活動目的のひとつ」
「ふうん。オレたちは個人レベルで彼を脅威と認識する者もいるけど、本体も脅威に感じているのかい?」
「否定。勇者メル・ライルートの監視は我の独断」
そうだろうな、とルクスリアは納得する。
彼が人の身である以上、悪竜を打倒することなどあり得ないのだから。
ただ、ルクスリアも彼を脅威と考える一人だ。何をしでかすか予測できない、との理由から。
「彼は、今どこに?」
「妖精の国」
「ということは、大地母神が現界するのか」
「すでに現界を終えている。現在は妖精王を交えて会談中」
ふむ、とルクスリアは顎に指を添えた。
大地母神を現界させたのは、悪竜を完全に封印するためだ。
メルはそれを是としたと考えていいだろう。
「意外にも正攻法を選んだみたいだね。まあ、実のところ彼は現実主義者であるようだし、収まるところに収まった、ということか」
トリッキーな策は、実際に封印術式を行うとき。
自分が警戒しても意味はないが、とルクスリアは自嘲ぎみに笑みを浮かべた。
このとき彼女は、思案に夢中だった。だから、
「アース・ドラゴ……。余計な真似を……っ」
小さなつぶやきを、拾うことができなかった。
そして間の悪いことに、森の奥で少女たちの叫び声が上がった。
「ぎゃーっ」
「わーっ」
「挟まれたです―っ!」
「あああ慌てないのっ、こっちよ!」
騒々しい声に重ねるように、アケディアがまたもつぶやく。
「計画の前倒しを提案…………受理を確認。返答あるまで待機する」
ルクスリアは森の絶叫に気を取られ、今度も気づかない。
「あの子たちは大丈夫なのかい? 死なれては困るのだろう?」
アケディアは完全なる無表情で答える。
「問題ない。騒いではいても生命の危機には至っていない。スタミナにもまだ余裕がある」
「ふうん。でもキミは、いつまで彼女らのお守をするつもりだい? 何かしらの意図があるのは承知しているつもりだけど、『絶望』を集めるなら他の効率よい方法を採るべきでは?」
「彼女らはすでに、基準値を超えている。ゆえに――」
アケディアの口がぴたりと止まる。
「? どうかしたのかい? というか、『基準値』とはどういう意味なのかな?」
アケディアは答えない。
その代わりに、無機質なつぶやきを発した。
「確認。〝我〟との接続を強制的に切断。以降は我の独断により行動する」
そして――。
「これより第三段階へ移行する」
アケディアが、消えた。
そう思えるほど、予備動作もなく、瞬く間に彼女はルクスリアに接近していた。
「なに――ぐぉ!?」
アケディアは片腕を伸ばし、ルクスリアの喉元をつかんだ。ものすごい力で締め上げる。
「状況を整理。クララ・クー、リーゼロッテ・キウェルの両名は基準値に到達。マリアンヌ・バーデミオン、ミリアリア・ドールゲンマイヤット・エル・ホイントハールマンは計画前より到達済み。シルフィーナ・エスト・フィリアニスは未達。支援策を検討……不確定要素が多いため判断を保留。メル・ライルートは基準値に到達を確認」
なんだ、こいつは? 何を言っている?
ルクスリアは混乱の中、アケディアの腕を両手で握った。力を振り絞って爪を立てる。
「以上六名に対応した〝姉妹〟の確保を開始する」
「――ッ!?」
ギリギリと喉が締められる。必死に振りほどこうとするも、びくともしなかった。
「計画の前倒しにより、アワリチアの確保が困難と判断。抹殺対象であったルクスリアを代替とする」
抹殺? 代替?
ルクスリアは混乱に拍車がかかる。
悪竜の尾から造られた自分たちは、『互いを傷つけてはならない』という制約を受けているはずだ。
いくらアケディアが本体のサポートを受け、他の〝姉妹〟たちの意識共有ネットワークから外れているとしても。
いや、先ほどアケディアはこうつぶやいた。
――〝我〟との接続を強制的に切断。以降は我の独断により行動する。
裏切った。
事もあろうに悪竜に反旗を翻したのだ。
彼女の行動は、そう考える以外に説明がつかなかった。
知らせなければ。
他の〝姉妹〟に、この事実を。
だが、それは叶わなかった。
アケディアに喉をつかまれてから、意識共有ネットワークが機能していない。
「ぅ……」
小さなうめき声とともに、ルクスリアの腕がだらりと下がる。全身の力が抜け、やがて、その身が粒子となっていった。
粒子はひと所――アケディアが突き出していた手のひらに集まり、球体を形成した。淡い赤色をしている。
球体はアケディアの手に吸いこまれ、消えた。
遠く、獣の咆哮が響いた。
あちらも終わったらしい。
森の奥から、クララとリザが現れる。よたよたと疲れきった彼女たちに、小瓶を二つ放り投げた。
「毎度のことで感覚がマヒしてきたけど、これ一本が数千万Gするのよね……」とリザ。
「飲むと元気になるですから、ボクは好きですよ」とクララは一気に飲み干した。
アケディアが無感情に言う。
「本日の訓練はここまでである。各自、食事と入浴を済ませてのち、9時間の睡眠をとるように。食事はいつものところに用意してある」
「やったーっ、ですー」
「訓練は地獄だけど、それ以外は天国よね。あれ? でもアケディアは一緒じゃないの?」
寡黙で無表情の彼女だが、訓練が終わるといつも行動を共にしていた。監視というより、観察されている感じはしたが、それでも寝食を共にした仲間とリザもクララも考えていた。
「我はこれより、〝狩り〟に出る。我が戻るまで訓練は中断。待機を命じる」
「狩りっ! お肉をいっぱい獲ってきてくれるですか?」
「あ、私は魚がいいかな?」
アケディアは、彼女たちの前で初めて笑顔を作った。
「諸君らには、最高の食事となることを約束しよう」
言って、地面の中へ沈んでいく。
〝境界〟に身を隠し、自身の〝姉妹〟たちを狩る旅に赴いたのだ――。