56◆女神様、しょんぼり
ついに大地母神ペリアナ・セルピアが、この世に御姿をお現しになった。
といっても、まだ俺たちは『妖精の国』にいる。だから『この世』というより『俺たちの前』が正しい表現だろう。
『妖精の泉』は再び鎖の壁に閉ざされた。
最後までごねにごねていた淫乱女神ヘルメアス・メギトスはいちおう、鎖の内側。可哀そうなので今度遊びに行こうかと思っている。もしかして、騙されてるかもしれないが。
さておき。
ペリちゃんはずはぶ濡れの衣装で妖精王ウルタのいる王宮に移動し、女の子チームが世話を焼いて服とか髪を乾かし、ようやくウーたんの前にやってきた。
「ほう? なかなかに盛っておるではないか」
ウーたんは足を組み、睥睨するようにペリちゃんを見下ろす。豊満な胸をこれ見よがしに持ち上げて。
「豊穣の象徴たる女神がアレでは、示しがつかぬものなあ!」
「うううううるさいわねっ! ほんのちょっと、ちょっとだけよっ」
「ほほう? では余の記憶違いであったか。なにせ遠い昔であるからなあ。目玉焼きの黄身程度のふくらみであったと思ったがっ?」
「ムキーッ! それよりは大きかったわよっ。ほんのちょっとは……いいえっ、三倍はっ!」
「言ってて悲しくならんか?」
「あんただって盛ってるじゃないのよっ」
「余は姿を自在に変えられるのは確かであるが、今はもっとも魂にしっくりくる形にしておる。これが余、本来の姿である。羨ましいだろ☆」
「ぐ、ぬぬぬ……」
現界しても煽り耐性ゼロな女神様だった。
話が進まないので俺が割りこむ。
「そんなことより――」
「めちゃくちゃ重要な話よっ」
「もういいっす。おっぱい談義は別でやってください」
ペリちゃん、またもぐぬぬと悔しそう。
俺は華麗にスルーして続ける。
「大地母神様が現界したから、悪竜の封印が緩んだんですよね?」
「まあね。まだ幾重にも封印術式はかけてあるから、明日明後日で早速封印が解かれることはないけれど、時期が早まったのは確かよ」
「で、結局はまた大地母神様が鍵になって、改めて悪竜を封印する、って流れに?」
「前にもそう言ったでしょう? 前回は精神体の私が鍵となったけれど、それではやはり弱かったの。現界することで鍵はより強力なものになる。さらに今回は、封印に特化した形での現界だもの。成功すれば、二度と封印が破られることはないわ」
そして鍵となったペリちゃんは、悪竜ともども惑星の地中奥深くへ沈み、未来永劫囚われたままとなる。
それって、本当に解決したと言えるんだろうか?
「不満そうね。まさかとは思うけど、悪竜を仲間にしよう、なんて考えてないわよね?」
ペリちゃんがジト目を寄越す。
「あ、それはないです」
即答すると、ペリちゃんが目を丸くした。シルフィたちもだ。
「メルくん、悪竜の尻尾ちゃんたちは、仲間にしようとしてるよね?」
「彼女たちは一時しのぎ気分だったんだよね。結果的にはそれがよかったんだけど――」
悪竜本体に対しては、『一時しのぎ』ではダメだと思っている。
仮に悪竜の説得に成功し、仲間にできたとしても、この先ずっと人に害をなさないかと言われれれば、無理だと思う。
あいつは人よりもずっと長命だ。神様だから永遠なのかも。
仲良くなって、心が通じ合うことができても、俺たちが死んだ後はどうなるかわからない。
説得に成功したのと同じように、手のひらを返して人に仇なす存在に戻るとも限らないのだ。
なるほど、とペリちゃん。
「となると貴方は、倒す気でいるのね。私は無理だと思うけど」
前にも同じことを言われた。
そのときは俺の実力を考えての、彼女なりの結論なのだろうと思った。
実際、そうなのだろう。神様は嘘がつけないそうなので。
でも――。
「大地母神様って、何か隠してません?」
別の意図を、本人を目の当たりにしてようやく察知した。
ぎくりと目をそらすペリちゃん。こういう素直なところは可愛い。
でも俺は容赦なく、本質を突く質問をした。
「そもそも悪竜って、倒せるんですか?」
ペリちゃんは汗をだらだら流し、明らかに狼狽している。
俺はじーっとその姿を眺めた。
「やめなさいっ! 現界した神を読み取るなんて、今の貴方では無謀よ。体が耐えられないわっ」
なんか言ってるけど、俺は見るのをやめない。
「そちの負けだ、大地母神」とウーたん。
「語らねば、こやつはいつまでも読み取り続ける。答えが見つかるまでな」
ペリちゃんは「ぅぅ……」と小さく唸ると、
「わかった! わかったわよ。答えるからもうやめなさい」
直後、俺はげぼっと血を吐いた。ふらつく体をどうにか立て直す。
「まったく、無茶をして……」
ペリちゃんは呆れとも叱責ともとれる言葉を吐きだしてから、きっぱりと言った。
「不可能よ」
そのひと言では終わらない。
「悪竜は堕ちたとはいえ、神の一柱。人の身で殺しきるのは、不可能なの」
神を滅することができるのは、同じ神に連なる者のみ。
だから神以外では悪竜を滅ぼせない。たとえ最強と謳われた勇者であろうと。それって、つまり――。
「今まで、ずっとみんなを騙してきたのか」
「否定はしないわ。もっとも、嘘のつけない神々は、『倒せ』とは一度も言っていない。『倒せない』とも、教えなかったけれどね」
大地母神ペリアナ・セルピアは、これまでの動揺っぷりが嘘のように、身も凍るような無表情になっていた。
「どうしてですか? 今回みたいに最初から封印を目指していれば、犠牲は減っていたかもしれないのに」
「いかに勇者であっても、『絶対に倒せない』相手を前にして、普段の実力を完全に発揮できるかは未知数よ。人は無自覚に恐怖に縛られるものだもの。中には挑むことをやめてしまう者もいたでしょう。第一目標として『封印』を推奨したほうが、目標達成の確度が高まると判断した結果よ」
言ってることはわかる。理解できる。俺がペリちゃんの立場なら、やっちゃわない保証はない。
でも、なんかこう、もやもやがぁっ!
と、ここで。
俺とペリちゃんが口論し始めてから、顔を伏せてぶつぶつ言っていたシルフィが――。
「気を揉むだけ無駄だぞ、メル・ライルート」
なんかニヒルな感じの笑みで割りこんできた!?
「以前言ったろう? 『神と妖精は使い倒すのが正しいやり方だ』とな。御大層に祭られていても、性根は俗人と大差ない。ならばあえて『利用されて』やり、こちらも『利用して』やるのが最善の関係だよ」
俺がその名を告げるまでもなく、ペリちゃんが忌々しげにつぶやいた。
「アース・ドラゴ……」
「久しいな、ペリアナ・セルピア。オレのときは我慢したようだが、とうとう尻に火が点いて現界したか」
「神の名を気安く呼ばないでっ」
「ふっ、相変わらず下らぬことに固執しているな。『神は天におわして仰ぎ奉るもの』。信仰を糧とする貴様らにしてみれば、御名が普及すれば神を身近に感じ、信仰が揺らいで神力が衰えると考えているようだが……」
シルフィの姿で肩をすくめるアース・ドラゴさん。
「滑稽だな。名を呼ぶだけで神力が衰えるならば、世界中の者たちに悪竜の名を連呼させればいい」
へえ、そんな理由で名前を呼ばれるのを嫌がってたのか。
ペリちゃんはぐぬぬと悔しそう。図星を突かれたらしい。
ここで「あっはっは」と高笑いしたのはウーたんだ。
「余でさえ気を遣ったというのに、そちは相も変わらず尊大であるな」
「冗談はよせ、妖精王。オマエはべつのいじりどころで神をからかえればいいだけだろうに」
「それな☆」
やれやれ、とため息をつくアース・ドラゴさん。ペリちゃんには余裕の態度だけど、ウーたんはちょっと苦手っぽい。
「で? あんた何しに現れたのよ? 私に文句でもあるっていうの?」
「オマエなんぞに用はない」
「なっ!?」
すげー。さすがの俺でもあれほどバッサリとはできないぞ。
「オレはこの娘に乞われ、当代の勇者に話があってきた」
「俺に、ですか?」
アース・ドラゴさんは「うむ」とうなずく。
「といっても、オマエに助言するほどのことは、さしてない」
ただ、と数秒黙してから、
「単刀直入に訊く。メル・ライルート、オマエは悪竜を倒せるか?」
真っすぐシルフィの顔で見つめられると、嘘は答えられない。
「はあ、まあ、たぶん……」
にやりと口の端を持ち上げるのはやめていただきたいっ。シルフィはそんなことしないので。
「聞いてのとおりだ、大地母神。当代の勇者に勝算があるのだから、オマエは黙って利用されていろ」
「ちょ、なにを根拠に!? メル、本当に悪竜を倒せるの? どうやって?」
俺の肩をつかんで揺さぶるペリちゃん必死すぎ。
「まさか貴方、神を読み〝盗〟ろうなんて考えてないでしょうね!」
「最悪は、それかなあ……?」
人に倒せないなら、倒せる誰かを読み盗ればいいかなって。
「無茶言わないでよ、本当に、もう…………って、『最悪』? 他にも手はあるの?」
「たぶん」
「具体的にはっ!? どうやって倒すのよ!」
がっくんがっくん体を揺すらないでほしい。さっきペリちゃんを読み取ろうとしてけっこうダメージがあるのです。
「これから探します」
ぴたりとペリちゃんの手が止まる。
はあ~、と盛大にため息をついた。
「根拠も何もない状態で、どうして『黙って利用されろ』っていうのよ……」
ですよねー、と俺自身も共感してしまったのだが。
「愚か者っ!」
マジびっくりした。シルフィは怒鳴ったりしないんだからねっ。
しかしまあ、神様を『愚か者』呼ばわりとかマジパネエっす。
ペリちゃんも飛び上がって驚いている。
「オマエはその少年に〝神の眼〟を与えた張本人だろうに。まだわからないのか」
〝神の眼〟をもらった張本人もわかっていないですぜ、旦那。
「〝神眼〟はあらゆるモノを読み取る。際限なく、だ。メル・ライルートが疑問に思ったその瞬間、回答を含めて関連情報が頭の中に流れこんでくる。その場で理解できなくとも、彼は必ず『解』に触れているのだ」
あー、その感覚はあるな。
だから『なんとなく』、俺は『できる』と思うんだろう。
「悪竜を倒す方法は、世界には必ず存在する。そう深層意識で確信しているからこそ、『たぶん』と曖昧ではあっても『可能』と判断したのだよ。あとは実際に『解』を見つければいい。それだけのことだ」
ぽかーんとするペリちゃんに、アース・ドラゴさんは容赦なく追い討ちをかける。
「本来であれば人を導くべき神が、妄執に囚われ、最善策を模索する道を端から塞ぐとはな。愚かしいにもほどがある」
ペリちゃんはぐぬぬ――ではなく、スカートをつかんできゅっと唇を引き結んだ。暗く目を伏せている。
「あのー、もうそのへんで勘弁してさしあげてはどうでしょうか?」
さすがに可哀そうになってきた。というか、シルフィが年上のお姉さんを叱ってる絵面にはもう耐えられない。
「大地母神様も、今までずっと一人で頑張ってきてくれたんですし」
かつて俺たちが住む世界には、多くの神々が闊歩していた。
最高神が地に堕ち、暴れ始めると、彼らは次々に地上から姿を消す。
悪竜をどうにかしようとした神も一人消え、二人消え。
それでも最後まで残って、今なお一人で俺たちに協力してくれている。
ペリちゃんが驚いた顔で俺を見る。
はにかんだ笑顔で返した。
するとペリちゃん、目をウルウルさせてしまったぞ?
「泣いてないっ、泣いてないん、だから……」
誰も指摘してないのに、ぐしぐしと目をこするペリちゃん。
うん、頑張ってたのは本当だったな。
「その甘さ……生前のオレなら苦言の二つ三つ投げるところだが、それこそオマエの力なのだろうな」
アース・ドラゴさんはふっと肩の力を抜く。
「老兵はもはや必要あるまい。では、オレは行くとしよう」
「なんだ、もう帰るのか? ゆっくりしてもよいのだぞ?」とウーたん。
「恨み言のひとつも覚悟していたが、やはり妖精王はお調子者のままだったな」
「はっはっは。そちに体があれば、解体してやっておるところであったわ。命拾いしたな。もう死んでるけど☆」
アース・ドラゴさんは苦笑して、
「では、さらばだ。地獄で悪竜が落ちてくるのをのんびり待つとしよう」
シルフィが「ほえ」と気の抜けた顔になる。慣れない表情を続けたせいか、むにむにとほっぺとかを揉んでいた。
と、いうわけで。
「むきゅう~……」
「メルくーんっ!?」
俺は体力の限界を迎え、その場にぱたりと倒れましたとさ――。
ところで。
悪竜が『人の身では倒せない存在』だと明るみになったの受け、ひとつの疑問が浮かんだ。
悪竜が今まで余裕ぶっこいてたのは、人である俺には絶対に倒されない自信があったからかな?――というのとは逆。
倒す方法が世界のどこかにあるなら、それを潰そうとしないのはなぜなのか?
のん気に絶望集めをしないで、そっちをどうにかしないか?と思うのは変じゃないはずだ。
夢の中でそんなことを考えている間に、現実は急展開を迎えていた。
アケディアが、彼女の〝姉妹〟たちを襲い始めたのだ――。