47◆悪竜の刺客たち
メルたちが『ドラゴンキラー』を入手する数日前。
夜半に男が、自室で微睡んでいた。
空になった盃をテーブルに転がし、うつらうつらと頭を揺らす。
彼は占星術師である。が、固有スキル『星読み』のランクはCとパッとしない。それでも小国にとっては貴重な人材なので、王宮付きとして召し抱えられていた。
その年の気象をざっくり読んだり、国王や貴族の運勢を大雑把に占ったりが主な仕事だ。わりと適当なことを言っても許される、楽な仕事だった。
ただこのところは、亜人周りのゴタゴタで占いの要望が多く、比較的忙しく立ち回っている。
それでも酒をお供に夜更かしする余裕はあった。
がくんとテーブルに頭をぶつけそうになり、ハッと意識を戻す。
深酒が過ぎただろうか。
男は一度大きく伸びをして、窓へ目をやった。
そよ風が心地よい。開いた窓の向こうには、月の下半分が雲に隠れていた。
(ん? あれ……?)
男は、うすら寒い感覚に襲われた。
自分は、いつ窓を開けただろうか?
(いや、俺は窓なんか開けてない。じゃあ、どうして……?)
この部屋にはカギがかけられている。家人や使用人も入れないはずだ。
怖気が背に伝う。
男は半ば無意識に、首を後ろへと回した。
気配を感じたわけではない。
ただ得も言われぬ不安から、周囲に『何も異常はない』と確認して安心したかっただけだ。けれど――。
「ひっ!?」
男は驚きの声を上げ、転げるように横へ飛んだ。椅子が弾かれ、がたんと倒れる。
それでも微動だにしない、女がいた。
白い聖職服を着て、顔だけが出るような奇妙な形のフードを被っている。身長は女性にしては高い。ゆったりした服装でもはっきりわかるほど、ふくよかな胸元。
その美貌に一瞬見惚れた男はしかし、あまりに病的な肌の白さに恐怖した。
女は目を閉じ、まっすぐ正面――そちらには壁しかない――に顔を向けている。息をしているのかも怪しいほど、まったく動きがなかった。
まるで精巧に作られた等身大の人形だ。あるいは、まさか……。
「立ったまま寝てるなんてことは……」
「寝ていませんよ?」
「ひっ!?」
男は尻餅をついた姿勢で後じさる。
「お、お前……どこから……?」
「どこから? 招かれざる客を前にしての質問としては、いささか的が外れているように思います。ここは誰何なされるか、用件を問う場面ではありませんか? それとも、わたくしの感覚がずれているのでしょうか?」
耳に心地よい、涼やかな声。しかしまったく感情が乗っていなかった。加えて、いまだに顔は壁へ向けられたまま。
男は高鳴る心臓を握るように胸を押さえ、ゆっくりと立ち上がった。
女が危害を加えるつもりなら、すでに実行しているはず。それがないなら、今は大丈夫だと自身に言い聞かせる。
誰何も用件を問うのも、指摘されて実行するのは腹立たしい。
それに、どうやって施錠された部屋に侵入できたのか、やはり気になった。女を警戒しつつ、窓へ目をやる。どう考えても、あそこからしかないはずだが……。
「そちらから立ち入ったのではありません。ただ、窓はわたくしが開けました。お酒を召し上がって、いくぶん火照っていらっしゃったようですので、気を利かせたつもりでしたが……差し出がましいマネでしたでしょうか?」
「……いや、助かったよ。おかげで酔いが醒めちまった」
「そうですか」
しばらく待っても、そこから会話は続かなかった。
忌々しく睨みつつ、男は尋ねる。
「それで? お前は誰で、俺になんの用だ?」
「わたくしはアワリチア。詳しくはお話しできませんが、そうですね、『神の御使い』と、お考えいただければ」
「神の、御使いだと……?」
「はい。貴方に、神託を授けにまいりました」
ふざけているとしか思えない発言なのに、どこか信じてしまいそうな自分がいた。
「神託ってのは……?」
「はい。近く、〝混沌〟の竜が目覚めます。『悪竜』と言えば、おわかりになるでしょうか?」
「悪竜……何百年も前に、勇者が封じたっていう、アレか?」
「はい。そのため現世にも勇者が現れました。しかし今のままでは、勇者は悪竜に勝てるかわかりません。そこで、この国にある聖剣を探し出し、勇者に献上すべしと神のお言葉を賜りました」
こんな小国に、勇者にふさわしい剣などあっただろうかと男は首をひねる。
「大空洞を根城とする、リザードマンに伝わる大剣です。『ドラゴンキラー』と呼ばれています」
そういえば、と男は思い出す。
リザードマンが当代一の戦士に授ける種族の宝が、大きな剣だと聞いたことがあった。
たしかに彼らはその剣を、『アース・ドラゴ以前に悪竜を封じた勇者が使っていた由緒正しい宝剣』などと吹聴していた。
が、田舎部族のたわ言を、連中以外で信じている者はいない。だから今まで放置されてきたのだ。
(だが……、なん、だ……?)
この女は、嘘を言っていない。そんな確信めいた予感に襲われた。
「さあ、この神託を国王に届けてください。今、すぐに」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いきなり国王様にお伝えするのは……というか、なんで俺なんだ? 見返りが欲しけりゃ、直接国王様へ言えばいいじゃないか」
素朴な疑問を口にしただけだったが、アワリチアは初めて感情を――哀しみを含んだような声で返す。
「見返り……? いいえ。わたくしは何も欲しません。なんの望みも持ち合わせていないのです。ただ、〝我〟の導きなれば」
(……『我』?の、導き? こいつ、何を言って……あ、そうかっ)
つかみどころのない女だが、その動機にようやく気づく。
「お前、トカゲ連中に恨みでもあるんだろ? 悪竜の復活だのって眉唾話で宝を奪おうとすれば、戦は免れない。要するにお前、連中を滅ぼしてほしいんだな?」
アワリチアが押し黙る。
図星だったかと、男がほくそ笑んだ、直後。
「眉唾、ですか……」
「あ? そこに反応すんのかよ」
「わたくしの言葉は、貴方には届いていないのですね。とても、とても残念です。力不足を痛感します。この身は生まれたてではありますが、かといって未熟さの言い訳にはできません。そこでわたくし、考えました。きっと、こうすれば、貴方は信じてくださると」
女が初めて動いた。
右手がすうっと持ち上がる。そして、男を招くように差し出された。
上に向けられた手のひらから、黒い何かがにじみ出る。
「さあ、ご覧ください」
「な、何を……何をしてんだっ、お前ぇ――っ!?」
男の叫びは、禍々しき黒い霧に遮られた。
アワリチアの手のひらからあふれ出た黒霧を、男は全身に浴びる。立ったままがくがくと痙攣した。
目の前が、真っ赤に染まる。
赤い炎が燃え盛り、黒煙が天を覆っていた。潰され、炭になり、霧散する人々。まるで地獄のような光景が、男の目に映っていた。
「今ご覧になっているのは、過去の真実。いずれ訪れる未来です。悪竜が復活すれば、遠からず現実となりましょう」
「ご、ぁ、がぁ……。ぐ、ぐるじい、だ、だずげで……」
「ああ、苦しいのですね。辛いのですね。わかります。本当によくわかります。ですからどうか、どうかっ。早く国王に神託をお伝えください」
男は充血した目をぎょろりと動かし、扉へと走った。カギを開けるのがもどかしい。乱暴に扉を開くと、涎をまき散らしながら全速力で王宮へと向かう。
『伝えろ』と、アワリチアは言った。伝えればきっと、この苦しみから逃れられる。そんな根拠のまるでない思いつきに縋って、男は王宮の門をくぐったのだ。
夜中に王を呼び出す無礼。打ち首になりかねない暴挙。
しかし苦しみもがいて必死な男に、王宮の誰もが、王までもただ事ではないと恐れおののく。
男は神託を王に伝えてのち、
「言った、言ったのに……なんでぇ!!」
王に神託を伝えれば助かると、信じていたのに裏切られた。男は絶望の中で、泡を吹いて絶命する。
尋常でない事態に、王はあっさりと神託の内容を信じてしまった。翌日には、リザードマンに『剣を渡せ』と恫喝の手紙を送るに至るのだ――。
アワリチアは明け方近くまで、男の部屋で佇んでいた。
寝ているのではない。
「美味、でした」
体の芯を通り抜けていく、『絶望』の感覚に酔いしれていた。
狙ってやったのではないが、男が勝手に勘違いして、勝手に深い絶望にはまってくれた。自分はただ、瘴気を浴びて死へのカウントダウンが始まった男に、死ぬ前に国王へ神託を伝えてほしいと思っただけだった。
今回の経験は、これからに生かせそうだとアワリチアは喜ぶ。
もっとも、今回の目的はあくまで、小国内で『絶望』を採取することだ。
男が言ったように、『ドラゴンキラー』の争奪戦が始まれば、また小さな『絶望』が味わえる。リザードマンが滅ぶまでに至れば、もっと。
やがてアワリチアは足音もさせず、室内を物色した。
引き出しから羽ペンを取り出すと、虚空に何かを綴り始める。
勇者メル・ライルートは遠くの出来事を知る術を持っている。『ドラゴンキラー』の騒動を知れば、事情を探ろうとするだろう。
だから、この場に記された情報を改竄しているのだ。
占星術師の男と話したのは、『ローブを着た小柄な男』。他にも会話の細かい内容を削除し、神託を授け、黒い霧を浴びせたとだけを残した。
もっとも、ただの時間稼ぎではある。
メルがその気になって深く情報を漁れば、改竄している行為そのものを知ってしまうだろう。
しかし、若く経験の少ない彼女には、これで万全と思えた。
情報の改竄を終えると、アワリチアは〝境界〟へと身を滑らせる。傍からは、床に吸いこまれているように見えるだろう。
生まれて初めての仕事を終え、ほっと息をついた彼女ではあったが。
間もなく、目論見が崩れたと思い知る――。
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数日後、岩場に佇む、聖職者然とした女性。
アワリチアは落胆していた。
「なかなかうまくはいかないものだね」
横からの声にも、アワリチアは見向きもしない。相変わらず目を閉じて、正面に顔を向けていた。
「まさかこのタイミングで勇者本人が現れて、戦いを収めてしまうなんてね」
「ルクスリア、わたくしは何か、間違ってしまったのでしょうか?」
「いや、アワリチアは悪くないよ。オレたちの運が悪かったのか、彼が強運すぎたのか……とにかく、『運』という不確定要素のせいにしておこう」
ぽんとアワリチアの肩に手を置いたのは、パンツルックの人物だ。貴族に使える若い執事を思わせる。
名をルクスリア。
ショートカットの黒髪をもう一方の手でかき上げ、色白で整った容貌に笑みを乗せた。一見すると大層なイケメンだが、男装した女性である。
「難しい、ものですね」
「ま、オレたちは生まれて間もない。何事も経験と割り切って、次に生かそう」
「そう、ですね」
表情には出ないが、アワリチアは心の中で気合を入れた。
ルクスリアはにこやかに微笑む。が、すぐに表情を硬くした。
「それにしても、勇者の彼はなかなかの難敵だね。今のオレたちでは足元にも及ばない。彼から直接『絶望』を採取するのは骨が折れそうだ」
やれやれと肩をすくめてのち、心配そうに眉尻を下げた。
「アケディアは大丈夫かな? 勇者の不在を狙って、彼の仲間に接触する予定だったけど」
「彼女は、唯一勇者と直接戦った経験があります。本体からのフォローも受けていますから、もっとも信頼できると言えるのでは?」
「まあね。完全に本体から切り離されたオレたちに比べれば、質が数段上だ。とはいえ、そのときの傷が今なお癒えないから、本体のフォローでどうにか自我を保てている。オレたち7人の中ではもっとも不安定でもあるよ」
「そう、でしたね。わたくしたち〝姉妹〟の意識共有ネットワークからも外れていますから、状況もわかりませんし」
「ま、成功するにしろ失敗するにしろ、彼女がもたらす情報はオレたちの糧になる。気長に待つとしよう」
「ええ」
話を終え、二人は〝境界〟へと沈んでいく。
彼女たちが本体と呼ぶのは、悪竜ファブス・レクス。
そして彼女らは、自我を得たその体の一部。七本の尾が変じた、人を模した神の分身たちだった。
そして、その分身のひとつが、メルの仲間へと迫っていた――。
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フィリアニス王国の都からすこし離れた森の奥。
開けた場所に、キングトロールの棲む洞窟があった。
入り口の前では、キングトロールが日向ぼっこをしている。
その足元で、二人の少女が膝を抱えてぼんやりしていた。彼女たちは勇者の旅に同行を許されず、しょんぼりしているのだ。
と、そこへ。
「認定。虎人族、クララ・クー。エルフ族、リーゼロッテ・キウェル。我、感情を押し殺して接触を試みる」
抑揚のない声が二人の耳に届く。告げられた名前はまぎれもなく、自分たちのものだった。
そろって声の出どころに目を向ける。
女がいた。
身長はそれほど高くない。褐色の肌をして、頬や体の随所に黒い炎を表現したような模様が描かれていた。それが見て取れるほど、露出の多い服。どこかの民族衣装のように思えた。
女は長い黒髪を三つ編みにし、歩くたびに毛先が左右に揺れている。
二人の前に立ち止まるや、無表情に赤い瞳を向けてきた。
が、何を言うでもなく、黙って見下ろしている。
たまらずクララが尋ねた。
「あの、どちらさまです?」
しばらく間を置いて、女は答える。
「我はアケディア。この身の詳細については、多くを語れない」
またもだんまりになるアケディアと名乗った女。
仕方なく、リザが応じた。
「じゃあ、言える範囲でお願い。あんた、何者なの?」
アケディアはしばらく黙ってから、ようやく口を開いたかと思うと、意味不明なことを言った。
「情報開示は条件付きで承認。我が何者であるかは、抽象的な表現で伝える」
「うにゃ?」
「は?」
小難しい言い回しに首をひねる二人に、アケディアは構わず告げた。
――我は、諸君らに『希望』を与える者である。
クララとリザは、やっぱりわけがわからず首をひねるのだった――。