42◆決意、再び
エルフの国、フィリアニス王国の王宮中庭。
芝生の上でのんびりしようと、シルフィと二人でやってきた。
先に腰を下ろしたシルフィは、ぽんぽんと自分の膝をたたく。
膝枕ですかそうですか。
きょろきょろと周りに人がいないのを確認し、俺はおっかなびっくりで寝っ転がった。
「てか、お前のほうが疲れてるんじゃないのか? さっきまでペリちゃんを降ろしてたんだし」
「そんなでもない。もう慣れたよ」
柔らかな笑みをたたえる少女の姿は、はっきり言って本物より大地母神と呼ぶにふさわしい。いやホントマジでっ。
「会話は聞こえてたか?」
「うん。大地母神様のお考えも、メルくんの決意も、ぜんぶ。それを踏まえて、わたし……わたしはね――」
シルフィの表情が陰る。
言いにくそうに、心底申し訳なさそうに、彼女は言った。
「悪竜を倒すのは、無謀だと思う……」
二時間ほど前のことだ。
妖精の国でデリノの襲撃を跳ね返し、悪竜に宣戦布告した翌日。
エルフの国へと戻った俺たちは、今後の方針を話し合うため王宮の間に集まった。
草を編んで敷き詰めた床。靴を脱いで、俺は部屋の真ん中、上座の正面に胡坐をかく。
俺の後ろには関係者各位――俺の仲間たちが座っている。
リザはエルフ側所属となっていて、左右に居並ぶ重鎮たちの末席にちょこんと、居心地悪そうにしていた。
一段高くなった上座の手前、俺の斜め前には、シルフィのお母さんであり、女王であるエレオノーラさんが、こちら向きに正座している。
そして、女王様を差し置いて上座に鎮座するのは、シルフィだ。
凛とした雰囲気は、普段の彼女とかけ離れている。
それもそのはず。
「では敬虔な信徒諸氏よ。我、大地母神ペリアナ・セルピアより神託を遣わす」
今シルフィの体には、大地母神ペリちゃんが憑依しているのだ。
この場にいる全員が、一部を除き一斉に頭を下げた。
俺とクララがとても遅れてみんなのまねをする。
「う、うむ。みな、面を上げなさい」
言われて顔を上げると、なんかジト目で睨まれていた。
「こほん。神託と言っても、今回は当代の勇者を交えた話し合いである。それゆえ我自らが意識を降ろした。というわけで、みな楽にしていいわ。ここからは、多少の無礼も目をつむるから」
またもジト目が飛んでくる。
俺への気遣い感謝です。お偉いさんへの正しい接し方って知らないのよね。
でも俺は知っている。読み取るまでもなく、ペリちゃん自身が『仰々しい言葉遣いをするのが苦手』だからだ。
「さて、話し合いの目的はひとつ。悪竜にどう対処するか、その一点よ」
居並ぶ方々が息を呑む。
ペリちゃんは静かに、それでいて決意を瞳に宿して告げた。
「結論から言うわ。悪竜は、今回も封じます」
ざわめきが生まれた。
すぐさまエレオノーラさんが窘める。
「静粛に。思うところはさまざまあるでしょうけれど、まずは大地母神様のお考えを傾聴しましょう」
目礼にうなずきを返したペリちゃんは、こほんと咳払いして話し始めた。
「勇者アース・ドラゴが悪竜を封じておよそ300年。討伐はもちろん、封印も困難と思われた中では奇跡と言ってよいでしょう。この長い時間は、我らに『完全封印』の可能性をもたらしたわ」
再びのざわめき。
エレオノーラさんがみなを手で制すのを待って、ペリちゃんは続ける。
「特に、試験的に行った妖精王の力を活用しての封印補強策は、絶大な効果を示している。彼女には気の毒ではあったけれどね」
お試しで300年も自由を奪われるとかウーたんも哀れだな。
というか、かなり怒ってよさそうだけど、あんま気にしてないっぽいのがすごいというか。
「我らはこの策を発展させ、理論上は悪竜を永久に封印する方策を編み出したわ。今回は、それを実践します」
おおっ、と期待に満ちたどよめきが起こる。
永久に封印できるのなら、それは打倒と同義。みんな、そう考えているのだろう。
でも、俺はどうにも背中がむずむずする。
ウーたんを利用しての封印強化。それを元に考案された新たな封印方法ということは……。
「それって、誰かを犠牲にするってことですか?」
思わず口に出た俺の言葉に、ペリちゃんは――。
「犠牲、と呼ぶのは適切ではないわね。現在この世界に存在しない者が、悪竜とともに永遠を過ごすいうだけの話よ」
「現在、この世界に存在しない者……?」
ペリちゃんは小さくうなずいて、
「大地母神が、封印の鍵となりましょう」
しんと、辺りが静まり返った。
「そのためにもまず、わたしが現界する必要があるわ。さすがにシルフィーナの体を利用するわけにはいかないもの。神が現界するにあたってはあなたたちにいろいろ準備を手伝ってもらうことになるから、その辺もよろしくね。あと、封印に特化したかたちでの現界になるから、戦闘力は期待しな――」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよっ」
「何かしら?」
「本当に、それでいいんですか? どうしてペリちゃんが……」
愛称で呼んでしまったのでじろりと睨まれたけど、ペリちゃんはそこに言及せず、諭すように語る。
「神とは〝外に在りて見守るもの〟。天からであろうと、悪竜とともに地の底にいようと、場所は問わないわよ」
神様の在り方なんて俺にはわからない。
だからペリちゃんがしれっと言うなら、大した違いはないのかもしれない。
「でも、倒しちゃえばいいんですよね? 悪竜を」
それで万事解決。少なくとも、あらかじめ決められた犠牲者はいなくなる。
「無理よ」
即答だった。
「我らに対策をするだけの時間が与えられていたように、悪竜もこの300年間、何もしていなかったわけじゃないわ。日々少しずつ、着実に絶望を喰らい、力を蓄えていたのよ。はっきり言って、もう我らの手には余る。いえ、打倒は不可能なの」
「でも――」
「無理を通して失敗したら何も残らないの。神がいいと言っているのだから、文句言わないのっ」
ここで反論してもペリちゃんは考えを曲げはしないだろう。
俺は以降、ひと言も口を挟まずに、話し合いを傍観するのだった――。
シルフィの膝に頭を乗っけ、流れる雲を眺めていた。
話し合いが終わったあと、いろんな人に聞いたけど、やっぱり悪竜は打倒ではなく封印するのがよいとの意見ばかりだった。
信仰の対象を失うことになりかねないとしても、その神様自身が決めたことだから、と。
釈然としない。
納得がいかない。
もっとこう、スマートなやり方があると思うんだけどなあ……。
「メルくん、むつかしい顔してる」
「むぅ……」
「みんな、大地母神さまの意見に賛成だから? わたしも、そうだし……」
「まあ、わかってはいるんだ。ペリちゃんのやり方が今は最良なんだって」
「今は……?」
「そう。今は。だから納得できないっていうか、もっと考えようよってさ」
シルフィはふむと顎に手を添えて、何やら黙考してから。
「もしかしたら、あの人はメルくんに賛成かも」
言って、俺が腰に差した剣に指で触れた。
「おい、ちょっと待った。まさか――」
俺が止めるのも聞かず、シルフィは早口に何事か口ずさみ――。
「降りたまえ、勇者アース・ドラゴっ」
跳ね起きたが間に合わず、シルフィの端正な顔にニヒルな笑みが浮かんだ。
「ふむ、これほど自我が明確な〝口寄せ〟とは驚きだ。固有スキルを持たずにコレか。この娘、末恐ろしいな」
なんてことだっ。一番憑依してほしくない人がシルフィに入ってしまったぞ!
「ほう。少年、ソレを抜いたのか。つまり当代の勇者というわけだな」
「ん? 俺を知らないんですか? 前に会ってますよ?」
首をかしげる(シルフィの姿をした)アース・ドラゴさんに、『勇者の剣』を抜いたときの話をした。
「……なるほどな。ならば答えはすでに知れている。そのときのオレは剣の〝記録〟が具現化した奇跡であって、肉体から離れた今のオレこそがオリジナルだよ」
本質は変わらないがね、とシルフィの姿で肩をすくめるのはやめていただきたいっ。
「さて、では本題だ。オレを降ろした目的はなんだ?」
状況がさっぱり飲みこめていない元勇者様に、これこれこうですと丁寧に説明する。
「――というわけで、俺は悪竜を倒したほうがいいと思うんですよ」
「倒せる自信はあるのか? 根拠は?」
「えっ、いや、なんとなく、ですけど……」
ぶっちゃけ、やってみなくちゃわからない。
でもそれって、封印するのも同じなんだよね。
「なんとなく、か。大した根拠だな。いや、皮肉で言っているのではないぞ? 〝神の眼〟を持つオマエがそう確信したのなら、これ以上の理由は必要ないさ」
いや、『確信』にまでは至っていないのですが……。
「状況を伝え聞いているだけだが、オレなりの確信もある。あの女神が安全策に固執するときは、その逆を張るとたいていうまくいく。賭けるならそっちだ」
あー、ちょっと心当たりあるかも。
「冗談はさておき」
冗談かよっ!
「神という連中は、どうにも『人』を過小評価するきらいがある。信仰を糧とする連中にとっては致し方ないことだがね。神以外が〝神の眼〟を得たらどれほどの力を発揮するか、実感が伴わないのも無理はない」
「えっと、つまり……?」
「かつて複数の勇者が協力して悪竜に挑んだこともある。が、結果は知っての通りだ。勇者の力を持つ者が複数いても、単純な足し算にはならない。虎を狩るには、狼が数匹では足りないのと同じだ」
だが、と。
アース・ドラゴさんは(シルフィの顔のまま)鋭い視線を俺に突き刺した。
「オマエは違う。オマエが勇者の力を二人分得られるなら、300年かけて力を蓄えた悪竜を打倒することも可能だ」
ふむ。俺自身が勇者並みに力をつけて、その上で勇者の力を〝神眼〟で読み盗って上乗せする、というやつだな。
「てことは、俺が一人でがんばらなきゃダメなのか。いちおう、勇者並みに強くなれそうな人が一人、いるんですけど」
俺がマリーの話をすると、アース・ドラゴさんはにっと笑った。シルフィの顔でもうやめて……。
「『天眼』に『狂化』か、面白い。注意を引く以上の働きはできるだろう。あとは現界した大地母神と、ついでに妖精王をだまくらかして利用してやれ。ともに戦闘力は期待できないが、使い方次第では数秒動きを止められる」
なんとなく感じていたけど今確信した。
「この人、思考が悪人のそれだっ!」と、つい口に出ちゃった。
「オレのような弱者が正当な悪に抗うには必要なのでね。その意味では、絶対強者たる可能性を秘めたオマエはマネしなくていいのだが……神と妖精は使い倒すのが正しいやり方だ、とだけ言っておく」
心にとめておこう。
とりあえずシルフィに嫌われるようなことはしないぞ。
気合いを入れたところで、そろそろお開きにしよう。
「長々とお話してもらって、ありがとうございました」
「ああ、健闘を祈る。文字通り草葉の陰からな」
「あれ? 今回は『最後にひとつ忠告しておこう』とかはないんですか?」
「む、別のオレはそう言ったのか。我ながらお節介が過ぎるな。まあ、今は何もない」
「またお話を聞かせてもらってもいいですか?」
「構わんが……必要なときはもう来ないように思うぞ? オマエはすでに単体として完成されている。今回も、オレは背を軽く押した程度の助言しかしていないからな」
「俺が、完成……?」
「さすがに確証はないが、オマエ――」
アース・ドラゴさんは真剣な眼差しで、とんでもないことをおっしゃった。
「今すぐにでも悪竜に勝てるんじゃないか?」
えっ、そうなの?
さすがに俺も確証がなさ過ぎて自信がない。
「だからこそ、準備を万端にすることだ。必要だと思うことはなんでもやれ。それが勝利の確度を飛躍的に上げる」
アース・ドラゴさんはそう言って、『さらば』とも言わずにシルフィの体からいなくなった。
「……メルくん、もう悪竜より強いんだね」
「いやあ、どうだろう? 真に受けていいのかどうか……」
ま、それでも。
最弱と蔑まれてなお、300年も悪竜を封じることに成功した人の言葉だ。
「準備万端整えて、さくっと悪竜を退治してやりますかっ」
天高らかに宣言すると、シルフィも「うんっ」と気合十分に応じてくれたのだった――。