38◆木漏れ日の下の決意
悪の妖精デリノを待ち構えるべく、俺たちは妖精の国へと赴いた。
麗らかな陽射しに誘われて、お昼前にシルフィを連れて王宮の外へ繰り出した。
野原に立つ大樹の下に並んで腰かけ、つかの間の休息を満喫する。
『グロウダケの護符』を入手してから数日、今のところデリノが妖精の国へ入ったとの情報はない。その間、特訓に明け暮れるマリーの相手をしていたのだけど、今日はゆっくり過ごそうと考えていた。
シルフィと二人、のんびりゆっくりお昼を食べよう。
そう目論んでいたのだけど。
「また、お邪魔虫がいますね」
「なによ~。チップルがいちゃいけないの~」
小さな妖精はシルフィの銀髪を寝床にして気持ちよさげに言う。
ぶっちゃけてしまうと、妖精の国にいる限り、こいつはいなくてもいいと断言できる。デリノが侵入したらウーたんからすぐ連絡が入るし、走れば王宮へは瞬く間にたどり着けるからだ。
まあ、今やシルフィの付属品みたいになってるし、気にする必要もないかな。
だからチップルはよいとしても、だ。
「ふはぁ~。おてんとうさまの下は気持ちがいいですわね~」
黒ずくめの魔族さんはいつの間に現れたんでしょうかね?
ミリアリアは黒い大きなとんがり帽子をかぶったまま、器用に寝っ転がっている。
「朝早くから出かけてなかったっけ?」
「妖精の国なんて初めてですし、今までずっと塔に閉じこめられていましたし、そこらをお散歩していましたら、メル様をお見かけしたのですわ」
「だからこっそり後をつけてきた、と?」
「わたくしはメル様の従者なれば~」
ほにゃんと言われてもいい気はしない。
ミリアリアは俺より断然年上だ。ところが『自分はあくまで従者』と主張して譲らず、呼び捨てタメ口を俺に強制している。ある意味、年長者の権限をフル活用しているわけだ。
くうっという腹の虫の出どころはミリアリアだ。むくりと起き上がり、とんがり帽子の位置を直す。
「お腹が空きましたわね。お昼はまだですの?」
キラキラした瞳を、シルフィの傍らに置いた包みへと向けた。
「すこし早いけど、食べようか」とシルフィが陽だまりのような笑みで応じる。
「はいっ、ですわ」
遠慮のない人だなあ。
そんな感じで、早めの昼食になった。
俺は『勇者の剣』を抜き、鞘の特殊効果を発動させる。状況に応じて適切な防具に変化するものだ。
鞘は虹色の光を帯び、瞬時に別の物に成り変わる。
木製のローテーブルだ。丸太を縦に割って脚をつけた自然な造り。
はたしてこれを防具と呼んで良いものだろうか? まあ、盾代わりにはなるかな。脆弱だけど。
これまで鞘の特殊効果をいろいろ試してみたところ、今みたいに『これって防具?』的な物が多かったりと、なかなかフリーダムだ。柔軟性があるとも言える。
そして『何に変化するかはお楽しみ』なランダム要素はあるものの、俺がその状況で欲しいなあと感じる物が出現してくれる場合が多かった。
そうでなくても、『なるほどこれは使えるぜ!』と後で感心するような物だったり。
まあ、俺の素ステータスに影響されるため、むちゃくちゃ有用な物は出てこないけどね。
ローテーブルの上にお弁当を広げる。
色とりどりの料理を堪能しつつ、わいわいきゃっきゃとお話するうち。
「勇者様、あからさまに出歩いていてよろしいのですの?」
ミリアリアが今さらな指摘をする。さんざん食い散らかしておいて……。
「勇者様がこちらにいるとわかれば、悪の妖精デリノは警戒し、襲ってこなくなるのではありませんの? 妖精王を囮として待ち伏せるのでしたら、『メル様はここにいない』と思わせるのが得策だと考えますわ」
「大丈夫だよ。向こうは準備ができ次第、ここへ現れると思う」
「なぜ、そう言えますの?」
「だって、時間をかければかけるほど、俺たちは強くなっちゃうからね」
マリーとの特訓は、それを見せつける意図で続けている。
デリノに知る術があるかは知らない。あの妖精だけなら、妖精の国の現状を知る術はないかもしれなかった。
でも、たぶんあいつは知っている。だとすれば、必ずデリノには伝わっているはずだ。
俺のキメ顔を睨むように見ていたミリアリアが、ぷるぷると震え出したかと思うと。
「さすがは勇者様ですわっ!」
びっくりしたぁ。いきなり大声を出さないでほしい。
「そこまで深いお考えがありましたのね。そうとは知らず……。わたくし、恥じ入るばかりですわ」
「そんな大げさなもんじゃないよ」
「いえいえ、ご謙遜なさらずに。ですけれど、まだ心配は尽きませんわ」
ミリアリアは顎に手を添えて続ける。
「デリノはさぞ焦っていることでしょう。とはいえ、こちらが待ち構えていると知れば、万全の状態で挑んでくるとも考えられますわ」
「まあ、そうだろうね」
また『悪竜の瘴液』を使い、誰かを犠牲にして乗りこんでくるに違いない。
「もし……、もしですわよ?」
ミリアリアは不安そうに瞳を揺らして言った。
「同時に2人、現れたら?」
俺が読み盗れるのは、一度にひとつの対象だけ。『悪竜の瘴液』で過去の勇者と同等の力を得た者を、同時に2人相手するのはかなり厳しい。
「でも大丈夫」
「なにゆえ?ですの」
やれるもんなら、今までにもやっている。そうしなかったのには、ちゃんと理由があった。
「『悪竜の瘴液』を浴びると、精神も侵されて支配されちゃうんだよ。〝動くものを殺せ〟って単純な命令にね。そんなのが2人そろったら、同士討ちを始めるに決まってる」
もはや『同士』とも言えないけど。
「ま、だからって油断はしないよ。気はしっかり引き締めますです、はい」
俺がおどけて言うと、ミリアリアは表情を緩めるのだった。
お腹が満たされると、今度は眠気が襲ってきた。
ミリアリアは真っ先に横になり、ぐーすか寝ている。
俺とシルフィはしばらく遠くの雲を眺めていた。
特に何を話すでもなく、ただ二人してぼけーっとする。やがてチップルが、シルフィの頭の上ですやすや寝息を立て始める。
まぶたが重くなり、気を紛らわせようと横に目を向ける。
シルフィも半分まぶたが下りていて、でも必死に眠気と戦っているようだった。
「我慢しないで横になったら?」
「チップルを、起こしちゃう」
なるほど。お休み中の妖精に気兼ねしていたのか。
俺は優しくチップルを両の手のひらで包んで持ち上げた。
すかさずシルフィがハンカチを取り出して地面に広げたので、その上にそーっと妖精を横たえる。
「これでよし。んじゃ、俺らもちょっと寝っ転がろうか」
「うん」
ころんと仰向けに転がると、枝葉の隙間からキラキラと光が弾けていた。風に揺られるたびにかたちを変え、まぶしさに目を細めると、眠気も増していく。
そよ風に掻き消されてしまうほど儚いつぶやきが、横から聞こえてきた。
「デリノは、どうして悪竜の味方をするのかな……」
「妖精の考えることは、よくわかんないよな」
ただの悪戯心にしては、手が込んでいる。それは妖精王ウルタも言っていた。
「何か事情があるにしても、やってることは、とても許されないよ」
善悪の価値観が違う妖精を糾弾したところで、無駄かもしれない。
「だから、止めなくちゃ。これ以上、悪竜に手を貸すようなら……」
倒して、殺す。
価値観が違うというのなら、いっそ――。
「メルくん……」
そっと、手の上に小さな手のひらが乗った。じんわりと暖かい。殺伐とした思考が洗い流される。
「……うん。そうだね。できれば説得して、やめさせよう」
悪竜にもっとも近いところで加担しているデリノなら、俺たちが知り得ない奴の企みも知っているかもしれない。
打算はある。あるけれど――。
「俺は、悪竜なんかには、ぜったい負けない。あいつの思いどおりになんて、させるもんか」
「うん」
この翌日、ついにデリノは妖精の国へ姿を現すのだった――。