34◆楽をする努力
フィリアニス王国の王宮に戻ると、マリアンヌさんがいたではないか。
「お久しぶりです。メル・ライルートさん」
赤い髪を後ろでひとつに縛り、鎧ではなく旅装束のお姿でありつつも、大きな剣を背負っていた。
ひとまず積もる話もあるでしょうということで、女王様の計らいで別室に移動した。
草を編んだ敷物が一面に敷かれた部屋に、靴を脱いで入る。円形の足の短いテーブルを囲むようにして座った。
マリアンヌさんは大剣を外し、最後に膝をついてから、指先を床に付けて深々と頭を下げた。土下座に惚れ惚れする日が来ようとは、俺も驚きである。
「まずは、あのとき言えなかったお礼を。メル・ライルート様、貴方の尽力により、街の人たちは救われました。暴走した私を、よくぞ抑えてくださいましたこと、本当にありがとうございます」
「ああ、いや、結果的にそうなったってだけで、俺も必死だったのものですから……」
マリアンヌさんは上体を起こした。にっこりと微笑む。
「これ以上ない結果をもたらした。それが重要なのだと私は思います」
褒められ慣れていないので、この話はここまでにしてもらおう。
「というか、『様」付けされるとぞわぞわするので、メルでいいですよ」
「そ、それはいきなり、距離が近すぎると言いますか……」
そうかな? マリアンヌさんのが年上だし、それでいいと思うのだけど。
「で、では、『メルさん』と呼ばせていただきます」
「それもまたくすぐったいですけど、言いやすいならそれでいいです」
さて。
では本題に入るとするか。
「それで、マリアンヌさんはどうしてここへ?」
まさかお礼を言うためだけじゃないよね?
マリアンヌさんはテーブルへにじり寄り、居住まいを正す。
「私は、勇者メル・ライルートさんにグランデリア聖王国へお戻りいただくよう、国から命を受けて参りました」
「戻る……?」
「はい。『勇者の剣』は持ち出し自由とされていましたけれど、国家の宝であります。それを抜いた『勇者』もまた、聖王国が責任をもって丁重に保護すべきとされています」
かつての勇者、アース・ドラゴは聖王国の出身。その最後の地も聖王国の領内だから、聖王国が『勇者の剣』を管理したい気持ちはわからなくはないけど、あれはもう俺のものだからなあ。
「今、戻る気はありません」
俺がきっぱりと答えるも、マリアンヌさんは動じない。
「みなさんがお出かけの間に、エレオノーラ女王陛下より簡単に事情を伺いました。メルさんは今、悪竜を倒すための準備をなされているのだとか。詳しくは教えていただけませんでしたが、そのために『妖精の国』を訪れていらっしゃったのですね」
「ええ、まあ……」
「我らとしては、きたるべき悪竜との戦いまで、メルさんには聖王国領内で十分に研鑽してもらえるよう、不自由のない生活を保障させていただきます。必要なものも、そろえるつもりです」
「至れり尽くせりで、嬉しくはあるんですけど……」
「おっしゃりたいことはわかります。我らの力は勇者様に及びません。貴方でなければ成し得ないことのほうが多いでしょう。ですが、我らは出来得る限りの協力をさせていただきます。ですから――」
「あの」
「は、はいっ!」
前のめりになっていたマリアンヌさんを手で制す。
「俺は『今』、戻る気はないと言ったんです。将来的に戻らないとは言っていません」
マリアンヌさんのきれいな顔がキョトンとする。
「聖王国は俺の故郷ですから。でも、今はやることがあります。すくなくとも悪竜を倒すまでは、用事がない限りは帰らないと思います」
「そう、ですか……。では、その……」
マリアンヌさんがモジモジと挙動不審になった。何か言いにくそうだけど、その考えを読み取るのは失礼だろう。
するとここで、シルフィがずびしっと手を挙げて言った。
「ねえ、メルくん。マリアンヌさんには、しばらくここにいてもらったらどうかな?」
いきなり何を言ってるんだろう、この子は。
「よろしいのですかっ!?」
そしてマリアンヌさんの食いつきすごいなっ!?
「聖王国が心配してるのは、メルくんが他の国の兵士になって、敵対しちゃうことだと思う。だからマリアンヌさんが一緒にいたら、あっちの人たちも安心するんじゃないかな?」
「はいっ。国にはすぐに手紙をしたため、監視の名目で許可をいただきますっ」
「名目て……」
他に目的があるような物言いだな。
「だ、ダメでしょうか? 雑用でもなんでもお言いつけください。もちろん食い扶持は自分で稼ぎますっ」
「いや、そこまでしてもらわなくても……」
「お願いしますっ」
テーブルに額をくっつけて懇願されては断れない。
「マリアンヌさんがいいなら、俺は構いませんよ」
「本当ですかっ!? ありがとうございますっ。精いっぱい、務めさせていただきますっ」
嬉しそうに蕩けた顔をするマリアンヌさんを、忌々しく眺めるのはチップルだった。
「ちょっとちょっとー。シルフィはそれでいいワケー?」
最近定位置となったシルフィの頭の上で、チップルはぷんすかしている。
「? なんで? それが一番いいと思う」
「だってだってー、こんな美人さんが側にいたら、メルを取られちゃうかもよー?」
「? メルくんは物じゃないよ?」
「まったくもー、これだからお子様は困るのよねー。いいわ。このチップルさまが、恋のなんたるかを教えてあげるー」
「そこまでにしておけよチップル」
この妖精がかかわるといろいろ面倒なのよね。色恋沙汰方面には行かせないぞっ。
というか、チップルは『そこにいる』との確信をもっていなければ、目視できない。だから何もないところに話しかけている俺たちがとても残念に映ってしまうのも問題だ。
そもそも、何もないところから話し声が聞こえて、マリアンヌさんは不思議に感じてはいないだろうか?と、彼女を見やれば。
「………………」
目を細め、シルフィの頭の上をじいっと見つめていたかと思うと。
「……よ、妖精?」
おお、どうやら認識したらしい。
「へー、もうチップルが見えるようになったんだ。すごいじゃない。もしかして、前に別の妖精と会ったことあるのー?」
「えっ? ええ、先日、デリノという名の妖精に――」
「デリノっ!?」
俺が突然大きな声を出したからか、マリアンヌさんは飛び上がらんほどに驚いた。
けどまあ、驚きは俺たちのほうが大きい。
「いったいどこで!? どんな話をしたんですかっ!」
俺がテーブルを飛び越えんばかりに迫ると、
「ぇ、あの、ええと……ち、近いです……」
マリアンヌさんは真っ赤になって顔をそむけてしまった。怖がらせてしまったか。
反省しつつ、マリアンヌさんからデリノと会ったときの状況を教えてもらう。
「その瓶の中に入っていたのは、『悪竜の瘴液』で間違いないだろうなあ」
やっぱりデリノが配っていたのか。
俺は簡単に『悪竜の瘴液』の効果と、呪いについて説明した。
さっと顔を青くするマリアンヌさんに、俺は確信をもって尋ねる。
「でも、貴女は受け取らなかったんですよね?」
「はい。正直に言って、ぐらつきはしました。けれど、あまりに楽をして手にした力では、きっと貴方の役には立たないだろうと……」
「俺の?」
「あ、いえっ。と、とにかく、その妖精は私に興味を失くしたようで、それから現れてはいません」
マリアンヌさんはわたわたとそんなことを言う。
「しかし、甘い話にはやはり落とし穴があるのですね。あの妖精の誘いに乗らなくて本当によかったです」
「結果的にはそうですけど、べつに楽して強くなってもいいじゃないですか。そこは柔軟にいきましょう」
「えっ、ですが……」
「なんて言えばいいのかな? 『楽をする努力』? 俺もそんな感じでここまで来たので」
これから一緒に行動するのなら、隠しても仕方がない。むしろ隠すほうが失礼にあたる。
というわけで、俺は自分が授かった固有スキルの話をした。
「ランク、EX……? 他者の能力を、読み盗るだなんて……」
「いちおう考えを読み取るのは自重しますけど、気持ち悪いなら、やっぱり一緒にはいないほうが――」
「いえっ! そこはお構いなくっ。あ、できれば自重していただきたくはあるのですけれど……その、恥ずかしいことを考えていることが、ありますので……」
「まあ、心を細かく読めるわけじゃないですから」
「は、はい……」
なんか微妙な空気になってしまった。というか、話がズレちゃったな。
「そんなわけで、せっかく与えられた便利スキルは最大限生かして、俺は楽に強くなりたいな、と。目的のために近道をするのは、むしろ積極的にすべきだと思うんです」
「そう、ですね。どうにも私は、頭が固いところがありまして……」
「前の勇者も、その辺は柔軟だったみたいですよ? 妖精王をだまくらかして、ステータスを楽にあげられるアイテムをゲットしたとか」
マリアンヌさんが小首をかしげる。「もしかして」と続けた。
「『ボールダンの塔』にある、『グロウダケの護符』ですか?」
「そうそう、それですよ――てぇっ!? 場所っ。どこにあるのか知ってるんですか!?」
「デリノという妖精が、そんな話をしていました。何気なく出てきましたので、信憑性は高いかと思われます」
おおっ。世界中の情報を読み取らなくて済んだ。あれ、けっこうキツイんだよなあ。
名前がわかれば、調べるのは簡単だ。『ボールダンの塔』とのキーワードを頭に思い浮かべれば、すぐに場所は知れた。
けれど――。
「……かなり南にあるなあ。ここからだと山脈を突っ切らなくちゃいけないや」
さすがに何週間も旅はしたくない。
諦め気分に沈みかけたとき。
「ねえ、チップル。〝境界〟を通れば、すぐに行けないかな?」
シルフィから思いもかけない言葉が飛び出した。
「ふふん、らっくしょー♪」
「さすがチップルさんっ。マジ頼りになるっ」
「えへへー♪ もっと頼っていいんだからー」
褒められて即堕ちするこのチョロさもある意味頼もしい。
こうして俺たちは、楽して強くなるべく、『グロウダケの護符』のゲットを目指すのだった――。




