25◆小一時間ほど暇なので
買い物をしようか悩んでいたら、同じ商品を横からかっさらおうとする女性が現れた。
背が高い黒髪のその人は、頭に角が二本あり、背中に二本の刀を背負った――ムサシ・キドーの妹だった!
「ああーっ!?」
「む? そなた、人を指差して何を驚く?」
「あ、いや、その……これは俺が買おうかなあと」迷っていたものでして。
「なに? そう、なのか。ううむ、店員からは『最後のひとつ』と説明を受けていたのだが、先客がいたとは……」
ムサシの妹――イオリ・キドー(18歳)さんは神妙な面持ちとなり、俺に頭を下げた?
「詳しい事情は話せぬが、自分はどうしても、『イリスの泉の霊薬』が必要なのだ。このとおりだ。譲ってはくれないだろうか?」
事情が話せないのをこっそり読み取るのは気が引ける。でも気になる。うーん、どうしよう?
彼女の兄は俺に襲いかかってきた常識のない男。
その血縁者に譲るのは、ぶっちゃけ嫌だ。
俺が頭を悩ませていると、女店主さんがイオリさんに尋ねた。
「あんた、この霊薬は体に毒だってのは知ってるのかい?」
「無論だ。もっとも、それを服用するのは自分ではない。知人から頼まれたものでな。厳密には違うのだが……、あ、いや。もちろん、その知人も危険性は重々承知している」
誰かのために必要なのか。ムサシの妹さんだから警戒していたけど、実はいい人なのかな?
「ねえ、メルくん……」
シルフィが小声で話しかけてきた。
俺は「なに?」と身を低くして応じる。
「この人、知ってるの?」
「ほら、旅の途中で襲いかかってきた鬼人族の話をしただろ? そのムサシ・キドーって男の、妹さんらしい」
シルフィはその記憶を失っているけど、旅の道中で語って聞かせていた。「なるほど」と彼女がうなずいた次の瞬間。
「そなた、今『ムサシ・キドー』の名を口にしたか?」
耳ざとくイオリさんが反応した。
「え、いやその……」
ぎろりと睨まれ、俺はたじたじと口ごもる。
と、イオリさんが大声を張り上げた。
「知っているのだな! あの迷惑千万極まる男をっ。言えっ! 奴の居場所をっ。我が愛刀二虎をもって、奴のそっ首斬り落としてくれるっ!」
ムサシお前、妹にまで何したんだっ!?
イオリさんは背中の刀に両手を伸ばしたところで、ハッと我に返った。
「し、失礼した。つい興奮してしまって……。で、そなたはムサシ・キドーを知っているのか? 申し遅れたが、自分はイオリ・キドーと申す。甚だ不本意ながら、奴の妹だ」
「俺はメル・ライルートって言います」
「うむ。して? メル殿、ムサシは今どこにっ!?」
ずずいっと迫ってくるイオリさん。近い。顔めっちゃ近いです!
とりあえず俺は、『勇者終焉の街』での出来事を、第三者視点でかなりの部分(『勇者の剣』を抜いたとか、マリアンヌさんの狂化とか)をはしょって語る。
「ほほう? ムサシが、敗れた。奴が。あれほど大見得を切って家を飛び出したくせに、往来で、完膚なきまでに。ぷふ、ぷふふふふっ」
ものすごく嬉しそうだ。
「でも、あれからどうなったかは、わからないです」
「騎士に襲いかかったのだ。捕まっていてくれると助かる。斬首ののち晒されればいいのに……」
最後はぼそりと言ったな。
俺はここに至り、彼女への評価を改めた。敵の敵は味方、とは言えないけれど、(ことムサシに関して以外は)礼儀正しくまじめな印象。
意地悪をしてよい相手ではない。
「イオリさん、この霊薬はお譲りします」
「まことかっ。かたじけない。なんとお礼を言ってよいやら」
イオリさんの笑顔がはじける。うん、いいことをしたあとは気持ちがいいね。
「メルくん、いいの?」シルフィは心配顔。
「べつに急いで欲しいものじゃないからね」
探せばもっといいものがあるかもしれない。それまでお金をこつこつ貯めておこう。
イオリさんはもう一度俺に頭を下げてから、店主さんに向き直る。
「よし、では買おう。いくらだ?」
満面の笑みはしかし、金額を聞いて凍りついた。
「………………はっ!? いやいやいやっ。さすがにそれは高すぎないか? 通常の3倍はあるぞ」
「あんた、もしかして海向こうの島国出身かい? あっちと大陸じゃ、いろいろ相場が違うからねえ」
「そ、そういうものか……」
店主さんは俺が読み取った価格を伝えていた。
イオリさんも値段には納得したようで、反論はしなかった。けれど、〝お金の工面が困難〟な状況に陥っている。
「一か月ほど、近場で素材集めにでも精を出せば、あるいは……。いや、しかしその間に売れてしまう可能性も……ぅぅ……」
イオリさんはうんうんとうなっている。
さすがに赤の他人にお金を貸すのは無理だ。しかも俺の持ち合わせではぜんぜん足りない。まさか女王様からお金を借りてまた貸しするわけにもいかないしなあ。
まあでも、これも何かの縁だろう。
俺は店主さんに尋ねる。
「お金じゃなくて、品物と交換でもいいんですか?」
「まあね。うちは素材の買取もやってるし」
「この近辺で、小一時間ほどでどうにか手に入るものといえば……」
そんな都合のいい素材なんかを、俺が知るはずもない。
けれど目の前にいるプロフェッショナルは違った。
「あんた、まさか……」
「ええ。〝南西の洞窟に生える『黒洞華』〟なんてどうでしょう?」
俺は店主さんの思考に浮かんだ情報を読み取った。
「はん、霊薬を渡してお釣りも出る高級品だよ。けど無理だね。というか無茶だね。アレはいつ花が開くかまったくわからない上に――」
花はちょうど開いている。それは確認済みだ。
「その洞窟は、特大のトロールが棲み処にしてるんだよ」
うん。なんかバカでかい魔物がいるみたいですね。
「トロールはちょっかいを出さなきゃ大人しいもんさ。けど、棲み処に入ろうもんなら、踏みつぶされて終わりだよ。魔法耐性も高いし、まともには戦えない。そもそもエルフにとっちゃ、トロールはこの土地の守り神みたいなもんだからね。退治しちまったら、女王様にどやされるよ?」
店主さんはちらりとシルフィを見て言った。
「あんたらじゃ無理だ。今回は諦めるんだね」
口は悪いけど心底俺たちを心配してくれている店主さん。
けど、すでに賽は振られてしまったのだ。
「トロールか。今の自分では、とうてい太刀打ちできない相手だろう。だが、自分は義に殉ずると誓った身。とはいえ自分が死んでは元も子もない。うん、まずは遠くから様子を見て、それからどうするか決めよう」
イオリさんはぶつぶつ言って、結論めいたところに落ち着いた様子。
「じゃ、俺らも一緒に様子を見に行きましょうか」
「えっ、いや、そなたらにそこまでしてもらう義理は……」
「まあまあ、乗り掛かった舟というやつですよ。それに、イオリさんは『黒洞華』の扱いを知らないでしょう?」
俺は扱いに詳しい人から情報を読み取り、準備に入った。
『黒洞華』はとてもデリケートな植物で、摘んだ直後に花は枯れてしまう。また光に触れると石化して、これまた使い物にならない。
それを防ぐため、摘んだらすぐに専用の溶液に漬け、光を遮断して持ち運ばなければならない。
俺は店主さんにお願いして、専用の溶液と、光を通さない瓶を注文した。
「様子を見に行く、ねえ。手に入れる気満々じゃないか。ま、そっちのお嬢さんを連れてるんだ。あんたがタダもんじゃないのはわかるけどね。無茶は、するんじゃないよ」
店主さんに見送られ、俺たちは店を出た。
巨大な魔物が守る素材を手に入れるため、小一時間をつぶすために――。