22◆妖精さんゲットだぜっ
「ふぃ~……いい湯だなあ。天国天国……」
首まで白い湯に浸かって、大きく息を吐きだした。
俺は今、温泉で長旅の疲れを癒している。温泉。温泉だっ!
噂には聞いたことがあったけど、まさかこんなに若くして経験できるとは思ってもいなかった。
ここはフィリアニス王国内の北西辺りにある、『水域』と呼ばれる区画だ。
王国は人口2万弱と小さいながら、国土はそこそこ広く、女王が住む中心区画からここ『水域』はちょっと距離があった。
俺たちが王国に到着したのが、ちょうどこの『水域』だ。
知らせを聞いた女王が迎えに来てくれて、軽く汗を流したあとに、大きな宴が開かれた。
その宴が終わり、ゆっくり疲れを落としてほしいとの配慮から、温泉をいただいているというわけだ。
天然の露天風呂。けっこう広い。ちょっとした池くらいある。
岩に囲まれていて、湯煙で向こう側の岩場がぼんやりしていた。
広すぎてやや落ち着かない感じがするものの、美味しい料理でお腹は満たされ、うつらうつらしてしまう。
このまま寝ちゃったら、本当に天国に連れていかれそうだ。
「ここで寝ては危険ですわよ?」
「ええ、そうですね……………………ってぇ!?」
真横からの澄んだ声音に眠気が吹っ飛んだ。
「ななななな……」
湯の中をじゃぶじゃぶと水平移動して距離を取りつつ、そちらに目を向ければ。
「我が国の温泉は、お気に召しまして?」
たいそうな美女が湯に浸かり、にっこり微笑んでいた。銀色の髪をまとめ上げ、青い瞳が揺れている。
俺は直視できず、慌てて視線を下げてそらした。
が、それがいけなかった。
大きな物体に目を奪われる。大事なところは白濁の湯に隠れているものの、浮き上がった上部の谷間には湯が溜まりを作るほどの大ボリューム。
あの中には、夢が詰まっているのだろうか……?
「ふふ、男の子ですわね。そんなに気になるのなら、触ってみます?」
「ひぇ!? じゃなくて、いえっ! てか、なんで貴女がここにいるんですかっ、エレオノーラ女王様っ」
そう、このお方はフィリアニス王国の現女王、つまりはシルフィのお母さんであらせられる、エレオノーラ・エスト・フィリアニス様だった。
「勇者様と二人きりでお話がしたかったのですわ。もしかして、寝所に忍びこんだほうがよかったのかしら?」
「どっちもダメですっ!」
あまりに刺激が強すぎるのでっ。
俺は抵抗と誠実の意を示すため、女王様に背を向ける姿勢になって尋ねる。
「それで、お話というのは……?」
問いへの答えではなく、女王様はちゃぷちゃぷとなにやら近づいてきて、
「ふふ、安心しましたわ」
「あ、安心、ですか……?」
「ええ。我らフィリアニスの王族は、みな成長すると似たような容姿となります。体格も、何もかもが」
「は、はあ……」
いったい何の話だ?
「あの子はまだ、子を生す準備ができていない体。勇者様にも事情はおありでしょうけれど、くれぐれも無理はなさらぬよう自制していただきたく――」
「だから何の話してますっ!?」
「――お願いしにまいったのですけれど、大きいのもお好きなのですわね。ですから、『安心しました』と申し上げたのですわ」
脱力する。『可愛い娘に手を出してくれるな』という牽制なのかな?
「俺はシルフィ……娘さんに邪な気持ちは抱いてませんよ」
「今は、そうかもしれません。いずれわたくしのように大きくなりました暁には、ぜひ溜まりに溜まったものをあらん限りぶちまけて――」
「母ちゃん落ち着いてっ!」
なんなのこの人っ。俺になにをしろとっ!?
「半分冗談はさておきまして」
半分は本気なのか?
俺が呆れていると、さっきまでとは打って変わって、真面目な声音になる。
空気が、ピンと張り詰めた。
「二日前に、神託を賜りました」
「神託……って、大地母神様からですか?」
あの神、また現れたのか。
女王様は「ええ」と答える。いい加減こっちを向けと言われたので、彼女と肩を並べた。直視はまだできないのですごめんなさいっ。
「ん? でもシルフィは何も言ってませんでしたよ? 憑依された様子もなかったですし」
「当代の〝光の巫女〟はわたくしですわ。〝口寄せ〟は、わたくしが行いましたの」
なんとっ!? この美しい人が、あの『上から目線だけど押しにはめっぽうヘタレな』人格に乗っ取られてしまったというのかっ。
「なにか神をも恐れぬことを考えていませんか?」
「ソンナ、メッソウモナイ」
「そういえば勇者様もご存じなのでしたわね。シルフィーナに大地母神様が憑依なされたのを」
「ええ、まあ……」
「さぞ驚かれたことでしょう。わたくしもリーゼロッテの報告には驚きましたもの。本来〝口寄せ〟とは、神の意識をほんの一端お借りして、御言葉を世に表わす術ですわ。自我は奥底に沈みますけれど、表に出るのは、あくまで自身の人格ですの。わかりやすく言えば、『寝言を口にしている』状態ですわね」
たしかにわかりやすいけど、ありがたみが減少してしまったぞ?
「ですから、大地母神様の人格をすべて取りこむだなんて……我が子ながら、とてつもない才能を持っていますわね」
シルフィって、まだ固有スキルも授かってないんだよなあ。
「それで、どんな神託があったんですか?」
俺は大きな胸をなるべく意識しないようにして、女王様の顔を窺った。
「悪竜に協力する不埒な者どもに、確信が持てた、と」
飄々とした雰囲気が一変、鋭利な刃物を思わせる凄みが生まれた。
「前に話したとき、ある程度予測していたような話し振りでしたね」
『連中』しか思い当たらない、とかなんとか。
「まあ、『確信』と言いましても、大地母神様流の言い方をすれば、『わたしの目はごまかせないわよっ。状況証拠を積み重ねての推測だけどねっ』といった程度ではありますれどね」
めっちゃあの神が言いそうだな。
「会ったことあるんですか?」
「意識の一端をお借りすれば、まあ、それくらいは……」
女王様、『やべえ、ちょっと調子に乗り過ぎたかも』って気まずい顔をした。なかなかお茶目な人だ。
「こほん……。その不埒な者どもの正体ですけれど――」
「妖精、ですか?」
「さすがは勇者様。よくおわかりになりましたわね」
「前の勇者さんに『気を許すな』って注意されてたし、なんとなく、です」
女王様は「なるほど」とうなずいて、
「妖精は気まぐれです。以前は『勇者の剣』を創り、勇者アース・ドラゴに与えるなど協力的でしたけれど、今回は逆の立場になったようですわね」
「どうしてですかね?」
「……わかりません。彼らの真意は測りかねますわ。そのため、神託を賜りはしましたけれど、今後どのように動けばよいか、我らの中でも意見がさまざまで、定まりませんの」
ほとほと困ったように女王様は肩を落とした。
敵は知れたが、対応に苦慮する相手だったということか。
……敵。敵?
待てよ? アース・ドラゴさんはたしか、妖精は俺や世界の味方にはなり得ないと言っていた。
でも、こうも言っていたよな?
――敵にもならんから、せいぜい利用してやれ。
彼の言葉を信じるなら、敵視するのではなく、うまいこと言いくるめて利用したほうが賢明な気がする。
「妖精ってのに、会ってみればいいんですかね?」
「えっ?」
「あ、いや、真意がわからないのなら、会って探ればいいのかなって」
たしか妖精は『神性』とやらを持っていて、同じく『神性』を持つ大地母神様を読み取ろうとすれば、俺の体にはかなりの負担がかかるらしい。
でも、やりようはあると思うのだ。
女王様は、ぽかーんと俺を眺めている。変なこと言っちゃったかな?
俺が不安そうに見やると、すぐに女王様は表情を緩めた。
「ふふ、さすがは勇者様……いえ、メル・ライルート様ですわね」
初めて名前を呼ばれたのもあってか、包みこんでくるような笑みにどきりとする。
「では、神託を受けての方針は、そのように。ただ問題は、いかにして妖精と会うか、ですわね。『妖精の国』は〝境界〟のあちら側。彼らの協力なくして、我らが訪れるのは不可能ですの」
「そこらを飛んでたりしませんかね?」
「だと、よろしいのですけれどね。ひとまずメル様は旅の疲れを癒してくださいな。妖精との接触方法は、我らも検討いたしますわ」
「よろしくお願いします」
俺は深々と頭を下げつつ、方針が決まってちょうど話の区切りになったので、まったくどうでもいい希望を伝えようと思う。
「あの、『勇者様』とか『様』を付けるのはくすぐったいので、『メル』って呼び捨てにしてもらっていいですか? 今さらですけど」
「そう、ですわね。いずれ義理の息子になるのですから、今のうちから慣れておかなければ――」
「義理のっ! 息子っ!?」
「ええ。もう約束されたようなものでしょう? ほら、『ママ~』と叫びながらこの胸に飛び込んできてもよろしいのですよっ」
「……しませんからっ!」
一瞬の間があったのは気づかれていないだろうか? ええ、ぐらついた。ぐらつきましたともっ。
女王様――エレオノーラさんはさすがにからかいすぎたと反省したのか、「ごめんなさい。反応が可愛らしくて、つい」と頭を下げた。
「けれど、冗談というわけではありませんのよ? あの子――シルフィーナのあなたへの想いは、恋愛感情と言うより、信愛と呼ぶべきものですわ。それでも、その想いは純粋で、とても強い。あなたとの思い出を失いながら、消えなかったものですもの」
「……はい。俺も自分の気持ちがどういうものか、ちょっとよくわかってません。結婚とか、そういうのも、まだ……。でも、俺だってシルフィに救われた。大切だと思う気持ちは、嘘じゃありません」
独りぼっちで、農場の作業に追われる毎日。あいつの笑顔を初めて見たときは、心の底から嬉しかった。
「……ふぅ、のぼせてしまったかしら? 先にあがりますわね」
エレオノーラさんが立ち上がる。さっと目をそらす俺。見てません。見てはいけないのですっ。
立ち去る間際、彼女の優しい言葉が降ってきた。
「娘を救ってくださって、本当にありがとうございました」
公式の場でのお礼は何度もされたけど、いずれも彼女は、シルフィを差すのに『王女』や『光の巫子』を使っていた。
これは紛れもなく、一人の母親としての感謝の言葉だった――。
エレオノーラさんが立ち去ってしばらく。
俺もたいがい、のぼせそうではあったのだけど、いまだに湯の中から動けずにいた。
なぜか?
それは俺の目の前で、
「るんるんるるるん♪ らんらんらららん♪ くるくるくるくる~♪」
虫みたいにちっちゃいのが踊ってるんですけどっ!?
大きさは手のひらサイズ。人型で、ふわっふわの髪もつるんとした肌も、緑っぽく発光している。背中には半透明の翅が生えていて、羽ばたくたびに光の粒子をまき散らす謎の生命体。
んん~? これ、あれですか? もしかして、妖精さんですか~?
いやいやいやっ! ちょっと待って。なんでそこらを飛んでるの?
妖精さんは俺が気づいているのには気づいていないらしく、水面をぴょーんぴょーんと跳ねて踊っていた。ノリノリである。
どうしよう? 『会って真意を探る』機会が、こんなに早く来ようとは。
だが、焦りは禁物だ。
下手なことをして悪印象を持たれてはならない。友好的に話しかけ、心を開いてもらわねば。
遠方に焦点を合わせて妖精に気づかないふりをしたまま、方法を模索する俺。
と、妖精さんはくるくる回りながら俺の目の前に飛んできて、
「ぷふっ、なんだか冴えない男ねー。これがホントに勇者なわけー?」
べつに、カチンときたわけではない。
ただ手を伸ばせば届く距離に、不思議生物が寄ってきたから。
それだけの、理由だったように思う。
がしっ!「ぷげっ!?」
つつつ捕まえてしまったぁっ! 俺は右手をすばやく前に出し、ものの見事に握りしめていた。
「えっ、なに? なんなのー? あんた、あたしが見えるわけー?」
俺の手の中で、「はーなーせーっ。ばかーっ! えっちー!」とじたばたもがく妖精さん。
こうなったら仕方がない。俺は開き直ることにした。
「お話があります」
真剣な表情で言うと、妖精さんはぴたりと動きを止めた。
「え、うそ、もしかして、愛の告白? やだ、どうしようー? チップル、困っちゃうー♪」
俺の直感が、告げる。
たぶん〝真眼〟とかじゃなく、生物に必ず備わった生存本能のようなものだ。
〝選択肢を誤れば、いろいろ終わるぞ?〟、と――。