21◆思い出は消えても――
〝忘却の呪い〟を解呪すると、呪われていた間の記憶が消えてしまう。
そのことをシルフィに告げると、
「……………………ぇ?」
絶望したような、見ていられない表情になった。
シルフィはでも、声を震わせて俺に尋ねる。
「それって、この1年間のことを、忘れるってこと……? メルくんと出会ってからのことも、クララちゃんやリザと旅したことも、お婆さんやナナリーさんのことも……ぜんぶ……?」
「そうだ」
俺が努めて冷静に返すと、シルフィは俺に抱きついてきた。
「いやだ……いやだよっそんなの! どうして? なんで忘れちゃうのっ!?」
読み取れば答えは得られる。だが仕組みなんてどうでもいい。
俺が知りたいのは、回避する方法だけ。しかしそれは〝不可能〟だった。
シルフィが肩を震わせる。
「わたし、やらない……。呪いなんて解かなくていい。メルくんのことを忘れるくらいなら、このままで、いい……」
そう言ってもらえて、俺はすごく嬉しかった。でも、ダメなんだ。このままじゃ、いけないんだ。
俺はシルフィの肩にそっと手を置いた。
「シルフィ、お前は、記憶を取り戻さなくちゃいけない。お母さんや、生まれ故郷のことを思い出さなくちゃいけない。〝光の巫子〟に、戻らなきゃいけないんだ」
それが、記憶を失う前の、彼女の願いだから。
幼くして運命を受け入れ、死を覚悟して〝勇者を継ぐ者〟を捜す旅に出た。
誰に強制されたわけでもなく、子どもの拙い思い付きでもなく、まぶしいほど崇高な決意を胸に、彼女は〝光の巫子〟になったのだ。
汚してはならない。たとえ今の彼女が、否定したとしても。
「だからっ――」
「ちょいと待ちな。そう頭ごなしに押しつけるもんじゃないよ」
お婆さんに遮られ、俺は語気を強めていたのにようやく気づいた。
「やるなら早いほうがいいのは確かだけどね。1日、2日はそう変わりゃしないよ。ひとまず家に来ないかい? そこでじっくり考えりゃいいさね」
「……はい。すみません。シルフィも、ごめんな」
「……うん」
俺たちはお婆さんの提案に従い、グッテの城を後にした。
帰り道。
馬車の荷台の隅で、シルフィはずっと膝を抱えていた。
ようやく町が見えたときには、
「わたしは、忘れたくない……。忘れたく、ないよ……」
それだけを口に出した。陽はとっぷりと暮れていた――。
夕食は4人掛けのテーブルで窮屈に取った。ナナリーさんの手料理を、シルフィは一生懸命、残さずに平らげる。〝何も喉を通らない〟状態だったのに、無理やり。
俺が昔『食べ物は残さずにっ』と言ったのを、こんなときも守っていた。
広くはない家だけど、6人が寝るにはなんとかなる。
でも、俺とシルフィは馬車の荷台で夜を過ごすことにした。
並んで腰かけ、ひとつの毛布に二人、くるまった。
しばらく黙って身を寄せ合っていた。
と、シルフィが静かに口を開いた。
「メルくん、覚えてる?」
「ん?」
「わたしたちが、初めて会ったときのこと」
「……ああ。シルフィ、ぼーっとしてたよな。俺が話しかけてもガン無視されてたっけ」
「うん。わたし、ずっと不安だった。自分が誰かもわからなくて、周りも知らない人ばかりで、ずっと。だから、放っておいてほしかった。みんな、そうしてくれた。なのにメルくんは、教会に来たら、必ず話しかけてきたよね」
「ああ、そうだったな」
「うん。だからわたしね、出会ったころは、メルくんのことが嫌いだった」
「うっ……」
まあ、そうだよな。かなりしつこく声かけてたし。しかも目的が『笑わせたい』だったから、変な顔とか動きとかして、本当に変な奴だと思われていたことだろう。
「でも、いつの間にか、メルくんが来るのを心待ちにしているのに、気づいたの」
シルフィは俺の胸に顔を埋めた。服をつかみ、抱きついてくる。
「知らなければ、よかった……さっきまでは、そう思ってた。メルくんのことを忘れちゃうって知らなければ、こんなに苦しくなかったのに、って……」
「シルフィ……ごめん」
「謝らないで、メルくん。今は思ってない。きっと、知らないまま呪いを解いたら、胸にモヤモヤしたものをずっと抱えることになると思うから」
俺は未来を読み取れない。だから、正しいかどうかはわからない。でも、シルフィが言うならそうだと思った。
シルフィの頭を撫でた。銀色の髪が手に心地よい。
「全部、話すよ」
「えっ?」
「俺が覚えてない些細な出来事も、今の俺には読み取れる。記憶がなくなっても、それを全部シルフィに伝える」
「……うんっ。お願い。わたしが嫌がっても、ぜんぶ話してね」
「ああ。お願いされなくても、俺のことだからな。お前が嫌がってもずっと話してるよ、きっと」
「ふふふ、そうだね。メルくんだもん。わたしが、嫌がっても…………」
シルフィは、ぎゅっと俺の服をつかむ手に力を込めた。
そして、ゆっくりと顔を上げ――。
「わたし、メルくんが好きっ!」
突然の告白に、俺は言葉を失った。
まっすぐな瞳に気圧される。熱っぽい視線に心臓をつかまれた。
「わたし、忘れない。ぜったいに、忘れないよ。ぜったい、ぜったいっ」
悲痛なまでの叫びだった。それは絶対に叶わない願いだと、口が裂けても言えなかった。
でも俺は見誤っていた。
この子の強さ――想いの強さを。
「たとえ、メルくんのことも、メルくんとの思い出も、ぜんぶ、なにもかも、忘れたとしても――」
シルフィは、目に涙を浮かべながら、最高の笑顔で叫んだ。
「この気持ちだけは、ぜったいに忘れないっ!」
抱きしめていた。涙があふれていた。本当にこいつは、強いやつだったんだなあ。俺なんて、もう、
「俺も、大好きだよ」
そう応えるので、精いっぱいだったのに――。
ひとしきり二人で泣いてから、鼻水とかいろいろ大変なことになりつつ、以降は穏やかに話をした。
呪いを解いてからの練習とばかりに、俺は思い出話を延々と語る。
昨日までの俺たちと、なんら変わらぬ雰囲気で。
いつの間にか眠っていた。
昼が近づき、互いに腹の虫に急かされて目を覚ます。顔を見合わせて笑った。
ナナリーさんの家で遅い朝食兼昼食を軽く取ってから。
部屋の真ん中に椅子を置き、シルフィを座らせた。
「わたし、メルくんにやってもらいたい」
晴れ晴れした顔で言われては、断れるはずもない。というか、最初からそのつもりだったし。
ナナリーさんは何か言いたげだったけど、お婆さんは「今さらお前さんが何をしたって驚きゃしないよ」と見守ってくれている。
俺はお婆さんを読み盗り、シルフィの正面に立った。
シルフィが目を閉じるのを待ってから、白くすべすべの額を指で触れ、印を描く。意味のまったくわからない呪文を唱え、準備が整った。
そして、解呪の術を開始する。
描いた印に光が灯る。
シルフィは一瞬、眉間にしわを作った。すぐに力を抜くと、光も小さくなり、やがて消え去る。
たったそれだけで、終わった。
〝解呪は成功〟したのだ。それ以外は、怖くて読み取れなかった。
シルフィが、ゆっくりと目を開く。正面にいる俺を見上げた。
「気分はどう? 自分の名前は、わかるかな?」
いちおう訊いてみると、シルフィは無表情に、言った。
「……あなたは、誰ですか?」
ああ、これ。思ってた以上にキツイな。腰から下の力が抜けそうになって、膝から崩れるのをどうにか踏ん張る。
「俺はメル・ライルート」
引きつった笑みで自己紹介すると、シルフィは目だけをきょろきょろさせた。俺の後ろにいたリザを見つけ、ほっとした表情になる。
彼女がいてくれてよかった。
1年間の記憶が飛んで、見知らぬ家で一人きりだったら、記憶を失くした直後と同じ不安をシルフィは抱えていただろう。
事情説明は、リザに任せよう。
俺は振り返り、リザに声をかけようとして。
どごっ。「ぐえっ」
強烈な体当たりが俺の背中を襲った。
痛みより何より、疑問と困惑が俺の思考を支配する。
「あなたは、誰ですか?」
俺の背中に顔を押しつけ、くぐもった声で、シルフィはさっきと同じ質問を繰り返した。
「えっと、だから――」
「わたしは、あなたを知りません。話したことも、見たことすらありません」
俺の胸に突き刺さる言葉が連なる。
でも――。
「なのに、どうして? どうしてわたしは、あなたが背を向けて不安になったのでしょうか? どうして、抱きついてでも、行かせまいとしたのでしょうか?」
ああ、ホント。こいつってすごいな。
「どうして? どうして、涙が止まらないの? どうしてわたしは――」
――こんなにも、あなたを大切に想っているのっ!
どうしてかって? 答えを知るのは簡単だ。
俺は必死にしがみつくシルフィの手に視線を落とした。
でもやめる。無粋なことをしても、どのみち俺が理解できないような小難しい理由なんだろうし。
俺は読み取る代わりに、彼女の手にそっと手を添えて、答えた。
「俺もシルフィを、大切に想っているからだよ」
シルフィの体がびくりと跳ねた。しがみついた腕の力が緩む。
俺を知らないシルフィは――俺の知らないころの記憶しかないシルフィは、
「そっか。なら、納得だね」
やっぱり俺が知っている、シルフィだった――。
ナナリーさんたちに別れを告げ、俺たちは旅立った。
最初にシルフィとした約束――『彼女を故郷に送り届ける』約束を果たすためだ。
1週間の旅はのんびりとしたもので、悪竜の邪魔も入らなかった。
道中、俺はシルフィにこの1年の思い出を語って聞かせた。
彼女は嫌がりもせず、とても楽しそうにしていた。でも、ときおり寂しそうな顔になる。
「すこし、悔しい。わたしの知らないメルくんを、ちょっと前のわたしは知っていた。だから、羨ましいとも思う」
自分に嫉妬するとか難易度高いな。
で、フィリアニス王国に到着する直前。
俺とシルフィは、あらためて約束した。
二人で悪竜を倒そう、と。
俺たちの邪魔をする、悪いやつだから――。
書籍版1巻はここまでの内容となっています。
細かい調整と1エピソードを追加(クララちゃん大活躍!?)していますが、大きな流れは変わりません。(あと、おまけ短編は前日譚+1章と2章の間のお話)
ブクマ・評価、いつもありがとうございます。大変励みになります。今後ともよろしくお願いしますっ。