20◆神の教え(直接)(重複)
震える手で小瓶を取り出し、ひと口飲む。
「うぅ、気持ち悪い……」
体力その他は回復したけど、吐き気はちょっと残ったな。『混沌の呪い』か……もう二度とごめんだ。
俺は仰向けになって新鮮な空気を取りこむ。だいぶ楽になってきた。
「まったく、無茶をするものね。自分から悪竜の呪いを受けるだなんて」
寝っ転がった俺の頭上にきたのは、シルフィの姿をした大地母神様だ。金色の瞳が俺を見下ろす。
「でもまあ、よくやったわ。さすがは今世の勇者ね。大物食いのアース・ドラゴを見ているようだったわ」
「そりゃあ、その人の能力を使ってますからね。でも、なんか変な感じもしました。直感……というか、閃きっていうか。その感覚に従っていると、うまくいくっていうか」
『鑑定』で情報を読み取ったのではない。『天眼』とも違う感覚だった。
そういえば、アース・ドラゴを読み盗っていると『天眼』が邪魔してこないな。マリアンヌさんのときは、俺の『鑑定』による先読みに遅れてその予測能力が働いたから、けっこう邪魔だったのに。
「〝真眼〟ね」
「なんですか? それ……」俺はむくりと起き上がる。あぐらをかいて神様に正対した。
「〝神眼〟は本来、神にのみ許された能力よ。そして『天眼』は神が人に与えし能力。対する〝真眼〟は、人が自ら鍛え、固有スキル並に昇華させた技――経験を元に最適解を導き出す技術、といったところかしら」
「それも、アース・ドラゴさんの能力ですか?」
「そうよ」
やっぱりか。つまり、俺自身の能力じゃないってことだな。
ぺちり。軽くて弱いチョップが額に飛んできた。
「なに残念そうな顔をしているのよ。話は最後まで聞きなさい。アース・ドラゴはたしかに〝真眼〟を会得していたけれど、あなたは彼を読み盗っていないときも、使えていたでしょう?」
「記憶にありません」
「自覚がなかっただけよ。同じ技術を持つアース・ドラゴを読み盗ったとき、直感や閃きというかたちで自覚できたのね。思い出してみて。あなたは難問にぶつかるたび、まず結果を定め、そこへ自らを導く最適解を常に選択していたわ」
たとえばヘーゲル・オイスを倒したとき。
「ふつう、授かったばかりの固有スキルを、いきなりは使いこなせないわ。背中を刺した時点で勝ったと油断もする。けれどあなたは違った。『ヘーゲル・オイスを倒す』という結果を定めた瞬間、得られた情報から阻害要因を吟味し、相手が一度全快して反撃する未来を予想した。その上で最適に行動する。固有スキルを使いながらその特性を理解し、最大限活用した。誰にでもできることじゃないわ」
以降も、シルフィを連れ出して故郷に送ろうとしたのは大正解だとか、ムサシとの戦い、魔法銃を手で再現したことなど。俺を持ち上げまくる。
自覚がない分、なんだか面映ゆい。
「とはいえ、ときどき抜けているところがあるのも事実ね。とくに誰も読み盗っていない状態では顕著だわ。経験が足りないのは仕方ないにしても、今後は意識しなさい」
注意で締めるのはやめてほしい。せっかくの褒められ気分が台無しですよ。
「さて、講釈はここまで。時間をかけたくないし、本題に入りましょうか」
シルフィ(の姿をした神様)がまじめな顔になる。
深刻な話が始まりそうだけど、俺はほっこりしていた。苦手なピーマンをいかに食すかを考えているときのシルフィを想像してしまったからだ。
「悪竜が介入を始めたわ」
「え、でも悪竜って封じられてるんですよね?」
「直接ではなく、第三者を介してよ。まだ誰だかは特定できていないけれど、グッテ・ボーワイルに『悪竜の瘴液』を渡した者が、そうね」
たしか、〝黒いローブを来た小さな男〟だったか。ああ、『男』だと認識したのはグッテだから、女である可能性もなくはないな。
そいつが何者であるか、深く読み取ってみたけど、正体はわからなかった。〝壁の中から出てきて〟、〝床の中に消えた〟とか意味不明。
俺が鼻から出てきた血を拭いながら、そう伝えると、
「神が追えないのだから、あなたにも無理よ。おそらく神性を持っているわね。そして〝境界〟を行き来できるとなると、逆に絞られてくるわね。というか、わたしの知る限り連中しか思い当たらないのだけど……今はやめておきましょう」
それよりも、と大地母神様は険しい顔つきで言う。
「悪竜の狙いは、あなた。メル・ライルートよ」
なかなかに衝撃的な発言なのだが、ピーマンを必死に飲みこもうとするシルフィを想像してしまい、くすりと笑った。
「へえ、余裕あるじゃないの」
「ふっ、返り討ちにしてやりますよ」
「言うじゃない。見直したわ」
これ、神様を騙してることになるのかな? ちょっと慄きつつも、『まあ、この神様ならべつにいいか』との安心感も芽生える。
「でも、なんで俺なんです? 勇者になったから?」
「おそらくはその前――あなたが〝神眼〟を手に入れたからよ。こちらの企みを察知して、対策を講じてきたのね」
つまり俺は神様と悪竜の化かし合いに絶賛巻きこまれ中というわけか。迷惑だなっ。
「で、俺はどうすりゃいいんでしょうか? なにかされる前に、こっちから悪竜を退治しに行っちゃう?」
俺の投げやりな問いに、大地母神様も呆れ顔だ。シルフィはなかなかしない表情なので新鮮だった。
「まだ早いわ。悔しいけれど、あなたが力をつけるまでは、後手に回ってしまうわね」
「俺が、力を……」
自身の手を握ったり開いたりして、じっと見つめる。
「そうね、いい機会だわ。あまり長々と話したくはないのだけれど、せっかくだから神が直々に、教えを説いてあげようかしら」
大地母神様はにやりと口元を歪めた。
「シルフィは悪人面で笑わないっ!」
「きゃっ!? え、なに? よくわからないけれど、ごめんなさいっ!」
はっ!? つい大声を出してしまった。
にしても、まさか神様に謝らせてしまうとは。この神様、常に上から目線なくせに、ぐいぐいこられると弱いのかな?
「すみません。俺にとってシルフィは、癒しの象徴なので」
「癒しの象徴はむしろ大地母神のはずなんだけど……まあ、いいわ。あなたが強くなるための方法を、教えてあげる」
大地母神様はこほんともったいぶってから、
「読み取り、読み盗りなさい。なるべく――」
「強い相手、でしょ? それもう別の人に聞きました」
「うそっ!? 誰にっ!?」
「アース・ドラゴさんです。『勇者の剣』を抜こうとして、その〝記憶〟を読み取ってるときに」
「くっ……あいつ、余計なことを……」
悔しさと恥ずかしさで顔を真っ赤にする大地母神様。シルフィのこういう表情もまた新鮮だ。
「おほんっ、うおっほん! と、とにかく、悪竜は今後も何か仕掛けてくるはずよ。十分に気をつけなさい」
「わかりました。曖昧な助言、ありがとうございます」
「曖昧とか言わないっ! ……それじゃ、名残惜しいでしょうけれど、わたしは行くわ」
「ようやくですか。ぶっちゃけ早いとこシルフィに体を返してあげてって思ってました」
「だからそういうことは正直に言わないっ! さっきだって知らないふりして『なるほどー』って感心したふりしておけばよかったのにっ」
信者に向かって『嘘をつけ』とはなかなかエキセントリックな神様だ。
でもここは素直に従っておこう。
「なるほどー」
「バカにした!? バカにしたわよね? 神をっ!」
バカにしてはいないけど、面白半分だったのは事実だ。ごめんなさい。
大地母神様は取り繕うように乱れた髪を直す。
「それじゃ、今度こそ。シルフィーナの呪いはなるべく早く解いてあげてね。記憶がないと、〝光の巫子〟としての力が失われたままだから」
大地母神様は伏し目がちに続けた。
「辛いとは、思うけれど……」
「……はい」
俺が暗い顔をしてしまったからか、大地母神様は笑みを浮かべ、俺の肩をぽんと叩く。
「あなたたちなら、きっと大丈夫よ」
「そう、ですかね……?」
「ええ、きっとね。ああ、最後にひとつ」
大地母神様はちょっと居心地悪そうに言った。
「今回はかなり無茶をしたわ。呼ばれてもないのに、こちらから強引に接続したの。だから、この子の体にけっこうな負担をかけてしまったわ」
「なんだとっ!? 俺の可愛いシルフィに何してくれてんだっ。とっとと出て行けっ!」
「わ、わかってるわよぉ! だからわたしに代わって謝っておいてっ。ごめんなさ~~いっ!」
ついカッとなってしまった。反省はあまりしていない。
大地母神様は天へ届けとばかりの絶叫のあと、
「ほえ? お、よよよ……?」
シルフィは目をぱちくりとさせた。瞳の色は青く澄んだ色に戻っている。おっとっと、と足をふらつかせ、倒れそうになったのを、俺はすぐに抱きとめる。
「大丈夫か? どっか痛くないか?」
「メル、くん……? う、うん。ちょっと頭がくらくらするけど、大丈夫」
疲れた笑みで自ら起きようとしたので、俺は制してから『妖精の秘薬』を与えた。
「わっ、すごい。元気になった」
その場でぴょんぴょん飛び跳ねるシルフィは〝全快〟している。よかったよかった。
そこへ、半ば放心していたみんなが寄ってくる。
「だ、大地母神様のイメージが……」とリザは青ざめ、
「なにがどうしたですか? ボクにはさっぱりです」とクララは元気いっぱいに、
「長生きはしてみるもんだねえ」とお婆さんもお疲れぎみに、
「怖かったんだよっ」とナナリーさんは涙目だった。
お婆さんが俺に問う。
「で、どうすんだい? 〝忘却の呪い〟を解呪するなら、今ここでもできるけどさ。……お前さん、知ってはいるんだろう? 解呪したら、どうなるかを」
「ええ、まあ……」
〝忘却の呪い〟は、実にやっかいな呪いだ。解呪に成功しても、ひとつだけ弊害が生じてしまう。
大地母神様もお婆さんも、それを気にしていたのだ。
「お婆ちゃん、なにか問題があるの?」
ナナリーさんの問いに答えず、お婆さんは俺を見つめてくる。
シルフィに、教える必要はない。むしろ知らないほうがいい。
知らないままでも、解呪が成功すれば、シルフィ本人には弊害と言えるほどの問題じゃないからだ。むしろ、教えれば今のシルフィは苦しんでしまう。
でも、俺は――。
「シルフィ、よく聞いてくれ」
不安そうな瞳に、やはり言わないでおこうかと決心が揺らぐ。
それが最適解かはわからない。俺のわがままであり、自己満足なだけかもしれない。
それでも、彼女には伝えなければならないと感じた。
だから、なるべく取るに足らないと、大げさな問題じゃないと、思ってもらえるように。
俺はぎこちない笑顔で告げた。
「〝忘却の呪い〟を解呪するとね、呪われていた間の記憶が――」
――消えちゃうんだ。