本心
月曜日。気付けば、入学式から一週間経った。……随分と濃密な一週間だったなぁ……。
一週間を思い返しながら校舎を目指していた私は、背後から軽やかに近付いてくる足音に気付かなかった。
「葵ちゃーんっ」
「うぉっ!?」
ばん!と背中を叩かれ前に倒れそうになる。私の背中を叩いた張本人が「おっと」と腰を支えてくれた。
「大丈夫?」
「……人をぶっ叩いておいて……。大丈夫です」
「だって葵ちゃん、一人でご飯食べてさっさと行っちゃうからー」
朝からハイテンションなのはこの人しかいない――如月波留先輩。
なんだかんだで馴染んできてしまった人物である。
「昨日はどうだった?何か有益な話は聞けた?」
さりげなく隣に来て訊ねられた。私は歩き出しながら素っ気なく答える。
「全然。あの天使は訳が分かりません。土曜日、あんなに悩んだのが馬鹿みたい」
「ふぅーん。やっぱねぇ」
「あ、よくも天河会長にチクってくれましたね」
「だって見ちゃったんだもーん。葵ちゃんに関することは報告するよう言われてるし」
ふふっと笑う如月先輩を恨めしげに見ていると、今度は双子の声が聞こえてきた。
「葵ーっ、如月先輩ーっ」
ああ、朝からハイテンションな人はもう一人いた。振り返ればやはり冬夜君と夏代ちゃんがいた。
「葵、元気になったか?」
「え?」
「土曜日……疲れたって、部屋に戻ったでしょう?」
そういえばそんな嘘をついていた。
「もう大丈夫。ありがとう」
「おう、よかった!」
夏代ちゃんも嬉しそうに微笑んでくれる。この双子は、戸惑うこともあるけどいい人たちだなぁ。
「あっ、そーだそーだ!アイス!」
「え?」
「双六で俺にアイスおごるって出ただろ?あれまだじゃん!」
私たち三人は顔を見合わせた。アイコンタクトで意志を確かめ合う。よし。
如月先輩がにこっと冬夜君に笑いかける。
「そうだっけ?知らないなぁ」
「えっ。そんなあ!」
私と夏代ちゃんはクスクスと笑う。なんか、いいな。こんな、普通のありふれた会話。
《悪魔の使い》として過ごしていたころ、こんなに安らげた時間はなかった……。
校舎が近付き、道の脇に掲示板が見えた。そこに生徒が群がっている。
「ん?なんかあったのか?」
「あー、もしかして……」
如月先輩が私を見る。それで私も掲示板に人が群がる理由を悟った。
きっと掲示板には、私が生徒会に入ることが書かれているのだ。
『一年A組 浅倉葵を本日付で生徒会庶務に任命する』
覗き込んだ掲示板の中心に、そう書かれた紙が貼られていた。冬夜君と夏代ちゃんはぎょっとして私を見る。
「葵が!?なんで!?」
その声で生徒たちが私の存在に気付く。途端に様々な感情を含む視線を向けられ、私はさすがに踵を返した。如月先輩だけが追ってくる。
「葵ちゃん、放課後は生徒会室に来てね」
「分かってます」
「生徒たちの反応は仕方ないことだから気にしないでね」
「それも、分かってます」
あの視線を浴びながら、私は戦わなければならない。
分かっていたことだが、生徒会と双子以外に頼れる人がいないこの状況……これからが大変だ。
月曜日は特別訓練がある日だ。内容はAグループの人間にとっては楽なもの。佐山さんと双子のお陰で視線をそれほど気にせずに済んだ。
そして、放課後。第四校舎に佐山さんと向かった。
「ここの結界は既に浅倉も通れるようになったから、一人でも入れる」
「そうですか」
つい返事が愛想のないものになる。佐山さんは何か言いたげだったが言葉が上手く出てこない様子だった。
生徒会室には顧問の矢田先生も含めた全員が揃っていた。テーブルを囲むソファに私と佐山さんも腰を下ろしてから天河会長が口火を切る。
「……さて。葵が正式に生徒会に入ったことだし、仕事の説明から始めるか」
《天使の使い》を養成する学園の生徒会の仕事――何をするのだろうか。
「基本的なこととして、行事の準備・運営、生徒の要望の受付。それから天翼学園ならではの仕事がある」
「そ!まずは、ユーリス様のお手伝い。教師とか生徒にユーリス様のお言葉を伝えたりね」
「……まあお前は、生徒会の仕事で、というより私的な理由で呼ばれるだろうが」
私的……。昨日のことを思い出し身震いした。
「それから、学園の外……《天使の使い》の上層部との連絡。ほとんどが教育内容の確認など、学園の運営に関することだ。あとは《悪魔の使い》や悪魔の情報を得たり、な」
私の最も知りたい情報だ。外界から隔離された学園では、世間のことはテレビやインターネットを介して知るしかない。だが悪魔など公に知られていない情報は自力で得ることは不可能。
間者であることがバレていなかったとしても、私が外に出なければ情報は得られない。……仲間と話し合った作戦では、外出届を出し私が学園の外に出たとき、情報を交換する手はずだった。
今はそれは叶わないので、仲間に情報を伝えることも知ることも不可能。
生徒会の仕事をしていれば、もしかしたら外の情報を得られるかもしれない。
「週末は《天使の使い》の本部に行くこともあるが、お前に任せることはないだろう」
この間佐山さんたちがいなかったのは、そのせいか。
それじゃ、一体……
「私の仕事は何ですか?」
「役員……俺らの手伝いだ。つまり雑用」
でしょうね。元間者に大事な仕事を任せるわけがない。
真崎先輩にプリントを渡される。
「これは、五月のゴールデンウィーク明けにある新入生のオリエンテーションの計画書です。当面はこれの準備をしてもらいます」
「オリエンテーション、ですか」
「ちなみに、担当は僕と拓杜!よろしく、葵ちゃん」
げ、佐山さんはいいとしてまた如月先輩か……。やけに関わってる気がする。
「ん?なんか嫌そうな顔してなーい?」
「いえ、全然。よろしくお願いします」
隣に座っていた如月先輩がすりすりと寄ってきたので丁重に手でガード。むーっと頬を膨らませる如月先輩。
「……波留は、葵と仲がいいんだな」
「えっ、ちが…」
「そう見えるー?やったね、葵ちゃん」
「くっつかないでください!」
天河会長だけでなく矢田先生まで私たちの仲がいいだなんて思ってそうだ。にこにこしている。
常に無表情な真崎先輩と口数少なめな佐山さんは無反応だが、きっと同じ誤解をされてる気がする。
「さて、あと質問があれば波留にでも聞いてくれ。仕事を始める」
「は、はい」
天河会長は真崎先輩から書類の束を受け取ってから部屋を出ていった。忙しいんだな。
「真崎くん、ちょっと」
真崎先輩も矢田先生に呼ばれて出ていく。残ったのは三人、オリエンテーション準備組だ。
「じゃ、僕たちも始めようか!」
校舎の一階にある会議室に移動する。窓の外にはグラウンドが見え、生徒が部活動をする姿が見えた。
「部活動、普通にやってるんですね」
「全寮制の金持ち学園、として世間にはアピールしているからな」
佐山さんが説明してくれる。
「実際には《天使の使い》を目指す者のみ受け入れているが。まあ卒業後は使いの仕事をしながら大学に行く者もいるし、それなりの教育も受けさせるし部活もさせる」
「皆さんは部活されてないんですか?」
「する暇がない」
まあ、そうだろうな。
私が知っている学園の情報はまだ少ない。ちょっとずつ吸収しないと。
「はい、これ資料!二人とも見て」
如月先輩に渡された資料には、去年までオリエンテーションで行った企画がまとめられていた。
「簡単なミニゲームをいくつかしているんですね」
「まあ、新入生の交流が目的だし。何か他にやりたいことある?」
他に……。そう言われても、今までオリエンテーションなんてしたことがないし思いつかない。
「思いつきませんけど……、ミニゲームだけってのも嫌ですね」
「なんで?」
「私みたいに友達のいない人間には、突然皆と交流するためにミニゲームをするなんて辛いです。五月のゴールデンウィーク明けだなんて、ある程度グループも出来上がっている時期ですし」
「ああー、なるほどねぇ」
常に人に囲まれていそうなあなたには分からないでしょうね、ぼっちの気持ちなんて。
佐山さんがぽつりと呟く。
「じゃあ、グループでやるミニゲームは避けるべきか。するとしても最後だな」
「そうですね。あ、それなら始めはじゃんけんからとか。じゃんけんなら、初対面でもしやすいですし」
「あとは○×クイズとかどうっ?それから――」
意見はぽんぽんと出てきて、その日は話し合いをして終わった。
昨日は、なんだか充実してたなぁ。問題は山積みなのにそれをちょっとだけ忘れられたというか。
生徒会と朝食を食べるのは嫌なので昨日同様早めに寮を出て校舎へ。視線はスルーして教室へ向かう。
ここでの生活にも慣れてきた。人間、順応するのは早いものだ。
教室に入り席に着く。教科書を取り出し予習を始めようとしたとき、机に陰が落ちた。
顔を上げた先には、男子生徒がひとり。クラスメイトだろうか。真面目そうな人だ。
「お前、なんでここにいるんだ」
突然の言葉と鋭い視線。やばい空気だ、と周囲を見ればまだ他に誰もいない。
「聞いてるのか」
「…………」
私はすっと立ち上がり男子を見返す。それが生意気な態度に見えたのか、彼は唇をかんだ。
「お前、《悪魔の使い》なんだろう。なんで処刑されないんだよ。ましてや、生徒会に入るなんておかしいだろ!」
「……私も不思議ですよ。ただ、上の方の判断でここにいるだけです」
上の方、で生徒会を想像したのか、それともユーリスの方か――それは分からないが、彼はますます口調を荒げる。
「目障りなんだよ、悪魔どもの手下がここにいるなんて!お前がいるだけで学園が穢れる!」
ひどい言い様だ。《天使の使い》は悪魔に関わるものを見下しているらしい。
この程度の罵倒は覚悟していた。私が何の反応もしないので、男子の怒りは沸点に達する。
「なんか言えよッ!!」
「っ!?」
穢れた体に触りたくない――だから彼が手にしたのは、椅子。
さすがにそれは、流血沙汰になってしまう!慌てて逃げようとした瞬間、
「何してるんだ」
押し殺したような低い声が聞こえたと思ったら、男子が振りかざしていた椅子を誰かの手が奪った。
「……佐山さん!?」
「さ、佐山……!」
佐山さんは椅子を静かに下ろしてから、男子を見る。無表情だがその眼光は鋭く、私ですら後ずさってしまう。男子は可哀想なほどに怯え、震えてしまっていた。
「ち、違うんだ、これは……!」
「何が違うんだ?」
怒って、る。温厚な佐山さんが、怒ってる……。
佐山さんから発せられる怒気に圧倒され、男子は口をぱくぱくさせるだけで何も言えなくなる。
佐山さんはちらっと私に目を向ける。
「怪我はしていないか?」
「だ、大丈夫……。あの、その人、まだ何もしていないからそれ以上怒らないであげて」
罵倒はされたが、あれは特に私にダメージはない。怒らないでほしい。危害を加えようとするのは間違っているけれど、男子の意見は正論でもあるのだから。
佐山さんはこくりと頷き男子に一言。
「浅倉に怪我をさせればどうなるか、これで分かったな?」
「は、はいっ!すみませんでしたっ!」
男子は一目散に教室から逃げて行った。
私は佐山さんに近付き頭を下げる。
「ありがとうございました」
「いや、礼はいらない。浅倉の保護も生徒会の仕事だ」
あー、私が怪我したとなればあの天使がうるさそうだ。お疲れ様です。
「こういうことも起こり得る。だから、一人で行動するのは控えてほしい」
「……うっ」
「生徒会のメンバーが嫌いか?」
嫌い、というか。監視されるのが嫌なのだ。元間者が何をほざいているんだ、と真崎先輩辺りに言われそうだ。
「……分かった。心がけます」
自由を与えられているだけで奇跡なのだ。……そのことを忘れかけていた。
「浅倉は、一人で考えすぎだ」
「え?」
「俺たちに相談しろとは言わないが……肩の力を抜いてほしい」
私は佐山さんをまじまじと見返し、ふっと息を吐いた。
「無理です、そんなの」
学園生活を謳歌している場合じゃないの。
「私は《悪魔の使い》で、隙あれば味方のところへ帰ろうと思っているんですよ。あなたたちと仲良くなる暇はないし、考えることをやめるわけにはいきません」
「それは本心か?」
天河会長の声。
声のした方を見れば、天河会長が腕を組んで扉にもたれていた。
「お前は、板挟みになっているように見える。《悪魔の使い》としの責務と……ここでの生活を楽しみたいという思いでな」
私はゆっくりと目を開く。
「お前、《悪魔の使い》たちの元へ帰りたいとは思っていないんじゃないか。嫌だったんじゃないか、前の生活が」
何も言えず、ただ天河会長を見る。唇を動かそうとしても、何の言葉も出てこない。
天河会長の言う通りだったから。
私は確かに、あの生活が嫌だった。