週末
本日は休日。全寮制のここでは外出届を出さねば外に出れない。しかし、面倒な手続きが必要であり、学園の情報を口外できないよう術をかけられるので外出する人は少ない。もちろん私は外出届を出す権利すらない。
……ちなみに人間に術は使えないはずだが、《天使の使い》は天使の力を籠めた護符を介してなら術を使えるらしい。そんな手段を手に入れているなんて知らなかった。もし《天使の使い》がこの術を実戦で使われれば簡単に《悪魔の使い》は壊滅してしまう。
早く皆に知らせないと……。
なんてことを考えながら服を着替える。休日なので私服だ。この服は、生徒会から貰ったもの。シンプルなデザインでなかなか好みに合っている、誰が選んだのだろう。
今日は何をしようか。外部と通信できないよう携帯は没収されている。読書か勉強ぐらいしかすることがない。
とにかく朝ごはんを食べに行くか。
「おっはよーう葵ちゃんっ!」
「……………おはようございます」
「え、何その数秒の沈黙!葵ちゃん相変わらず冷たいなぁ」
朝からハイテンションな如月先輩からできるだけ離れて、同じテーブルにつく。しかし、如月先輩が席を移動して隣にやって来た。
「今日はねー、拓杜と楓は用事があって外出したんだ。侑ちゃんは忙しそうだし今日は僕と一緒にいよ?」
「嫌です」
「ええっ!!」
「監視はしなくても大丈夫です。一日自室にこもってますから。外から鍵をかけても構いませんよ」
「そんなこと言わないでーっ!暇なんだよーっ遊んでよーっ」
ああ、うるさい。早く食べて逃げよう。
「あ、葵だー。よう、おはよう!」
バン!と背中を叩かれた。この力強さは、まさか。
「冬夜君と、夏代ちゃん……」
寝癖で髪があちこち跳ねている冬夜君と、彼の後ろに隠れるツインテールの夏代ちゃんがいた。
私は呆然としてしまう。人の多い食堂で気さくに話しかけられたから。夏代ちゃんは冬夜君についてきただけだろうが、冬夜君は周囲の視線が気にならないのだろうか。
如月先輩も私と同じことを考えているのか唖然としていた。
「葵は髪が真っ直ぐでいいなー!俺なんか跳ねまくってるぜ」
そして、ごく自然に向かいに座る。夏代ちゃんも冬夜君の隣へ。二人は朝食の載ったトレイを持っていなかった。
「もう食べたの?」
「おう。出ようとしたら葵が見えたから来た。あっ、如月先輩おはようございます!」
「お、おはよう」
あの如月先輩ですら戸惑っている。冬夜君、かなりの強者かも。でも、夏代ちゃんは居心地が悪そうにもじもじしているんだから、彼女を連れてさっさと出ていくべきでは。
「葵ちゃん、この二人は友達?」
「……特別訓練で同じAグループなんです」
友達ではないと思う。
「なー、葵今日暇か?俺らと過ごさねぇ?まあ特にすることはないけどさ」
「「え」」
見事に私と如月先輩の声がハモった。なんなんだ、こいつは。
「どうして、私を?昨日同じグループになっただけなのに」
「んー、面白そうだから!お前の事情とかひっくるめて。俺、面白い奴に興味があるからさ」
変な人だ……。けど悪い人じゃなさそう。今日一日、如月先輩と過ごすよりはこの双子といた方が楽かも。
「……わかった、いいよ」
「えっ!?僕は!?葵ちゃん!」
「天河会長のお仕事でも手伝ったらどうですか」
「でも、侑ちゃんに監視しろって……」
「じゃー如月先輩も!」
え、待って冬夜君。如月先輩といたくないからあなた達を選んだのに。
「ほんと!?ありがとう、えーっと………」
「橘冬夜です!こっちは双子の姉の夏代!」
「ありがとう、冬夜君、夏代ちゃん!」
あー、もう。騒がしくなりそう……。
生徒のために、寮には娯楽施設が設けられている。体を動かすための体育館や、ゲームができる部屋など。……私たちは、それらの娯楽施設を無視し何故か私の部屋にいた。
「なんでここなんですか」
「んー?あっ、如月先輩、ボードそこに置いてください」
なぜ、わざわざ私の部屋で双六をしようとしているんだ……。
反論しても冬夜君と如月先輩は聞いてくれなさそうだ。ちらっとびくびくしている夏代ちゃんを見るが、目が合うとそらされてしまった。
夏代ちゃんは白とピンクのガーリーなワンピースとニーハイソックスを着て、とても可愛らしい。私はああいうのが似合わないから羨ましいな。今も薄紫のパーカーに茶のパンツと、かなり地味だし。
冬夜君はまだ4月だというのにTシャツとジーンズ姿。如月先輩は七分袖の青いシャツと黒の丈が短いパンツ。それぞれ性格が出ている。
「ん?葵ちゃんどうしたの、こっち見て」
「ファッションチェックしてました」
「え、僕の評価は?」
「口調はかわい子ぶってるくせに服装は大人しめですね。本性は真面目なんですかね」
「…………」
「準備できたー。葵、如月先輩!」
冬夜君に呼ばれたので視線を移すと、すっかり双六の準備が整っていた。
「ボードゲームなんて久しぶりだなぁ。懐かしー」
「順番どーします?やっぱじゃんけんか」
そのじゃんけんの結果、私がトップバッターに。
サイコロを転がし、止まるのを待つ。止まったのは……1だ。
「ははっ、1かよ!進まねー!」
「どんまい、葵ちゃん」
「……別にいいです、まだ最初だし」
円錐の赤いコマを一マス動かす。『初恋の人のイニシャルを言う』と書いてあった。
「お!いーねぇ」
「………いやです」
「いいじゃん、言ったところで僕らには分かんないよ」
それもそうだ。それに、私の初恋は……。
「Y、です」
「Yねぇ。侑ちゃんとかYだな。あと……あ、」
「……ユーリス様」
ずっと黙っていた夏代ちゃんがその名を口にした。如月先輩が私を見る。違いますからね。
「諭吉っていう昔買ってた犬ですよ」
「えっ、待って何その突っ込みどころ満載の名前」
「いい響きじゃないですか、諭吉って」
「……犬種はなに?」
「ポメラニアンです」
「葵、おめぇそんな可愛い犬になんつー名前つけてんだ……」
諭吉は私が中一の時亡くなった。生まれた時からずっと恋をしていました。本当です。
「次は僕だね!」
続いて、如月先輩は……4。まずまずですね。
「えーっと……『最近気になることを言う』。うーん、なんだろ。やっぱ葵ちゃんについてかなぁ」
「俺も気になるーっ!」
「へぇ、そうですか」
「「冷たっ!」」
次は冬夜君。サイコロの目は2。
「あれ、いまいちだな」
「私のこと笑えないね」
「くそー。なになに、『あとで皆にアイスをおごってもらう』。……よっしゃあああ!」
うわ、ムカつく。なんだこいつ。
「次は夏代ちゃんだよー」
如月先輩に言われ、夏代ちゃんがこくんと頷く。緊張して震えながらサイコロを転がす仕草が可愛らしい。
出た目は、6。……強運の持ち主のようだ。
「えっと、『好きな人の名前を言う』………」
「ま、待ったああ!!」
慌てて冬夜君が止める。
「い、いないだろ、夏代には?まさかいないよな?」
姉の恋は容認できないらしい。なんとなく感じてたが、やはりシスコンか。
夏代ちゃんは小首を傾げる。
「いるよ?ここに」
「えっ?」
「私の、好きな人は冬夜……だよ?」
…………えっ。
「夏代……!そーかそーか、俺もだ!夏代が好きだ!」
「ふふ。ありがとう」
私と如月先輩は唖然とするしかなかった。
双六で遊ぶのをやめ、トランプなどでも遊んでいるうちにお昼になった。
冬夜君と如月先輩はそれなりに楽しんでいた。対する私と夏代ちゃんは終始無言だった。
トランプや双六なんて久しぶりに遊んだから、上手く楽しめなかったのかな。それに、責務とか息苦しさが重しになったのかも。
「おっ、焼きそばかぁ!うまそー」
トレイに焼きそばを載せて、空いている席を探す。ほとんど埋まってしまっていた。
「あ、侑ちゃんだ」
如月先輩の視線の先を見ると、天河会長が一人で焼きそばを食べていた。近寄りがたいのか周りの席が空いている。
「侑ちゃーん!ここ、座っていい?」
「ああ」
会長の目が私と双子に向けられ、怪訝そうにする。双子が気になるらしい。
「この二人はね、葵ちゃんの友達!」
え、だから友達じゃないってば。誤解されるからやめてください。
訂正しようと前に出る前に、冬夜君が会長に近付いた。
「こんにちは、天河会長!橘冬夜っていいます!」
「橘夏代です……」
天河会長は双子を一瞥して「そうか」と言った。あとは勝手にしろ、と言いたげに焼きそばを食べ始める。
私たちはとりあえず席についた。如月先輩は会長の正面、その隣に双子。私は会長の隣には座りたくないので、一つ空けて座った。
「侑ちゃん、午後も仕事?」
「ああ。色々と溜まっているからな。波留、お前も遊ぶだけじゃなく仕事しろよ?」
「分かってるってば。明日はそっち手伝う?」
「そうだな、頼む。……葵」
突然呼ばれたので驚いて、箸から焼きそばがこぼれ落ちた。天河会長が横目で私を見ていた。
「明日、第三校舎に行け」
第三校舎、って………。
確か、ユーリスがいる所?会いに行けということ?
双子がいるせいなのか、会長はそれ以上何も言わなかった。
「午後は何しよっかー」
昼食後、食堂の外で相談。私は一人でいたいが、聞き入れてくれると思えないから黙る。
第三校舎に行け、という言葉が気になって遊ぶどころじゃないのに……。もしユーリスに会うなんてことになったら、どうしよう。いずれ会いたいとは思っていたけどまだ早過ぎる。対策も立てていないし。
頬を撫でた手の感触はまだ忘れられない。鎖骨を滑った感触も。あの人はなんというか、身の危険を感じる。
ああ、やっぱり遊んでいる場合じゃない。
「私、部屋に戻りたいです」
「え、部屋で遊ぶ?」
「そうじゃなくて……疲れたので休みたいんです」
半分嘘だ。疲れてはいるけど、休みたいのは考え事をしたいから。
夏代ちゃんが心配そうに私を見上げた。
「大丈夫、葵ちゃん……?」
可愛い。くりくりの目が初めてまっすぐに私を見つめた。大丈夫、と苦笑を返す。
「そーかー。仕方ないな、また今度仕切り直すか」
「ごめん、冬夜君……」
「じゃ、僕が部屋まで送るよ」
え。それは遠慮したい。笑顔の如月先輩を押し返すが、腕をとられた。そして、耳元で短く囁かれる。
「ユーリス様のこと教えてあげる」
―――――!
はっとして如月先輩を見るが、すでに彼は双子に手を振っていた。私も双子に会釈する。
ユーリスのことを考えたいのだと見抜かれていたらしい。如月先輩と二人きりになるのは嫌だが、情報を得る方が重要か。
腕を放してくれないか、とお願いするとあっさり放してくれた。
「また女子寮に行くのもあれだし、校舎に行かない?」
「そうですね」
本来女子寮に男子は入れないのだが、さっきは如月先輩の権力を行使された。昼だからまだいいけど、夜に行使されたらたまったもんじゃない。戸締まりはしっかりしよう。
学園には、第六校舎まである。生徒が主に使うのは一と二。三はユーリスのいる校舎、四は生徒会専用、五は部活用、六は生徒は立入禁止ということしか分からない。
如月先輩が向かったのは第四校舎だった。
「生徒会って四人しかいないのに、こーんな大きい建物いらないよねぇ。あ、もうすぐ葵ちゃんも入るんだっけ。今度案内するね」
「天河会長はここでお仕事を?」
「あー、どうかな。いるかも。もしかしたらユーリス様のとこかもしれないけど」
「会長は、特にユーリスに信頼されてますよね。やはり会長だからですか?」
「その辺の話は着いてから、ね」
唇に指を当てて言ってから先輩は校舎の扉を開けた。中に少し入ったところにまた扉がある。ここに天使の力で結界が張られており、生徒会の人間がいなければ扉は開かない仕組みだ。
「どこがいいかなー。誰かに聞かれるとまずいし……あ、あそこにしよう」
無言でついていく。着いたのは、二階の最奥の部屋。中は学校らしくない、お城の客間のような内装だった。
部屋の中央にはテーブルとソファが並んでいる。
「座って座ってー。お茶とかいる?」
「いえ、食べたばかりですし」
「んじゃ、始めよっか」
向かいになってソファに座る。体が沈んでついリラックスしそうになるが、背筋を伸ばし如月先輩を見据える。
「話せないことは言わなくても構いません。けど、嘘を言うのはやめてください」
「分かった」
頷く先輩。飄々として掴みにくい彼のことだ、上手くはぐらかされる恐れもある。気をつけないと。
「それじゃあ……この学園にはユーリス様しか天使がいないんですよね?」
「うん。まぁ、たまにユーリス様の部下の天使とかは来るけど」
「ユーリス様は強いんですか?」
「そりゃもう、強いよ。天使の中でトップクラス。見た目は若いけど結構生きてるし」
「ユーリス様が学園から離れることは可能ですか」
「うーん、今は無理……あ、十年前ならまだここの理事長じゃなかったな」
私と出会うことは可能だった。そのきっかけを知りたいところだが、そこまで如月先輩が知るはずがない。
「ユーリス様ってほんと謎なんだよね。何の実績もなかったのに八年前突然ここの理事長になったんだ。その後の生徒には皆ユーリス様の刻印があるよ」
「刻印があれば何かいいことがあるんですか?」
「んー、《天使の使い》の証みたいなものだからな。役割ってあるのかなぁ。あ、葵ちゃんは刻印があったから学園の結界が効かなかったんだっけ」
「はい。じゃあ何かしら力はあるんですね」
私は、そもそも《悪魔の使い》だから天使に関する知識は乏しい。いや、悪魔についても詳しいわけじゃないけど。
「ユーリス様はどんな性格なんですか?明日会う上で気をつけるべきことを知りたいんです」
「とても慈愛に溢れた心優しい天使……ってのは表の顔で、実際は違うよ。葵ちゃんには無条件に優しいかもだけど」
「如月先輩と同じ裏があるタイプですか」
「うわー、僕あの人ほどじゃないのに。同じにされたら困るなぁ」
如月先輩がそんなに言うなら、余程裏表の激しい人なのか。あまり逆らわない方がよさそうだ。
「葵ちゃん、一体ユーリス様に何したの?ユーリス様があんなにデレデレなの初めて見た」
「……何もしてないとは思いますけど。何したんですかね、私」
《謁見の間》で対面したときのユーリスの態度は、自惚れてなくとも私を溺愛していると分かるものだった。無愛想で可愛いわけでもない私のどこに溺愛する要素があるんだろう。小さいときは可愛かったのか?
「聞いても教えてくれなさそうだし、明日は黙っておきます。そもそも何故私が第三校舎に行かなきゃならないのか分からない」
「それはやっぱ、ユーリス様が君に会いたいからでしょ」
「……それだけで?」
「ユーリス様土日は仕事してないから暇なんだよ」
仕事しろ、理事長。
ああ、不安だ。果たして無事乗り切れるだろうか。天河会長の言い方からして一人で行かなきゃならないようだし。
「その代わりに侑ちゃんが働いてるんだよねー。生徒会に入ったら具体的な仕事内容が分かると思うけど、何するにも侑ちゃんの承諾がいるんだ。なんていうか、ユーリス様が表向きは学園を仕切ってるけど実際仕切ってるのは侑ちゃん」
「だから頻繁に会ってるんですね、二人は」
天河会長も相当の権力を持っている。そんな人がユーリス様の追放を目論んでいる……。本当なら、何か大きな理由がありそうだ。本当だったら。
ああ、真偽の分からない情報だらけだ。
考え込む私に如月先輩は笑いかける。
「がんばれー、葵ちゃん。このぐらいこなさなきゃ脱走なんて夢のまた夢だよ」
「……先輩、私が脱走できるとは思ってないでしょう?」
「うん、万が一逃げても僕が捕まえるし。だからこうしてペラペラ情報話してるんじゃーん」
くっ……なめられてる。まあいい、油断させておこう。
「あと、聞きたいことはある?」
「いえ、いいです……。後は明日に備えて休んでおきます」
「もういいの?全然話してないのに」
「じゃあ、何か忠告とかありますか?」
如月先輩は宙を見上げ考える仕草をしてから、あっと一声上げた。
「葵ちゃんは、もっと笑うべきだと思うな」
「愛想が悪いと?」
「うん、そんなんじゃ味方増えないしやりづらいよー?笑顔さえあれば気を緩めさせられるのに」
「……笑い方を忘れてしまったんですよ」
ほら、こんな時も苦笑しか出てこない。
如月先輩はじっと私を見つめた。哀れんでいるような、困ったような目で。
「……じゃあ、僕が思い出させてあげる」
「……え?」
榛色の瞳と目が合う。先輩はにやりと好戦的な笑みを浮かべた。
「僕、葵ちゃんのこと嫌いじゃないよ。だからこれからも気まぐれで助けてあげるし、沢山遊んであげる。それで……」
一拍置いて、自信ありげに先輩は宣言する。
「絶対葵ちゃんを笑わせる」
ふざけた雰囲気は消えて真剣に宣言されたものだから、私は戸惑ってしまう。
如月先輩は嫌いな人ランキング一位だったはずなのに、今、不快感はない。なんだろう、この感じは。
「それでー、葵ちゃんにずっと学園にいたいって思ってもらえればいいなぁ」
「ありえません」
さすがに即刻否定。……先輩はどうして、私に優しいんだろう。甘すぎやしないか。数日前容赦なく私を捕まえたばかりなのに。この人は、そういう変わりやすい性格なのかな。
敵にすると痛い目を見るけど、味方になれば役に立ってくれるかも……?……いや、味方になるなんてありえないか。
「さて、休むんでしょ?寮まで送るよ」
「ありがとうございます……」
さあ、明日に向けてしっかり休んでおこう。
一人で考え込んでしまう葵ですが、如月先輩や双子と話せるようになってきた……かな?
如月先輩は葵のことを面白い子だなーと思っているのでなんだかんだ助けてくれます。逃がす気はありませんが。ただ葵が頑張っている所を見ていたいんです、面白いから。
次章、ユーリスとの対面はどうなるのか…?