決意
シリアス終わってませんでした。
この世界は、天使と悪魔のために創られた世界だ。
天使は魔界に、悪魔は天界に、それぞれ立ち入ることができない。だから、戦うための世界を創った。それが私たちの住む世界。
普通の人間は天使や悪魔が実在することすら知らないが、中には天使や悪魔の手伝いをする人間がいる。それが、《天使の使い》、《悪魔の使い》と呼ばれる者たち。
そして、この学園は《天使の使い》を育てるための学園。
……ただの間者として殺される方が、マシだった。こんな、奇異の目で見られるくらいなら。
「《悪魔の使い》って、ほんとなの?」
「なんか、事情があって学園に通い続けるらしい」
「図々しい奴。目障りだな」
寮の食堂で、私は朝から生徒たちの視線に晒されていた。
無理もない。私は敵だ。今は戦う意思がないとはいえ、敵に変わりはない。
私のいるテーブルから離れ、口々に悪口を言う声。それが食堂内に満ちている。居心地が悪すぎる。
さっさと食べて、校舎に行ってしまおう。どうせ、声からは逃れられないけど。
「おっはよー!葵ちゃんっ」
「げ」
目の前に現れた小さな人影に、思わず声が出る。
現在嫌いな人ランキング堂々第一位の、如月波留。彼は私の正面に座った。
「なに、『げ』って。失礼だなぁ」
「すみません、思わず。私、あなたが嫌いなので」
「へーっ、そうかー。ショックー」
にこにこと笑っているつもりのようだが、如月先輩の目は笑っていない。そっちが本性だな。
「そんなに拷問がいやだった?ごめんねー」
「いえ、もう記憶から抹消したのでお気になさらず」
拷問というワードに周りがざわついた。皆、完全にこちらに注目している。
どう行動しようと注目を集めてしまうことは分かりきっているが、できれば生徒会と一緒にいたくない。叶わない望みだろうけど。
「おはよう、葵」
次は、天河会長がやってきた。佐山さんもいる。
「……おはようございます」
ざわつく声の中に、キャーという悲鳴が混じってきた。まあ、皆さん見目麗しい方ばかりですしね。
「楓はー?もう学校行ったのぉ?」
「ああ。先生方にこいつの説明をさせに行かせた」
ていうか、なんでこの人たち私のところに集まってきたの。……監視する気か。
「……浅倉。大丈夫か」
斜め前にいた佐山さんが話しかけてきた。
「何がですか?」
「……いや、難しい顔をしていたから」
確かに、していたかも。
私は眉間を指で揉みほぐしてから佐山さんに頭を下げる。
「すみません、これが私ですので。気にしないで下さい」
「……そう、か」
「なーんか、葵ちゃん拓杜に対して優しい気がする」
如月先輩がじとーっと私たちを見ていた。
生徒会のメンバーの最低でも一人は、常に私の側にいた。
《悪魔の使い》を学園に通わせることに反対する教師も多いと天河会長が言っていた。だから、生徒会が責任を持って監視するということで承諾を得たらしい。
この学園は《天使の使い》が管理しているが、一応天使が理事長になっている。それがユーリス。彼の言葉は絶対。
私に彼の刻印さえなければ、生徒会は面倒な仕事を増やさずに済んだ。天河会長や、真崎先輩からはそういう苦々しい思いが伝わってくる。
しかし、如月先輩は言わずもがな、佐山さんからも面倒だという感情は伝わってこない。
「次、移動だ。……第二美術室、分かるか?」
休み時間ごとに、隣の席の佐山さんはご丁寧に話しかけてくる。
「分かりません」
「そうか、行こう。案内する」
言葉は少ないけれど、気遣いを感じる。素直に、いい人だなと思った。
《天使の使い》は敵。これまで見てきた彼らは残酷でとてつもなく強くて、恐れるべき存在だった。養成機関にいるうちは、丸い人も多いのかな。
今日の授業は、次の美術で終わり。放課後は、生徒会室に呼ばれている。
「……浅倉は、学校に通っていたのか?」
美術室に向かう途中、唐突に訊かれた。
「情報を得る気ですか?」
私を懐柔して敵の情報を得たいという算段か、と落胆する。しかし、佐山さんは否定した。
「違う。ただの雑談だ」
「……そうですね、私個人のことはとうに調べてあるでしょうね」
話の種が欲しいだけか。……それで話して仲良くなって、機密を知りたいということか。
常にマイナス方向へ向かう思考にうんざりしつつ、口を開く。
「ここみたいに《悪魔の使い》の学校がありましたから、通っていました。ここより随分と小さいですけどね、人材不足なもので」
現在は天使の数が多く、悪魔は絶滅しかけている。だから《悪魔の使い》の数も少ないのだ。
皆、今ごろ何をしているだろうか。私がこんなことになっているなんて、想像していないだろう。いくらなんでも、潜入初日からバレるだなんて。
天河会長は、どうしてすぐに私の正体に気付いたんだろう……。
「そうか……。頭はいいのか?」
「人並みです。運動は得意ですけど」
「そういえば、波留先輩を苦戦させたらしいな」
……ああ、追いかけられたときのことか。
「結構粘りましたね。入学式が終わったのが3時だから……6時間逃げました」
「波留先輩は、生徒会内で一番運動神経がいい。先輩と一緒にいた二人も。彼ら三人は《追跡衆》と呼ばれている」
おいおい、なんか情報与えられてるけど。いいの?私、敵ですよ、一応。
そんな思いが伝わったのか、佐山さんは補足する。
「学園にいれば知れる情報だ。《悪魔の使い》に知られても構わない」
「へえ、そうですか。余裕ですね。さすが《天使の使い》サマ」
皮肉っぽく言ってみる。佐山さんは全く動じなかった。なんていい人だ。
美術室に到着した。生徒たちが私に向ける視線は、いまだ刺々しいままだった。
放課後、第四校舎にある生徒会室に佐山さんと向かった。
第四校舎は、ほぼ生徒会専用の建物らしい。学園内の《天使の使い》をまとめる生徒会にはそれなりに仕事がある、とかなんとか。
生徒会室には、まだ真崎楓先輩しかいなかった。
「会長と如月先輩がいらっしゃるまで待ってくださいね」
真崎先輩はソファに座り、書類を見ていた。私がなんとなく向かいのソファに座ると、彼は顔を上げた。
「浅倉さん、授業はどうでしたか」
「まだ最初なので、なんとも……。あ、でも……授業、普通の内容なんですね」
《天使の使い》を育成する学園だから、特別な授業があるとばかり思っていた。
「ああ、今日は特別訓練はなかったんですか」
「特別訓練?」
「それなら明日あります」
壁際に立つ佐山さんが答える。なんで座らないんだろう。
「なら、明日をお楽しみに。《悪魔の使い》の教育方法は知りませんが、私たちの教育方法はキツいですよ」
「は、はい……」
特別訓練、ね。何の訓練だろうか。
天使や悪魔は魔法みたいなものを使えるらしいけど、使いは使えない。あくまで、天使や悪魔の人間界での生活を補助したり、敵の様子を探ったりする程度だ。
運動能力を高める訓練かな。そうじゃないなら、天使について勉強するとか……。
「やっほー!遅くなってごめんねー」
如月先輩だ。……と、後ろに誰かいる。
天河会長じゃない。けど、見たことのある人だ。スーツを着ているから、教師だろうか。幼めな顔立ちで、制服も似合いそうなほど若々しい。真面目に見せるためにかけたらしい眼鏡は、なんだかアンバランスだ。
「あ、葵ちゃん知らないかな。この人はー」
「矢田瑛一。生徒会の顧問です」
如月先輩の言葉を遮って言い、私へ頭を下げる。眼鏡だけでなく中身も真面目そうだ。
「……どうも。浅倉葵です」
あ、そうだ。この人、牢に来たな。あの時いたのは、生徒会四人に加えて、矢田先生で全員ね。
如月先輩が私の隣に座ろうとしたので、さっと距離をとる。先輩は不満げに頬を膨らませたが無視。
そういえば、天河会長は?
「あ、侑ちゃんはユーリス様のとこに行ったよ。話は先に進めててって」
ユーリス様。彼のせいで面倒なことになったのか、それとも彼のおかげで命が助かったのか。きっと、前者だ。
一度、色々と質問したい。どうして私に刻印を与えたのか、とか。まあ生徒会に監視されている今は無理だろう。
そうですか、と真崎先輩が返事をし、持っていた書類を手に立ち上がる。
「では。天河会長に代わりまして、進行を務めます。本日集まってもらったのはもちろん、浅倉葵に関することについて話し合うためです」
まあ、そうでしょうね。
「拓杜。今日、生徒を見てどう思いましたか」
「……浅倉を避けている」
「当然ですね……」
そりゃそうだ。敵だもの。
「何故敵を学園から追い出さないのかと皆疑問に思っているでしょう。このままでは、浅倉さんの身が危ない」
「そうだねー。どうするの、楓ぇ」
「浅倉さんに、生徒会に入ってもらい、かつ《悪魔の使い》を裏切ったのだということをアピールしてもらいます」
…………は?
「なるほどー!生徒会には絶対服従だしねぇ。でも、葵ちゃんにそんな権力与えちゃっていいのぉ?」
「実質的な権力は与えません。名前だけです」
「待って」
会話を遮る。私の出した声は、思ったより大きく室内に響いた。
「私に……《悪魔の使い》を裏切ったと、演技をさせる気ですか?」
「既に裏切ったようなものでしょう。あなたは仲間の元に帰れないのでしょう?」
そう、だけど……っ!ユーリスの刻印があることが皆にバレれば殺される。私には、自ら死ににいく覚悟はなかった。だから学園にいるしかない。
けど、皆を……《悪魔の使い》の皆を裏切るなんて、フリでも嫌だ。
「私はまだ《悪魔の使い》です。裏切ったフリなんてできません」
きっぱりと言い切る。如月先輩は目を丸くし、真崎先輩は小さく舌打ちした。
「面倒な性格ですね、あなた。《悪魔の使い》を裏切れないというなら、自害するのが道理でしょう?」
ビク、と肩が震えた。
「楓!」
「私たちに監視されている時点で、あなたの任務は完遂できない。仲間の元へ戻ったとしても刻印が見つかれば殺される。じゃあ……《悪魔の使い》としての誇りを持ったまま死ねばいいのでは?」
「楓。やめな」
その通りだ。本当にその通り。でも、私は、私には。
「死ぬ覚悟もないのに、間者を務めるなんて馬鹿ですね」
死ぬ覚悟が、ない。
如月先輩が立ち上がろうとする前に、移動した佐山さんが真崎先輩の肩に手を置いた。佐山さんを振り返る真崎先輩に、彼は首を横に振る。
私はうつむいて、膝の上で拳を作った。手は汗ばんでしまっている。
「葵ちゃん……」
如月先輩が顔を覗きこんできた。やめてください。優しいフリをするのは。
私は臆病で弱虫なただの脇役だ。天使の刻印のせいで学園の結界が効かなかっただけの脇役。私は、《天使の使い》にうまく利用されて捨てられるだろう。一瞬だけ、主役たちに近付いたあとで。
「《悪魔の使い》の数は少ない……。皆、もうすぐ天使に滅ぼされると悟ってる」
知らず知らずのうちに話し出していた。
真崎先輩の視線が突き刺さる。それを避けるように目をそらした。
「だから……私を送り込んだのも、大した意味はないんです。成功するわけがないけど試しにやってみるか、程度なんです。私に価値はありません」
皆はすでに、戦うことを諦めているから。
「……そんな奴ばかりのところに、まだ帰りたいのか?」
聞いてきたのは佐山さんだった。間髪入れずに頷く。
「もちろんです。私の居場所ですから」
弱くても、馬鹿でも、別にいい。天使の刻印を許さず私を殺そうとする人たちであることも分かっている。
私の居場所は、あそこにしかないんだ。
「……そうですか」
真崎先輩と目が合う。震えそうになったけど、真っ直ぐに見返した。
「あなたがまだ誇りを持ち、仲間の元に帰りたいという思いは分かりました」
「……どうも」
「では、そのままの思いを持ち続けて構いません。私たちから逃げようとあがけばいい。それはあなたの自由です」
……え、いいの?余計な真似はするなって言われると思ってた。
「これは取引です。生徒会に入れば、一般生徒に軽んじられることはなくなる。私たちに関わり、《天使の使い》の機密を知ることもできるかもしれない。……良いことだらけでしょう」
「その代わり、《悪魔の使い》を裏切ったフリをしろと?」
「はい。《悪魔の使い》が学園の中枢に入り込んだと思われたくありませんから」
そういうことか。
皆を裏切った真似なんてしたくない。けれど、冷静に考えればこれはチャンスだ。正体がバレた失態を挽回できるかも。そして、天使の刻印をどうにかする方法さえ見つければ……。
「分かりました」
真崎先輩、佐山さん、如月先輩、矢田先生を見回す。
私はまだ、諦めなくていいんだ。
「生徒会に入り、《悪魔の使い》を裏切ったフリをします」
生徒会に入ると決意した葵。決意まで遠回りしましたね。真崎先輩に言いくるめられた感も否めませんが。臆病だから死も怖がる。葵はこれから強くなれるのか……?
次話は天河会長とユーリス様登場です。
ラブコメにしたいのに、なかなか持っていけない……。もう少しお待ち下さい。
○矢田瑛一
生徒会の顧問。基本的に活動に口を出さない。年齢詐称しているとの噂があったりなかったり……。