刻印
私の着ていた制服は土で汚れ、あちこち破けていた。眼鏡の青年は、そんな格好でユーリス様の前に出すわけにはいかないと言って、女生徒の監視をつけて私を着替えさせた。青いワンピースだった。
あとは時間が惜しいらしく、顔の汚れを拭い髪をひとつに束ねた格好で、《謁見の間》に連れていかれた。
それは、第三校舎の最上階にある部屋だった。
部屋に入った瞬間、まばゆい光に目が眩んだ。壁も、床も、天井も白。窓には七色のステンドグラス。壁際には白い百合が一列に飾られていた。
部屋の中心には、誰かに頭を垂れている天河会長がいた。そして、会長の前に立っているのは――。
「天使……」
長い金髪は緩く結われ、背に流れている。白い生地に金の刺繍がされたローブはそれ自体が光を放っているようだった。背には一対の翼があり、碧の瞳が真っ直ぐに私を見ていた。
「……葵」
天使が耳に心地よい声で私を呼ぶ。その声で、ようやくこの天使が男だとわかった。
「葵なんだね」
天使の声に悲痛さが混じる。そんな感情を向けられる理由が分からず、困惑する。
眼鏡の青年が私の肩を押す。行け、ということらしい。
仕方なく天使の元へ向かう。天河会長が立ち上がり、私に場所を譲った。
僅か数歩先の場所に、天使がいる。悪魔の敵である、天使が。
「葵、私が分かるかい」
「……え?」
意味がわからない。天使は微笑んで、私に近付いた。
そして、ワンピースの襟をめくり、鎖骨の辺りに触れた。ズキッとした痛みが走る。
「見てごらん」
言われるがまま鎖骨を見下ろす。その辺りがぼんやりと光っていた。
天河会長が、私に鏡を渡した。それに鎖骨を映す。
そこには天使の羽の形の痣があった。
「これは……?」
呟いた問いの答えは、天河会長が教えてくれた。
「天使の刻印と呼ばれるものだ。……天使が加護する人間に与えられる」
え……?
つまり、私は天使に加護されているの?《悪魔の使い》なのに。
「通常、それは《天使の使い》に与えられるものだ。俺たちのようにな」
衝撃に、頭を殴られたようだった。
「そ、んな……それじゃ、私は」
「葵。ごめんね。君が《悪魔の使い》の家の子だと知らなかったんだ」
天使が私の頬を優しく撫でる。
「君は覚えていないだろうが、葵が5歳のとき。私は君に刻印を与えたんだ。天使にも悪魔にもバレないよう、少し封印してね」
「どうして?」
「……事情があったんだ。時が来たら、封印を解くつもりだった。けど、まさか《悪魔の使い》だったなんてね」
苦笑する天使。
「ユーリス様。浅倉葵を、どうしますか」
天河会長が訊ねる。天使、ユーリスは少し悩む素振りを見せてから口を開いた。
「殺さないでくれ。あとの処遇は任せるから。監視をつけてもいいし、閉じ込めてもいい。けど殺さないでくれ」
天河会長は若干眉をよせたが、頷く。
「分かりました」
「頼むよ。……すまないね」
「いえ、《天使の使い》として当然の仕事ですから」
天河会長は、扉の方を振り返った。
「真崎、如月、佐山。浅倉葵を生徒会室へ」
「了解しました」
頭の中がぐるぐるする。
私は生徒会室のソファに座らされていた。頭の中は、さっき天使ユーリスが言っていたことで埋めつくされている。
つまりは、《悪魔の使い》なのに《天使の使い》に与えられるべき天使の刻印を5歳のときに貰ってしまった。そういうことだ。
このことが仲間に知れたら、私は仲間に刃を向けられるだろう。天使の手先だと思われても仕方ない。
足元に何もない暗闇が広がったみたいだ。私の味方はもういない。私を待っている家族の元に帰れない。
私はただの脇役だったのに。いつの間にか、変な立ち位置に引きずり出されてしまった。
これから、どうなってしまうんだろう。
「おーい、葵ちゃん?おーいってば」
「はい?」
「ようやく気付いてくれた。大丈夫?さっきから眉間に皺寄りすぎー」
「大丈夫です」
あなたに心配される筋合いはありません。牢での一件で、こいつはかなり嫌いになっていた。
そこに、天河会長が入ってきた。
「待たせたな。これからの方針を話そう」
彼は私の向かいのソファに座る。少年と眼鏡の青年も同じソファに座り、背の高い青年は壁際に立った。
「浅倉葵。本来なら処刑していたが、ユーリス様に頼まれては無下にできん。よって、処刑はしない」
「……そうですか」
死ぬのは嫌だったはずなのに、手放しには喜べなかった。
「それで……天使の刻印があることをお前の仲間が知れば、どうなる?」
「殺されます」
「……だろうな」
天河会長は他のメンバーと目配せした。それから私に視線を戻す。
「では、お前にはこのまま学園に居てもらう」
「え?」
「表向きは、《悪魔の使い》を続けろ。但し、奴らに有益な情報は渡すな。そうすれば同士討ちは防げるだろう」
確かに……。
でも、その行為は明確な裏切りだ。裏切り者は、何よりも処罰が重い。
けど、私に拒否権はないようだ。頷くしか、ない。
「分かりました」
「ここの結界は厳重だ。お前が入ってこれたのは刻印のお陰だろう。生徒たちはお前が《悪魔の使い》だと知っているが、生徒たちにバレたことは絶対に外には漏れないから安心しろ」
「はい」
「それじゃ、決定だね!よぉし、自己紹介タイムだ!」
は?どうしてそうなった。
相変わらず理解できない少年は、立ち上がってテンション高く自己紹介を始める。
「僕は如月波留!三年で、役職は副会長!よろしく、葵ちゃん」
「えっ、三年!?嘘!?」
どう見ても見た目は中学生……いや、黙っておこう。
「なんか失礼な反応だなぁ、葵ちゃん。じゃー次、楓っ」
眼鏡の青年がこちらに目を向ける。
「真崎楓です。会計、二年です。よろしく」
「……どうも」
見た目通り冷たそうだけど、悪い人には見えない。
次に、壁際にいた背の高い青年が口を開く。
「佐山拓杜です。書記の一年です、よろしくっす」
同じ学年か。この中では、一番頼れそうだ。
「最後は俺か。天河侑だ。生徒会長、三年。よろしくな」
この人は、如月先輩の次に話したくないな。
「最後じゃないよー、まだ葵ちゃんが残ってる!」
え、私もするの?
全員の視線が集まってしまったので、仕方なく口を開く。
「浅倉葵、一年です。……よろしくお願いします 」
こうして、学園生活が新たに始まった―――。
シリアス終わりです!
次は登場人物紹介を挟みます。