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吾輩は騎竜である

作者: 千田

 吾輩は騎竜である。名前はまだない。

 それというのもこれというのも、我が主が稀に見る、無知で、無精で、無頓着で無粋な不逞の輩であるからだ。


 そこまでを一息に鱗に書き綴った騎竜は、腹立たしいと、その一鱗を投げ捨てた。黒く煌めく鱗は騎竜自身のものだ。竜鱗は魔法鋼に勝るとも劣らない硬度を惜しげなく発揮し、竜舎の内壁を傷つけ、床に落ちた。

 最近は猫も書く、と聞いたので、ならば自分もと日記なるものをつけてみようかと思い至ったのだが、そもそも騎竜は自らを『吾輩』などとは呼ばないし、紙代わりに使おうとした鱗は、騎竜の手には小さすぎて、苦行を課されているのかと錯覚するほどに書きにくい。わざわざそのために紙をせがむのも癪に障るし、騎竜の手に合う筆は特注になってしまうだろう。

 それを待つほどの熱意を、この書き物に対して、騎竜は持ち合わせていなかった。

 不満である。まったくもって不満である。何よりも暇である。暇なのである。

 近頃、主である竜騎士は出世をしたらしく、一月ほど様々な手続きに追われている。それは大変喜ばしいことだ。騎竜は鼻が高い。主の格が上がるということは、騎竜の格も上がるということに他ならないからである。竜と騎士は一蓮托生で、滅多なことがない限り主の命が尽きるまでを共にするため、主の誉れは我が誉れであり逆もまた然り、なのではあるが。

 一月を過ぎ、二月も半ばに迫っている。いくらなんでも、主の足は遠のきすぎやしないだろうか。

 騎竜は寝床に敷かれた藁を、尾で勢い良く薙ぎ払った。そのまま二度、三度振り、藁屑を宙に撒き散らす。いい迷惑であるが、生憎と同じ宿舎を寝床にしている竜は巡回中で、乗り手の訪れない騎竜は独りっきりだった。離れずつかずの位置にいる、白い小さいのは、頭数には数えないことにしている。

「黒は何をしたいんだ」

 有り体に言えば、騎竜は運動不足で苛々しっぱなしだった。



 騎竜の主は、この国では珍しい黒髪黒目の男だった。歳の頃は成人を過ぎていくらかに見える。麗しい見目とは言いがたいが精悍な顔つきで、目鼻立ちもよく見れば整っていた。王侯貴族にいるような派手派手しい美麗さはないが、自らの選美眼を騎竜は絶賛していた。あくまでも、主ではなく自身を誇る辺りが騎竜の竜たる所以である。性格や素行は地味ではあったが、鼻につく成金趣味よりは余程好ましい、と騎竜は概ね、一点以外は主に対して満足をしている。『黒騎士』『黒竜』など、色素の薄いこの国では、黒と称されれば大抵はこの主従を指していた。竜の黒い鱗も、この辺りでは勿論他には居ない。

 黒騎士と黒竜の出会いは、まだ黒竜が幼い時分であった。親竜の目が離れた僅かな隙をついて拐かされた黒竜の檻に、少年だった黒騎士が放り込まれたのだ。珍しい色合いをしていたから目をつけられでもしたのだろうが、黒竜は、何かが隣の檻に入れられた、としか認識していなかった。なにせ仔竜には、口枷に首枷、足枷と魔法具が大盤振る舞いされていたので、力を封じ込められ、過剰な枷により生命力も吸い取られ、道中の記憶も朧気でしかなかったからだ。身体を傷つけられはしなかったが、似たようなものだった。仔竜への扱いに慣れていない、厳重すぎる魔法具は仔竜に負荷をかけ続け、あと少し遅ければ、彼らの苦労も台無しになっていたはずだ。黒竜は夢うつつに、悪態とカチャカチャ鳴る金属音を聞いていた。

 ふぎゃあ、と悲鳴をあげようとして、鼻と顎をしたたかぶつける羽目になったのは、無遠慮に尻尾をつかまれたからだ。生きてた、だか動いた、だか、そのようなことを呟かれた時の憤慨は今も覚えている。人族の子供の癖にこの身に触れるとは何様のつもりか。唸ろうとして自分の状況がつかめず混乱し、そして魔法具にまた意識を刈り取られそうになって崩れ落ちた情けない姿は、正直言って消し去りたい過去だった。

 あからさまに様子のおかしい仔竜を見て、心配そうに声をかけてくる少年もまた、随分と痛めつけられていたようだった。顔はあざだらけ、服は襤褸切れの方がまだましなくらいで、口の中を切りでもしたのか、口の端からは血が滲んでいる。商品としては落第だった。自慢の尻尾に、埃と木屑と砂粒と手垢がこびりついた気がして、仔竜は不満をあらわにしようとしたのだが。

 唸る代わりに、くい、と首を傾げ、仔竜は少年を見た。

 どうやらここは、森の中の小屋らしい。掃除はおろそかで埃臭く、獣臭くはあったので、そう大した組織ではないのだろう。仔竜の親しんだにおいは外からも中からもしなかったので、住処としている山からはいくらか離れた場所であるらしかった。窓は上の方に小さく明かり取りがある程度で、脱出には向かなさそうだ。鉄製の檻には魔法の気配はしないので、口に首に、手足にとつけられた魔法具さえなければ、すぐにでも壊せるだろう。

 立ち歩くことはできなかったので、仔竜は少年の檻の側へと這いずり近寄った。

 血と共に漂ってくる魔力の香が心地良い。仔竜は愕然としながらも落ちる意識を保とうと少年に擦り寄った。魔力の質は一等級だ。量はまだわからないが、少なくとも相性がいいことだけは確かである。仔竜と同じく、黒を身に纏っていることも評価に値する、が。

 いまだ頼りなく見える人族の子供が自らの対などと、仔竜は認めまいとして、すぐさま諦めた。

 竜にとっての『対』は、生涯を共にする他に二人といない相棒を意味する。同性でも異性でも、それこそ他種族でも、魔力と魂の波動が合う相手が、対だ。ただの竜と騎士との間柄とはまた違った意味を持つのだが、感覚的なものなので、黒竜にはそれをうまく言葉で表現する術がない。それをあえて例えるとするならば、魂の双子、といったところだろうか。一心同体とも呼べる相手なので、番となることが少ないのだが、幼い竜がもう少し劇的な出会いを夢見ていたことは事実である。

 薄汚れ見目はよろしくなかったが、手に寄せる仔竜の頭を、振り払わないところが及第点だった。仔竜は彼に名を尋ね、しばらく経って最低限気力を回復させた夜半過ぎに、親竜へと助けを求め、叫んだ。

 月のない、星の綺麗な夜のことだったと記憶している。



 そうして今に至るわけなのだが、日課とまではいかずとも頻繁に行なっていた、王都の空の巡回もご無沙汰で、騎竜はここしばらく苛々し続けていた。尾を振る度舞い上がる藁屑に、足元よりも少し離れた房の外に陣取った白い小さな二本足は、迷惑そうに顔を歪めながらも、口元を覆い隠して尋ねた。

「それでどうして名前がないんだ」

 対と契約を交わすということは、対に真名を教える代わりに、通名をつけてもらうことだ。少なくとも竜にとってはそういうもので、長い一生を分かち合う大事な儀式でもある。わかりきったことだろうと、騎竜は典型的なこの国の人間を体現したような、色素の限りなく薄い子供を見下ろした。

 要は、騎竜と黒騎士は、互いに他にはまたとない相方同士でありながら、契約を完了させてはいないのだ。

 驚愕の声が聞こえた気がしたが、騎竜はそれを黙殺した。騎竜にとっては恥だった。名乗る名もなく、契約も仮のまま、騎竜は成竜とは認められず、身体も竜としては小柄なまま成長が止まっていた。それは騎士も同じで、彼の顔はどこか幼さをはらみ続けている。間が悪かったのだとは理解はしている。魔力が十二分にない時分に仮にでも儀式を行おうとしたせいで、黒騎士には黒竜の声が届かなかったのだ。騎士の通名だけを受け取り、真名の交換はないまま、竜と騎士は随分長いことを共に過ごしている。

 言葉が通じないながらも、主が竜を大事に扱っているのであろうことは、なんとなく察してはいる。雄としてのステータスである角が額に生える気配がないことを気にかけた騎士が竜に用意したのは、特注の立派な角付きの鎧だ。金のない時から彼が騎竜に与える鎧は常にそれで、ごつごつとした、相手を圧倒するような鎧を纏い、騎竜は主を乗せ戦場を翔けた。

 他の竜になめられることのないように、との気遣いは、有難いとは思っている。たとえそれが騎士自身の体面を慮ったものにしても、だ。言葉を交わせないながらも、騎竜のためにしてくれたことであると、騎竜は信じている。他の主従よりも、ずっと信頼関係はあるとも自負している。

 しかし騎竜はメスである。黒い鱗の輝く雌である。純然たる乙女なのである。

 角がないのは当然で、額には角の代わりに玉が輝いている。周囲に劣る体格も、成竜となる前ということもあるが自然なことだ。騎士は気にしていたようではあるが、これは摂理であるので騎竜自身は気にしていない。むしろ生えると困る。

 誓約が終わらねば他種族とは会話することもままならないが、元より騎竜は、主以外への他種族に対する興味が薄かった。言葉の通じている白い二本足は、竜と人との間の子か何かなのだろう。人との間に子をつくる竜も少なからずいるようなのだが、騎竜はできれば番は同じ竜がよい、と思っている。言葉がないながらも、騎士との呼吸は阿吽、と言ったところで、流石は対だと騎竜は自らを褒めていた。

 しかし騎竜はメスである。何度でも繰り返すが雌である。雄扱いされるのにはもう慣れた、雄用の竜舎に放り込まれているのも、諦めはついている。成竜前の騎竜は雌とはみなされておらず、貞操の危機に陥ることもない。有象無象は蹴散らかすが、大変遺憾であり、いかんともしがたい。外へ出られない苛々と同時に、騎竜は嫁き遅れとなるやもしれない現実に焦っていた。

「私が貰ってやると言っているだろう」

 やかましい。騎竜は茶々を一蹴し、少年をねめつけた。

 成竜となるまで、竜は番も持てず、子も産めない。周りに比べればひ弱な子供のまま、騎竜はしばらくを過ごしている。心底、騎竜は焦っていた。子供は欲しい、卵は産みたい、両親のように番を得て仲睦まじく過ごしたいし、できれば番はたくましく鱗の艶やかな、角の美しい雄がいい。余談ではあるが、騎竜は面食いだった。

 だがしかし、それも取らぬ狸の皮算用。騎竜はこの一点で、主が憎らしくて仕方なかった。憎らしいが、唯一無二の相棒であるので、竜舎の一角で、騎竜はじっと主を待ち続けていた。背に乗せるのは、必要に迫られた時以外は主だけだと心に決めている。再三断られた白いのは無念そうにこちらを見ているが、騎竜はそれを譲るつもりが一切なかったので、鼻を鳴らした。

 かつん、と足音が響いた。鎧の鳴る音だ。昼時を過ぎたまどろみの中を、男は一人、騒々しく駆けてくる。ジール、と呼びかけるその名は、主が騎竜に向けてよく掛ける声ではあったが、それは竜を呼ぶためのもので、騎竜の名ではない。ただ、他にそう呼ぶものもいないので、騎竜はじろりと竜舎の外から駆け込んできた男を睨んだ。

 遅い、と怒号をひとつ飛ばした。短い咆哮に返ってきたのは、足早な謝罪が一言だ。振り落としてやろうか。誠意を見せないまま背に登ってきた主を見たが、隈をのぞかせ、心なしか痩けた頬があって、気勢が削がれた。気苦労が絶えなかったようだ、遊び呆けていたわけではなかったらしい。わかってはいたものの、なんとなく憐れみを覚えて、騎竜は騎士の手綱に従い外へと抜けだした。後に残された少年は面白そうにこちらを見送っていたが、知ったことではない。

 凝り固まった翼を二度、三度、準備運動とばかりに羽ばたかせると、陽光が鱗にきらり、きらりと跳ね返った。空は青く、咲き始めの春の匂いがしている。天を仰ぎみた民が指を指すのを眼下に収め、竜と騎士はそのまま王都を抜けだした。

 目指すのは、馬で来るには少し遠い場所にある、小高い丘だ。すっかり冬は追い出されていたようで、一面の白い花が降り立った勢いで天高く舞い上がった。雪のようだ。花びらはそのまま風に運ばれ、ひらひらと散っていった。

「やっぱりお前の背がいいな」

 まったくひどい目に遭ったと嘆息しながら言うので、騎竜は少し溜飲を下げた。辺りを顧みず地面に転がった騎士は、そのまま黙って空を眺めていた。白い花が押し潰され、黒鎧は花弁が貼りつき斑模様になっていたが、気づいてはいないようだ。無理やり作り上げた平穏が、静かに過ぎていく。

 黒騎士はぽつりと呟いた。

「彼女欲しい結婚したい」

 だがそれは許さない、絶対にだ。死なば諸共である。そもそも黒騎士はそれなりに鎧さえ脱げばよいのに、大概脱がずに闊歩しているせいで、近づこうにも近づきがたいと遠巻きにされているのだ。ぐるり、と怨嗟が喉を鳴らしている。

 黒竜は嫁き遅れの元凶を、躊躇うことなく、思い切り尾で打ち払った。

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