婚約破棄の申請に役所に来たら王太子でも1時間待ち
「セレナ、今この時をもって、君との婚約を破棄する!」
「「「――!!」」」
王城の中庭で開かれている、華やかなガーデンパーティーの最中。
ニャッポリート王国王太子であるレックスが、婚約者のセレナに、唐突に婚約破棄を宣言した。
あまりのことに、場は騒然となる。
「どういうことでしょうか殿下? 私と殿下の婚約は、王家が決めた絶対的なもの。いくら殿下でも、ご自身の意思だけで破棄してしまっては、問題になるかと存じますが」
だが、当のセレナは至って冷静に、レックスを諭すように声を掛ける。
「そもそもこの件は、陛下はご存知なのですか?」
レックスの父である国王は、現在公務で他国に遠征中なので、今この場にはいないのだった。
「いや、父上には後日僕のほうから伝えておくさ。僕はいずれこの国の王となる身だからな。父上もきっと、許してくださるに違いない」
「ですが、それでもこういったことは、ちゃんと事前に確認しておきませんと――」
「ええい、うるさいうるさいッ!! 僕は君の、そういう生真面目でつまらないところが昔から気に食わなかったんだ! 結婚したら毎日君から小言を言われるのかと思うと、とても君とは夫婦になれる気がしない。――やはり僕の妻には、このドロシーこそが相応しい!」
「レックス様、私、嬉しいです!」
レックスは男爵令嬢のドロシーを抱き寄せ、額に一つキスを落とした。
「左様でございますか。そういうことでしたらこの婚約破棄、謹んでお受けいたします」
「ふふん、最初からそう言えばいいんだよ」
「お、お待ちください兄上ッ!」
「ん?」
その時だった。
レックスの弟である第二王子のギルバートが、一歩前に出た。
「セレナをつまらないと言ったことだけは訂正してください! 真面目なことが、何故悪いのですか? セレナは兄上を妻として支えるために、日々法律や帝王学の勉強に勤しんでいました! そんな高尚な魂を持ったセレナを、何故兄上はつまらないなどと侮辱するのですかッ!」
「ハッ、何だギルバート、さてはお前、セレナに惚れていたのか?」
「そ、それは――!」
途端、耳まで真っ赤になるギルバート。
「ハッハッハ! そういうことならちょうどいい。僕のお古でもよければ、セレナのことはお前が娶ってやればいいじゃないか」
「あ、兄上ッッ!!」
「ギルバート殿下」
「――! ……セレナ」
セレナがギルバートの前に立ち、憂いを帯びた笑顔を向ける。
「私のために怒っていただき、誠に恐縮でございます。ですが、私は本当に、大丈夫ですので」
「くっ……! セレナ……!」
何もできない自分が不甲斐なく、ギュッと拳を握り締めるギルバート。
「よし、じゃあこれで話はついたな。善は急げだ。今からこの足で役所に行き、さっさと婚約破棄の申請を済ますぞ、セレナ」
「承知いたしました」
ニャッポリート王国では、婚約の各種申請も役所の仕事である。
レックスとセレナとドロシーの三人は馬車に乗り、役所へと向かった――。
「これはこれはレックス殿下。本日はどういったご用件でしょうか?」
役所に着くと、案内係の女性職員が声を掛けてきた。
「ああ、婚約破棄の申請に来たんだ」
「左様でございますか。では、こちらの番号札を持ってお待ちくださいませ」
「ハァ? 舐めてるのか貴様? 僕は王太子だぞ! 王太子の権限で、さっさと順番を回さんか!」
「いえ、殿下、大変恐縮ではございますが、王太子にそういった権限はございません。――受付の順番は、全国民平等なのでございます」
「グッ……!?」
女性職員の毅然とした態度に、思わず気圧されるレックス。
「フ、フン、仕方ない。そういうことなら、今日だけは特別に、譲歩してやろうじゃないか」
「わあ! やっぱレックス様は器が大きいですね~! 益々惚れ直しちゃいました!」
レックスの腕に、ギュッと抱きつくドロシー。
「ハハハ! そうだろうそうだろう!」
そんなドロシーに、レックスも満更でもない様子だ。
「…………」
だが、そんな二人の遣り取りを、セレナだけは白けた目で見ていた。
「……オイ! まだ順番はこないのか!?」
だが、30分以上経っても一向に呼ばれる気配がないので、レックスは先ほどの女性職員に食って掛かった。
「はい、今の時期は引っ越しシーズンで、ご覧の通りたくさんのお客様がいらっしゃっておりますので、どうかもうしばらくお待ちくださいませ」
「……!」
相変わらずの女性職員の毅然とした態度に、それ以上何も言えなくなるレックス。
「チッ……!」
結局椅子にドカッと座り、足をガクガクと貧乏揺すりさせてイライラアピールするくらいしか、やることはなかった。
「番号札、357番でお待ちのお客様~」
「ああ、やっとか!!」
そうしてレックスの順番が回ってきたのは、レックスたちが役所に着いてから、たっぷり1時間以上が経ってからだった。
やっと婚約を破棄できる高揚感から、受付に向かうレックスの足も弾む。
「本日は、どういったご用件でしょうか?」
受付の女性職員が、営業スマイルをレックスに向ける。
「うん、婚約破棄の申請に来たんだ」
「左様でございますか。では、こちらの申請書に、お名前と印鑑をお願いいたします」
「…………え?」
女性職員が出した一枚の紙を見て、レックスは絶句した。
「印鑑……? 印鑑なんて今僕、持ってないぞ?」
「あぁ~、そういうことでしたら、また後日、印鑑をお持ちになった際の受付となります」
「ハアアアアアアアアアアア!?!?」
せっかく1時間も待ってやっときた順番なのに、また後日同じだけ待たされるのだけは、我慢ならない。
「じゃあもうこの際、拇印でもいいだろう!?」
「いいえ、大変恐縮ではございますが、拇印では受付はできない決まりになっているのです」
「クッ!? セ、セレナも印鑑なんて持ってないだろ!? 君からも何とか言ってやってくれよ!」
「いいえ、私はこの通り、印鑑は持ってますが?」
「っ!?!?」
無表情で印鑑を取り出したセレナに、目を丸くするレックス。
「なんで持ってるんだよ???」
「今日辺り、殿下から婚約を破棄されそうな空気を感じておりましたので、事前に用意していたのです」
「ええええええええ??????」
そんなことある??????
レックスは頭に疑問符を65535個浮かべた。
「ひゃ、百歩譲ってそう思ってたんだとしたら、ここに来る前に、僕にも印鑑を持ってるか確認してくれよ!」
「いえ、婚約破棄の申請に印鑑が必要なのは常識ですから、まさか殿下がお持ちでないとは思いませんでしたので」
「グッ!?」
そう言われてしまうと、もう何も言い返せない。
レックスは、自分の非を認めるのが、何より嫌いなのだ。
「ねえレックス様ぁ? もしかして今日はもう、婚約破棄はできない感じですかぁ?」
「――!」
ドロシーがつまらなそうな顔で、レックスに上目遣いを向ける。
「い、いや、必ず今日中に婚約を破棄してみせるから、安心してくれドロシー! 今から急いで、印鑑を取って来るからさ!」
「はぁい」
こうしてレックスは王城まで馬車で往復30分以上かけて、印鑑を取りに戻ったのであった――。
「も、持って来たぞ!!」
「あ~、レックス様ぁ、待ちくたびれましたよ~」
「ゴメン! お待たせドロシー!」
そしてやっとの思いで印鑑を取って来たレックスは、案内係の女性職員に印鑑を見せびらかせた。
「これはこれはレックス殿下。本日はどういったご用件でしょうか?」
「いやだから婚約破棄の申請だって!? さっきも言ったじゃないかッ!」
「左様でございますか。では、こちらの番号札を持ってお待ちくださいませ」
「ハアアアアアアアアアアア!?!?!? なんでまた待たされるんだよッ!? さっき順番は回ってきたんだから、その分で受付をしろよ!?」
「大変恐縮ではございますが、そういうわけにはいかないのです。――これは、ルールでございますので」
「くっ……!! わ、わかったよ!! 待てばいいんだろ、待てば!!!」
レックスはもうヤケクソだった。
だが、ここまできた以上、何としても今日中に婚約を破棄しなければ気が済まなくなっていた。
「ただ、本日の営業時間は5時までとなっておりますので、それを過ぎてしまいますと受付はできかねますので、予めご了承ください」
「なっ、何だって!?」
現在の時刻はちょうど4時。
先ほども1時間くらい待たされたことを考えると、かなりギリギリなラインである。
「クッ、なるべく早く仕事をしろよ!! みんなが倍の早さで回せば、順番も倍早く回ってくるだろう!」
「そういうわけには参りません。それで仕事が雑になってミスが増えては本末転倒でございます。ミスなく仕事を回すためには、相応の時間が必要なのでございます」
「クッ……クソがッ!!」
こうなるともうレックスにできるのは、神に祈るくらいであった――。
「番号札、442番でお待ちのお客様~」
「きた!!!!」
そして時刻はちょうど5時になろうかという、まさにその時。
ギリギリでレックスの番が回ってきたのであった。
我慢できず、走って受付まで行くレックス。
「本日は、どういったご用件でしょうか?」
先ほどと同じ受付の女性職員が、営業スマイルをレックスに向ける。
「婚約破棄の申請に来たんだ!! 今度はこの通り、印鑑も持って来たぞ!」
「左様でございますか。では、こちらの申請書に――ああ、大変申し訳ございません。5時になってしまいましたので、受付はまた後日とさせていただきます」
「っ!?!?!?!?!?!?!?!?」
女性職員の言った言葉の意味が理解できず、暫しフリーズするレックス。
「ま、待てよッッ!!!! 僕の番はきたんだから、僕の申請だけは通せよッッ!!!!」
「そういうわけには参りません。これはルールでございますので」
「フ、フザけんなあああああああああああああああああああああああ」
レックスの魂の叫びが、役所内に響き渡った。
「そういうことでしたら、私は帰らせていただきますね」
レックスを一瞥もせずに、セレナはスタスタと役所から出て行った。
結局この日、レックスは婚約を破棄できなかった。
だが次の日、公務から戻った国王に勝手に婚約を破棄しようとしたことがバレ、大激怒した国王の命により、レックスは廃嫡のうえ、ドロシーと共に国外追放処分とされてしまったのであった。
結果的に、レックスとセレナの婚約は白紙に戻されることとなったのである。
――そうして1年の月日が流れた。
「これはこれはギルバート殿下とセレナ様。本日はどういったご用件でしょうか?」
今や王太子となったギルバートとセレナが二人で役所に入ると、1年前も対応してくれた案内係の女性職員が声を掛けてきた。
「うん、婚姻届を出しに来たんだ」
「うふふ」
ギルバートとセレナは互いに見つめ合い、朗らかに微笑んだ。
「それはおめでとうございます。では、こちらの番号札を持ってお待ちくださいませ。ああ、今は引っ越しシーズンになっておりますので、ご覧の通り本日は大変混み合っております。暫くお待ちいただくことになるかと存じますが、よろしいでしょうか?」
「うん、構わないよ。――セレナと二人なら、待つ時間も、まったく苦にならないからね。ねえ、セレナ?」
「はい、ギルバート様」
「――左様でございますか」
女性職員は軽く頭を下げると、持ち場に戻って行った。
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