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大阪府大阪市福島区で商いを営む春原夫妻は、とても優しい人だった。
知人が金に困れば金を貸し、
宿が無いものには自分達の自慢の屋敷の部屋を差し出した。
貧困とか困窮とかの言葉とは一生縁のないものだと思って暮らしていて、
これから自分たちが金を借りる方になるだなんて、
とうてい頭をよぎったことすら無かった。
春原朔太郎氏は古くから続く豪商で、
聞けば徳川の時代からのご贔屓だと言うのが自慢だという。
がっしりとした体型で、父から受け継いだ上田縞の着物(裏地には金もあしらわれているとか)をいつも身に付けていた。
奥さんの方は千代といって、朔太郎とは幼馴染で華族、伊咲家の出。
小柄で笑顔になるとそこら一帯に花が咲くようだと近所の若衆から人気があった。
さてその素敵な春原夫妻、
最初に産まれたのは男の子。
朔太郎氏に正一と名付けられたその子は、
とても出来の良い子であった。
次に産まれたのは双子の子。
正二という男の子とイチという女の子だったが、
イチは産まれたその日に亡くなった。
そしてその次がこの物語の主人公、
新しいものが好きな千代に
結笑と名付けられたその子は名前の通りよく笑う。
ただ上の2人より少しばかり出来が悪く、
水汲みもろくにできない子であった。
その次に生まれたのが伊都。
その子はまた出来のいい女の子で、
伊咲家からもよく褒められた。
少ししてから四男、玉衛が産まれるが、
その頃には春原一家は困窮していた。
結笑が産まれたのは明治34年、
西暦に直すと1901年だが、この年はまだ日清戦争後の好景気で言うなればウハウハだった。
やはり人の良い春原夫妻、金は貸すし宿も貸す。
それがいけなかった。
ある大晦日の晩のこと、
正確にいえば明治36年の12月31日。
その日は次女にあたる伊都が産まれたことを祝って祝賀が行われていた。
やれ目出度い事だと騒いだ後に気が付いた。
「やゝ、昨日泊めた御仁が出てこられない。」
心配して客間を見に行くとそこは見事にもぬけの殻。
御仁の荷物も、部屋にあったはずの調度も、
すべて無くなっていた。
「あゝ、持っていかれたか。」
まだ財産のある春原夫妻はあまり心配していなかった。
しかしそれもいけなかった。
8歳になった正一が一通の手紙を持ち部屋に慌てて飛び込んできたのだ。
「大変だ!結笑がいない!」
手紙に書いてあったのは夫妻の全財産ほどの金を要求する内容であった。
それが無ければ結笑は殺すと。
そう書いてあったのだ。
夫妻は、金よりも家族をとり、金は全て無くなった。
もちろん、人の縁も。
不運とは続くものである。
なんとか取りもてた縁で軍の高官に付けた朔太郎氏の頑張りで、裕福では無いものの人並みの生活は送れていた春原一家であるが、
明治40年の11月から明治41年の1月までの間に関西を中心に流行した天然痘で、正一と正二が死亡した。
その頃の春原一家は、千代が妊娠していたこともあり、病気の子が医者に掛かれる程の金は持ち合わせていなかった。
千代はそこで気を病み(きっとそれまでの生活の苦もあったのだが)、
生まれた玉衛が2歳になると、
玉衛を抱き、6歳になった伊都の手を引き実家に帰ってしまった。
その後結笑は亡くなった2人の兄に変わって父と同じ仕事についた。
その時の年は僅か10歳。
名前も結笑では女々しいからか結之助と改められたのだ。




