【冬の童話祭2026】幻に消えた女の子
本作は、小説家になろう「冬の童話祭2026」企画に合わせて書き下ろした短編小説です。
作者が連載中の作品「この団地、女子高生に自治会長を任せるって正気なの!?」を読んでくださっている方にも、じちまか本編を読まなくても、どなたでも一話完結でお読みいただける内容になっています。
物語は、クリスマスイブの夜。
一年の終わりを迎え、家族の待つ家へと帰る中年男性の視点から描かれます。
きらきらとした街の光と、胸の奥に残る言葉にできない感情。
そんな静かな時間を辿るお話です。
連載中の作品「この団地、女子高生に自治会長を任せるって正気なの!?」を読んでくださっている方には、風張家の家族構成である長女のいのり、次女のともり、そして末っ子長男のけいじ。
その姿を、どこかで重ねながら読んでいただけるかもしれません。
本作は独立した短編ですが、執筆中の世界観と切り離せないテーマでもあります。
一年の終わりと、新しい一年の始まり。
元旦の更新に、そっと置かせていただきました。
静かな物語ですが、何かが少しでも残れば幸いです。
どうか今年も、よろしくお願いします。
クリスマスイブの夜は、どうしてこんなにも街が明るいのだろう。
駅の改札を抜けると、街路樹が七色の電飾に包まれていた。
赤い光。
青い光。
白い光。
どれも勝手に瞬いているのに、不思議と落ち着いて見える。
吐く息が白い。
空はよく晴れていた。
雪は降っていない。
ホワイトクリスマスなんて、ここではめったに起きない。
どこか遠い国の話だ。
それでも、少しだけ空を見上げてしまう。
サンタクロースを探しているわけじゃない。
そんな柄でもない。
ただ、ほんの少しだけ期待してみただけだった。
駅前の広場を抜けようとしたとき、前を歩く家族が目に入った。
父親と母親がいて、その間を小さな女の子が歩いている。
女の子は父親の手を引きながら、何かを一生懸命に話していた。
父親は何度も頷き、少し体を屈めて、同じ目線で笑っている。
その光景を見た瞬間、胸の奥がきゅっと音を立てた。
どうして、こんなにも目が離せなくなるのだろう。
理由は分かっている。
ハッキリと分かっているのに、何度見ても同じところが疼く。
女の子と歩く父親の背中。
女の子の話を聞く父親の顔。
そのすべてが、ひどく眩しく見えた。
「女の子を育てる父親になりたかった。」
その気持ちは、今も胸の奥に残っている。
友人や同僚から、子どもが生まれたという話を聞くたびに、心が揺れる。
そして、続く言葉を無意識のうちに待ってしまう。
女の子かどうか。
それだけが、どうしても気になってしまう。
笑顔で
「おめでとう」
と言いながら、胸の奥では別の感情が静かに広がっていく。
羨ましさと悔しさが混ざった、名前のつかない気持ちだ。
そんなふうに思ってしまう自分が、嫌になる。
後輩から妻の妊娠報告を受けた夜も、心の中で願ってしまった。
どうか女の子じゃありませんように、と。
最低だと思う。
そんなことを願う資格なんて、どこにもない。
それでも、その願いは勝手に浮かんでくる。
そして、
「女の子でした」
という言葉を聞いたあと、ひとりになった帰り道で、どうしようもなく悲しい気持ちになる。
自分は、選ばれなかった。
そんな言葉が頭をよぎる。
なぜ、自分には縁がなかったのだろう。
何か悪いことをしてきたのだろうか。
それとも、最初から決まっていたことなのだろうか。
娘と過ごす時間も。
娘が育っていく瞬間も。
自分の人生には、用意されていなかった。
誰かにそう告げられているような気がして、それがひどく残酷に思える。
街は相変わらずきらきらしている。
あちこちから笑い声が聞こえてくる。
みんな、それぞれの家へ急いで帰っていく。
自分も、家路を急ぐ。
この胸の奥にある気持ちを、誰にも見せないようにしながら。
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玄関のドアを開けると、家の中は静かだった。
外の賑やかさが嘘のように消えている。
靴を脱ぎ、そっと中へ入る。
リビングの灯りは少しだけ落としてあった。
この時間帯は、いつもこうだ。
奥の部屋から、小さな足音が聞こえた。
「……パパ?」
聞き慣れた声だった。
その一言だけで、胸の奥に残っていたざわつきが少しだけ引いていく。
小さな体が駆け寄ってきた。
そのまま腕に飛びついて、ぎゅっと抱きついてくる。
今日もちゃんと帰ってきたことを、心から喜んでいるのが伝わってくる。
頭を撫でると、まだ少しあたたかい。
お風呂上がりの匂いがした。
五歳の息子。
十二月のはじめに誕生日を迎えたばかりだった。
すぐケーキの話になり、そのままクリスマスプレゼントの話へ移っていく。
楽しみなことが短い間に続くのが、よほど嬉しいらしい。
指を折りながら、何度も確かめている。
その顔を見ていると、さっきまで胸を占めていた感情が遠くへ行く。
今は、ただ可愛い。
それだけで何もいらないと思える。
この子は、自分がどんなふうに生まれてきたかなんて知らない。
自分が生まれることを望まれていたかどうか、そんなことを考えたこともないだろう。
ただ、大好きなパパとママがいて、家があって、明日も続くと信じている。
その目は、きらきらしている。
世界を疑うことを知らない光だ。
抱き上げると、少し重くなったことに気づく。
いつの間にか、こんなにも大きくなっていた。
サンタクロースの話になり、来るかどうかを真剣に考えている様子に思わず笑ってしまう。
さっきまで考えていたことが、頭の奥へ押し戻されていく。
この子がいなくなってほしいなんて、思わない。
そんな考えは、浮かびもしない。
今この瞬間、この腕の中にいる存在がすべてだった。
胸の奥に、静かなあたたかさが広がっていく。
それは、確かなものだ。
それでも、さっきのざわつきが完全に消えたわけではないことを、自分だけは分かっていた。
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寝かしつけを終えると、家の中は一段と静かになる。
規則正しい寝息だけが続いている。
布団を掛け直して、顔を覗き込む。
眠っているときの顔は、起きているときより幼い。
その寝顔を見ていると、胸の奥に残っていたものが、ゆっくりと形を変えていく。
正直に言えば、妻と結婚する前から女の子が欲しかった。
ずっと前から、ハッキリと。
ぼんやりした願いではなかった。
いつか消える憧れでもなかった。
女の子を育てたかった。
女の子の父親になりたかった。
小さな手を引いて歩く姿。
少し大きくなった背中。
手をつなぎ、旅先で写真を撮り、成長を見送る時間。
そんな場面ばかりを、何度も思い浮かべてきた。
妻も、同じだった。
可愛い服を着せて、母娘で過ごす未来を描いていた。
いつか結婚して、娘に子どもが生まれたら、その世話をする日を夢見ていた。
それは、二人でそれぞれ共有していた未来だった。
お腹の中にいる子どもの性別を知った日。
女の子ではないと分かった瞬間。
部屋の空気が、静かに沈んだ。
女の子が欲しいという儚い願いだけが消えた。
落胆していたのは、妻だけではなかった。
自分も同じだった。
いや、妻以上だったかもしれない。
それでも、自分はそう見せなかった。
妻が傷ついているのが分かったからだ。
だから言った。
自分は男の子が欲しかった。
嬉しい。
ありがとう。
本心ではなかった。
むしろ、逆だった。
女の子が欲しかった。
どうしても。
でも妻を責めることはできない。
その嘘は、今も胸の奥に残っている。
妻と描いていた未来が幻になったことを、自分の言葉で上書きしてしまった感覚が消えない。
姉妹を育てている父親を見ると、目が離せなくなる。
なぜ、そこまで恵まれるのだろうと思ってしまう。
その一部でいい。
ほんの少しでいいから、自分にもその運を分けてほしかった。
神様を恨んでしまうほど、悔しかった。
女の子を育てる人生ではなく、息子を育てる人生を生きろ。
そんな声が、どこからか聞こえてくる気がする。
でもそれは、あまりにも残酷だった。
眠っている息子の手を見る。
小さくて、柔らかい。
もし息子と引き換えに、まだ見ぬ娘が手に入るとしても。
もし息子の性別を選び直せるとしても。
この子を手放したいとは、思わない。
この子がこの子でなくなってほしいとも、思わない。
そのことだけは、はっきりと言える。
息子への愛情は、確かにここにある。
疑いようのないものだ。
それでも女の子が欲しかったという気持ちは、消えない。
愛していることと、望んでいたものが違ったこと。
その二つは、同時に存在している。
矛盾しているのに、どちらも本当の気持ちだった。
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布団のそばに、しばらく座っていた。
時計の針が、ゆっくりと進んでいく。
外から、かすかな音が聞こえる。
どこかの家の笑い声。
遠くを走る車の音。
クリスマスイブは、まだ終わっていない。
眠る息子の顔を、もう一度見る。
眉も、口元も、すっかり力が抜けている。
ただ、ここにあるのは安心した顔だった。
この子の生きる世界は、今日も平和だ。
明日も続くと、疑いなく信じている。
だからこそ女の子が欲しかったという気持ちは、たぶん消えない。
これからも、ふとした瞬間に思い出す。
街で見かけた光景の中で。
誰かの話を聞いたときに。
胸の奥で、静かに疼く。
一生、消えてなくならないのかもしれない。
それでも。
今夜、この子はここにいる。
それだけは、揺るがない。
この子を失ってまで、別の未来を選びたいとは思わない。
それは、もう疑いようがなかった。
満たされない気持ちがあってもいい。
答えが出なくてもいい。
矛盾したままでも、人は生きていける。
この子の手を離さずにいること。
それだけを、選び続ければいい。
窓の外では、街のきらきらがまだ揺れている。
電飾の光が、静かに瞬いている。
いつか、この気持ちに名前がつく日が来るかもしれない。
いや、ずっと来ないかもしれない。
それでも、その瞬間を心待ちにしている。
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もうすぐ一年が終わる。
そして、また次の一年が始まる。
年が変わったからといって、心が急に整理されるわけではない。
それでも、人は区切りを欲しがる。
この気持ちは、いつか消える日が来るのだろうか。
そんなことを、年の終わりが近づくと考えてしまう。
もし、もう一人だけ子どもを授かれるとしたら。
やはり、女の子が欲しいと思う。
正直、その願いが今も胸の奥に残っている。
なかったことにはできない。
けれど、もし次も男の子だったら。
そう思った瞬間、胸の奥が冷たくなる。
期待して、また落胆する自分を想像してしまう。
もう一度、同じ現実を突きつけられる怖さがある。
息子は、ときどき言う。
「妹がほしい。お兄ちゃんになりたい。」
って。
その言葉は、疑いがなくて、まっすぐだ。
未来はきっと叶うものだと信じている声のようにも聞こえる。
けれど、その期待に応えられる年齢でも、体力でもないことを、親の自分は知っている。
もし新しい命を授かれたとしても、それが女の子とは限らない。
その現実を、もう一度味わうくらいなら。
叶わない希望を、もう一度抱くくらいなら。
このまま、一人だけの息子を大切に育てていくほうが、ずっと安心だと思ってしまう。
正直、今いる息子と変わらぬ愛情を注ぎながら育てていける自信もない。
これは逃げなのかもしれない。
臆病なのかもしれない。
それでも、今の自分には、その選択が一番やさしく思える。
世の中では、よく言われる。
「元気に生まれてくれたら、性別なんてどっちでもいい。」
って。
その言葉は、きっと嘘ではない。
でも、きっと全部が本当でもない。
本音を言えば、願いは確かにあった。
その願いを口にすれば、誰かが傷つく。
そして、期待外れに終わった自分自身を直視することにもなる。
だから人は、その言葉を選ぶ。
子どもを否定しないために。
パートナーを責めないために。
そして、自分自身を守るために。
それは、大人の対応であり、やさしい嘘だ。
気づけば、息子はすくすくと育っている。
美人の妻に似て、整った顔立ちをしている。
その姿を見るたびに、誇らしい気持ちになる。
息子への愛情に、嘘はない。
それでも。
本当は、妻によく似た女の子がほしかった。
養子を引き取るのとは違う。
妻以外の誰かが産んだ子とも違う。
妻が産んでくれた女の子じゃなければ、何も意味がなかった。
そんな欲張りな気持ちを、今日も胸の奥にしまい込む。
この子のきらきらした世界を、曇らせないために。
世界は、何事もなかったように進んでいく。
この気持ちは、たぶん一生消えない。
けれど、抱えたまま生きていくことはできる。
今日も、息子は笑っていた。
その無垢な瞳が、少しずつ胸の奥をあたためていく。
また今年が終わり、新しい一年が始まる。
この子と、この家で。
十二月のベルが鳴り響く夜。
希望にあふれた街は人で賑わい、電飾が輝く。
それをカーテンの隙間から見つめては、そっとため息をつく。
ひんやりとした空気が流れ込んでくる部屋の中。
寒空の下で吐いた吐息は、まるで『幻に消えた女の子』のようだった。
失ったわけでもなく、初めからどこにも存在しない女の子。
その幻影をこれからも追いかけ続ける。
それだけは、確かだった。
この物語は、子どもの性別によって幸せの価値を決める話ではありません。
世の中には、男の子を望んで女の子を授かった人もいれば、女の子を望んで男の子を授かった人もいます。
そして、子どもそのものを授かれなかった人もいます。
どの立場も比べられるものではなく、どれが正しくて、どれが間違いという話でもありません。
世界のどこかでは、明日を生きられるかどうか分からない状況で過ごしている人がいます。
戦場のような場所で、家族を失いながら日々を生きている人もいます。
それに比べれば、平和な国で子どもの性別に思い悩むことは、恵まれた環境での贅沢な悩みなのかもしれません。
それでも、感情はいつも理屈通りには動いてくれません。
割り切ろうとしても、受け止めようとしても、どうしても残ってしまう気持ちがあります。
この物語で描いたのは、誰かを否定するための感情ではありません。
そうした気持ちを抱えたまま、それでも子どもを守ろうとする一人の大人の内側です。
子どもは、望まれて生まれてくる存在であってほしい。
だからこそ大人は、自分の感情をどこに置くのかを選び続けるのだと思います。
もしこの物語が、誰かの立場や価値観と違っていたとしても。
もし、少し居心地の悪さを感じたとしても。
それぞれが抱えているものには、それぞれに重さがあるのだと、そっと受け取ってもらえたら嬉しいです。




