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美術館の密室ロジック

「ここが現場か? 酷いな……二人、いや、三人ともタイヤに轢かれて原形を留めていない」


「はい、龍泉様」


龍泉りゅうせん しずか。かつて名探偵と呼ばれたその男は、かつての助手、三島みしま 車男くるまおとこが交通事故で死んだと聞かされた。


それは、現場に到着してから導き出された結論だった。 事前に得ていた情報は、原因不明の事故が発生し、現場で女性二名が即死、二名が生存、そして一名が行方不明になっているということだけだったからだ。


その行方不明の一人こそが、三島だった。


三島が異世界に転生したことなど、彼は知る由もない。


三島はただの大学生だった。新聞で夏のアルバイト情報を見つけ、時給が良いというだけの理由で、無鉄砲にも龍泉のもとへ探偵助手の面接に来たのだ。


生きていても社会にこれといったプラスにならず、死んでもマイナスの影響がない、どこにでもいる青年だった。それでも龍泉は彼の死を惜しんだ。三島が助手を務めていた期間、龍泉は当時日本中を震撼させた『仙台防弾ガラス事件』を解決に導いていたからだ。


被害者の遺体は犯人によってスライスされ、大小様々な美しい額縁に収められた上、防弾ガラスで密封されていた。それらは仙台美術館にて、堂々と美術品として展示されていたのだ。犯人はあろうことか、金を使ってその展示のプロモーションまで行っていた。


被害者は密室の中で殺害され、遺体の切断と芸術的な装飾もすべて美術館内で行われた。大掛かりに、さも本物の美術展であるかのように犯罪が行われたからこそ、密室の扉が開かれた時、犯人はすでに客の流れに紛れ込んでいたのだ。


もちろん、館内には犯人の「作品」だけでなく、著名な作家たちの作品も並んでいた。彫刻家・獅童しどう 蓮花れんかの『水晶の獅子』や、インスタレーション作家・龍泉りゅうせん ひびきの、人体に不快感をもたらす低周波を発する『ダイヤモンドの編鐘』などがそうだ。


龍泉 響は、探偵・龍泉 静の実兄である。


龍泉家と獅童家は互いに反目し合っていたが、今回不運だったのは、獅童家の『水晶の獅子』が開幕後、批評家たちから圧倒的な高評価を得てしまったことだ。


獅童 蓮花は本来、現代彫刻家であり、その作品は難解なものが多かった。生肉をそのまま展示品とした前例すらある。しかし、今回の『水晶の獅子』は非常に具象的で、古風なおもむきがあった。


犯人が犯行道具をトイレ近くの用具室に放置していたため、開館から二時間が経過するまで、誰も異変に気づかなかった。


額縁の中から、悪臭が漂い始めるまでは。


当初、人々は特に気に留めなかった。それらの精巧な額縁は、美術館の所有者である地元出身の資本家・道迷禅師どうめい ぜんじの所有物であり、多くの現代アーティストの作品は、この美術館での展示に合わせて、搬入後に額装されることが多かったからだ。


この人体……まさか動物の肉を使った偽物ではあるまいな……精巧だが、やはり匂うな……血の匂いが。


どうせ動物の死体を使うなら、いっそ献体された遺体を使えばいいのに。


そんな議論をする者は、芸術を解さぬ無粋さを露呈し、夫人たちの顔に泥を塗ることになるため、次第に誰も口にしなくなった。芸術など全く理解しないアメリカ人の成金が、空気を読まずに通報するまでは。それでようやく、事件として立件されたのだ。


だが、事件そのものについて言えば、本来なら龍泉のような名探偵が登場する幕ではなかった。犯人はトリックを隠蔽しようとはしておらず、扉が開くと同時に客に紛れただけで、糸を使って内部から施錠するといった奇術じみた小細工は一切なかったからだ。


必要だったのは、警察による地道な被害者の人間関係の洗い出しや、関係者のアリバイ確認だけである。観光客のほとんどは社会的名士だった。JDC(日本探偵倶楽部)が龍泉に調査を依頼した主たる目的は、事件解決そのものではなく、この機会に名士たちの私生活を探り、彼らとコネクションを作るための布石とすることだった。


しかし、三島はある一つの違和感に気づいた。美術館内で死体を解体するには、作業台となる平面が必要不可欠だ。だが、館内のどこにもそのような台は見当たらなかった。美術館の絨毯は複雑な模様をしており、もし床の上で手鋸を使って遺体を切断すれば、必ず絨毯を傷つけてしまう。


彼は台車を持ってきて、その上に腹ばいになり、両手で体を支えながら、美術館内の絨毯を一寸刻みにすべてチェックした。その結果、床の上で解体が行われた形跡はないという結論に至った。


「さすがは車男だ。自ら車になるとはな」龍泉は愉快そうに言った。


余った防弾ガラスを使ったのではないか? だが、それならばガラスに傷がつくはずだ。


その頃、龍泉は小部屋で怯える議員夫人を尋問していた。人体磁場の測定という名目で、その美艶な夫人に対し、ある種の接触的な人体実験を行いながら慰撫していたのだ。


現場スタッフへの聴取も進められていた。額縁の中に展示される予定だったのは絵画ではなく、「くう」、つまり空無くうむであったという。額縁自体は、資本家・道迷禅師の作品とされている。


何もない。ただランダムに選ばれた額縁が展示される。展示するものがない時、禅師はこう指示するという。


『空』を展示せよ、と。


助手である三島は、当時その点を奇妙に感じ、滑稽なほど綿密な調査を行ったが、結局何も得られなかった。しかし、その報告を聞いた龍泉 静は、JDCに連絡を取り、専門家の協力を仰いだ。


「現場に残された道具から判断するに、犯人は必ず何らかの台の上で遺体を解体している。これは、かつてプロの解体屋だった男の鑑定結果だ」


その解体屋は、生きたまま解体され、両手両足を切断されて裏稼業を続けられなくなり、JDCの顧問になったという人物だ。


「しかし、現場にはそのような台はなかった。それは三島が確認済みだ」


「犯人が絨毯を取り替えたか、あるいは絨毯をめくり、床の上で解体を行った可能性は? その後、絨毯を元に戻したとか」


「それについても専門家に調査を依頼したが、答えは……その可能性はほぼゼロだ」


龍泉は専門家がどうやってその結論に至ったかなど気にも留めなかった。絨毯には絨毯の専門技術があり、それは探偵の領分ではないからだ。


探偵はそんな仕事をするものではない。シャーロック・ホームズのように地面の土の種類まで自分で収集・整理するタイプの探偵もいるが、現代においてその種の作業は細分化され、各分野の専門家に委ねられている。


JDC、日本探偵倶楽部にはそんな専門家たちが溢れている。


「獅童の仕業ではないか? 彼はかつて生肉を彫刻として展示したことがあっただろう……今回も似たようなケースかもしれない」


「いや、あいつは常軌を逸してはいるが、今回は鉄壁のアリバイがある」


「では……犯人はアメリカの血を引く者か?」


「いいや、アメリカ人は最後に考慮すべきケースだ」


なぜならアメリカ人は奇妙なFワードを使う。一度アメリカ人ではないかと疑い始めれば、キリがないからだ。


そう、キリがない。すべてを疑い、果ては自分が今Fワードの支配下にあり、周囲のすべてが幻覚ではないかとさえ疑うことになる。


まるでデカルトの悪魔だ。


+++


「それで、どうなったの?」


エリシアが私の腕を抱きながら尋ねた。


昨晩のことだ。狭い小屋にある小さなベッドに二人で押し合いながら、エリシアが寝る前のお話をしてほしいとせがんだ。だが、私は物語を語るのが苦手だ。


そこで私は、かつて龍泉先生のもとで探偵助手をしていた頃に遭遇した事件の話をした。


それは過去の世界の事件であり、エリシアにとっては、お伽話の世界のようなものだった。


あの時、私は美術館中を探し回ったが、作業台になり得るものを見つけることはできなかった。


矛盾を発見したとしても、それを真実へと昇華させることはできない。それが私と龍泉先生との差だった。


龍泉先生は、その矛盾を見事に真実へと変えてみせた。


彼は当時、こう言ったのだ。


「三島、犯人は仙台美術館にもともとあった額縁の中身を破棄し、そこに人体スライスを収めたわけではない。そうだろう? 額縁はスタッフがランダムに選んだものであり、スタッフのアリバイは後に証明されている」


龍泉先生はコーヒーを一口飲んだ。彼には真夜中にコーヒーを飲む悪癖があった。 さらに角砂糖を一つ追加する。そのコーヒーの糖分は恐ろしいほどだった。


彼は続けた。「犯人は、スタッフがいくつの額縁を、どのサイズで用意するかを予知できただろうか? もし知っていたなら、サイズの合うガラスを事前に用意できただろう。だが、それを知る術はなかった」


「犯人は現場でガラスを裁断したんだ。適切なサイズに切り出し、死体を額縁に収め、ガラスと接着剤で封印した」


「そのすべての作業を行う際、彼は確かに『ある台』を使って解体を行った。恐らく特別な理由があったわけじゃない。単にそれが非常に使い勝手が良かったから、使っただけだ」


「三島、彼が何を使ったかわかるか?」


「いいえ……わかりません。どうやったらそんなことが推測できるんですか」


「そうだな、君にはわからないし、私にも当てられない。もし君がそれを知っていたら、私は君を犯人として逮捕しなければならなかった。だが、それが何だったかは知らずとも、大まかな形を推測することはできる」


「なぜですか?」


「なぜなら、それは獅童 蓮花の彫刻作品だからだ」


「『水晶の獅子』ですか?」


「いや、水晶の獅子ではない。どこかで適当に買ってきた工業製品だ。マルセル・デュシャンの『泉』や『自転車の車輪』、ピエロ・マンゾーニの『芸術家の糞』、あるいはマウリツィオ・カテランの壁に貼り付けたバナナと同じ、あの手のタイプの芸術品さ」


龍泉はさらに続けた。


「犯人は『それ』を使って死体を解体し、額装した。そして……額装のために切り出したガラスの『余り』を使って、あの『水晶の獅子』を作ったんだ。そして、自らをその『本物の芸術品』の中に隠し、密室を立ち去った」


「しかし……獅童先生は全く証言に出てきませんでしたが……」


「犯人が作った『水晶の獅子』が、獅童 蓮花が本来用意していた作品よりも遥かに高い評価を得てしまったからさ。兄のインスタレーションすら凌駕してしまった。だから、獅童は沈黙したんだ」


エリシアはこの話に興味を示さなかったようで、私はそれ以上語るのをやめた。


龍泉先生がいかにして純粋な論理的推論だけで犯人を特定したのか、それはまた別の物語だ。

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