第一話 勃ちあがった天幕と、転げ落ちた車輪
ここはオートキャンプ場。そして俺、三島車男は、単なるキャンプ場のスタッフだ。
いわゆるオートキャンプ場とは、キャンピングカーでやってくる人々にサービスを提供する場所のことだ。飲料水の補充だとか、バーベキュー用の食材の提供だとか、そういった諸々を行う。
だが不幸なことに、俺はまもなくクビになる。やっとの思いで見つけた、それなりに給料の良いこの職を失い、あまつさえ被告人になってしまうかもしれない。なぜかと言えば、俺が「反応」してしまったからだ。
反応するなと言う方が無理な話だ。なぜならここは、高級ビーチに隣接するオートキャンプ場なのだから。停まっているキャンピングカーはどれも、俺のような人間の生涯年収を足しても買えないような代物ばかり。いや、それは少々自惚れが過ぎるか。実のところ、俺には借金まであるのだから。
そして高級ビーチになぜキャンピングカーで来るのかと言えば、もちろん家族旅行なんて健全な目的のためじゃない。実際、車から降りてきたのは一人のマッチョな外国人。そしてその後に続いたのは、3人の水着姿の日本人女性だ。彼女たちは皆、星条旗柄のビキニを身に着け、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。さらに致命的なことに、俺の好みのタイプだった。
本来なら彼女たちにサービスを提供すべき俺が、3人の前で反応してしまった。あってはならないことだ。なぜなら……こうした事態に対応するため、このキャンプ場のスタッフは本来、大和撫子のように上品で気配りの行き届いた日本人女性だけで構成されるべきだったからだ。俺のような、どこにでもいる男ではなく。男というのは、こういう場面で正常な生理現象を抑え込むのが難しい生き物だ。そして、ズボンを押し上げるような生理現象を起こさないことこそが、高貴な外国人客を不快にさせないための真髄なのだ。 ゆえに、人件費削減によって生じたシステムのバグ――つまり、俺の股間に勃ち上がったテントが、このアメリカ人客を不快にさせる最後の引き金となってしまった。
「おい、こいつ、なんで……」
「あら、なんて下品なの!」 金髪に染めた女性がそう言った。
「ここは女性スタッフしかいないはずじゃなかったの? なによこれ! 変態じゃない」
「ええ……ご主人様ぁ、次はこんな品のない場所やめましょうよぉ……」
「ああ、まったく……綾ちゃん、本当に腹が立つね。こんな変態を雇っているなんて」 彼はそう言いながら、綾の頭を撫でている。
外国人を「ご主人様」呼びだと? 日本人女性としてのプライドはないのか! もっとも、俺の顔には愛想笑いが張り付いたままだが。
ん? そういえば、どこか見覚えのある顔だ。あれは……大学の同級生、蜜村綾じゃないか? 話したことはないが、美女だったからよく覚えている。
横にいる有象無象の2人とは違う。彼女はまるで夢に出てくるような女の子だった。整えられた黒髪のバング、病的なほどではない絶妙な白さの肌、そして親しみやすい性格。うっかり「友達になれるかも」と勘違いさせるような絶妙な距離感を持っていて、もしそれを真に受けてしまえば、後日セクハラで訴えられる。俺はそう確信していたからこそ、彼女とは一度も話さず、ただ遠くから彼女(の外見)に好意を抱いていただけだった。
なぜ俺の下半身にテントが張られたのかと言えば、間違いなく、彼女が紐同然の星条旗柄ビキニを着ているのを見たからだ。学校では絶対に見られない光景だ。普段は手の届かない蜜村さんが、あんな破廉恥な水着を着て、男を「ご主人様」と呼んでいる……。これは、学校でいくら金を積んでも見られない、極上の有料コンテンツじゃないか!
ああ、だがしかし、俺は彼女の外国人のご主人様に恥をかかせてしまった。彼女は俺をセクハラで訴えるだろう……そういう印象のある女性だった……俺の人生は終わった。
そう思った矢先だった。突然、4人の背後にあったキャンピングカーのヘッドライトが、ピカッと光ったような気がした。
あのマッチョな外国人と、彼が両脇に抱える、星条旗柄のアメリカンなビキニを着て、アメリカンコーヒーを飲み、アメリカンな日本語を話す3人のアメリカンな巨乳の日本人美女たち、そして純正アメリカンな米国人の背後にある、あのアメリカンなキャンピングカーのアメリカンなヘッドライトが、不気味に明滅したのだ。
俺は常々思っていた。車の両サイドにあるヘッドライトは目のようで、その間にあるグリルは鼻や口に見える。つまり、車には顔があるのだと。確かアメリカ人が車を擬人化した3Dアニメ映画を作っていた気がするが、残念ながら見たことはない。子供の頃にポスターを見ただけだ。家には映画館に行く金などなかったからな。
あの車のライトが不気味に光った? いや、まるでウィンクしたかのようだった。俺に向かって悪戯っぽい笑みを浮かべたような、いや、悪戯なんてレベルじゃない。もっと邪悪な顔だ。まるで伊藤潤二の漫画に出てくるワンシーンのように、あの車は、あろうことか人間のような表情を浮かべたのだ……。
次の瞬間、無人のキャンピングカーのエンジンが突然始動した。
「危ない!」 俺は叫んだ。
俺の位置からでは、誰一人として助けられそうにない。自分が逃げるだけで精一杯だ。
「FXXK!」
外国人の男(たぶんアメリカ人)が叫び声を上げ、隣にいた女を突き飛ばすと、その反動を利用して飛び退いた。
突き飛ばされた2人の女性は、瞬く間にアメリカンなキャンピングカーの巨大な車輪の下でミンチになった。ああ、まるで低予算のアメリカン・ホラー映画だ。冒頭でビキニ美女が登場し、すぐに血の塊に変わる。ただし、その車にはジャパニーズ・ホラーのような顔が付いていたが。
俺のようなキャラは、最後まで生き残ってヒロインと恋に落ちるタイプのはずだろう? なんでこんな時に妄想してるんだ……。次の瞬間、俺もまたキャンピングカーの巨大なタイヤに轢かれた。ああ、そうか。とっさに蜜村綾を突き飛ばして、その反動で俺自身がタイヤの下に落ちたのか。
キャンピングカーが停止する。俺は血の海に横たわり、蜜村は泣き叫びながら地面を這いずり回っている。ビキニが外れて落ちているが、ああ、これ以上描写したらR15どころじゃ済まなくなるな。それにしても蜜村があんな品のない女だったとは。この光景、ちっともエロくない。あぁ、苦しい。
本来の軌道なら、キャンピングカーは俺には当たらなかったはずだ。
本来、社会的な意味で終わっていた俺の人生は、今日、生物学的な意味でも終わりを迎えた。
◇◇◇
アメリカ・ワシントンD.C. ペンタゴン 転生者世界サミット
「アレックス長官、これが……本日の報告書です」
「忌々しい日本人どもめ、また転生したのか?」
「はい、長官。すでに数万人が不慮の事故により異世界へ転生しており、その行き先はほぼ全て異なる異世界です。現在、我々の世界への帰還に成功したのは数百名のみ。これらの人物は、例外なく全員が日本国籍を有しています」
金髪碧眼のアメリカ人女性、政治家補佐官のエレナ・ジョンソンがそう報告した。
「FXXK JAP! 数万人が転生だと? それはつまり、異なる異世界との接続口が数万個も潜在的に存在し、それら全てが我々の世界に収束しているということじゃないか。わかっているのか? これは宇宙人よりも始末が悪いぞ!」
「しかし、我々はいまだその転生の原理を解明できておりません……」
エレナは、偽善的で冷淡な同情を浮かべた。転生技術を掌握するために、彼らはこれまで国家安全保障の名の下に、韓国人、アメリカ人、そして日本人を対象とした数え切れないほどのテストを行ってきた。内容はシンプルだ。エジソン社のAI自動運転車を使い、ランダムに人を殺す実験を行うこと。
死体が消失するのは、日本人だけだった。それも男性が多い。なぜ消失したのかと言えば、彼らが転生者となり、中世ヨーロッパ風の異世界、魔法のある異世界、異なるルールを持つ異世界へと渡ってしまったからだ。
「FXXK」
これはアメリカのキャリア官僚が入省初日に覚える、祈りに似た単語だ。一般の人々は単に汚い言葉で感情を発散しているだけだと誤解しがちだが。
しかし、それはFUCKよりも遥かに深遠な哲学を含んだ単語なのだ。
Xは十字架を表し、二つのXは、二倍の信仰心を表す。
日本人に理解できる言葉で言うならば、「南無阿弥陀仏」に近い。
◇◇◇
空気。その匂いはまるで空そのもののようで、あたかも「空」という概念そのものを呼吸しているかのような感覚だった。
俺は目を開けた。ここは天国か? いや、俺のような無神論者でも天国に行けるのか?
俺は全裸で草原に寝転がっていた。不快かと思ったが、ここの草は俺の知っているものとは違い、まるで高級な輸入シルクのように柔らかかった。
傍らには、あのアメリカンなキャンピングカーがある。
無神論者は天国に行けないんじゃないのか? 特に、今年の2月にも布教に来た母娘がいたな。幸せそうな顔をしていたが、俺は丁重にお断りした。もちろん、無神論者だとは名乗らず、大学時代に暇つぶしで蓄えた宗教知識をひけらかして敬虔な信者のフリをし、満足させて帰したのだが。
すでに敬虔な信者である人間に、改めて布教する必要はない。すでに死んでいる人間が、もう一度死ぬ必要がないのと同じだ。
「ここは天国だよ」
少年とも少女ともつかない声がした。顔を上げてみると、そこには「球」があった。
文字通りの、立体幾何学的な意味での、そして同時にあらゆる意味での、純粋な球体。
純白の球か、それとも透明な球か? いや、そういった余分な属性はなく、ただ「球体」という幾何学的概念そのものが視覚化されて目の前にあるような感じだ。
この球体から声が出ているのか?
「そう、ここは天国、天上界、あるいはヘヴン。文字通りの意味でも、幾何学的な意味でも、宗教的な意味でも、そして無神論者が抱くステレオタイプな意味でも天国だ。そして僕は天使」
「天使……ってのは、全身から炎を噴き出し、無数の目がついた車輪と、たくさんの翼で構成された異形の生物じゃないのか? ずいぶんとシンプルだな」
「ああ、ごめんごめん。今朝ちょっと寝坊しちゃってさ、化粧もせずにすっぴんで出勤しちゃったんだよ。本当に失礼だったね、大目に見てよ」 その球体はそう言った。
「でも……俺、死ぬ前は無神論者だったんだけど、大丈夫なのか? 今から改宗しても間に合うならするけど」
そう、俺は生前無神論者だった。だが、死に際に花のような少女を一人救った。もっとも、星条旗をまとったビッチだったが……。
「あー、そうか、無神論者か。それはちょっと厄介だね……」
「頼むよ……なんとか考えてくれ。死ぬ直前にとっさに人を助けたんだ、加点要素にならないか?」
「あはは、冗談だよ。君が無神論者かどうかなんて関係ないさ」
「あ、そうなのか……よかった」
「ただ、やっぱり厄介なんだよなぁ。君、事故に遭う前に何か食べたよね?」
「あ、ああ。ただの果物だけど」
「腸が潰れちゃって消化が間に合わなくてさ、ちょうどボーダーライン上で止まってるんだよ」
「どういうことだ……? その基準ってのを教えてもらえるか?」
「つまり君は、人が天国に行くか地獄に行くかの判定基準を、天使の口から直接聞き出そうってわけ?」
俺は唾を飲み込み、勇気を振り絞って尋ねた。
「そ……そうだよ。煉獄とかあるんだろ? どこが悪かったか教えてくれれば、そこで何年か苦しんで、浄化されてから天国に行くよ」
はぁ、天国も地獄も実在するのか。結局、欧米人が作り出した宗教に振り回されることになるんだな。
「その通りなんだけど、そこが難しいんだよね。何が善で何が悪か、生前の罪をどう数値化するか、そんなことを水も滴る花の盛りの天使たちが毎日延々と会議しなきゃいけないんだ。だから、最終的に満場一致で判定方法を大幅に簡略化することにしたんだよ」
「つまり……宗教改革みたいなことか? 煉獄を廃止したら、地上の教会は免罪符を売って金儲けができなくなるぞ。でも煉獄がなくなったら、判定も面倒になるんじゃないか?」
「そういう話じゃないんだよ。今はそんな面倒なことしなくても、すごく標準化された、定量的で操作性の高い基準があるんだ。ただ君の場合、それが特殊でね」
「さすが天使様だ。で、俺の何が特殊なんだ? 今の基準ってのは?」
「今の基準は、その人が生前に食べたミカンの数だよ」
「は?」
「つまり、人が死後に天国へ行くか地獄へ行くかは、その人が生前に食べたミカンの数で決まるんだ。500個を超えていれば天国、500個未満なら地獄。現在はそう分けられている」
「は? は?」
「でも君の場合、特殊なんだよ。死ぬ直前に人生でちょうど500個目のミカンを食べたんだけど、完全に消化される前だったから、まさにライン上ギリギリなんだ。だから君を天国に送っても地獄に送っても、問題が生じる」
「は? は? は?」
「技術的に問題があるわけじゃないんだけど、年末になると監査の連中がこれをネタに難癖をつけてくるんだよ。『なんて杜撰な処理をしてるんだ』ってね。とにかく粗探しをされるから、そうなると始末書を書かなきゃいけなくなる」
「どっちみち文句言われるなら、天国枠に入れてくれよ……」
いや待て、ミカンを食べた数だけで天国行きが決まるような世界だぞ……もしかしたら天国もロクでもない場所かもしれない……。
「違うよ。ここの天国は、無神論者がステレオタイプに思い描くような天国さ。北欧みたいに景色も福祉も良くて、働かなくても高収入が得られる。しかも北欧みたいな悪天候もない。人間なら誰だって行きたがる場所だよ。地獄は低福祉の第三世界にあるブラック企業みたいな工場だね」
こいつ、心を読みやがった……。
「だから……やっぱり煉獄システムを再起動して、君を異世界に送ることにするよ。ただ、生前それなりに善い行いもしていたみたいだから、ハーレムを作れる中世和風ファンタジーな異世界なんてどうだい?」
「……交渉成立だ。あんたはまさに人民のための素晴らしい天使様だよ」
「チュッチュッチュッ!」
天使が奇妙な呪文を唱え、俺を異世界へと転送した……待てよ、なんであのアメリカンなキャンピングカーも一緒なんだ? 今気づいたけど……




