生き方 1
俺は、いま、瓦礫と錆と悪意の巣窟に住んでいる。
この場所の名はネスト。
およそ30mほどの建築が隙間なく密集して建てられている。
建物同士は無秩序に増築され、通路や階段が複雑に絡み合い、
まるで立体迷路のような構造を形成している。
ここは、とてつもなく巨大だ。
どこに何があるのか、ほとんど誰も知らない。俺も知らない。だけど別に知りたいとも思わない。
秩序はある。だがそれは、秩序という名の混沌であり、基本的には無法地帯だ。
人口はおそらく数万人ほどだろう。当然、危ない人も、組織もある。
そんな所にうっかり足を踏み入れてズドンなんてまっぴらごめんだ。
俺がここに来たのは4年前、13歳の時だった。
父は、俺が生まれて間もなく病に倒れて死んだ。俺は、父の顔を知らない。
母は、それでも俺を育てようと、毎日働いた。働いて、働いて、働いて、そして、死んだ。
俺が11歳の時だった。疲労で死んだ。人は、疲れたら死ぬ。
そんな当たり前を俺はその時、初めて知った。
俺に残されたのは、小さなボロ小屋と、冷たくなった母の身体と、
子供には到底背負いきれぬほどの借金だった。
俺は泣かなかった。泣く暇がなかった。
泣くには、まず、飯を食わないといけない。
俺は、起きている間ずっと働いた。
時には盗みもした。盗むことに、罪悪感などなかった。
罪悪感は、腹が膨れてから感じるものだ。
俺は生きていた。生きていたというより、死なずにいた、という方が正確かもしれない。
13歳になった頃、俺はあることに気がついた。
いや、気がついたというより、悟ったと言った方が正確かもしれない。
働いて金を得るよりも、盗んだ方が遥かに楽で、効率が良い。
それは、倫理の敗北ではなく、現実の勝利だった。
そのことを教えてくれたのは、エネルという男だった。
俺よりより二つ年上で、顔つきはどこか大人びていて、言葉には妙な説得力があった。
出会いは商店街だった。俺は果物屋の前で、リンゴを睨んでいた。
盗むつもりだった。腹が減っていた。
すると突然、後ろからエネルが現れて、こう言った。
「俺が店主と話すから、その隙にやれ」
まるで、俺の腹の中を見透かしているような口ぶりだった。
俺は、少し迷った。知らない男の言葉に乗るのは危険だ。
だが、次の瞬間には、彼は店主に話しかけていた。
笑顔で、世間話をしていた。まるで旧知の仲のようだった。
俺は、その様子を見てあることに気がついた。
隙がありすぎる。盗みとは、隙を見つける技術だ。
だからこそ、売る側の人間は常に警戒している。
だがこの店主は、エネルの言葉に、魔術でもかけられたように警戒心を失っていた。
俺は、リンゴの棚に近づき、丁寧に、二つ盗んだ。横目で店主を見たが、彼は俺を見ていなかった。
いや、見えていなかったのかもしれない。エネルの言葉には、人を盲目にする力があった。
その日から、俺は彼と行動を共にするようになった。彼は、いろんなことを教えてくれた。
学校で習うようなことも、頭の使い方も。そして何よりも、「信用」について語った。
「信用させるのが大事なんだ。信用ってのは、武器だよ。金持ちだって信用で騙される。俺の事を信用している奴ほど、扱いやすいものはない」
彼に出会うまでの俺が聞いても理解出来なかったかもしれない。
だが今はそれを、強く、強く実感している。
エネルは、裕福だった。食うに困らず、学校にも通っていた。
この街で学校に通う子供は、十人に一人もいない。
そんな彼が、なぜ盗みをするのか、俺は理解できなかった。
満たされているはずの彼が、なぜ、満たされないことをするのか。
もしかしたら、空腹とは別の、もっと深い飢えがあるのかもしれない。
俺はそんなことを考えていた。だがそんなことは、どうでもよかった。
彼といるとすべてがうまくいった。初めて、生きていて楽しいと思った。
俺は、彼を友達とは思っていなかった。親のように、思っていた。
いや、親以上だったかもしれない。
彼は俺に、生き方を教えてくれたのだから。




