表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/24

第23話 動く掛け軸(1)

 退魔士御用達の喫茶店にて、私は居心地悪く思いながらも目の前でコーヒーを飲む青年を見つめた。

 夏目慎二(しんじ)の次男である夏目莉央(りお)だ。


「飲まないのか」


 私は目の前にあるココアをゆっくりと飲む。

 正直、味がしない。

 以前、赤いカッパの女の子の相談を受けた時とは、全く違う空気だ。あの時は、私の方が立場は上だったから。


「あの、話したいことって……」


 莉央はため息をつく。


「実は、退魔局の知り合いから家にある掛け軸がおかしいのだと相談を受けてな。だが、俺一人で見に行っても何がおかしいのかさっぱりだ」



 その掛け軸は、随分と昔に依頼主の祖父が買ってきたものらしい。祖父は『この掛け軸の中には神様がいるのだ』とよく話してくれていたとか。

 そんなわけで、家族はみんな掛け軸を大切に扱っていたのだが、依頼主の息子である人物が酒で酔った際に掛け軸にビールをぶちまけたというのだ。

 それから、掛け軸に異変が起こるようになった。



「中の絵が動いたり、掛け軸の中に入ったような夢を見るようになったらしい。家族全員」


 特に、ビールをぶちまけた息子は夜も眠れず、しまいには大きな事故にあって現在は入院中らしい。


「お前は霊感だけは強いから、他の退魔士よりは頼れると思ってな。今回は俺とお前で依頼を片付けるぞ」

「退魔士でもないのに、いいのですか?」

「これは正式な退魔士の依頼じゃないからな。それに、無能力とはいえお前は夏目の人間だ。問題ないだろう」


 意外だった。

 莉央は私が思っているよりもずっと丸くなったのかもしれない。

 ただ、掛け軸の中にいるのが怪異ではなく神様というのは少し気掛かりだ。


「その掛け軸、いつ作られたものですか?」

「俺は江戸時代だと聞いた」


 莉央はそう言うと住所の書かれた紙を私に渡す。


「次の土曜日に来てくれ」

「はい」





 住所にあった家は、首都圏にある家とは思えないほどの大豪邸であった。どうやら、かなりの資本家が築き上げた屋敷らしい。


「夏目本邸なみの大きさ……」

「いや本邸よりは小さいぞ」


 莉央はそう言うと勝手に門をくぐって歩き出す。

 私も慌ててついていった。



 玄関もかなり立派で、いくらするのか聞きたくもないような厳つい盆栽も飾られていた。こんなところにおいたら盗まれるような……。


「いらっしゃい。よく来たな」


 出て来たのは、初老に差し掛かったくらいのお爺さんで、莉央と私をニコニコしながら出迎えてくれた。


 居間に通されると、お爺さんは私を値踏みするようにじっくりと見つめた。


「この子が?」

「はい。卯月の血を引く従姉妹です。能力はありませんが、霊感はあるのでもしかしたら助けになるかも」


 私はどうやら、夏目としてではなく卯月として呼ばれたらしい。別に怒らないから予め教えてほしかった。


「どういう……」

「話していないのですか」

「直接話してもらった方が確実かと」


 お爺さんはため息をつくと、ついてくるように言った。

 居間から少し離れたところにある広めの部屋にそれはあった。


 そこにいたのは、美しく長い鰭を持つ神秘的な龍。どうやら、水の中にいるらしい。

 魚龍、とでも呼ぶべきなのだろうか。


「かつて、卯月家に怪異を愛し、怪異に愛された女がおりました」


 お爺さんはポツリと呟く。


「彼女は、自分が住まう屋敷にそれはそれは多くの怪異を招き、人間の使用人たちと同様に対等な関係を築いておりました」


 これはおそらく、卯月の姫の話だ。

 少し怖いけれど、頼りになる美涼(みすず)

 おしゃべりなムードメーカーの女男(じょだん)

 怠け者だが、やる時はやる旅人(たびと)


 今でも、あの屋敷を思い出す。

 たった一年だったけれど、忘れられない。私のもう一つの居場所。


 けれど、私はポーラン以外の怪異を思い出せない。

 全てにモヤがかかっているようで、ポーランとの思い出ははっきりと思い出せるのに、彼以外の怪異のことはさっぱり……。


「哀れな女だ。怪異などと関わるから、退魔士に裏切られ、殺され、挙句の果てには祟り神になった」

「………え?」


 お爺さんは掛け軸を見つめた。

 よく見れば、大きなシミができている。息子がかけたビールのシミだろう。必死に汚れを取ろうとしたのだろうが意味はなかったようだ。


「この掛け軸は、祟り神となった卯月の姫に同調し、人間に害をなそうとした一体の怪異を描いている。彼の名前はヨイノツキ」


 知らない名前だ。

 きっと、思い出せないだけなんだろうが……。


「私の祖父は彼を神様と呼んだ。なぜそう呼んだのかは知らない。けれど、この掛け軸にヨイノツキの呪いがかかっているのは確かだ。燃やすことも考えたが、それも恐ろしい」


 お爺さんは私を見て微笑んだ。


「卯月の血族なら、あるいはこの呪いが解けるのではと期待してな」


 私は息を呑んで、そっと掛け軸に触れた。




『どうして』『どうして』『助けてあげよう』『ポーラン!』『どうして』『姫さま、しっかり』『どうして』『お前たちが裏切るから』『貴様に仕えるなどあり得ない!』『どうして』『会いたい、悪霊でもいいから……』『どうして』『僕が弱かったから』『強くなりたい』『どうして』『どうして、姫さまを裏切ったの?』『どうして』『ねぇ───』




 私は強い頭痛に襲われてその場に倒れた。





 私は水の中にいた。

 周りをゆっくりと誰かが泳いでいる。不思議と苦しくはなかった。この水の中はとても暖かい。


「姫さま、僕、頑張ったよ。でも、姫さまを守れなかった……。だから、褒めてなんて言わない」


 水の中で誰かが話しかけてくる。


「僕を叱って。いつもみたいに、褒めなくていいの。怒られてもいいから………もう一度だけでいいから」


 泣きそうな声で、彼はずっと誰かを求めている。


「笑って?」





 私は目を覚ました。

 慌てて体を起こす。


「大丈夫だったか?」

「わたし……」


 お爺さんは真剣な顔で私を見た。


「何かわかったか?」

「あの掛け軸は、ヨイノツキは卯月の姫に会いたがっています」


 あの掛け軸の強い願いが叶わない限り、この家に起こっていることを解決することはできない気がする。

 そして、あの掛け軸はビールがぶちまけられたことを怒っているわけではない。


「あの掛け軸は、凶悪な怪異だったヨイノツキを封印しています」


 場の空気が凍る。


「ビールがかけられたことにより、封印の効力が薄まり、ヨイノツキの意識が溢れてきているんです」


 莉央は焦ったように立ち上がる。


「では、すぐに退魔士に報告を」

「やめておけ」


 意外にもお爺さんは冷静だった。


「誰にもあれは倒せない。それに、お嬢さんには策ががあるのだろう?」


 私は目を閉じる。

 ヨイノツキはずっと『どうして』と繰り返していた。彼から溢れ出すのは強い後悔。主が裏切られ、祟り神となった時、おそらくポーランは祟り神になった主を倒そうとした。

 けれど、ヨイノツキは最後の最後まで、例え主が祟り神になったとしても、主を守ろうとしたのだろう。


 どうして守れなかったのか。

 どうして裏切りに気づかなかったのか。

 どうして主は祟り神になったのか。

 どうして、どうして、どうして。


 彼の後悔と懺悔は、現世に解き放たれても消えることはない。ならば、方法は一つしかない。


「私が卯月の姫になります」


 彼女の所作や話し方は知っている。

 あとはそれっぽい服を着て、ヨイノツキの意識を一瞬でも逸らす。


「その隙に、私がヨイノツキと契約します」



 契約。

 今ではもうしている退魔士は少ないが、怪異と人が結ぶ協力関係の中で最も信頼されているものだ。

 術的な契約を結び、契約内容を決めて合意することで、魂が結びつく。

 魂が結ばれると、契約違反が起きた場合、契約違反した方は死ぬ。同時に契約はなかったことになる。


 多くの場合、人間側は怪異に『人を襲わない』という契約内容をつけている。それが、もっとも信頼される怪異との協力関係と呼ばれる所以である。

 これは、退魔士以外でも結ぶことができる。



 しかし、問題が一つだけ。



「契約内容をヨイノツキに合意させるのは至難の技だぞ」


 莉央の言葉に私は頷く。


「私の言ったものを準備してもらえるなら、きっと大丈夫です」



   ◇◇◇



 祟り神が平安京を焼き尽くす。

 千永の大火、もしくは千永の大厄災と呼ばれたその災害は、一体の祟り神がもたらした。

 祟り神に同調するように、一体の魚龍も平安京の空を舞った。美しくも不気味なその姿を、多くの人が記録に残している。


 その日から、怪異は絶対の悪となり、怪異と暮らす人々は減った。



「ヨイノツキ、お前はよくやってくれた」


 絵描きだった彼は、ヨイノツキの主によく似た笑みを浮かべた。

 ヨイノツキは体をくねらせて首を傾げる。

 主をなくし、友をなくしたヨイノツキが頼れるのは、卯月の姫の直系の子孫であった卯月家の人間だけだった。

 けれど、家の守り神にはなれど主として仕えることはしなかった。


「ヨイノツキ、お前を絵に封印しようと思う」

「………なぜ?」

「卯月の力は弱まった。千永の大火から、我々は退魔士としての信用を失い、今はもう能力を持って生まれてくる子供も少ない」


 ヨイノツキを守りきれない。

 青年はそう言った。


「だから封印しようと思う。再び卯月に強い者が現れてお前を解放してくれるまで」

「僕は、卯月には仕えない」

「知っているよ」


 青年はそっとヨイノツキの頭を撫でる。


「その強い者に仕えるかどうかは、君が最後に決めるんだ」

「僕は仕えない。姫さまにしか」

「どうだろうね」


 ヨイノツキは気持ちよくなって目を細める。

 卯月の匂いは、主の匂い。たとえ、こんな小さくて古い屋敷でも、ヨイノツキはここが好きだった。

 あの屋敷と同じ匂いがするから。


「僕を描いて」


 力を失った卯月家は最後の宝とも言えたヨイノツキを絵に封印し、神が入った掛け軸として高値で売った。

 卯月家が歴史的な飢饉を乗り越えるためには、それしか方法はなかったのだ。

 絵描きだった当主は、飢饉が去った後、懺悔のために首を吊ったという………。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ