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第21話 水族館(2)

 ある程度、館内の散策を終えて、今回のリニューアルの大目玉である大水槽までやってきた。

 ジンベエザメが悠々と泳いでいる。


「すげぇ!」


 一番はしゃいでいるのは緒鳥であるということは言うまでもない。

 その時、館内放送が流れた。



『只今、館内で怪異が確認されました。利用客の皆様は、速やかに非常口から外へ避難してください』



 利用客は残念そうな声をあげながら、近くの非常口へ向かう。スタッフが非常口の扉を開けようとしていた。

 しかし、その後焦ったような声が聞こえた。


「非常口、開きません!!」


 利用客は徐々にパニックになっていく。


「おい、なんだ? あれ」


 近くの利用客が非常口とは反対側の方を指差した。

 悠々と泳いでくる、巨大なクラゲ。

 その触手にクラゲの近くにいた子供が触れた。


「い゛た゛い゛い゛ぃ゛!!!」


 それから、子供は体を激しく痙攣させて、泡を吐き、苦痛に顔を歪めながら動かなくなる。

 クラゲから逃げようと、利用客が水族館の出口の方へと走り出す。中には、開かない非常口をこじ開けようとする人もいた。


「緒鳥、武器は?」

「ねぇよ」


 さすがにこの人混みで優や西宮を変身させるわけにもいかない。人がいなくなってから変身するべきか。


「ないけど、呼び出せるぞ」

「え?」

「時間、稼げばいいんだな?」


 緒鳥はそれだけ言うと、クラゲの方へ歩いて行く。



『来い、朱天丸』



 クラゲの体を貫いて、光の矢が緒鳥へと向かう。

 それは、一本の刀。


「すみれちゃんは、道をこじ開けろ!」


 私はクラゲが来た方向へと走り出す。

 ここはもう、現世と隔離された怪異の領域だ。

 ここは、都市伝説(わたし)の出番である。





 周りに誰もいないことを確認して、鳥籠のランプを取り出し、管理塔の制服姿へと変わる。フードを被って終わりだ。


「逃げろ」


 突然した声に、私は動きを止める。

 暗い通路から現れたのは、一頭のオオカミだった。しかし、普通の狼と違い私と同じくらいの位置に目があった。

 額には鋭い一本角があり、爪は普通のオオカミよりもずっと大きい。

 管理塔十傑がひとり、ポーラン。


「なぜ、貴方がここに」

「それに答える義理が、俺たちの間にあるか?」


 私は鳥籠のランプを微かに揺らす。

 このポーランを含めた管理塔十傑は、私をあまりよく思っていない。私が人間のくせに、管理塔の主と親しいからだろうか。それとも………。


「じゃあ、私も貴方の警告を聞く義理はありません」

「あの触手に触れると死ぬぞ」

「ここは怪異の領域です。あれを倒さなければ、他の人が死ぬ」


 ポーランはおかしそうに笑った。

 その牙から赤い肉片がチラリと見える。この怪異は、クラゲに殺された人たちを食べに来たのか。


「残念ながら、この領域の主はあのクラゲではないぞ」


 私はゾッとして、ポーランが来た方の通路の奥を凝視した。ゆったりと泳ぐ影を見つけて、思わずその場にしゃがみ込んで息を潜める。

 巨大なサメが、人を頭から食っていた。


「アレと戦うか、小娘」


 ポーランは特に私を嫌っている。

 昔はあれほど……。


「協力してやろうか?」


 馬鹿にするように私に問いかけてくる。そうか、私はポーランに馬鹿にされているんだ。


「いい」

「死ぬぞ」

「いい」


 ポーランは驚いたように私を見た。そのことを少し気持ちよく思いながらも、鳥籠のランプを持って進み出す。


「ここの怪異は、クラゲとサメだけ?」

「そうだが……」


 クラゲは緒鳥が止めてくれている。

 私はサメをやろう。


 しかし、誰かに裾を引っ張られて転びそうになる。後ろを見るとポーランが私のローブの端を咥えていた。


「離してください」

「行くな」

「私のこと、嫌いなんでしょう? 死んだら嬉しいんでしょう?」


 ポーランの耳がしょぼんと垂れた。

 まるで、母親に怒られた子犬のように目にも不安が広がっていく。


「そんなことは……」

「そうだよ。だって貴方は、管理塔の主すら信用していない。貴方が本来仕えていたのは、卯月の姫だから」


 ポーランの目が徐々に開かれていく。

 管理塔十傑や管理塔準幹部の中には、かつて私も仕えていた平安貴族卯月の姫に仕えていた怪異たちも含まれている。

 どういう経緯で管理塔に所属することになったのかは不明だが、退魔士の家系では珍しく彼女は多くの怪異を屋敷においていた。

 今では決して見ることができない、怪異と人が隔てなく暮らす場所だった。文献にすら残らないその場所に、何があったのかはわからない。

 親切な管理塔の主が、卯月の姫という後ろ盾を失った怪異たちを引き取ったのかもしれない。


 元から管理塔の主に仕えていた怪異たちが私を気に入らないのは、ぽっと出の私が主に気に入られているのが気に食わないからだ。

 しかし、ポーランたち卯月の姫の怪異たちには、おそらくまだ別の理由がある。私の母方が、卯月家だということに何かしらの関係がある気がする。


 ポーランは肩を落として、数歩後ろに下がった。

 私はそれを見てからサメに向かって歩き出す。クラゲとサメを足止めして、尚且つ倒すことができればこれ以上死者は出ない。


「こっちよ!」


 サメを引きつけて、こちらの領域に引きずり込めれば……! 領域を作れるほどの相手だからそうすんなりと引き込めるわけはないが……。

 サメがこちらに向かって突進してくる。

 私は鳥籠のランプに力を込めた。

 鳥がランプから飛び出して、炎を纏い鳳凰へと姿を変える。


 サメはそれでも向かってくる。

 間合いを見極めて領域を発動させる。


「ちっ」


 不発。やはり、この怪異は強い!

 領域が作れないとなると、もうこの距離で私ができることはない。食われるまで、あとどれくらい時間があるのか。

 そのとき、サメが横にぶれた。

 何者かがサメを横から突き飛ばしたのだ。


「ポーラン!!」

「今だ!」


 領域にサメを取り込む。

 しかし、そこは九条院龍太郎を取り込んだ領域とはまた別の場所だった。私の領域は夏目神社のはずなのに。

 懐かしい寝殿造の建物。

 振り返れば、いつでもあの人が琴を弾いて、詩を歌い、庭の花を眺めている気がする。


「すみれごぜん!」


 ポーランが私を呼んだ。

 なぜか、管理塔十傑や準幹部たちは私を「すみれごぜん」と呼ぶ。どういう意味があるのか、さっぱりわからないけれど。


 ランプを揺らすとチラリと青い鳳凰がこちらを見てきた。この領域がなぜ現れたのかはわからない。卯月の血が呼び起こしたのだろうか。

 それなら、彼女の技も使えるはずだ。


「【花鳥風月】」


 鳳凰が鋭い叫び声をあげて、火柱を作ってサメを包み込んだ。火柱は徐々に天に昇り枝分かれを始める。

 そして、炎は美しい花を咲かせた。

 青い桜の木のようにも見える。とても美しい光景だ。元々は卯月の姫の技だった。


「っ!」


 私は口を押さえてその場に蹲る。

 領域が消えた。青い鳳凰も、小鳥になって私の肩にとまる。頭が痛い、吐き気がする。

 今にも倒れそうになりながら、サメがこちらに向かって来るのが見えた。


「手を出すな、雑魚めが」


 ポーランは私の前に立つと、サメに向かって爪を振り下ろした。サメは八つ裂きになって地面に落ちる。

 黒い灰になって消え始めた。

 今頃、領域もなくなっていることだろう。


「………結局、私は」


 怪異にすらトドメを刺さない無能力者。

 彼女の技を真似たところで、彼女のように強くなれるわけでもない。


「ランプに頼りすぎだ」


 ポーランは私の頬に自分の頬を押し付けてきた。

 あの頃のように、優しく……。


「でも、ランプがないと……」

「もう少し自分に意識を向けるんだ。あと、ランプの炎は大事にしろ」

「うん」


 私はゆっくりと横になる。

 ランプをしまって、目を閉じる。


「そういえば、ポーランはどうしてここに?」


 答えを聞く前に、私の意識は途絶えた。



   ◇◇◇



 管理塔。

 ポーランは、静かに管理塔の主の領域へと足を踏み入れる。

 先程、夏目菫子が作った領域とは似て非なるものだ。


「主さま」


 主はゆっくりと冷たい視線をこちらへと向ける。

 怒っている。そう感じた。


「また、すみれちゃんの魂が弱まった」

「死にはしません」

「はぁ?」


 主の近くに控えていた白虎が、馬鹿にしたような視線をこちらへ向けた。奴は、卯月の姫に仕えた怪異ではなく、最初から主に仕えていた者だ。


「ポーラン。お前には夏目菫子の護衛を依頼したはずだ」

「主さま。彼女は強くなることを願っています」

「必要ない」


 管理塔の主はバッサリと切り捨てた。


「少なくとも、今は」


 ポーランは目を閉じる。

 今は目の前にいる無慈悲な男が、ポーランの仕えている相手だ。彼の言うことに逆らえば、ポーランなどすぐに灰になるだろう。


「余計なことはするな」

「………御意」





「怒られちゃった?」


 卯月の姫に仕えていた頃からの同僚に声をかけられて、ポーランは足を止める。

 準幹部級の地位にいる女男(じょだん)と呼ばれる怪異だ。見た目は人間と何も変わらない。


「余計なことはするなと言われた」

「あの人も過保護だよね。全く、美涼(みすず)はどうしてあんな人に仕えることにしたんだか」


 女男は、卯月の姫に仕えた怪異を束ねるリーダーを咎めるような口調で言う。女男は、ポーラン同様管理塔の主を信用していない。

 美涼も、おそらくは管理塔の主を良くは思っていない。それでも、彼に仕えることにしたのは。


「この領域にいれば、退魔士に怯えることもない。それに、あの方がいなければ、女男も美涼も死んでいただろう」


 ポーランは再び歩き出す。


「俺たちのような怪異では、できないこともある」

「ポーランのしたこと、私は間違ってるとは思わないよ」


 女男は後ろからそんなことを言ってきた。慰めているつもりだろうか。


「魂に傷がついたって死ぬわけじゃない。強くならないと、正体がバレた瞬間退魔士に殺されるのがオチだ。いくら主さまとはいえ、退魔士を全員抑えるなんて不可能だよ」


 女男は昔からおしゃべりだ。

 会うたびに話が長くなるため、ポーランを含めた一部の怪異しか女男とは話したがらない。


 ポーランは女男のお喋りを聞かなかったことにして、再び歩き出す。

 気絶した彼女をそのまま置いて戻ってきたが、大丈夫だっただろうか。そんなことを、考えながら。

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