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第1話 鈴木優の神隠し(1)

 都内では有名な進学校の生徒である僕は、ため息を堪えて駅へと急いでいた。

 時間は午後11時。

 塾の小テストで解答欄をずらすという凡ミスにより、人生初の居残りが確定し難しくもない問題をひたすら解かされるという拷問を受けていた。


 だが、僕が急いでいたのはあらぬ罪で帰りが遅れたことによる憤りからではないとここに誓おう。

 僕は焦っているのだ。

 東京の夜は危ない。


 怪異が一般化し、日常となったのは終戦直後に起きた大霊災がきっかけである。当時、日本を統治していたアメリカ兵が多数亡くなり、民間人にも大きな被害が出た。

 それから、日本は他国の脅威の他に怪異の脅威にも晒されている。

 夜は奴らの時間だ。


 僕は、駅の明かりにホッとして改札をそのまますり抜ける。



「……………は?」



 改札を通った後、いつものようにホームに向かおうとして足を止めた。

 こんな景色は知らない。

 僕は引き返そうとして、踵を返した。しかし、後ろから歩いてきた巨漢にぶつかる。体は大きいがよく見るとウチの高校の制服だ。


「すみませんっ」


 そう言って顔をあげて、思わず腰を抜かす。

 顔はオオカミのそれだった。人狼、というやつだろうか。

 僕は周囲を見回して、退魔局に電話してもらおうと人を探した。残念なことに、僕は携帯を買い与えてもらっていない。


「全然平気ですよ」


 オオカミは片手をあげて、歩き去ろうとしてふと僕の顔を見つめた。

 冷や汗が流れる。怪異の中には人を食べるものもいるというのを、退魔士志望のクラスメイトに聞いたことがあった。


「君、人間?」

「ちがっ、違います!」


 僕は立ち上がって階段を駆け降りる。ホームに止まっていた電車に飛び乗ろうとする。


「待って」


 手を強く引っ張られた。

 見るとさっきのオオカミだった。そういえば、なんでこのオオカミはウチの制服を着ているのか。


「それには乗らない方がいい」


 そこでようやく、オオカミの胸についている『Ⅲ』という学年章が目に入った。

 しかし、オオカミは気にも止めないで反対側のホームを指差す。


「今日は俺の家に泊まるといい」

「冗談じゃない! 僕は早く家に帰りたいだけだ!」


 僕は階段を登っていこうとした。しかし、再びオオカミに手首を掴まれる。


「帰れないよ」


 オオカミは口を開いた。

 口から覗く犬歯は恐ろしいほど鋭くて大きくて、綺麗だった。


「ここに迷い込んだ普通の人間は、あの改札口からは帰れない」


 階段をせいぜい二段登ったところで、僕はこのオオカミを見下ろすことはできず、仕方なく顔をあげてオオカミを見た。


「君は神隠しに遭ったんだ。でも、幸運なことに君はまだこのホームに立っている」


 先程、僕が乗ろうとした電車の扉が閉まった。

 ピロロロロロロ…………。

 聞き慣れた音と共に駅員らしき男性の声がホームに響く。



『四番ホームから、死後行きの電車が出発します。生者の皆様はお間違いにならないようお確かめ下さい。まもなく、死後行きの電車が出発します』



 僕は言葉を失う。


「多いんだ、神隠しにあってすぐに訳も分からずアレに乗ってしまう人間は」

「あ、ありがとう……」


 オオカミは悲しそうに目を細めた。


「俺は昔、止められなかった。大好きだった小学校の先生に化け物呼ばわりされたショックで動けなかった」


 オオカミは反対のホームに歩き出す。

 午後11時という時間のせいか、人は帰宅ラッシュの時間帯よりも少ない。


「俺は人間がこの世界を抜け出す方法は知らない」


 はっきりとそう告げられて、僕は肩を落とす。もしかしたら、このオオカミは僕を助けてくれるのではないかと期待していたのに。


「けど、君を助けてくれそうな人には心当たりがある。知ってるだろ、『すみれちゃんの神隠し』」


 僕は思わず喉を鳴らした。




 すみれちゃんの神隠し。

 怪異が現れた大霊災の後に、とあるアメリカ兵が行方不明になったことが発端とされる都市伝説だ。

 アメリカ兵は行方不明になったおよそ四ヶ月後に再び姿を現した。怪我した様子もなく、健康そのものだったという。

 そんな彼は、三日間だけ別の知らない土地にいて八歳ほどの少女に案内されて元の場所に戻ったと語った。

 彼女は自分のことを「すみれちゃん」と呼んでいたとか。

 人という生き物はわけのわからないものにストーリーをつけたがるものだ。

 すみれちゃんは、幼少期に別世界へと迷い込んだが戻ることはできず、しかし、迷い込んだ人には同じ目にあってほしくないと道案内をしている。

 そんな涙ぐましい物語はいつしか『すみれちゃんの神隠し』と呼ばれる都市伝説になった。


 そのアメリカ兵の事件から現代に至るまで、神隠しにあった何人かは「すみれちゃん」と名乗る少女によって元の世界へと帰って来ている。

 噂としての“格”は、退魔局から最高のSSSランクで認定されており相当強いものとなっている。


 だが、すみれちゃんには一つだけ大きな謎がある。

 それは、「すみれちゃん」と名乗る少女の年齢が、バラバラであるということ。

 最初に案内されたアメリカ兵は、すみれちゃんは八歳の少女と言ったが、次に神隠しにあった大学生は、すみれちゃんは十二歳の少女だと言った。

 時の流れの変化で成長したのかと思いきや、三番目の事例ではすみれちゃんは五歳の幼女と記録されている。

 その謎だけは今でもそれらしいストーリーが描かれていない。




「僕を助けるのは、何歳のすみれちゃんなんだ……」


 オオカミはふっと笑ってスマホを取り出した。


「さあ、いくつだろうね」


 そう言いながら文字を打ち込んでいく。

 怪異もスマホを使うんだと感心しながら、僕は俯いた。というか、彼の家に今から行くというが、僕が食べられるバッドエンドも存在するのでは?


「神隠しに遭った人間をこうやって案内するのは初めてだよ。意外と楽しいもんだね」

「僕は楽しくない」


 オオカミはそれからは黙っていた。

 僕も話すことは特になかったので、無言のまま英単語帳を開く。そういえば、このオオカミはなぜ僕の高校の制服を着ているのだろう。

 けれど、怪異だらけのホームで顔を上げるのはなんだか怖くて僕はじっとアルファベットの羅列を眺めていた。




 電車に乗って、東京とはかけ離れたあばら屋や石造りの家ばかりの街並みを抜ける。

 幾分か、いや、かなり近代的な駅で降りると、オオカミはまたもや古くさい下町のような街並みを歩き始めて、ボロくさい木造のアパートの一室にたどり着いた。


「汚いけど我慢してね」


 オオカミはそう前置きすると扉を開けた。

 玄関は狭く、洗面所がすぐ右手に見えた。その奥に扉があってその先が1Kの部屋になっていた。


「親は?」

「いないんだ。幼い頃に退魔士に殺されて」


 オオカミは学ランを脱いでハンガーにかける。

 ついでに僕にもハンガーを投げ渡してくれた。


「風呂ためる? 俺はいつもシャワーなんだけどさ」

「僕もシャワーでいいよ」

「わかった。先に入って、俺の後は毛がすごいから」


 僕は頷いた。

 下着は、オオカミが子供の頃に使っていたものを貸してくれるらしい。なんか癪だが、大人用はサイズが合わないので仕方ないだろう。




 風呂を出て、部屋に続くドアを開けようとして、何やらオオカミが話し込んでいるのを悟った。

 電話だろうか、必死で誰かを説得しているようだ。


「スミレがそういうの嫌いってのは知ってるけど、だからといって後輩をほっとくわけにもいかないだろ」

「ああ、俺の高校の後輩なんだ。制服同じだし、間違いないよ。そんなことより、いいだろスミレ」

「君が罪を償ったのは知ってるけど、君くらいしか帰り方知らないんだからしょうがないだろ。他に適任者でもいんのか?」

「わかった、何が欲しい?金か?最近バイト頑張ってるから色を付けてやってもいい」

「管理塔?大丈夫、そこはさっきメール送った。問題ないってさ。てか、スミレの名前はまだ残ってるらしいよ」

「はぁ?知らないよ、俺に文句言わないでくれる?」


 オオカミはそれから、しばらく無言で「うん、うん」と繰り返していた。


「ありがとう、明日の放課後に管理塔で」


 僕はそのタイミングで部屋に入った。

 オオカミは驚きもせずに僕を見てわらった。


「入ってきてもよかったのに」

「僕の高校にオオカミはいないぞ」

「姿を人に変えて生活してる怪異は少なくないよ。見つかったら退魔士に殺されるけど、この世界で稼ぐより楽しいし、安定してる」


 命懸けの世渡りが、安定している?


「それに、人間の学校を卒業したら管理塔に就職できるかもしれない」

「管理塔?」

「僕らが降りた駅だよ。凄くデカいビルで、人間でいうところの内閣、県庁、市役所………全部まとめたような施設だ」


 オオカミはそんなことを言いながら、冷蔵庫を開ける。スーパーで売ってあるような豚こまのパックを置いてキャベツ、ニンジン、もやしを取り出す。


「野菜炒めでいい?」

「うん」


 僕は思い切って、さっきの会話の内容にさぐりを入れることにした。


「さっきの電話って」

「ああ、『すみれちゃんの神隠し』の本体、ナツメスミレコという人物に電話で君のことを頼んだ」


 実在する人物?

 いや、彼女がいたのはずっと昔のはず……。待てよ、怪異ならそんな心配はしなくていいのか?


「明日の放課後、午後四時に管理塔のロビーに来いだってさ。出口まで案内してもらうといい。ただし、スミレの機嫌は損ねないようにすることをお勧めするよ」

「彼女も、怪異なのか?」

「さあね。彼女が何者かなんて、誰も知らない」


 誰も知らない方がいい。

 オオカミはそう付け足した。



   ◇◇◇



 私はため息をついてスマホを切る。

 午後0時近くに、知り合いの人狼から電話がきたかと思えばまさかの迷子のお知らせだった。

 罪を償い、役目を終えてから二年近く経つというのに、管理塔の主はまだ私の名前を残しているらしい。


「すみれちゃーん! まだ起きてるのー? 早く寝なさーい!」


 リビングからお母さんの声が聞こえて私は「はーい!!」と大きく返事をして電気を消す。

 五歳の夏、私は罪を犯した。

 電車の扉越しに見えるぐちゃぐちゃの泣き顔が、今も鮮明に心の中に残っている。


 『すみれちゃんの神隠し』なんて、心温まる迷子の女の子なんて、そんなものはどこにもないのに。

 私は醜い人間だ。

 怪異になることを恐れた、ただの臆病者。


 電気を消してベッドに入る。

 私が迷子の案内人を了承したのは、私がまだ許されたとは思っていないからだろう。

 本当に、なんとつまらない人生だろうか。

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