2章:吸血鬼:――TYPEⅨ――
時刻は夜9時。良心的には電話を避けるだろう時間帯。ボロアパートに今では骨董品並みに珍しい回転式の黒電話が鳴り響いた。マシロは耳を押さえてうーうーと唸っている。確かに今の人はこの黒電話の雄叫びをまじかで聞いてると、鼓膜が破れるかと思うだろう。僕はなれているので、特に何も思わず、黒電話の受話器を取った。
「もしもし、■■さんのお宅でしょうか?」
ざらりと耳の中を舌で舐められたような悪寒が走る。相変わらず名前を呼ばれる感覚に慣れない。電話越しで聞こえる声は女性のようだ。はて? 女性から電話をかけられる覚えはなかったはずだが?
「もしもし? もーしもーし?」
返事がない事に不思議をもったようで、何回も「もしもし」を繰り返していた。僕は慌てて「はい、そうですが何か?」と返した。
「ああ良かった。では貴方が噂の『ふーくん』なのですね」
「は? 今何と言いました?」
「良かった良かった」
「いやいや、なに自己満足してるんですか? どこで『ふーくん』と言う代名詞を聞いたんですか?」
「貴方も大好きな『璃緒先生』ですよ」
ああ、なるほど。この人が……
「リオ先生の幼馴染の警官さんですね。小学生のときの将来の夢がゴルゴ13の」
「正確には警官ではなく刑事ですけどね。うふふ。璃緒ったらそこまで貴方に話してるんですね」
しばらくうふふと言う声が続く。
「貴方は璃緒に大分気に入られているようですね」
「むしろ逆だと僕は考えているんですがね」
なんせ会うたびに嫌な顔されるもんな。
「いえいえ、それは照れ隠しですよ。いわばそれが萌えなんですがね」
「はぁ……」
なんだ。萌えって……
「あら、駄目ですよ。子供なら漫画とかアニメは見てないと」
「中身はもう子供じゃないですけどね」
精神はすでに老衰しきってる。あー、早く死にてー。
「そうですか。それでは貴方が自殺する前に言わなければいけないことがあるんで言いますね。貴方、『芹沢桜雪』を殺しましたか?」
「――――ッ」
随分直球だなこのヤロウ。いや、アマ。リオ先生から疑われてるみたいな事言われたけど、まさかココまで露骨に聞いてくるとは思わなかった。
「随分直球ですね。野球なら目をつぶってでも余裕で打てますよ?」
「その代わりファールボールですけどね」
うふふと上品に笑う刑事。
「はぐらかすのは無しですよ? これでも私は忙しい身分なので」
「それは大変ですね。それなら僕にかまわず今すぐにでも電話切っていいですよ?」
「いえいえ、それには及びません。私は警察という組織内のしがない歯車のひとつですからね。上層部の人間の決定事項には逆らえないのですよ――というわけで、しばらく私との会話を楽しんでください」
「ぜんぜん楽しめないですけどね」
参ったな。これじゃ鏡に向かってしゃべってるもんだ。暖簾に腕押し。まったくもって手応えがない。
「あらあら、これは手厳しい」
うふふからくすくすに笑いが変わった。若干そちら側が有利と感じたのだろう。
「貴方とは直々にお会いして話し合った方がよろしそうですね。どうです? 私とご一緒に浮気なんかでも?」
「残念ながら元々本妻自体がいません」
「あらあら、では学校でご一緒にいらっしゃった可愛らしいお姫様は一体なんなんでしょうね?」
「…………」
この人、あの時学校にいたのか? いや、そう決め付けるのは早計か? 僕と一緒に女の子がいたから、誰かが記憶していただけかもしれない。いやいや、そもそも僕は“誰にも見つからないように”気をつけていたんだ。断言しよう。確かに周りには誰もいなかった。と言う事は――
「刑事さん。貴方は職員室に乗り込んだ警官の中の一人なんですね?」
「その答え合わせは実際に会ってからということで、どうでしょうか?」
「…………」
罠……かな? でも、これ以上はどうしようもないか…? どうせ僕の人生はこんなものだ。過去も今も。なら未来も同じでないといけないよな。全身全霊で冗談だけど。
「……いいでしょう。場所は?」
「暗いところで」
「分かりました」
僕は黒電話の受話器を戻す。チンという音がなる。数秒してから黒電話がまたなり始めた。今度はワンコールで受話器をとる。
「市街の一番大きいデパートの中央に待ち合わせスポットとして有名な小狭い広場があります。そこに今度の土曜――と言っても明日ですね。明日の昼12時に」
「了解です。これにて御免」
さっきとまったく同じ動作で受話器を戻す。やれやれ、僕は不思議な事に巻き込まれるような体質にでもなったのだろうか? くるりと後ろを向くとマシロがにこにこしながら首をかしげていた。さて、マシロは連れて行くべきか否か。それが今の最大の問題だった。