13日月の夜明け前、夜這いにやって来る
湿気を含んだ生温かい夜風が、開けた窓から入って来る。
・・・前世では生ぬるい風、生臭い風が突然吹いてきたら、そこには霊がいるとか何とか言っていたわね・・・
そんな事を思い出しながら、ディアーナは微かに感じる潮の香りを思い切り吸い込んだ。
インチキ占い師であった前世。どうしても誰かに責任を押しつけたい場合、よく霊のせいにしたものだ。
例えば、ヤンチャな子どもに手を焼いている子育て中の母親が、ゲッソリとした表情で来店すれば、家庭を顧みない父親に原因があったとしても、霊が悪さをしていると、そのためには父親と縁を切るのもひとつの案だと言葉巧みに言ったりしていた。
あるいは、パートナーの浮気に悩み、病んでいる顧客がいたら、浮気相手には淫魔、パートナーには色情霊が憑いているなどと、ありもしない霊のせいにしたりした。
・・・もはや占いではなく、心霊相談である。
でもその方がダメージを最小限に押さえられるケースがあったのだ。臨機応変。利用できるものは霊であっても利用させて頂いた。
「お嬢様、そろそろ窓を閉めましょう」
ルナのその口ぶりはどことなく固い。
「そうね」
ディアーナは窓から離れてベッドへ向かった。
☆☆☆
深夜3時頃、真っ暗なディアーナの部屋のドアがカチャリと開く。
誰かが暗闇の中を足音を忍ばせ、入って来た。
ほのかに差し込む月の明かりを頼りにして、ソロソロとベッドに近づいて来た足音は、天蓋のカーテンを手荒に引き、ベッドで眠るディアーナに覆い被さった。
「・・・んっ!」
ディアーナが声を上げる前に、手のひらで口を塞がれる。
「静かに俺に身を委ねていろ。ただ純潔を捧げればいい。まぁ、万が一にもそっちの相性が良かったら、愛人くらいにはしてやるさ」
そうして用意していた猿轡で口を塞ぎ、両手をあっという間に縛りつけた。
「んー!んー!」
ディアーナが首をぶんぶん振って抵抗すると、暴漢がディアーナの頬を一度打った。いきなり叩かれたディアーナは涙目になり、身体を硬直させる。
「そこまでよ」
ドアが大きく開き、ランプを手にしたディアーナと、護衛たちがなだれ込んできた。
暴漢は部屋に立つディアーナと、ベッドで猿轡をかませられた女性を、目を見開いて見比べた。
「大丈・・・」
ディアーナの声より先に、護衛の大声が響く。
「ミリアム!!大丈夫か!?」
王太子の護衛官、トレイシーはベッドに飛び乗り、猿轡と拘束を真っ赤な顔をしながら解きにかかった。
背中が尋常でない怒りで震えている。
「・・・大丈夫、です・・・」
ミリアムは気丈に答えたが、その声はかすれていた。
トレイシーがそっと抱きしめると、ミリアムもぎゅっとトレイシーの背中に両手を回す。
「・・・本当に夜這いに来るなんていい度胸ね」
伯爵家の護衛に縛られ、膝をつかされた1。本名はバート。
先日、ディアーナの部屋に許可なく入ってきた王太子の側近。そして侯爵家の次男でもある。そんなバートを見下ろしながら、ディアーナは冷やかに言った。
「よくもミリアムを叩いたな!」
ベッドの上でミリアムを抱きしめたままトレイシーも怒鳴った。
「・・・一体、どうなっている」
バートの呟きを、ディアーナが拾った。
「あの時、あなたに向かって言ったでしょう?『スパイっぽい』って。あなたは最初から私に警戒されていたのよ。王太子がいなくなったって、騒いだあの夜をきっかけに。
あなたの家門は王太子の婚約内定令嬢の侯爵家と同派閥ですもの。
大方、王太子に気に入られた私が目障りだったんでしょう」
「・・・・・・」
「ただ、あなたがどう出てくるかは分からなかったのよね。王都への帰路を襲ってくるのか、夜中に忍び込んで寝首を掻いてくるのか。
だからずっとミリアムには私のフリをしてもらっていたのよ。かわいそうに」
「お嬢様をお守りできたので良かったです」
色合いは違うが、同じブロンドということでミリアムは自ら、ディアーナの身代わりを買って出ていた。
だけど実際に拘束されたり、叩かれたりして、かなりの衝撃を受けたに違いない。
「トレイシー様にも申し訳ないわ。大事な恋人が危険な目に遭ったのですから。
どうしても現行犯で捕らえたかったから、ギリギリまで突入させてあげられなくてごめんなさいね」
「いえ・・・ミリアムの勇気に敬服します。俺がこれから全力で彼女をケアしますから。
ミリアムはこれから俺に溺愛されるのを覚悟しておけよ」
トレイシーはミリアムを抱きしめる腕に一度力を込めてから、そっと彼女から離れ、ベッドから降りた。そして怒りの形相で拳を震わせる。
「こいつを一発殴ってもいいですか?」
だが誰かが答える前に、トレイシーがバートの頬を殴る音が響き、ディアーナは歯が折れたかも、と肩をすくめた。
そのまま連行されるバートの背中に、ディアーナは呼びかける。
「そうそう、あなたはミリアムや私の純潔は決して奪うことはできなかったわよ?」
唇に血をつけて、頬を腫らしたバートが怪訝そうな表情をディアーナに向けた。
「だって私たち、王太子殿下やトレイシー様の言いつけで、貞操帯つけているんですから。重いし、固いし、着心地悪いし、ほんと大変だったわよ」
ぶつくさ文句を言うディアーナに対して、バートは思い切り目を見開いてから、ゆっくりと息を吐き、そしてそっと目を閉じた。
「・・・そうか・・・それは・・・良かった・・・」
「・・・あなたには、まだ人の心があるようだから救いがあるわね。これが鬼畜貴族相手だったら、私などとうに暗殺されていたかも知れないわ」
「・・・いち国民として、心の奥底では分かっていましたから。王太子妃に本当に相応しいのは、あなたのような清らかな人であると。
海辺でバイオリンを弾くあなたはまさに月の女神のようでしたよ。
・・・あの時、『D』と書いたのは本心です」
バートは抑揚のない口調で言う。
「ですが、僕は謝罪はしません。家門のために尽くすのもまた本望なので」
そう言い残し、バートは連行されて行った。
☆☆☆
翌朝、ランドリーメイドが真っ青な顔をして膝をつき、首を垂れていた。
バートの2度の侵入を手引きした張本人だからだ。
1度目は別荘内部の間取りを把握するため。
2度目はディアーナを襲う目的で。
「不思議なのは、どうして2度目も手を貸したの?
あなた、集団デートでフラれていたじゃないの」
ルナがイライラしたようになんで、と尋ねた。
「・・・手を貸せば、愛人にはできるとおっしゃったので」
ディアーナとルナとミリアム、そしてスージーは互いを見やった。
「純真な乙女心を上手く利用されたと言うわけね」
ミリアムが吐き捨てると、ランドリーメイドは首をすくめる。
「・・・とんだ悪い男に惚れたものね」
ルナの補佐をしているスージーが、複雑な感情を込めつつため息をついた。
「だけどスージーの機転のおかげで最悪のパターンは回避できたわ」
ディアーナがスージーに感謝する。
「い、いえ!私はあの水晶の予言を、エド様に内密に告げただけです。エド様が占いをバカにせずに、私たちを心配して下さったおかげです」
「水晶の予言と貞操帯に守られたというわけね」
ルナがしみじみと頷いた。
「お嬢様の占いの精度が高くなっているようですね」
うーん、どうだろうか?
ディアーナは無言で小首を傾げた。
自身の手のひらを見ると、なるほど運命線の島は薄くなってきている。
でも手のひらの皺なんて、加齢や日々の生活で変わるのよね・・・なんて言ったら元も子もないけど・・・
「しかもこの件で、きっと侯爵令嬢は婚約内定を取り消されるでしょう。万が一、取り消されないとしても王太子殿下がそのような派閥下の令嬢は拒否されるでしょうが」
ルナが断言すると、ミリアムとスージーも同意する。
「そうなるとやはり・・・」
と、3人はディアーナを注視した。
「え?私?えっ?えぇ?」
ディアーナは狼狽えた。王太子妃候補だなんて、冗談ではない。
大変そう。窮屈そう。面倒くさそう。
せっかく貴族令嬢に転生したのだから、お気楽お嬢様ライフに徹していたい。
「私は無理よ。無理。無理」
ぶんぶん首を振るディアーナにルナが呆れる。
「身を捧げたクセに何ですか。往生際が悪い」
「み、身なんて捧げていないわよ」
「ゲルで密着して寝ていたではないですか。事後と思われても仕方ありません」
ルナの口撃に、ディアーナは唇を尖らせた。
「貞操帯つけているんだから、万が一なんて起こり得ないわよ」
おしおきという名目の口づけをされて硬直、そして酸欠になったのは内緒だけど・・・
「でも鍵を持っているのは殿下ですよね?」
ミリアムの貞操帯の鍵はトレイシーが持っているため、当然のように聞いてくる。
「だったら殿下が開錠すれば、イチャイチャできますよね」
「そっ、それはそうだけど・・・私が殿下に純潔を捧げることはあり得ないわ」
「どうしてですか?」
スージーが真顔で聞いてくる。
「殿下のこと、お好きですよね?」
「私が好きなのは、彼の顔だけなのよ・・・」
ディアーナがそう言ったとき、不機嫌な声が背後から聞こえてきた。
「へぇ。ふーん。ディーは僕の顔だけが好きなんだ」
王都へ帰還するはずの王太子が、なんと騎士服で居間に立っていた。
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