10日月の占いは、妖しく、インチキな香り
伯爵家の別荘は、今まさに桃色春爛漫といった雰囲気が漂っている。
実際には初夏で、海水浴が楽しめる時期がやって来るのだが。
「ルナ様。ここは私にお任せください」
3日前の海辺の集団デートで見事カップリングした、ルナの補助をしている男爵家の三女スージーがキビキビと動いている。
「そう?じゃあ、お願いするわ」
ルナは今さっき脱いだばかりのディアーナの外出着をランドリー担当には頼まずに、スージーに渡した。
そういえば、そのランドリー担当の姿がない。
「仕事が終わったら、エド様と森を散策するのよね?」
その辺りにいるだろうと気にも止めず、ルナが尋ねると、スージーは満面の笑顔を浮かべ頷いた。
「趣味の合う殿方と出かけることが、こんなに楽しいだなんて知りませんでした」
「分かるわ!」
ルナも胸の前で両手を組むと、うっとりとしたように言った。
「高位貴族の侍女とは言っても、私たちとて貴族の端くれ。いずれは実家に呼び戻され、お家のために意に沿わない婚姻もあるだろうと覚悟はしていたけれど・・・」
「素晴らしいご縁に恵まれました」
ふたりは廊下でうんうんと、歓喜に咽び泣いた。
「伯爵家の噂は本当だったんですねぇ」
スージーが感動極まりない様子で、ディアーナの部屋の扉を見つめる。
「ディアーナお嬢様つきの侍女たちは、不思議と良縁に恵まれるって」
スージーのお相手、エドは貴族籍はないものの、実家は大きな会社を興しており、林業が主軸ながらも、街や公園の整備に尽力している。職人はもとより、庭師やガーデンデザイナーなど、たくさんの人材を抱えていた。
エドはそんな家の三男で、王宮で庭師見習いをしながら、バラの研究、品種改良に力を注いでいる。
ルナは自身の掌を見つめ、ポッと頬を染めた。
集団デート前、ディアーナに手相占いしてもらった際に予言されていたからだ。恋の兆しのビーナスラインが現れていて、結婚するかも知れないと・・・。
それから3日前の夜を思い起こし、身体がくらりと揺れた。
「ルナ様!大丈夫ですか?」
スージーがドレス抱えたまま、咄嗟に手を伸ばす。
「ごめんなさい。ちょっと・・・マシュー様のことを思い出したら興奮、いえ動揺して・・・」
「マシュー様、素敵ですよねぇ。誠実だし。翌日すぐに婚約の打診を男爵家に出したそうじゃないですか」
スージーの言葉にコクリと頷くルナ。
マシューは伯爵家の三男で、元々婚約者がいたようだが、何らかの事情で婚約解消して以来、女性に不信感を持っていたらしい。だが、ルナのディアーナへの真摯な対応と飾らない性格に、好感が持てたと告白されたのだ。
付き合うからには絶対結婚。夫婦共々お国に尽くして行こうではないかと熱く語られた。
「お互いに結婚となったら、忙しくなりますね。エド様もマシュー様も王宮勤めなので」
「・・・そうね」
ルナはようやく冷静になって答えた。浮かれてばかりもいられないと言わんばかりに、キリッとディアーナの部屋の扉を見る。
その扉の向こう側では、ディアーナが香炉を持って突っ立っていた。
・・・出にくい・・・
ちょうど恋バナに花を咲かせているふたりに、灰の処分は頼みにくかった。
ルナたちの話を聞く分には構わないが、絶対に王太子との事を聞かれるだろう。
実はあの濃厚な口づけの後、ディアーナは酸欠で気を失い、王太子はディアーナに寄り添ったまま、寝入ってしまったのだ。
ゲルに戻って来たルナの形相と言ったら、それはそれは恐ろしかった。さすがに王太子の前だったので、淑女たるもの、の説教はなかったが。
おかげでこの3日、王太子には会っていない。
ジュースは使用人に届けてもらい、飲んではもらえているようだ。
もちろん会わずに済むのなら、それに越したことはないけれど。
恥ずかしいのと、気まずさで会いにくいことこの上ないからだ。
それから忘れてはならない、調理補助をしている子爵家次女のミリアムは、護衛官の伯爵家次男、トレイシーと何だかんだと言いながらも、やはり何歩も進んだ関係になったのが見てとれた。
元々田舎の広大な領地を経営していた子爵家のミリアムは、賢く働き者で、ディアーナの元に初めて訪れた際も、自ら調理補助を志願して仰天させたのだ。
互いにハッキリ言い合える、良きパートナーシップを築くに違いない。
何よりトレイシーがミリアムに溺れまくっているのが丸分かりで、見ているこちらが照れてしまうくらいだ。
「愛される喜び、ね・・・」
ディアーナは自分の掌を見て、眉をひそめた。
運命線上に突如現れた島。これはトラブルを暗示している。
先日の夢といい、ひどい裏切りなどに遭いそうだ。裏切りと言ったら、もう王太子絡みしかないだろう。
それにしても・・・
ディアーナは先日の一件に思い巡らせた。
前世の記憶がなかったら、ゲルでの口づけは完全に貴族令嬢としてはアウトだ。
前世でインチキ占い師として活動していた頃、彼氏は何人かいたし、深い仲にもなっていた。
だから、まぁ、ねぇ・・・
あんなイケメン王子様の誘惑には抗えなかったと言うか、興味がありよりのありありだったと言うか・・・
しかしキスは上手だったわね・・・どこで鍛錬したのかしら。
いや、そうではないわ!
ディアーナはぶんぶんと首を振った。
だがたまに、ディアーナの肉体と前世の記憶がある心が不協和音を奏でる。そのズレに自分自身も困惑してしまう。
リアルでは王太子と絡むなんて畏れ多すぎる。
でも一方の魂の奥深くで、彼を求める自分もいる。
輪廻転生は何度も繰り返されると言うけれど、他の世界、他の時代で、もしかしたら縁故でもあったのだろうか・・・
ディアーナは灰の処分を頼むのを諦めて、ため息をつきながら香炉を棚の上に戻した。
☆☆☆
「お嬢様」
夕方、スージーが手入れの済んだ香炉を手に部屋に入ってきた。
「あら、スージー、ありがとう」
ディアーナが受け取ると、さっそく新たな香木を置いて火をつける。
しばらくすると煙と共に香りが立ち上ってきた。
「神聖な香りがしますね」
「そうね」
スージーの言葉にディアーナが答えた。
「エド様から聞きました。
明後日、王太子殿下はこちらを発つとのことです」
「明後日・・・十三夜ね。いいと思うわ」
「あの・・・このまま、お別れとなるのでしょうか?」
「どういう意味かしら?」
ディアーナが水晶を両手に持ち、小首を傾げて尋ねる。
「あの・・・お嬢様と殿下は、あんなに仲睦まじかったし・・・殿下のお嬢様を見る瞳が・・・」
「見る瞳が?」
ディアーナが聞き返してきたので、スージーは意を決して言った。
「あれは完全に恋に落ちた人の瞳でした!」
「・・・人間はね、身近な人に心寄せるものなのよ。今、殿下の身近にいる貴族令嬢が私だから、恋に恋しているだけ。
王宮に戻って、公爵家や侯爵家のご令嬢たちと関われば、自然とそちらに目が向くようになるわ」
「そんな簡単なものでしょうか・・・」
「そんなものよ。現に王太子は元々、公爵令嬢に思いを寄せていたのよ。
人の心は移ろうもの。だから大丈夫よ。今だけのこと」
うーん、とスージーは唸っているが、ディアーナは構わずに水晶を台座に置き、ティンシャを手にして鳴らした。そして瞑想に入る。
初めて見るディアーナの占術に、スージーは部屋の隅に移動して静かに見守ることにした。
ルナから話には聞いていたが、雰囲気はとても重々しい。風がないのにサンダルウッドの煙が奇妙な方向に揺れ出して、ちょっと恐怖を感じた。
ディアーナが目を開けて、水晶を覗き込む。
元々視力の良いスージーが、ディアーナが水晶から顔を離して天井を仰ぎ見た時、水晶に目をやった。
「ひっ!!」
スージーの悲鳴に、ディアーナは振り返る。
「スージー、あなた、水晶に写ったものが見えたの?」
両手を口で押さえているスージーがコクコク頷く。
「感受性が強いのね。さすが普段から自然に触れているだけあるわ。普通は視えないのだけど」
「見えました。白い・・・のに、黒い影が襲っているところが・・・あの白いのは、先日お召しになっていたお嬢様のドレスでは・・・?」
真剣な表情のディアーナと、ゾクゾク震えるスージーの視線が合った。
「あなたもそう思う?色々総合して想像すると、私は近い内に暴漢に襲われるとか、トラブルに巻き込まれる可能性があるわ」
「な、なんてことを!」
スージーが声を上げる。
「落ち着いてちょうだい。何も知らないでいきなり襲われるより、あらかじめ分かっていた方が備えができるからいいわよ。悲観的に考えず、これは幸運と思いましょう。それにたかが占いよ。外れることもままあるし」
ディアーナは時計を見て、
「スージー、あなた業務終了時間ではなくて?森へ行くのでしょう。時間がなくなるわよ」
とスージーを追い立てるように部屋から出す。
スージーはえっ、えっ、などと戸惑っていたが、ディアーナが自室の扉を自ら閉めてしまうと、諦めたのか、足音が遠ざかっていった。
「あんなに純粋な子を騙すなんて申し訳なかったわね」
ディアーナは水晶を棚に戻しながら呟いた。
やはり元来がインチキ占い師だったので、その性根は変わらないのかも知れない。
白い影は香木の煙。黒い影は水晶の下に敷いた黒のクロス。水晶特有の反射を利用したにすぎない。
占いの真髄は、未来の吉凶を当てるというよりは、人の心理を上手く利用して、当てに行くことだとディアーナは独自の理論を展開していた。
ディアーナは早々に『裏切り者』をあぶり出そうとしているのである。
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