血の皆既日食!割れたクリスタル
「曇り・・・」
ディアーナは窓の外に広がる灰色の雲を眺めつつ、盛大にため息をついた。
昨日は一日中雨だったので、そのまま止まないと良いのに、などと思っていたし、そう祈っていたからだ。
今日の皆既日食には災いが起こる。
ディアーナの『予言』であった。
前世でも、色々な予言騒ぎがあった。
やれ人類滅亡だの、やれ大地震だの、やれ大災害だの。
ディアーナの前世は、顔相と手相、そして水晶占いが専門の占い師であった。ホロスコープには詳しくないが、知人の占星術師に言わせると、大きな災害や事件などがあるときは、星の配置や角度が凶なんだとか。
だが『予言』は往々にして外れた。
大災害等の予言が起こったとき、その界隈の人間たちが、災厄が起こらぬように、鎮めの祈りを捧げるのもまた事実であるのだ。それこそ知り合いの占星術師は、地震予知が起こる度に、自宅の祭壇で祈りを捧げていた。
強い霊力などを持つ者は結界を張ったりしていた。
人の祈りは馬鹿にできないのだ。
「でも私の雨乞いの祈りは届かなかった・・・やはり前世は荒稼ぎしていたインチキ占い師だったから?」
ディアーナが独りごちた。不安気なルナと目が合う。
ディアーナは昨夜、マシューのところへ泊まってきても良いとルナに言ったのに、彼女はすぐに帰ってきてしまっていた。
真面目なルナとマシューらしい。
ディアーナが夜通し、祈りを捧げていたものだから、ルナの不安と心配は最高潮に達していたのだ。
王太子殿下の身に何か起これば、ディアーナが守る。
でもディアーナの身に何か起これば、ルナがきっと飛び出してくる。それは絶対に避けたい。
守る者が増えれば増えるほど、ディアーナは非力さを痛感していたのである。
☆☆☆
「殿下、本日はこちらをお召しいただけると嬉しいのですが・・・」
王太子殿下の執務室で、ディアーナは恭しく2種類の水晶のペンダントが載ったトレーを差し出した。
「ディー、これは?」
王太子殿下が珍しく贈り物をしてきたディアーナに尋ねる。
「こちらは以前から特別注文していた、水晶のネックレスでございます。ひとつはクリスタルクォーツ、もうひとつは紫水晶、アメジストでございます。
実は私とお揃いなのです」
そう言って、ディアーナはローブの下から、水晶のペンダントを覗かせた。
「ディーとお揃いなの?」
王太子が目を細める。
「はい。モチーフはディーとセブンの猫型です。でもカットや研磨が難しいなどと散々、文句を言われてしまいました」
ディアーナはそう言いながら、眉を寄せた。
本当はオシャレな猫型にして欲しかったが、価格を値切ったせいかどうか、出来上がったのは、丸型に耳があるだけの、子どもが喜ぶようなキャットフェイス。
でもこれはお守りだ。クリスタルクォーツは浄化とエネルギーの増幅。紫水晶は魔除け。紫水晶は神官も身につけていたりする。
ジュエリーとしてではなく、お守りなので、本当に今日に間に合ってよかったと心底思う。
「そっか。ディーとセブンか」
一方、殿下はジュエリーを贈られたのだと思い込み、その足元では兄妹猫がじゃれ合っていたので、ますます頬を緩めていた。
「ありがとう。早速つけさけて頂くよ」
そう頷いた途端、乳母がさっと動いて、あっという間に、殿下の首元に下げられた。
乳母にはお守りの効能を伝えていたのだ。すっかりディアーナ信者の乳母は、今朝の祈りの儀式も熱心に加っていたし、ホーリーバジルのモーニングティーも丁寧に淹れてくれていた。
あとは、皆既日食が無事に終わるのを待つだけである。
部屋はディアーナの要望通り、明々とランプが灯されている。
「申し訳ありません、殿下」
執事が執務室に入ってきた。
「王妃殿下がこちらへお越しになるそうです」
えっ!とディアーナたちが顔を見合わせた。
王妃殿下には、ディアーナたちから連絡があるまで国王陛下と一緒にいて頂きたいと、あれほど嘆願していたのに。
「王妃殿下のお越しです!」
女性の声が響き渡り、ますますディアーナは違和感を覚えた。
「殿下、扉を開けさせないで下さい!」
ディアーナが叫ぶのと、番人が扉を開けるのが同時であった。
扉が開かれると、黒いローブを着た恰幅の良い男の姿が視界に入る。その手には矢を持っていた。
そして、さーっと窓一面が暗くなる。
皆既日食が始まった!!
廊下やギャラリーや庭園では、突然暗くなったので、何だ何だと騒がしくなっていた。
でも執務室は明るい。いや、明るすぎるほどである。
ローブの男は、一瞬その明るさに怯んだが、それでも殿下目掛けて矢を構えてきた。
もしかして毒矢!?あれで刺す気だ!
と、ディアーナたちが思うのと、トレイシーやエドが男を抑え込もうとするのと、ディアーナが殿下の正面に立ち塞がるのと、ルナが飛び出してくるのと、オッドアイの白猫兄妹が男に向かってジャンプするのが、ほぼ同時であった。
思い切り振り下された矢がディアーナの心臓を目掛けてきた。しかし、猫たちの方がわずかに早く男に襲いかかり、男の手元が若干逸れて、ディアーナのちょうどみぞおち辺りに刺さる。
パリーン!!!
と何かが割れる音がした刹那、ディアーナのみぞおちから思い切り血が噴き出した。
まるで噴水のように飛び散る血液。
間に合わなかったルナが、ディアーナの足元にヘナヘナとへたり込んだ。
ローブの男と、男を捕らえたエドとトレイシー、ルナ、そしてディアーナを後ろから抱え込む王太子も返り血を浴びる。
尋常でない量の血しぶきに、ルナと乳母、そしてスージーが発狂したような悲鳴を上げた。
「ディー!ディー!しっかりしろ!おい!ディアーナ!」
ディアーナの白いローブがどんどん血で染まる。
豪華な絨毯には血だまりが広がっていく。
王太子が叫びながら、真っ青になって抱き寄せた。
黒ローブの男と、王妃殿下が来たと叫んだ女は駆けつけた近衛兵に捕縛される。
喧騒をよそに、あっという間に外が明るくなってきた。
雲までが遠くに流れて行ってしまい、朝の灰色の空から一転、青空が広がっていた。
☆☆☆
ルナはベッドに横たわるディアーナの側で、ずっとメソメソ泣いている。ディアーナの身を守れなかった。
いや、守る必要はさらさらなかったのだが。
それでも、ルナは己の鈍臭さを呪っていた。
トレイシーとエドだけは、今回のあらましをディアーナから聞かされていた。
きっと誰かが何らかのアクションを起こしてくるから、ふたりと護衛達はとにかくその人物たちを捕らえ欲しいと頼まれていたのである。
毒矢は猫たちのおかげで、狙っていた心臓を逸れて、クリスタルのペンダントをふたつ割り、そしてディアーナが仕込んでいた血のり袋に穴を開け、上手い具合に血が噴き出したのだった。
この血のりは赤い植物と球根の粉、黒インクや水などを使って、エドと試行錯誤の末に完成させたオリジナルの血のりである。
ディアーナはコルセットを着け、血のり袋を身体中に仕込んでいた。お守りのおかげで毒が回ることもなく、ただその衝撃で気を失っていたにすぎない。
しかし尋常でない血しぶきは、周りにいた人間にトラウマを与えた。それはローブの男も同様で、動脈を狙ったわけではないのに、あんなに大量の返り血を浴びて、呆然としてしまっていた。
調べれば、いずれ身元も分かるだろう。
そして、女は残念なことに、ビーチの集団デートに参加していたCちゃんであった。
元々、反国王派に属していて、思惑が一致した腹違いの王弟、ジャハラムードに送り込まれた刺客だったのだ。
早速カトリーヌが号外を出す。
『血の皆既日食!
皆既日食の暗闇に乗じて企てられた王太子殺害未遂事件!
悪魔のせいにはできず!一味は捕縛!!
王太子を庇って刺された女男爵は意識不明の重体!!!
阿鼻叫喚!王城の壁や床が血で染まる!
主犯はかつて、国王の毒殺を試みた王弟!
さらに王妃を流産させた可能性も捨てきれず!
先代王の側妃だった実母は、ライバル側妃の毒殺の疑いも!』
などとかなり攻めに攻めたたショッキングな記事が載ったタブロイド紙は、増版、増版、また増版と、ほとんどの王国民が買ったのではないかと思われるほどの販売数となった。
「怖いわ。情報操作って怖い」
タブロイド紙を読んだディアーナが顔をしかめる。
「いいのよ!刺された衝撃で、気を失ったのは事実なんだから」
カトリーヌがしれっとした顔で言った。
「一瞬なんだけど・・・」
ディアーナが答えると、それでもいいんだとカトリーヌは断言した。
「おかげで今、ジャハラムードは貴族牢行き。手下の貴族屋敷は、さらにその手下の武闘派組織に焼き討ちに遭っているんだから」
そうなのだ。ジャハラムードの息のかかった貴族たちは、なんと金で雇った武闘派組織から屋敷を放火されていた。
所詮は貴族たちと金品で繋がっていただけなので、捕縛を恐れた武闘派組織と内部分裂したようなのである。取り調べ前に始末された貴族たちが何人もいた。
「今後の事情聴取で、真相解明、大団円・・・とは、いかないか」
カトリーヌはディアーナの肩に手を置いた。
ディアーナが弱々しい笑みを浮かべる。
ディアーナの目が覚めて、あちこちの貴族邸で火の手が上がったと聞いたその時、王太子から別れを告げられたのだ。
「ディアーナ女男爵、これ以上は耐えられない。
君はもう城へ来るべきではない。
・・・僕たちはこのまま別れよう」
いつもありがとうございます!
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