雨の三日月、願いは叶う?
さーっ・・・細かい雨が降っている。
「霧雨」
海辺の貴族専用別荘地の一画。
伯爵家の令嬢ディアーナは、窓の前に立ち、霧のように降り続いている雨を見て呟いた。
今夜は三日月。
この様子では月が姿を現すこともないだろう。
ディアーナは半分ホッと安堵、半分残念と、とても複雑な心境でロッキングチェアに座った。
先日、三日月の夜にビーチで会おう、と王太子殿下と約束をした。
もちろん殿下は、こちらが彼の正体に気づいているとは知らない。いや、知らないフリをしているのかもしれないが。
ディアーナは王太子の叔父で、現国王の末弟・ローマン大公殿下の依頼・・・直接頼んできたのは、父の伯爵だが、彼らの頼みで、ビーチに臨時ジューススタンドを開き、王太子の『ご様子伺い』をしているのだ。
ジューススタンドは完全にディアーナの趣味であるが。彼らからは変装しろ、なんてことは言われていない。
王太子は身体は弱いが、賢いお方である。
実はディアーナの素性などとうに割れていて、敢えて知らない態度なのだと思っていた方が正解だろう。
それならば、さて・・・
ロッキングチェアをゆらゆら揺らし、ディアーナは考える。
王太子殿下は先日、公爵令嬢とのご婚約を解消された。
現在は次点候補だった侯爵家のご令嬢と婚約を結び直すことが内定している。
でもなぁ・・・
ディアーナは同情した。王太子の掌の結婚線はまだまだ薄くて、結婚もちょっと先になる。
手相占いだけで考えると、王太子はとても情緒が豊かで愛情に溢れていて、本来ならば政略結婚には向かないお方なのだ。
・・・これから侯爵令嬢とゆっくり愛を育んでいけば良いのかも知れないけれど。
侯爵家が野心家というのが気になるところだが。
「いやいやいや、派閥に関わるとロクな事ないわ」
ディアーナはそっと目を閉じた。
☆☆☆
ディアーナは夢を見た。
部屋のドアを開けると、白い子猫が中に飛び込んで来る。
“あ、ダメよ。子猫ちゃん“
ディアーナが捕まえようと手を伸ばす。
すると子猫はなぜか寝室へ入って行き、ベッドにピョン!と飛び乗った。
“捕まえた!“
ディアーナはベッドで丸くなる子猫を、両手で捕える。すると子猫がガッ!と爪を立ててきた。
“きゃっ!痛いわよ。子猫ちゃん”
ディアーナが痛みを堪えて抱え上げ、顔を見ると、その白い子猫は金色と青色のオッドアイだった。
“・・・綺麗な目”
すると場面は、急に前世へと戻る。
インチキ占い師として、荒稼ぎしていたあの時・・・
「残される子どもたちのために、寿命が知りたいんです・・・」
頬がこけて痩せ細った女性客が、掠れたような声で言った。
「申し訳ありませんが、いかなる理由があろうとも、
寿命をお教えするわけにはいきません」
占い師の自分が答えている。
場面はまたまた変わり、占いイベントの会場へ向かうため、地下鉄に乗ろうと階段を降りかけた時・・・
「お前のせいで母さんは死んだんだ!」
思い切り背中を押された。
落ちる・・・!!!
ディアーナはハッと目が覚める。
背中にじっとりと汗をかいていた。
「・・・夢」
どういった解釈になるだろうか。ディアーナはノロノロと本棚へ向かう。
この異世界でも精神世界の分野は一定の支持があり、夢分析の著書も少なくない。占い本も然り。ディアーナは占術や夢分析の書籍はあらかた揃えていた。
ただし、占星術は専門外である。ホロスコープは難しそうで苦手なのだ。
・・・白猫やオッドアイは幸運の象徴であり、外から中へ入るということは、何か縁が舞い込んで来る前兆だろう。でも爪を立てられたということは・・・
「・・・裏切りに遭う」
ディアーナは夢分析の本を本棚にしまうと、すぐに日記帳にしたためた。
☆☆☆
「お嬢様。あの・・・お客様が・・・」
ドアがノックされ、王都から別荘地へ付き添って来た侍女が困り顔で入ってきた。
「・・・どうしたの?」
すると侍女が返事をする代わりに、若い男性が無遠慮にどかどかと入って来る。
「ちょっと・・・!ご令嬢の部屋に勝手に・・・!」
侍女が不快そうに声を荒げるが、男性はそれどころではないと言わんばかりに慌てた様子で、
「王太子殿下が行方不明なんです!」
「何ですって!?」
ディアーナが声を上げる。
「この雨の中、どこへ・・・。ビーチは探されたのですか?」
男性は頷いた。
「心当たりはどこも探しました。他に思い当たるとしたら、こちらかと・・・」
ディアーナと侍女が顔を見合わせて、首を振った。
「ここには来られていません」
男性は心底ガッカリした様子で、
「まさか・・・思い余って・・・海、に・・・」
などとぶるぶる震え出した。
「それはないと思います」
ディアーナは断言した。自殺願望のある男性が、あんな熱を帯びたような瞳はしない。誰かと約束を交わすこともしないだろう。と言うより、ひとつの失恋で、一国の王子が身投げなんて、ロマンス小説の読みすぎのような気がする。
「私達も探しに参りましょう」
侍女や従者に声をかけ、フードつきのコートを羽織ると、皆で霧雨の中へ出て行った。
☆☆☆
「雨降り三日月、迷える子猫よ、出ておいで」
歌うようにディアーナが砂浜を進む。そしてジューススタンドへやって来た。
「・・・鍵が開いています」
侍女が言うと、ディアーナは頷く。こんなショボい、いや簡素な小屋に盗難に入る物好きは誰だ。男性の従者が先に確認に入ると
「・・・いました」
と、顔を出す。
「やっぱりね。すぐに見つかって良かったわ。殿下はお付きの方々の隙を上手くついたみたいね。ともかく彼らに無事の知らせを」
従者が砂浜を早歩きで去って行く。
「・・・どうされますか?」
「あなたはここで待っていてちょうだい」
侍女を外に残し、ディアーナは扉を開けて小さなスタンドに入った。
「でん・・・お兄さん」
王太子はカウンターの下の隙間に、すっぽりと入り込んで眠っている。
「ふ。まるで猫みたいね」
ディアーナが膝をついて、さらさらのプラチナブロンドの髪を撫でながら言う。
「イタズラ子猫ちゃん、こんなところで眠っていたら、風邪引きますよ」
「・・・気持ちいい。もっと撫でて。レディー・ディー」
薄目を開けて、王太子がねだった。
「まあ、ワガママ猫ちゃんですこと。皆を散々、心配させておいて」
「・・・僕が来るところなんて限られているだろう」
「鍵はどうしたのです?」
「開いてたよ。不用心だね」
嘘ばっかり、とディアーナは思ったが、そこには触れないでおいた。王太子サイドはグルのような気がするからだ。護衛あたりの誰かが、スパイよろしく鍵を開けて、殿下を入れたに違いない。あのお付きの男性はハチにされたか、演技が上手いかのどちらかだろう。
無遠慮に髪を撫で、時折人差し指に髪を巻きつけながら、
「とにかく、帰りましょう」
とディアーナが言った。
「・・・雨で三日月は見えないから、願いは叶わないのだろうか」
王太子の残念そうな言葉に、ディアーナの手が止まる。
「雨雲に隠れているだけで、月はありますよ。それに願い事を叶えるのは、自分自身の行動であって、月のパワーでも何でもありません。月はただのキッカケ。目安です」
「・・・名前を教えて。レディー・ディー」
「ディアーナ、です」
「月の女神か」
などとローマン大公と同じような事を呟いた。
「僕は・・・」
現実に戻るべきだが、まだ夢物語に浸っていたい様子の王太子。
「シャトンにしませんか」
ディアーナは、彼の髪をくしゃくしゃにして、
「ほんとに柔らかい髪で、猫の毛にそっくり。シャトン。お似合いではありませんか?」
とからかうように言った。まだしばらくは夢の中にいてもいいだろう。
次の満月、いや・・・新月くらいまでは・・・
「・・・僕がここで『シャトン』でいる間、僕の特別な人になってくれるなら」
「・・・と言いますと?」
王太子、いやシャトンが躊躇いがちに、
「ひとときのガールフレンドって言うか・・・」
ディアーナから目を逸らして、モゴモゴ言っている。
ディアーナは苦笑した。
前世の記憶があるディアーナとしては、ボーイフレンドのひとりやふたり作ることに、やぶさかではない。
しかも相手は、女の子ならば誰もが一度は憧れる王子様だ。
何だったら、婚前交渉だって抵抗はない。
むしろ興味は、あり寄りのあり、だ。
だが、ここは純潔史上主義のお貴族社会である。
両親を泣かすわけにはいかない。
たとえ、結婚願望が皆無だとしても。
ディアーナがずっと黙り込んでいるので、王太子・シャトンは慌てた様子で、
「ご、ごめん!無理だよね!き、気にしなくていいから!ただの夢だし!き、気になる女の子と付き合うのって・・・」
「いいですよ」
ディアーナは、シャトンの髪を手ぐしで整えながら
「ガールフレンド。ただし、ボディタッチはフレンチキスまで、です」
仰天の発言に、シャトンは目をまん丸にした。
「え!なにそれ!ホ、ホントにいいの!?」
「・・・自分で言い出しておいて、何ですか。三日月の願いが叶って良かったですね。そもそも三日月は観察できる時間が限られていますから、見られるだけで幸運と言われていますよ」
シャトンはカウンターから起き出して来ると、雨で濡れたディアーナをおずおずと抱きしめた。そのぎこちなさが可愛いらしい。
「・・・ここにいる間、僕のことだけを見ていて。ディアーナ」
「もちろんですとも。愛しい子猫」
ディアーナもそっと腕をシャトンの背中に回した。
申し訳ありません。
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