十六夜の日に毒舌炸裂!別れ話は近日中に
王妃が私財を投じて始めた慈善事業は、女性たちを救う画期的な場になるのかも知れない。
夫人の頬を伝う涙を見てディアーナはそう感じた。
本日11時台の予約客の子爵夫人は、ハラハラ静かに涙を流しながら、現在の辛い心情を吐露し出した。
小さいながらも領地を所有している子爵家。先代の子どもは女の子ふたりで、長女である夫人が婿を取って継いだという。次女は他家へ嫁いで行った。入婿は始めの内は大人しくしていたようだが、夫人が長男を妊娠した途端、女遊びに博打、紳士クラブなどに夢中になり、朝帰りは序の口、数日間帰って来ない日もあるという。当然、領地経営や書類仕事は夫人と家令が行っている。いい加減、夫の存在に疲れきってしまったと言うのだ。
ディアーナは膝の上のセブンを包み込むように手のひらを当てながら、じっと耳を傾けていた。
傍らで控えているルナは怒りで肩を震わせ、王妃側から遣わされた側仕えのひとりは、何やら熱心にメモを取っている。
隣りに座る男の子は考え込むようにアイスチョコドリンクを口に含んでいた。
「もうどうしたらいいのか・・・」
涙を流し、その涙をハンカチで拭いながら、子爵夫人はポツリと呟いた。
「夫人、単刀直入に申し上げましょう」
ディアーナは客の名前は聞かない。年齢や職業は場合によりけり尋ねるが、氏名には関心がなかった。ついでに言えば爵位もどうだっていい。
ルナがあらかじめ教えてくれるし、ドレスや立ち居振る舞いなどで、貴族か平民かは分かるのだが、特に知りたい情報ではなかった。
予約の段階で、王妃サイドが顧客情報は管理しているだろうから、覚える必要もない。
「は、はい・・・」
真っ赤な目をした夫人がディアーナを見る。
「お坊ちゃま、両耳を塞いでいて下さいな」
「耳を?こう?」
男の子が自分の耳を塞ぐと、ディアーナはにっこりと微笑んだ。
「夫人、他人の女の股に顔を突っ込んでいる男のために、涙なんて流す必要あります?」
衝撃の超特大爆弾発言に、子爵夫人、ルナ、側仕え、女中たちが驚愕の表情でディアーナを凝視した。
ルナは鯉のように、口をパクパクさせている。
ディアーナは素知らぬ顔で夫人の右手を取ると、その手をまじまじと見つめた。
「領民のために一生懸命に働いている手ですね。ペンだこまでこしらえて・・・」
それからディアーナはさも当然と言うように、
「ゴミクズはお捨てになるといいのです。家族や領地民の迷惑です。貴女にはこんなに立派な息子さんがいるではないですか」
そうして、いつの間にか男の子の膝に乗ったセブンを、男の子は膝から落とさないようにと両手で抱え込むようにしていた。
「・・・ゴミクズ・・・」
子爵夫人が繰り返した。
「彼は貴女の役に立っていますか?心身の支えになっているのでしょうか?」
ディアーナが尋ねると、夫人はゆっくりと首を横に振る。
「お坊ちゃま、お母様をお助けできるかしら?」
「できます!ヨソの女の股に顔を突っ込む破廉恥な父上など僕には必要ありません!!」
ディアーナの質問に男の子が叫ぶように答えると、それに応じるようにセブンとディーがニャア!と声を揃えた。
「あらあら。耳を塞いでいなかったのですか?」
「塞いだふりして聞いてしまいました。でも平気です。父上の浮気は随分前から知っていましたから」
男の子の発言に、夫人が目を見開く。
「そうですよね。お坊ちゃまはとても冷静かつ聡明でいらっしゃいますわ。子どもは親の背中を見て育つもの。きちんと見ていれば、自分を取り巻く環境がどんなものか分かりますよね」
「母上は働きものだし、僕を大事にしてくれますが、父上は金銭をたかりに来るだけです。僕に興味はありません。誕生日のプレゼントも母上は『父上から』だと言ってくれますが、いつも母上が選んでくれているのです」
息子の言葉に、夫人はついに号泣した。ルナももらい泣きしている。
「気が済むまでお泣きなさいませ。子を想うための涙は尊いわ」
ディアーナは静かに言った。
その後、夫人は手相占いを希望したので、ディアーナはルナからティンシャを受け取ると、心と場を清浄するのだと言って、しばらく鳴らした。
真鍮がぶつかり合って鳴り響く高音は、心身を落ち着かせ、また内臓を揺さぶった。
「幸いに今日は十六夜。離縁状を叩きつけるのも一案です。ご希望でしたら、紳士クラブには王妃様側から通達を出して頂きます」
「十六夜に何かあるのですか?」
夫人が尋ねる。
「満月は感情が高ぶる傾向があり、別れ話には不向きな場合があります。執着されたり、暴力が振われたりしたら大変ですから。その点、十六夜はこれまで我慢してきた心の解放と断捨離、未来のための決断には良い日です」
本当は満月だろうと十六夜だろうとどちらでも良い。満月云々の話は『そんなことも起こり得る』程度で、確証などはされていない。あくまでもドラマチックにさせる演出である。
ディアーナは大真面目な顔で言ってのけた。
「早々のご決断をお勧めします。もしお別れしたとしても、直後に貴女を支えたいと申し出る殿方が現れますから」
「えっ!?こんなくたびれた子持ちの子爵夫人ですが・・・?」
夫人が信じられないという顔をする。
「一生懸命頑張る姿というのは、ちゃんと誰かの目に留まるものです。しかも子爵領は細々とはいえ、しっかりとした経営をされているので、評価して下さる方々は少なくないでしょう。逆に別れてくれないと、どんなに有能な殿方が望んでいても、後釜に入れないのですよ」
それからディアーナは男の子の手相も見た。
「頭脳線も賢いと出ているし、感情線も穏やかで思いやりがある人柄を現しています。運命線も・・・まだまだこれから変わっていきますが、人の上に立つ相を持っていますね」
男の子をそうベタ褒めした。
「ああ、でも、たかが占いです。当たるも八卦、当たらぬも八卦。そのことをゆめゆめお忘れなく。
あなた様方の人生の主人公はあなた様方であって、選択と決断は常にご自身でしなくてはなりません」
☆☆☆
数日後、王妃と王太子が終業後に様子伺いにやって来た。上品なサロンとは言え、王妃の真紅のドレスは存在感があり過ぎて、かなり浮いている。
そんなふたりは、ホットココアとフルーツケーキを注文した。
「ディアーナ、あなためちゃくちゃ噂になっているわよ!」
王妃が笑いながら言っている。
「・・・例のアレでございますよね・・・」
ディアーナがひくひくと苦笑いを浮かべた。
「そうそう!例の『ヨソの女の股に顔を突っ込んでいる男ために、涙を流す必要あります?』ね!」
そう言いながら、爆笑する王妃。笑いすぎてお腹が痛いなどとお腹を押さえている。
・・・ホントにこんなによく笑うお方だったなんて・・・
それより誰が流したのか知らないが、
サロンでのやり取りが外部に漏れてしまっていた。
いいのだろうか。
「いいのよ。噂の出所は子爵夫人、本人なのですから」
あっけらかんと言う王妃と、首をすくめるディアーナ。
「それにしても元子爵は想像以上のクズだったわね。あのクズが散財しなければ、子爵領はもっと投資に回せて、その分やりくりが楽だったかも知れないわ」
王妃は悔しそうな顔をしつつも、例のアレを思い出しては吹き出した。
「離縁に10年掛かってしまったけれど、良しとしましょう。そうそう最近、紳士クラブでは宿泊がないそうね」
王妃がニヤニヤしながら、王太子を見た。
「ディーの、いや、こっちのディーね」
と、妹猫を抱いている王太子が、コテンと王太子を見つめる仔猫のディーに言っている。
「ディーの例のアレは、男性陣にも強烈なインパクトを与えましたから。明日は我が身と、後ろ暗いことがある紳士たちは家族サービスに必死のようです」
「上っ面だけ繕っても無駄なことよ」
王妃はケーキをひと口食べてから、ちょっと呆れたように言った。
「・・・あくまで私調べですが、この王国では6人にひとりは浮気、不貞をしています」
ディアーナの前代未聞のニュースに、王妃、王太子、ルナ、他の女性たちが目を丸くする。
そんなに驚くことかしら?妥当なセンよね。とディアーナは思う。
前世でなんて、5人に、いや4人にひとりは浮気や不倫の経験がある、なんて言われていたわよ?
だけど今回の子爵夫妻の離縁は、貴族社会に少なからず動揺を与えた。生家に戻ることもできず、慰謝料や養育費も払えないという元夫の事情から、漁船か採掘場での労働を選択させて、元夫は漁船を選び、海上へと出て行った。まるで罪人扱いである。子爵領のお金を使って博打でボロ負けしたりしていたのだから、当然かも知れないが。その労働賃金を養育費に充てるそうだが、夫人は信用していないと言ったそうだ。
「今まで働いたことのない元夫が、漁船で労働できるわけがないですわ」
それでもまだ子ども好きであれば、乳児院や孤児院での仕事も斡旋できたのだが、なにしろ自分の子どもも大事にできなかったのだから、選択肢には入らなかった。
全く本当にとんでもないクズ貴族だったわね・・・
こんな貴族を野放しにしていて、良いのだろうか?
ディアーナが考え込んでいる様子を、王妃は満足気に眺めている。
「それより!ディー!!」
王太子が声を上げると、腕の中の妹猫がニャアと鳴く。
「ああ、人間のディーだよ、かわいこちゃん」
仔猫を撫でながら、
「お、おっ、女の股に顔ってどういうこと!?どうしてそんな発想になるわけ?」
「ああ・・・それはですね・・・」
ディアーナはしどろもどろになる。まさか前世であんなこんなしてたなんて言えないわ・・・
「閨教育でー」
「お嬢様に閨教育は施しておりません」
ルナがキッパリと口出ししてくる。コラ。
「ええと・・・ご令嬢たちとのお茶会でー」
「お嬢様がお茶会に出席された回数は片手で足りるほどです。そんなお話ができるお友達はおりません」
ルナはピシャリと畳み掛けてきた。コラコラ。
「ええと・・・近くの古本屋で、いかがわしい本を・・・」
色んな言い訳を考えるディアーナ。王太子は目を剥いて、
「淑女がそんな怪しげな本を読んではダメだ!」
「はいはい」
ディアーナは面倒くさそうに返事をした。
「不敬だな!返事は一回!」
「うふふ」
王太子とディアーナのやり取りを、微笑を浮かべて眺める王妃であった。
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