苦しんでね
「この広告が流れた人はとても怨んでいる人がいますね。広告をスキップしないでください、あなたの怨み、買います」
私はYouTubeの広告をスキップしなかった。
「あなたの怨みを買います、報酬は復讐です。すぐにクリックしてアプリをダウンロードしてください」
読み上げソフトの声が言う。
そんなうまい話、ある訳ない。どうせ作り話でお金をとられるか、カルト宗教か。疑いながらもアプリをダウンロードする指を止められなかった。
だって、私にはとても怨んでいる奴がいる。怨み、その言葉ですぐに頭に浮かぶ嘲笑する生田恵実奈。
うつ病から少し回復し、通信制高校に通えるようになってからも、あいつの頭はふとした時によぎる。
「もう忘れなさい。どうせあんな嫌な子、そのうち不幸な目に遭うわよ」
ママの言葉は気休めにもならない。あいつが不幸になるのを私は見たいよ、あいつが私をいじめて追いつめて不幸になった姿をあざ笑ったように、私もあいつの不幸を笑いたい。
私は起きあがって、枕元に置いた薬を飲む。いじめで私は薬がないと眠れない体になった。
ただ真っ赤なだけのアイコンが、新しくスマホにインストールされた。名前は「怨」そのままだなと、思いながらアプリを開く。
真っ赤な画面に、ポン、と音をたてて白い吹き出しが出た。怪しい広告も何もない。暗闇の中、赤が目に痛む。
「怨みたい人の名前を入力してください」
「入力されたメッセージは秘密保持のため十秒で消えます。お間違えのないように入力ください」
名前を入力するだけ、それだけで怨みが果たせるなら、いじめで自殺なんて考えたなかったのに。スマホの光が忌々しい私の手首の傷を照らす。
「生田恵実奈」
私は名前を入力した。
あっという間に送信したメッセージは消えて、新たな吹き出しが現れた。
「その人がどうなって欲しいか、具体的にイメージしてください」
酷い目に遭って欲しい。
具体的に? そうだな、だったら。
「左手首に深い傷がつく」
私は衝動的にスマホに文字を打ちこむ。
「了解しました」
「本日の怨みリクエストは終了です。明日の結果をお楽しみください」
送られたきたメッセージを読みとり、私はアプリを閉じてスマホを枕の横に置いた。
なんだ、メッセージを送るだけか。これがもし私のスマホの個人情報を盗むアプリだったらどうしよう。後から不安になったが、薬による眠気がきて私は深い睡眠に入った。
通い初めてもう半年もなるけれど、通信制高校で友達はいない。廊下で騒いでいる派手な子たちを見るたびに少しびくっとなるけど、周りで私を気にする人はいない。ロッカーに教科書を入れる。移動教室の通信制では、クラスはあっても毎日集まることはないから、人間関係に縛られることがなかった。毎朝、敵ばかりの教室に入っていく苦痛はない。楽といえば楽だけど、寂しい。
何度か授業で顔をあわす子に声をかけてみようかな、と思うけど勇気が出ない。
疲れきって家に帰り、私は洗濯物をとりこんで、自室にこもった。
YouTubeで猫の動画でも見て癒されようかな、と思い、昨日の広告のことを思い出した。
スマホの「怨」のアプリに、通知が三件きている。
開いてみると、動画が送られてきていた。再生マークのついたサムネイルは、人の手首のようだ。
「復讐完了しました。取引ありがとうございます」
「本日の怨みリクエストもお願いします」
私は再生ボタンを押した。
女の泣き声がわっとうるさく鳴る、震えている細い手首から血が流れていた。
「なんなのよ、なんで落ちてきたの!?」
叫んでいる声に聞き覚えがあった。画面が切り替わり、泣きじゃくっている生田真実奈の姿が写った、床に座り込んでいる彼女はエプロンを身につけている。画面はさらに変わり数人の生徒が真実奈の周りでうごめき騒いでいるのが見えた。家庭調理室だ。
「痛い、痛いよ。なんでよ。あんたが包丁落としたの!」
「違う、私じゃないよ」
言い争う声と、周りの騒ぐ声で動画はいっそうやかましくなり、不安定に画面も揺れた。
なんで包丁が落ちてきたの、彼女はそう叫んでいた。数人に抱えられ、真実奈が連
れて行かれる所で動画は終わった。
私は最初に画面を戻す。
指定した通り、私は同じ左手首、まったく同じ場所だ。
興奮で鳥肌がたった。
やった、私の怨みが晴れた!
何度も動画も見返す、間違いなく生田真実奈だ。ざまあみろ、私と痛みがわかったか。
次の怨みのリクエスト。
私は少し考える。
あいつにやられた嫌なこと、すべて。
私はテストの日など、緊張のあまり吐いてしまうことがあった。たまたま朝、吐き気がおさえきれず、トイレのドアを閉め忘れて、しかも床に嘔吐してしまったのを生田真実奈に見られた。
「うわっ、きったなーい。ちゃんと掃除しとけよ」
真実奈はそう言って、私の頭にモップを投げつけてきた。とりまきがくすくす笑ってた。
「あいつ、よくトイレでおえーっと吐いてんのキモいよね。こっちがおぇーだよ」
「最低、ここのトイレで吐かないでよ。変な病気うつりそう」
真実奈が私がトイレで吐いていたことをクラス中に話したせいで、クラスメイトから悪口を言われた。
好きで吐いたりなんかしないのに。
「生田真実奈。授業中に嘔吐する」
私はメッセージを送信した。
「了解しました」
私は明日を楽しみにした。
学校が終わってすぐに、私は「怨」アプリを開いた。
サムネイルは教室の画像だ。
机に座って授業を受けている生田真実奈が、教師に名前を呼ばれて立ち上がる。教科書を開いて読もうとしたが、彼女の様子はおかしくなる。急に前のめりになった次の瞬間、盛大に彼女は嘔吐した。
机の上に吐瀉別、唖然とする彼女。
「うわ、ちょっと汚い」
前の席の女子が、自分の椅子に真実奈が吐いたものが付着しているのに気づき、嫌そうな顔で彼女を
見た。
「ちょっと、大丈夫?」
教師が声をかけると、真実奈は泣き出した。こいつはほんと、昔からすぐ泣く。
「急に気持ち悪くなってぇ」
ぐすぐす泣きながら、教室を出て行く。
「うわ、くっさ」
男子が大声をあげる。その嫌悪感は広がっていき、前の席に座っていた女子は、ちょっとトイレで着替えてきます、と不機嫌そうにジャージをもって教室を出ていく。
「うわ、先生。これ酷いんだけど、どうれすばいいの?」
真実奈の隣の席の女子が手で口をおさえて言う。
「片づけてあげなさい。誰か雑巾もってきなさい」
教師がせかすが、誰も動こうとしない。
「こういうのって消毒しないとヤバいでしょ、変な菌とかもらったら嫌だしーハイターとかかけた方がよくない?」
クラスの中で発言力を持つ女子生徒が言った。
「私たちが病気とかなったら、先生、責任もてます?」
女子が続けて言うと、そうだそうだという声があがった。教師は大きなため息をついて、わかった先生が片づけるから単語のミニテストの予習をしていなさい、と言う。
はーい、と生徒たちは気だるそうに答えた。
上着を着替えて戻ってきた女子が、すごく嫌そうに真実奈の席を見たのがアップになった。真実奈とつるんで私をいじめていた大仁田だ。あんなに仲良さそうにしてたのに、心配もなしかよ。こいつも人の心ってのがないんだ。
動画は大仁田の顔のアップで終わった。
「取引きありがとうございました」
胸がすかっとした。怨みが半分になった気がする、うつ気味でだるい体が軽い。本当に買い取られているんじゃない?
でも、これどうやって撮っているんだろう。私の通っていた学校は住宅街にあって、警備はけっこう厳しいから部外者は立ち入ることはできない。校内がこれほど近くに見える高いマンションもない。そしてどうやって、真実奈が授業中に嘔吐させることに成功した?
謎だらけだ。
「どうやって撮影しているんですか?」
試しにアプリに質問してみた。
「それは答えられませんが、あなたの身の安全は保証します」
即答だ。
「さて、次の怨みリクエストはどうしますか?」
私はスマホの画面に指をさまよわせる。
たしか呪いって、自分に返ってくるという話を聞いたことがある。でも、真奈実が私の指定した通りの嫌な目に遭ってくれて、体の調子が良くなったと感じる。
もう二件も依頼した。
どちらも成功で返ってきたし、今の所、スマホの不調もない。変なラインがきたとか、メールや電話もない。
もう少し、復讐したっていいんじゃない?
私は自殺未遂して精神科に入院するほど追いつめられたんだよ?
「生田真実奈。メイクができなくなる」
私はアプリに入力した。
翌日、私は生物の授業に出るため、教室を歩いていた。教室の前にフリルがたっぷりついた黒いワンピースを着ている女の子が立っていた。顔が小さくて黒髪のくるりと巻いたツインテールがよく似合うその子は、私と目が合うと微笑んだ。
「おはようございます。いつも授業、一緒ですよね」
声をかけられて私は驚いてしまってきょどった、でも優しい声に安心した。
「は、はい。そうです」
「私、本田理子っていいます。よかったら、近くの席で授業受けませんか? 私もくろねっこちゃん、好きなんです」
本田さんは私のリュックについている、黒猫のキャラを指さして言い背中を向けた。黒いレザーのリュックの透明のポケットには、くろねっこちゃんの缶バッチがぎっしりつめこまれいて、大きなくろねっこちゃんのキーホルダーがぶら下がっている。
「え、すごい! これガチャの缶バッチ、全種類そろってますよね」
私は驚いて声をあげる。
「かなり課金しましたよーなかなかシークレットが出なくて」
それから本田さんと、授業が始まるまで話が盛り上がった。本田さんと私は同じ年で、病気で休学して十七歳なのに一年生なこと、心の病を患ったこと、共通点が多くてすぐ仲良くなった。本田さんのバイトの時間まで学校の食堂で話をした。
本田さんは話し方がとても優しくて、私でよければ今度メイクを教えてあげるよ、と約束してくれた。
家に返ってから本田さんからラインがきていた。よかった、いい子と巡り会えた。
久しぶりに幸福な気持ちにになって眠りにつこうとして、私はそういえばメイクといえば。
「怨」アプリを開く。
動画を再生する。
「なんでかわかんないけど、メイクできなくなって」
真実奈の泣き声が聞こえてくる。机に座って、数人の女子に取り囲まれていた。
「いや、そんなの知らないじゃん。最近、あんたの病みラインうっとうしいんだけど。グループ抜けて欲しい」
大仁田が腕を組んで真実奈を睨んでいる。
「自分が肌荒れてメイクできないからってさ、ウチらにまでメイク禁止とかナニサマ? ってかさあ」
ショートカットの女子が、真実奈のマスクをはぎとった。返してよ、と真実奈が騒ぐ。
「すっぴん、ブスすぎ」
「ほんとだ! 顔違いすぎだろ」
「顔、ニキビだらけでキモい」
女子たちがげらげらと笑う。
「おー何騒いでんのって。え、おまえ生田なん? すっぴんブスって噂、本当だったんだな」
派手な髪色をした男子たちも近づいてきて、真実奈の声を見て笑った。真実奈は顔を覆って泣き出す。その横顔がアップになった。ちらっと見えた顔は本当にひどかった。
赤いニキビが浮き出て、目もはれぼったくなり、唇はかさかさだ。自慢だったサラサラストレートヘアーもぼさぼさになっている。
「ほんとこいつ、高校生にもなってすぐ泣くよな」
大仁田が吐き捨てるように言った。真実奈は答えられず机に突っ伏してしまった。
「うわーなんかこの陰気な姿、あいつみたいじゃん」
「はー、誰?」
「ジサツミスイして転校して行ったほら、大野」
私の名前だ。
「あーほんとだ。真実奈、あんた自分がいじめてた奴にそっくりになってんよ」
女子たちが笑う。
いや、あんたたちも、私をいじめてたじゃん。あんたダサい、目障り、ほんと陰気だのなんだの、笑ってたじゃん。そのストレスでお昼ごはんを食べられなくなり、野菜ジュースを飲んでいたら「なにそれ、小食アピール? ガリガリのくせにダイエットアピール?」と悪口を言ってきたのは真奈実にブスと言った大仁田だ。
いじめっ子は自分たちの罪には気づかない。だからこうして復讐してあげなくてはわからないんだ。
真実奈は中学生の時は私と、他二人の地味なグループの中にいた。真実奈はメガネをかけた地味な子だった。ファンシーなキャラクターを描くのが好きで私が美術部に入ると、くっついて入ってきたが、絵心のない真実奈はいっつもだらけて、スマホをいじっていた。クラスメイトにからかわれるとすぐ泣くし、自分の容姿をすぐ気にするくせにあの子はブスのくせにスカートの丈が短いとかどうでもいい陰口を私に言ってきた。
高校も真実奈が一人は嫌だと言って、ついてきた。
いわゆる高校デビューでカラコンいれてストレートパーマかけて、メイクをして派手なグループとつるみ始めてから、私を侮辱するようになった。
いっつも私にくっついて真実奈が、私を攻撃し始めて最初はとても戸惑った。昔のように話そう、と言うとことあるごとに誰かかいる前で「あいつ、私にくっついてきてうっとうしい。自分がダサいからって、うちらの悪口言うし」
と言ってきた。
いや、それはあんただったじゃん。いつもその言葉を飲み込んできた。私というスケープゴートがいなくなって、クラスメイトたちは意地悪することに飢えていたことだろう。大仁田が中心となって、これから真実奈がいじめられるのは目に見えてる。泣き虫で人に依存しなきゃ生きていけない彼女は、これから地獄を見ることだろう。
「それではまた月曜日に英語の授業でお会いしましょう。おやすみなさい」
かわいいスタンプとともに、本田さんからラインが返ってきた。私はそれに「おやすみなさい」のスタンプを送った。
そうだ私、自分で書いたキャラクターのラインスタンプ作りたかったんだ。よし、描いてみよう。あしたは久しぶりに画材屋さんに行ってみよう。
そのまま、私は眠りについた。
土曜日の昼、私は久しぶりに都内に出かけた。思い切って新しい服や本田さんに教えてもらったスキンケアやメイク洋品、スケッチブックとペンを買った。
夜、お風呂上がりに化粧水をつけてみて、肌がしっとりしたのに驚く。私の肌艶はよくなっていた。
そうだ、最後に伝えないと。
私は「怨」アプリを開く。
「取引きありがうございました。気が晴れました。これで終了でお願いします」
「あなたの怨みを購入させていただき、ありがとうございました。アプリを消去で終了となります」
私はアプリを消した。
復讐は終わった。
あいつの苦しむ姿を見れて、怨念は心から消えていった。
これからも、苦しんでね。
終