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忠犬  作者: 禅海
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 その昔、久志の中学の同級生に、山本優斗という男子生徒がいた。

 久志の悪友の市村や砂田曰く「いつも静かで存在感が無く、まるで生きた案山子のような、殴りがいのありそうな生徒」という印象が、学校生活中も、卒業後も、きっと社会人になっても、四六時中ひっつきむしのように付きまとうような、特徴のないことが特徴のような、今どきの無意志で無抵抗で無個性な中学生の穏和な類型の一つを、山本優斗はその風格として備えていた。

 そんな今どきの穏健な山本優斗が、今どきの過激な校内いじめの標的になることは、なかんづく当然といってもおかしくなかった。

 とにかく語り尽くせぬほど凄惨な、山本優斗への数々の虐待が殆ど毎日のように加えられた。学校のない土日ですら、もし街中で加害者に見つけられでもしたら、山本優斗は彼らの自転車の群れに轢かれた。

 その口にするも憚れるくらい執拗な虐待は、数えだしたら夥しくてきりがないが、加害事件を通しても、久志が今でもはっきりと覚えている一事件がある。それは当時、学級生物飼育員だった山本優斗の目の前で、彼が世話していた緑亀を、地面に叩きつけて殺した事件のことだ。


 緑亀の手のひらほどの大きさの甲羅が砕け、砕けた外殻から内臓をぶちまけて大量の血を流し、伸びきった首をぴくぴくと力なくくねらせながら、悶えていた。

「うわっマジキモっ」

「やべえ。俺吐きそう。オエエ」

「おいふざけんなよ。キモいのが余計キモくなんだろ」

「何本気にしてんの。うそに決まってるよーん。てかおい、飼育員さんよお、さっさとこいつ処分しろよ。学校の風紀が乱れんだろ」

 緑亀の黒い眼は、じっと自分の死と、死を嘲笑う少年たちを見つめて、こと切れた。

 砂の上に瀰漫(びまん)してゆく血の泉のほとりで加害者たちは一人残らずにやけていた。ただ一人、久志を除いて。

 悶え苦しむ亀を見ている山本優斗の目には、何故か怒りも悲しみも見えなかった。それが彼なのだった。どれだけ力を試しても、彼は一疵(ひときず)も付かない鋼鉄のように思えた。またそれは何か、虚無とでも形容すべき生命の揺るぎなさを彼の漆黒の眼中に思ったとき、久志は自分の犯罪が失敗に終わったことに気付いて、幻滅したのだ。

 山本優斗抹殺計画が未遂に終わると、山本優斗には疵一つ付かなくとも、久志の完全犯罪の名誉には明らかな疵が残った。何か夕暮れの郷愁のような感情に打ちひしがれると、価値のないいじめに加担するのももう途方もなくむなしく思われてきて、一転して久志は行儀よく社会で生きる身の清廉さに胡坐をかくことに決めたのだった。ところがそう善人ぶり続けた挙句、のうのうと生き延びた悪人は突然脚を折られた。

 久志は今度こそ自分が被害者側に回ることになった。職場の度重なる不遇と無視と恐喝のアンビバレンスな理屈が久志を再起不能になるまで痛めつけた。朝五時に起きて眠りに就くのは夜中の一時だったし、僅かな手取りに加えて残業は付かない。それが新人研修初日から傷病退職の前日まで続いた。

 久志が悪夢に夜を犯され始めたのもそれくらいだ。久志の悪夢には山本優斗の影もしばしば駆け付けた。それでもどうか優斗に話しかけ、説得し、謝ろうとすると、そのとき久志の足元に彼を阻むかのように巨大な亀裂が走り、久志は夢の中を真逆さまに落ち続けた。

 奈落の底は朝だった。


 その山本優斗が、まさか今確かに久志の目の前に、大人になって、それも気さくな店員の顔をして、そこに立っていたのである。

「ペットショップなんです。今どきこんな小さい個人店で、殆どお客さんもいないですけどね」

 そう言って優斗は久志を店に招き入れた。

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