鳳仙華
うねらむ企画主催
「幻想世界アンソロジー 無限の夢幻〈下〉」寄稿作品。
2023/5/21
――全世万魂、龍鱗より生ず。
神仙が遍く世を統べる、幻想郷。
万華鏡のように命を煌めかせる龍鱗たちを眺め、いつか生まれる番いを見つけるのが、仙女である凰華の日課だ。
風光明媚な凌雲山の山嶺。
緋色と朱色、二つの仙宮が並び立つその場所で、主のいない緋色の仙宮に明かりが灯るのを、凰華はずっと待ち望んでいる。
今日も今日とて、凌雲山を隠すように広がる雲海を越え、千里眼で龍鱗の生ずる処を覗き見た。輪廻を巡った魂がないと知ると、彼女は落胆し、凌雲山の主人としての顔になる。
凌雲山に棲まう瑞鳥たちに朝を告げるため、凰華は露台へ出た。視線を巡らすと、欄干で羽を休めている番いの鳳凰を見つける。脇侍である鳳凰たちは、この庭園に年中咲いている竹の花の実がやはり一番美味しいと、楽しげに囀っていた。
そんな彼らが、ようやく出てきた主人に教えてくれて。
――世界が陰る。昏君が龍鱗を揺する。鸞和が朝を告げる。賢帝の鱗を探しに、凌雲山の神仙は皆、雲をくぐって龍紹洞に向かったよ。
世界を震撼させる、とんでもない託け。
凰華はひとり、仙洞の外まで飛び出した。実際に自分の目で見てみれば、普段は極彩色に染まる雲海が今は薄紅一色となり、凰華しか天上にいないことが伺い知れる。
立ちこめる雲海を一望すると、凰華は纏っていた羽衣をひらめかせた。
「なんてこと、誰もいないじゃないの! これでは月詠公主に大目玉を食らってしまうわ!」
光の加減によって朱色に揺らぐ凰華の黒髪が、薄い羽衣とともに風になびく。
凰華は慌てて仙宮を飛び出したものの、すっかり色彩を失くした雲海を見る限り、もう遅いかもしれない。
風に揺れる羽衣の裾を追うように、五色の尾をなびかせた鳳凰が凰華の隣へと並んだ。
「お前たち、もう少し早く教えてくれても良かったじゃない! 竹の実、もう食べさせてあげないわよ!」
翼を並べて滑空する鳳凰たちは、つんっとすまし顔。ちゃんと凰華が視ていれば気づけたことだと言わんばかり。
自業自得なのに、凰華はむくれる。
言いたいことを胸いっぱいに抱えながら凰華が飛翔を続ければ、ようやく眼下に大きくとぐろを巻く仙洞が見えてきた。
緑の蔦に大きく絡まれ、海のように広い鏡面水湖に浸ったような山影。この世の生命の数だけ玉石の鱗をまとう、龍のような姿をした霊山に構えられたのが、龍紹洞だ。
その入り口は天を衝くように咆哮をあげる龍の《《あぎと》》。凰華はためらうことなく、そこへ身を投げた。
龍紹洞の中は透明度の高い宝石が混ざりあい、熔けだした極彩色の鍾乳洞のようになっている。洞の底へ向かうほどに太陽の光は届かなくなるけれど、棚田のようになっている畦石池が僅かな光を乱反射させ、陽光を運ぶ。池の周りに集まる低位の仙妖が、通り過ぎていく凰華をそっと見送った。
沓で触れるたびに玉石たちが輪唱する。澄んだ音色を綴りながら、凰華は最下層へと参上した。
既に集いし高位の神仙が、遅れてきた凰華を見上げてくる。
その中でもひときわ神々しい、地底に安置された大きな水晶。龍の心臓と呼ばれる水晶に封じられているのは、この龍紹洞の主人である女神だ。龍の心臓に囚われた彼女は困ったように微笑んで、凰華に視線を定める。
『凰華、ようやく参ったか。招集の風は届かなんだのかえ』
「月詠公主、申し訳ありません。風の通りが悪かったようです」
鳳凰を統べる主としてあるまじき言い訳だと思いながらも、凰華は堂々と嘯いた。事実、伝令に来た鳳凰たちは伝令を忘れて、のんびり竹の実を食んでいたのだし。
高位の神仙が列する中、凰華は臆することなく自分の定位置へ。供である一組の鳳凰も、涼しい顔で凰華の足元へと鎮座した。
龍の心臓に封じられている公主は泳ぐように裳裾を翻し、波打つ白銀の髪を宙に遊ばせながら、これで揃った全ての神仙を見渡した。
『皆、集まったな。急な招集で申し訳ないが、喫緊のため、少々無茶を通させてしもうた』
公主が右手を掲げると、どこからか二つの黒くて薄い石が飛来し、龍の心臓の周囲をゆっくり浮遊し始めた。
『占が出た。凶星が生じ、昏君により戦が起きる。数多の死者が出、龍鱗の転生から外れる魂が多く生まれるであろうと』
頭上からさざめきが落ちてくる。低位の仙妖たちがざわめいているようだ。凰華もまた、驚きのあまりに息を呑む。それほどに、公主の言葉はこの世が理から外れかねない出来事を告げていて。
『皆が何を言いたいかは分かる。転生から外れる魂が生まれるということは、龍鱗が生え変わらなくなるということ。龍鱗が生え変わらなくなれば生命は絶え、この世は滅ぶだろう。……そうなってしまえば、我らも無に帰す宿命。それは何としても阻止せねばならぬ』
この世の生命は龍鱗の数だけ生まれる。龍鱗とはこの龍紹洞を形成する玉石だ。それが果てしない古の時代に、天帝によりこの世に封じられた龍である、この龍紹洞の役割。
龍が滅べば、この龍紹洞がその姿を失ってしまえば、この世の生命が絶えるのは必定。
森羅万象を司る神仙たちの間に、緊張が走る。
当然、凰華も身を固まらせたけれど。
『ゆえに、凶星の天命を断つこととした。これは凶星の石だ。龍鱗より外れ、堕ちて尚、鏡面水湖の底で朽ちずにいたのを、三頭化蛇精が見つけてくれた』
公主の周囲を漂う二つの石。黒曜石に紫闇の星空を閉じ込めたようなその石は、正道の龍鱗と大差ない。
『この凶星の天命を断つ刧を、誰ぞ受けるものはあるか』
公主が問う。
そのための招集かと誰もが心得、同時にその視線もそらしていく。
仙境に住まう仙妖たちは基本的に俗世に関わらない。
世界の調律に忙しいのはお互い様だとは思うものの、俗世に降りて天命を断つ業を背負いたい者などいやしない。たとえそれが神格を上げるための天刧であっても。
そもそもこういった俗世のことは、彼の地に留まっている地仙の任ではと言い出す者も出る始末。
凰華はそんな彼らの言葉を耳にいれつつ、足元の鳳凰と視線を交わして様子見の姿勢を取っていれば。
『誰もいないのであれば、こちらより指名する。天元山龍紹洞月神詠の名の元に、凌雲山鳳凰洞凰仙華へと、凶星の主・天龍国宗主劉普賢の抹殺を命ずる』
まるで遅れてきた罰だと言わんばかりに、月詠公主は凰華へと非道の任を命じられた。
……嘘でしょう?
❖ ❖ ❖
龍紹洞の女主人である月詠公主に逆らう神仙はいない。
凰華もまた命には逆らえず、任を全うするしかなかった。
「それもこれも、あなた達がちゃんと伝令しなかったからよ。あなた達も私も、その劉普賢って奴を見つけるまで帰れないんだからね」
風に羽衣をなびかせる凰華の後ろを、とんだとばっちりだと言わんばかりに、脇侍の鳳凰はだらだらと滑空する。
とはいえ、凰華にとって人ひとり見つけることくらい簡単だ。月詠公主から件の人物の龍鱗をもらったので、この龍鱗と結びつく魂を千里眼で追えばいいだけ。
瑞兆の一角を担う自分が、天命を断つために降臨するなど冗談が過ぎると言いたいけれど、これも天元山傘下の天仙の義務。粛々と凰華は仙境から下りることに。
一昼夜飛翔を続け、下界に降りると、蒼銀の満月を背に聳え立つ、人民の城が見えた。
夜の帳がすっかり落ちきってしまえば、俗世は静寂の眠りを迎える。そんな中、ひっそりとした城の裏手側、祖王を祀る祖廟から件の人物の気配を感じた。凰華が千里眼を凝らせば、堕ちた龍鱗に繋がる魂の糸が、廟の中へと繋がっている。
「こんなところにいるなんて、よっぽど徳を積みたい凶星なのかしら。それとも単なるもの好き?」
どちらにせよ、さっくりとその命を龍紹洞へと還して龍鱗を浄化すれば、凰華の仕事は終わる。
そう思いながら、魂の糸を追って祖廟の中へと入り、絶句した。
幾百もの弔いの蝋燭が昼夜問わずに灯される、祖廟の祭壇。
その祭壇で祖王を祀っていたのは――いや、祀られていたのは。
枯れ木のようにか細い身体に、封じの縄を幾重にも巻かれ、天井から吊るされる一人の少年で。
「な……に、これ」
祖廟の入口、凰華の足元に降り立った鳳凰も異様な光景に恐れたのか、凰華より前には出ない。
「死んでるの……?」
凰華の声が風と共に祖廟へと流れ込み、蝋燭の灯火を揺らす。
微かに少年の首が動いた。
「きみは……だれ?」
暗がりの中、眠たそうに瞼を押し上げる少年。凰華の猫睛石のように光る金色の千里眼が、少年の黒曜の瞳と交わったとき、一つの天命を幻視した。
――緋炎の鳥が、泣きながら凶禍の龍鱗を呑みこんで、自らの身体ごと燃えさかる。
現と幻で視界が二重になった凰華はくらりとしたけれど、しゅわりと煙のように消えていった天命に、はっと我に返る。
(なんてこと)
この子は。
目の前の凶星の主は。
「……私は凌雲山鳳凰洞が主、凰仙華。凰華と呼んで頂戴。貴方を……迎えに来たのよ」
――凰華が求め続けていた、魂の片割れだ。
凌雲山に棲む神仙は、瑞鳥たちのまとめ役。
鸞和、比翼鳥、神烏、白雉、朱雀、等。
その筆頭が、鳳凰だ。
鳳凰は一対の番いがいる種族。当然、鳳凰洞が主人である凰華にも番いがいるはずだった。けれど、その番いは未だ現れず。
並の鳳凰より変生し、天仙へと昇格した凰華の寿命は永遠にも近い。
その命に飽きる頃、いつか巡合できると信じて、番いが棲むはずだった緋色の仙宮を眺め、毎日を暮らしていた。
それが。
「公主、どういうことですか! なぜ私の番いが凶星に!? 私に死ねとおっしゃるのです!?」
劉普賢を自分の仙宮へと連れ帰った凰華は、すぐさま龍紹洞の女主人の元へと飛翔した。月詠公主は龍の心臓の中でまどろむようにたゆたいながら、詰問する凰華に淡々と応える。
『凰華、妾は凶星を絶てと申しつけたはずだが』
「そんなもの、聞けるとでも? あれなるは我が半身! 私が三百年もの間待ち焦がれていた、番いの魂ではありませんか!」
声を荒げる凰華に、公主はさもありなんと首肯する。
『確かにあの凶星は、本来であればそなたの番いとなっただろう。だが今や、龍鱗の輪より外れた魂だ。これでは龍鱗が生え変わらない。龍の諸肌を覆う幾万もの魂が、その綻びを元に崩れてしまう』
「龍鱗の輪に還せばよろしいのでしょう!? ならば私が命を賭して浄化いたします!」
『ならぬ。凶星は砕くもの。浄化などでは、すでに綻んだ因縁を絶てはせぬ』
公主は凶星を砕けの一点張り。凰華は唇を噛みしめ、不遜にも自分より格が上の公主を睨みつけた。
「……貴女に、半身を待ち焦がれた私の気持ちなど分かりはしませんね」
『案ずるな。凶星が砕かれれば、再び龍鱗が生まれる。巡り合わせにまた何百年とかかるだろうが、いずれそなたにも片割れは見つかるだろう。それにこれは、妾なりの温情ゆえに。ずっと待ち望んでいたそなたに一目でも合わせてやろうという、母心よ』
「一度出会ったものを、なかったことにしろとおっしゃるのですか! それならば、出会わないほうが良かった……!」
公主の言いたいことは分かる。月詠公主の輪廻を司る使命も理解している。龍鱗より生まれ、神仙へと昇格した凰華がそれを忘れたことなどない。
だけど、それでも。
「月詠公主。凌雲山が盟主の名の下、凶星は浄化し、修練させ、鳳凰洞の主人として迎えます。認められずと言うのであれば、私の龍鱗を、凶星とともにお砕きください」
凰華はようやく見つけた番いを手放したくない。
手放すくらいなら、自らの天命を捨て、添い遂げたい。
たとえ相手が凶星に堕ち、凰華のことを片割れと認識できなくなっていたとしても。
すべてを吐き出した凰華に、公主は静かに語りかける。
『天命は変わらぬ。そなたが凶星を砕くことになろう』
「砕かない。私は彼を育て、番いにし、凌雲山の真の主人となる」
重なる月詠公主の言葉。
凰華はそれを振り切り、もう言うことはないと、龍鱗が日々生え変わる龍紹洞を後にした。
その、十年後。
凰華の元で修行を重ねた劉普賢は、枯れ木同然だった身体にたっぷりと生気を蓄え、爽然とした好青年へと成長する。
凶星の天命をもろともしない快闊な青年は、凰華を師とし、姉とし、時には唯一の半身として、その身に情の欲を募らせた。
一対の鳳凰としてその魂を求める凰華に、普賢もまた、この先千年もの歳月を共にすることを誓うけれど。
ふと里心がついたのか、ある日凌雲山を降り。
――天龍国宗主として、地上に降臨した。
❖ ❖ ❖
凰華の怒りは華々しかった。
三百年待ち焦がれ、その天命をすくい取り、手塩にかけて育てた己の番い。
それが、どうして。
「鳳賢。なぜお山を降りたの。名を捨て、縁を捨て、俗世を捨てなさいと、私は言ったはずよ」
真昼の蒼天を異様な茜雲で染め上げて、天龍国に鳳凰が舞い降りる。
賢君の御世を告げる瑞兆なれど、今この時においては、そうとは言えなかった。
国の高官が集まり論ずる朝議の席に、突如として割りいったのは、この場に不釣り合いな女性の声。
さざめく老獪共に臆することなく、一対の鳳凰を脇侍として凰華は朝堂を闊歩し、玉座へと詰め寄る。
冕冠を戴き、宗主として玉座に座る青年は、困ったように柔らかく微笑んだ。
「師傅、私の身勝手を許してくれとは言いません。だがどうしても、父と兄亡きこの国が、蛮族に蹂躙されていくのを見過ごせなかった」
「この国が滅ぶのは天命よ。たかだか二百年ほどの王朝。人の世の時代が変わろうとしているのに、私たちが関わってはならないと教えたでしょう」
「……それでも、見過ごせなかったのです」
「この国は貴方を苦しめたのよ!? 双子は不吉だからと祖廟に閉じこめ、人柱としていた! 貴方が義理立てする必要はない! 滅ぶべくして滅ぶ国よ!」
泰然と構える宗主と、声高らかに滅びを告げる朱色の仙女に、場に座する官吏たちが口々に囁く。
――宗主が仙境にて修行されたのは本当だったのか。
――あれなるは鳳凰か。やはり宗主は賢君であらせられるのか。
――待ち給え、あの女性は我が国が滅ぶと申しておるぞ。
波紋のように広がる不安と不信を背に、凰華はふっと表情を緩めた。
「帰りましょう。今ならまだ、赦される」
「……何に赦されると言うのです? 師傅、貴女こそ分かってはいない」
思ってもみなかった青年の拒絶に、凰華の肩が揺れる。それでも彼女は嫣然と微笑みかけて、彼を諭そうとした。
「私は貴方を守りたいだけ。貴方は唯一無二、鳳凰の主人となるべき魂を持っているのよ。人の世にも、公主にも、天帝にも――貴方は、あげない」
告げた瞬間、凰華の心の臓がきりりと痛む。
凰華に下された天命への叛意を、龍鱗を通して誰かが覗いているのだろう。千里眼の持つ直感でそれを感じ取りながらも、凰華は一度滑り出した言葉を止めることはできなくて。
「三百年。三百年、貴方を待っていた。つがえない鳥の不自由さを、貴方に分かってほしいとは言わない、言えない。けれど、もう一人は嫌。帰りましょう? ねぇ」
「……師傅。私は帰りません。帰れません。我が身は凶星なれど、臣民が望むのであれば、人理の枠を超えられません」
どうか分かって欲しいと懇願する青年に、凰華の黒髪が風を孕み、光を反し、炎のような朱の揺らぎを見せる。
脇侍の鳳凰が身を震わせた。
「……貴方は分かっていない。分かっていない……! 凶星であるという意味を、全然分かっていない!」
「知っていますよ。教えていただきました。龍鱗より外れた私には次がありません。この魂は転生することなく、終えるのみ……ただそれだけですよね」
「それを分かっていないと言うのよ! 貴方がいないなら、私はまた一人ぼっちじゃない……!」
十年。
たった十年。
彼を見つけて、保護して、この手で育てて。
淡く、儚く笑う、番いの微笑みを心の拠り所とした。
凰華は三百年、待ち続けたのに。
その仕打ちが、こんな。
「鳳賢、帰らねばこの城を、この国を、私が焼く。どうせ近いうちに滅ぶ宿命。ならば私が――」
そう、凰華が右手を前へ突き出したとき。
どくり、と。
凰華の心の臓が、誰かにきつく握られる感触がした。
(やっぱり、見逃すわけがないか、月詠公主……!)
文字通り、心臓を握られている。自分の胎内に絡みつく気配に、凰華は嗤った。
自分の龍鱗が公主によって砕かれるのが早いか、凰華が焔でこの城を焼くのが早いか。
森羅万象を司る天仙が俗世に関わることは、本来の道理から外れてしまう。
ましてや私怨なんて。
自嘲気味に笑い、千里眼で遥か遠く、天元山に坐す公主を睨みつける。
邪魔をするなと威嚇する先で、澄みきった龍の心臓に囚われる月詠公主が、浮遊する二つの龍鱗を交錯させるのを視た。
その、瞬間。
凰華は自分がひどい思い違いをしていたのに気がつく。
とんだ茶番だった。
「……鳳賢、貴方の意志は変わらない?」
「変わりません。民を導く、それが私の望みです」
「……そう。でもね、鳳賢。思い違いはいけない。貴方は凶星。本来ならばここにいるべきではない存在。それは、私も」
突き出した右手を天へと掲げる。
凰華のぬばたまの髪が揺れる。
脇侍の鳳凰が飛んだ。
「謹請し奉る! 降臨諸神諸真人、裁定万鱗、授賜天命。急急如律令!」
高らかに伸びた凰華の声とともに、その指先から天へと一筋の朱色の雷光が迸る。
その声に応じるよう、鳳凰は羽ばたき、城外へと飛び出した。
「誰ぞ、我がしもべを追うがいい! その果てに真の宗主がいるであろう!」
朱き仙女の宣言に、その場の誰もが動揺する。玉座に座る青年もまた、目を見開いて彼女を凝視して。
凰華は微笑んだ。
「貴方が宗主である限り、龍鱗の輪廻から外れる魂が後を絶たない……なるほど、そうね。だって私が狂ってしまうから。私がこの国を滅ぼすのだから」
千里眼で視えた二つの龍鱗。黒い消し炭のようになってしまったあの龍鱗は、千里眼越しに視れば、その魂がつながる先も分かってしまう。
「……私も凶星になってしまっていた、と。月詠公主、意地が悪すぎます」
こうなる運命だったのかと、諦めのような気持ちが凰華の中に芽生える。何者かに締めつけられていた心臓からは気配が遠のく。
その、代わりに。
『凶星を断て、鳳凰を統べる女主人。再生の焔を天帝へ焚べよ』
公主なりの餞なのかもしれない。
それが、唯一の方法。
凶星となった凰華とその番いが、もう一度巡り会うための儀式。
凰華は玉座へと歩み寄る。固唾を飲む衆目の中、愛おしい番いの頬を撫でた。
「天帝がこの国の新たな宗主を定めてくれる。鳳凰が賢君の御代の象徴というのであれば、きっとこの国も安泰でしょう」
冕冠の琉を指で梳くと、青年もようやく観念したように、小さく声を漏らして笑った。
「……師傅の執着は、なんと怖い」
「番いを持つ瑞鳥なんて、こんなものよ。それで? 鳳賢、そろそろ諦めはついたかしら?」
少しの不安を抱えながら、凰華がおそるおそるたずねると、青年は小さく頷き、凰華の腰を抱くようにして自分の膝へと導く。
「色々と、思うこともあるのは事実です。ですが、この国を天が見捨てず導いてくださるのであれば、私は退場するしかないじゃありませんか」
「大丈夫、私も一緒よ。生まれ変わったら、次こそ番いとなって頂戴ね」
凰華は祝福の口づけを贈る。
触れたのは一瞬。青年から不思議そうな気配を感じとったけれど、彼が感じたものが明瞭になる前に、その魂を凰華は吸いだして、飲みこむ。
魂を啜ってしまえば、青年は静かに事切れた。
番いの魂はあまりにも甘美で、凰華の魂が悦びに慄える。
その味を忘れぬうちに、ずるりと傾いだ番いの身体を抱きしめて、凰華は天を向いた。
「謹請し奉る。照覧諸神諸真人――」
天帝よ、公主よ、輪廻を守護する偉大な龍よ。
燃えさかる命の灯火、再生の瑞鳥なる我が身の焔を、とくとご覧あれ。
❖ ❖ ❖
花咲く竹に鈴なりに生った実が穂づく。石燈籠には茜の灯火がゆらぐ。甘露を満たした池は雲霞へ流れ、飛沫をあげる。
龍の鱗の数だけ魂が輪廻を巡る、幻想郷。
極彩色の雲海が波打つ中に聳える凌雲山の天辺に、鮮やかに咲き誇る緋色の仙宮がたたずむ。
つい数日前まで空席だったその場所には、今は一人の天仙が棲んでいた。
肩で切りそろえられた茜の髪に、闇夜を照らす満月のような金の瞳。まだ身体は幼いけれども、勤めを立派に果たすのは、凌雲山鳳凰洞が主人、鳳仙華。
鳳凰の化身である彼は、鳳凰を統べる女主人であった前任の容姿を濃く受け継いでいて、仙女とも見まごう美貌の持ち主だ。前任の女主人が番いの運命に惑わされ、輪廻に還って久しいけれど、ようやく凌雲山の最高位が埋まったのを、瑞鳥たちは喜んでくれた。まだ若いながらも、凌雲山の神仙や瑞鳥たちに鳳華と呼ばれ、親しまれている。
そんな鳳華が仙境の朝を迎え、清々しい夜明けの風を仙宮へと通すべく露台へ出ると、庭に乱立する竹藪の一つから番いの鳳凰が飛び立った。
「今日は月詠公主にご挨拶に行かなくては。凌雲山の瑞鳥たちの龍鱗を管理するのも、鳳仙の役割、なんだよね?」
竹藪から身を移し、欄干で羽を休め始めた一対の鳳凰に、鳳華は満面の笑顔で笑いかける。
「おはようございます、父様、母様。今日も素敵な一日になりますように」
五彩の尾をゆるりと絡め、仲睦まじそうに寄り添う鳳凰たち。
――おはよう、鳳華。可愛い我らの吾子。
彼らもまた、生まれたての愛し児へ囀った。