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寄稿作品  作者: 采火
同人誌寄稿
18/21

鳳仙華

うねらむ企画主催

「幻想世界アンソロジー 無限の夢幻〈下〉」寄稿作品。

2023/5/21

 ――全世ぜんせい万魂ばんこん龍鱗りゅうりんよりしょうず。




 神仙しんせんあまねく世をべる、幻想郷。

 万華鏡のように命を煌めかせる龍鱗たちを眺め、いつか生まれるつがいを見つけるのが、仙女である凰華おうかの日課だ。

 風光明媚な凌雲山りょううんざんの山嶺。

 緋色と朱色、二つの仙宮せんきゅうが並び立つその場所で、主のいない緋色の仙宮に明かりが灯るのを、凰華はずっと待ち望んでいる。

 今日も今日とて、凌雲山を隠すように広がる雲海を越え、千里眼で龍鱗の生ずるところを覗き見た。輪廻を巡った魂がないと知ると、彼女は落胆し、凌雲山の主人としての顔になる。

 凌雲山に棲まう瑞鳥ずいちょうたちに朝を告げるため、凰華は露台へ出た。視線を巡らすと、欄干で羽を休めている番いの鳳凰を見つける。脇侍わきじである鳳凰たちは、この庭園に年中咲いている竹の花の実がやはり一番美味しいと、楽しげに囀っていた。

 そんな彼らが、ようやく出てきた主人に教えてくれて。

 ――世界が陰る。昏君こんくんが龍鱗を揺する。鸞和らんわが朝を告げる。賢帝の鱗を探しに、凌雲山の神仙は皆、雲をくぐって龍紹洞りゅうしょうどうに向かったよ。

 世界を震撼させる、とんでもないことづけ。

 凰華はひとり、仙洞せんとうの外まで飛び出した。実際に自分の目で見てみれば、普段は極彩色に染まる雲海が今は薄紅一色となり、凰華しか天上にいないことが伺い知れる。

 立ちこめる雲海を一望すると、凰華おうかは纏っていた羽衣をひらめかせた。

「なんてこと、誰もいないじゃないの! これでは月詠公主げつえいこうしゅに大目玉を食らってしまうわ!」

 光の加減によって朱色に揺らぐ凰華の黒髪が、薄い羽衣とともに風になびく。

 凰華は慌てて仙宮を飛び出したものの、すっかり色彩を失くした雲海を見る限り、もう遅いかもしれない。

 風に揺れる羽衣の裾を追うように、五色の尾をなびかせた鳳凰が凰華の隣へと並んだ。

「お前たち、もう少し早く教えてくれても良かったじゃない! 竹の実、もう食べさせてあげないわよ!」

 翼を並べて滑空する鳳凰たちは、つんっとすまし顔。ちゃんと凰華が視ていれば気づけたことだと言わんばかり。

 自業自得なのに、凰華はむくれる。

 言いたいことを胸いっぱいに抱えながら凰華が飛翔を続ければ、ようやく眼下に大きくとぐろを巻く仙洞が見えてきた。

 緑の蔦に大きく絡まれ、海のように広い鏡面水湖きょうめんすいこに浸ったような山影。この世の生命の数だけ玉石の鱗をまとう、龍のような姿をした霊山に構えられたのが、龍紹洞だ。

 その入り口は天を衝くように咆哮をあげる龍の《《あぎと》》。凰華はためらうことなく、そこへ身を投げた。

 龍紹洞の中は透明度の高い宝石が混ざりあい、熔けだした極彩色の鍾乳洞のようになっている。洞の底へ向かうほどに太陽の光は届かなくなるけれど、棚田のようになっている畦石池あぜいしいけが僅かな光を乱反射させ、陽光を運ぶ。池の周りに集まる低位の仙妖が、通り過ぎていく凰華をそっと見送った。

 くつで触れるたびに玉石たちが輪唱する。澄んだ音色を綴りながら、凰華は最下層へと参上した。

 既に集いし高位の神仙が、遅れてきた凰華を見上げてくる。

 その中でもひときわ神々しい、地底に安置された大きな水晶。龍の心臓と呼ばれる水晶に封じられているのは、この龍紹洞の主人である女神だ。龍の心臓に囚われた彼女は困ったように微笑んで、凰華に視線を定める。

『凰華、ようやく参ったか。招集の風は届かなんだのかえ』

「月詠公主、申し訳ありません。風の通りが悪かったようです」

 鳳凰を統べる主としてあるまじき言い訳だと思いながらも、凰華は堂々とうそぶいた。事実、伝令に来た鳳凰たちは伝令を忘れて、のんびり竹の実を食んでいたのだし。

 高位の神仙が列する中、凰華は臆することなく自分の定位置へ。供である一組の鳳凰も、涼しい顔で凰華の足元へと鎮座した。

 龍の心臓に封じられている公主は泳ぐように裳裾を翻し、波打つ白銀の髪を宙に遊ばせながら、これで揃った全ての神仙を見渡した。

『皆、集まったな。急な招集で申し訳ないが、喫緊のため、少々無茶を通させてしもうた』

 公主が右手を掲げると、どこからか二つの黒くて薄い石が飛来し、龍の心臓の周囲をゆっくり浮遊し始めた。

『占が出た。凶星が生じ、昏君により戦が起きる。数多あまたの死者が出、龍鱗の転生から外れる魂が多く生まれるであろうと』

 頭上からさざめきが落ちてくる。低位の仙妖たちがざわめいているようだ。凰華もまた、驚きのあまりに息を呑む。それほどに、公主の言葉はこの世がことわりから外れかねない出来事を告げていて。

『皆が何を言いたいかは分かる。転生から外れる魂が生まれるということは、龍鱗が生え変わらなくなるということ。龍鱗が生え変わらなくなれば生命は絶え、この世は滅ぶだろう。……そうなってしまえば、我らも無に帰す宿命さだめ。それは何としても阻止せねばならぬ』

 この世の生命は龍鱗の数だけ生まれる。龍鱗とはこの龍紹洞を形成する玉石だ。それが果てしないいにしえの時代に、天帝によりこの世に封じられた龍である、この龍紹洞の役割。

 龍が滅べば、この龍紹洞がその姿を失ってしまえば、この世の生命が絶えるのは必定。

 森羅万象を司る神仙たちの間に、緊張が走る。

 当然、凰華も身を固まらせたけれど。

『ゆえに、凶星の天命を断つこととした。これは凶星の石だ。龍鱗より外れ、堕ちて尚、鏡面水湖の底で朽ちずにいたのを、三頭化蛇精さんとうかだせいが見つけてくれた』

 公主の周囲を漂う二つの石。黒曜石に紫闇の星空を閉じ込めたようなその石は、正道の龍鱗と大差ない。

『この凶星の天命を断つごうを、誰ぞ受けるものはあるか』

 公主が問う。

 そのための招集かと誰もが心得、同時にその視線もそらしていく。

 仙境に住まう仙妖たちは基本的に俗世に関わらない。

 世界の調律に忙しいのはお互い様だとは思うものの、俗世に降りて天命を断つごうを背負いたい者などいやしない。たとえそれが神格を上げるための天刧てんごうであっても。

 そもそもこういった俗世のことは、彼の地に留まっている地仙の任ではと言い出す者も出る始末。

 凰華はそんな彼らの言葉を耳にいれつつ、足元の鳳凰と視線を交わして様子見の姿勢を取っていれば。

『誰もいないのであれば、こちらより指名する。天元山てんげんざん龍紹洞りゅうしょうどう月神げっしんえいの名の元に、凌雲山りょううんざん鳳凰洞ほうおうどう凰仙おうせんへと、凶星の主・天龍国てんりゅうこく宗主そうしゅりゅう普賢ふげんの抹殺を命ずる』

 まるで遅れてきた罰だと言わんばかりに、月詠公主は凰華へと非道の任を命じられた。

 ……嘘でしょう?



 ❖  ❖  ❖



 龍紹洞の女主人である月詠公主に逆らう神仙はいない。

 凰華もまためいには逆らえず、任を全うするしかなかった。

「それもこれも、あなた達がちゃんと伝令しなかったからよ。あなた達も私も、その劉普賢って奴を見つけるまで帰れないんだからね」

 風に羽衣をなびかせる凰華の後ろを、とんだとばっちりだと言わんばかりに、脇侍の鳳凰はだらだらと滑空する。

 とはいえ、凰華にとって人ひとり見つけることくらい簡単だ。月詠公主からくだんの人物の龍鱗をもらったので、この龍鱗と結びつく魂を千里眼で追えばいいだけ。

 瑞兆の一角を担う自分が、天命を断つために降臨するなど冗談が過ぎると言いたいけれど、これも天元山傘下の天仙の義務。粛々と凰華は仙境せんきょうから下りることに。

 一昼夜飛翔を続け、下界に降りると、蒼銀の満月を背にそびえ立つ、人民の城が見えた。

 夜のとばりがすっかり落ちきってしまえば、俗世は静寂しじまの眠りを迎える。そんな中、ひっそりとした城の裏手側、祖王そおうを祀る祖廟そびょうから件の人物の気配を感じた。凰華が千里眼を凝らせば、堕ちた龍鱗に繋がる魂の糸が、廟の中へと繋がっている。

「こんなところにいるなんて、よっぽど徳を積みたい凶星なのかしら。それとも単なるもの好き?」

 どちらにせよ、さっくりとその命を龍紹洞へと還して龍鱗を浄化すれば、凰華の仕事は終わる。

 そう思いながら、魂の糸を追って祖廟の中へと入り、絶句した。

 幾百もの弔いの蝋燭が昼夜問わずに灯される、祖廟の祭壇。

 その祭壇で祖王を祀っていたのは――いや、祀られていたのは。

 枯れ木のようにか細い身体に、封じの縄を幾重にも巻かれ、天井から吊るされる一人の少年で。

「な……に、これ」

 祖廟の入口、凰華の足元に降り立った鳳凰も異様な光景に恐れたのか、凰華より前には出ない。

「死んでるの……?」

 凰華の声が風と共に祖廟へと流れ込み、蝋燭の灯火を揺らす。

 微かに少年の首が動いた。

「きみは……だれ?」

 暗がりの中、眠たそうにまぶたを押し上げる少年。凰華の猫睛石びょうせいせきのように光る金色こんじきの千里眼が、少年の黒曜の瞳と交わったとき、一つの天命を幻視した。

 ――緋炎の鳥が、泣きながら凶禍きょうかの龍鱗を呑みこんで、自らの身体ごと燃えさかる。

 うつつまぼろしで視界が二重になった凰華はくらりとしたけれど、しゅわりと煙のように消えていった天命に、はっと我に返る。

(なんてこと)

 この子は。

 目の前の凶星の主は。

「……私は凌雲山鳳凰洞が主、凰仙華。凰華と呼んで頂戴。貴方を……迎えに来たのよ」

 ――凰華が求め続けていた、魂の片割れだ。




 凌雲山に棲む神仙は、瑞鳥たちのまとめ役。

 鸞和らんわ比翼鳥ひよくどり神烏しんう白雉はくち朱雀すざく、等。

 その筆頭が、鳳凰だ。

 鳳凰は一対の番いがいる種族。当然、鳳凰洞が主人である凰華にも番いがいるはずだった。けれど、その番いは未だ現れず。

 並の鳳凰より変生し、天仙へと昇格した凰華の寿命は永遠にも近い。

 その命に飽きる頃、いつか巡合できると信じて、番いが棲むはずだった緋色の仙宮を眺め、毎日を暮らしていた。

 それが。

「公主、どういうことですか! なぜ私の番いが凶星に!? 私に死ねとおっしゃるのです!?」

 劉普賢を自分の仙宮へと連れ帰った凰華は、すぐさま龍紹洞の女主人の元へと飛翔した。月詠公主は龍の心臓の中でまどろむようにたゆたいながら、詰問する凰華に淡々と応える。

『凰華、わらわは凶星を絶てと申しつけたはずだが』

「そんなもの、聞けるとでも? あれなるは我が半身! 私が三百年もの間待ち焦がれていた、番いの魂ではありませんか!」

 声を荒げる凰華に、公主はさもありなんと首肯する。

『確かにあの凶星は、本来であればそなたの番いとなっただろう。だが今や、龍鱗の輪より外れた魂だ。これでは龍鱗が生え変わらない。龍の諸肌もろはだを覆う幾万もの魂が、その綻びを元に崩れてしまう』

「龍鱗の輪に還せばよろしいのでしょう!? ならば私が命を賭して浄化いたします!」

『ならぬ。凶星は砕くもの。浄化などでは、すでに綻んだ因縁を絶てはせぬ』

 公主は凶星を砕けの一点張り。凰華は唇を噛みしめ、不遜にも自分より格が上の公主を睨みつけた。

「……貴女に、半身を待ち焦がれた私の気持ちなど分かりはしませんね」

『案ずるな。凶星が砕かれれば、再び龍鱗が生まれる。巡り合わせにまた何百年とかかるだろうが、いずれそなたにも片割れは見つかるだろう。それにこれは、妾なりの温情ゆえに。ずっと待ち望んでいたそなたに一目でも合わせてやろうという、母心おやごころよ』

「一度出会ったものを、なかったことにしろとおっしゃるのですか! それならば、出会わないほうが良かった……!」

 公主の言いたいことは分かる。月詠公主の輪廻を司る使命も理解している。龍鱗より生まれ、神仙へと昇格した凰華がそれを忘れたことなどない。

 だけど、それでも。

「月詠公主。凌雲山が盟主の名の下、凶星は浄化し、修練させ、鳳凰洞の主人として迎えます。認められずと言うのであれば、私の龍鱗を、凶星とともにお砕きください」

 凰華はようやく見つけた番いを手放したくない。

 手放すくらいなら、自らの天命を捨て、添い遂げたい。

 たとえ相手が凶星に堕ち、凰華のことを片割れと認識できなくなっていたとしても。

 すべてを吐き出した凰華に、公主は静かに語りかける。

『天命は変わらぬ。そなたが凶星を砕くことになろう』

「砕かない。私は彼を育て、番いにし、凌雲山のまことの主人となる」

 重なる月詠公主の言葉。

 凰華はそれを振り切り、もう言うことはないと、龍鱗が日々生え変わる龍紹洞を後にした。




 その、十年後。

 凰華の元で修行を重ねた劉普賢は、枯れ木同然だった身体にたっぷりと生気を蓄え、爽然とした好青年へと成長する。

 凶星の天命をもろともしない快闊かいかつな青年は、凰華を師とし、姉とし、時には唯一の半身として、その身に情の欲を募らせた。

 一対の鳳凰としてその魂を求める凰華に、普賢もまた、この先千年もの歳月を共にすることを誓うけれど。

 ふと里心がついたのか、ある日凌雲山を降り。


 ――天龍国宗主として、地上に降臨した。



 ❖  ❖  ❖



 凰華の怒りは華々しかった。

 三百年待ち焦がれ、その天命をすくい取り、手塩にかけて育てた己の番い。

 それが、どうして。

鳳賢ほうけん。なぜお山を降りたの。名を捨て、縁を捨て、俗世を捨てなさいと、私は言ったはずよ」

 真昼の蒼天を異様な茜雲で染め上げて、天龍国に鳳凰が舞い降りる。

 賢君の御世を告げる瑞兆なれど、今この時においては、そうとは言えなかった。

 国の高官が集まり論ずる朝議ちょうぎの席に、突如として割りいったのは、この場に不釣り合いな女性にょしょうの声。

 さざめく老獪共ろうかいどもに臆することなく、一対の鳳凰を脇侍として凰華は朝堂ちょうどうを闊歩し、玉座へと詰め寄る。

 冕冠べんかんを戴き、宗主として玉座に座る青年は、困ったように柔らかく微笑んだ。

師傅シフ、私の身勝手を許してくれとは言いません。だがどうしても、父と兄亡きこの国が、蛮族に蹂躙されていくのを見過ごせなかった」

「この国が滅ぶのは天命よ。たかだか二百年ほどの王朝。人の世の時代が変わろうとしているのに、私たちが関わってはならないと教えたでしょう」

「……それでも、見過ごせなかったのです」

「この国は貴方を苦しめたのよ!? 双子は不吉だからと祖廟に閉じこめ、人柱としていた! 貴方が義理立てする必要はない! 滅ぶべくして滅ぶ国よ!」

 泰然と構える宗主と、声高らかに滅びを告げる朱色の仙女に、場に座する官吏たちが口々に囁く。

 ――宗主が仙境にて修行されたのは本当だったのか。

 ――あれなるは鳳凰か。やはり宗主は賢君であらせられるのか。

 ――待ち給え、あの女性は我が国が滅ぶと申しておるぞ。

 波紋のように広がる不安と不信を背に、凰華はふっと表情を緩めた。

「帰りましょう。今ならまだ、赦される」

「……何に赦されると言うのです? 師傅、貴女こそ分かってはいない」

 思ってもみなかった青年の拒絶に、凰華の肩が揺れる。それでも彼女は嫣然えんぜんと微笑みかけて、彼を諭そうとした。

「私は貴方を守りたいだけ。貴方は唯一無二、鳳凰の主人となるべき魂を持っているのよ。人の世にも、公主にも、天帝にも――貴方は、あげない」

 告げた瞬間、凰華の心の臓がきりりと痛む。

 凰華に下された天命への叛意を、龍鱗を通して誰かが覗いているのだろう。千里眼の持つ直感でそれを感じ取りながらも、凰華は一度滑り出した言葉を止めることはできなくて。

「三百年。三百年、貴方を待っていた。つがえない鳥の不自由さを、貴方に分かってほしいとは言わない、言えない。けれど、もう一人は嫌。帰りましょう? ねぇ」

「……師傅。私は帰りません。帰れません。我が身は凶星なれど、臣民が望むのであれば、人理の枠を超えられません」

 どうか分かって欲しいと懇願する青年に、凰華の黒髪が風を孕み、光を反し、炎のような朱の揺らぎを見せる。

 脇侍の鳳凰が身を震わせた。

「……貴方は分かっていない。分かっていない……! 凶星であるという意味を、全然分かっていない!」

「知っていますよ。教えていただきました。龍鱗より外れた私には次がありません。この魂は転生することなく、終えるのみ……ただそれだけですよね」

「それを分かっていないと言うのよ! 貴方がいないなら、私はまた一人ぼっちじゃない……!」

 十年。

 たった十年。

 彼を見つけて、保護して、この手で育てて。

 淡く、儚く笑う、番いの微笑みを心の拠り所とした。

 凰華は三百年、待ち続けたのに。

 その仕打ちが、こんな。

「鳳賢、帰らねばこの城を、この国を、私が焼く。どうせ近いうちに滅ぶ宿命。ならば私が――」

 そう、凰華が右手を前へ突き出したとき。

 どくり、と。

 凰華の心の臓が、誰かにきつく握られる感触がした。

(やっぱり、見逃すわけがないか、月詠公主……!)

 文字通り、心臓を握られている。自分の胎内に絡みつく気配に、凰華は嗤った。

 自分の龍鱗が公主によって砕かれるのが早いか、凰華が焔でこの城を焼くのが早いか。

 森羅万象を司る天仙が俗世に関わることは、本来の道理から外れてしまう。

 ましてや私怨なんて。

 自嘲気味に笑い、千里眼で遥か遠く、天元山におわす公主を睨みつける。

 邪魔をするなと威嚇する先で、澄みきった龍の心臓に囚われる月詠公主が、浮遊する二つの龍鱗を交錯させるのを視た。

 その、瞬間。

 凰華は自分がひどい思い違いをしていたのに気がつく。

 とんだ茶番だった。

「……鳳賢、貴方の意志は変わらない?」

「変わりません。民を導く、それが私の望みです」

「……そう。でもね、鳳賢。思い違いはいけない。貴方は凶星。本来ならばここにいるべきではない存在。それは、私も」

 突き出した右手を天へと掲げる。

 凰華のぬばたまの髪が揺れる。

 脇侍の鳳凰が飛んだ。

謹請きんせいたてまつる! 降臨こうりん諸神しょしん諸真人しょしんじん裁定さいてい万鱗ばんりん授賜じゅし天命てんめい急急きゅうきゅう如律令にょりつりょう!」

 高らかに伸びた凰華の声とともに、その指先から天へと一筋の朱色の雷光が迸る。

 その声に応じるよう、鳳凰は羽ばたき、城外へと飛び出した。

「誰ぞ、我がしもべを追うがいい! その果てに真の宗主がいるであろう!」

 朱き仙女の宣言に、その場の誰もが動揺する。玉座に座る青年もまた、目を見開いて彼女を凝視して。

 凰華は微笑んだ。

「貴方が宗主である限り、龍鱗の輪廻から外れる魂が後を絶たない……なるほど、そうね。だって私が狂ってしまうから。私がこの国を滅ぼすのだから」

 千里眼で視えた二つの龍鱗。黒い消し炭のようになってしまったあの龍鱗は、千里眼越しに視れば、その魂がつながる先も分かってしまう。

「……私も凶星になってしまっていた、と。月詠公主、意地が悪すぎます」

 こうなる運命だったのかと、諦めのような気持ちが凰華の中に芽生える。何者かに締めつけられていた心臓からは気配が遠のく。

 その、代わりに。

『凶星を断て、鳳凰を統べる女主人。再生の焔を天帝へ焚べよ』

 公主なりのはなむけなのかもしれない。

 それが、唯一の方法。

 凶星となった凰華とその番いが、もう一度巡り会うための儀式。

 凰華は玉座へと歩み寄る。固唾を飲む衆目の中、愛おしい番いの頬を撫でた。

「天帝がこの国の新たな宗主を定めてくれる。鳳凰が賢君の御代の象徴というのであれば、きっとこの国も安泰でしょう」

 冕冠のりゅうを指で梳くと、青年もようやく観念したように、小さく声を漏らして笑った。

「……師傅の執着は、なんと怖い」

「番いを持つ瑞鳥なんて、こんなものよ。それで? 鳳賢、そろそろ諦めはついたかしら?」

 少しの不安を抱えながら、凰華がおそるおそるたずねると、青年は小さく頷き、凰華の腰を抱くようにして自分の膝へと導く。

「色々と、思うこともあるのは事実です。ですが、この国を天が見捨てず導いてくださるのであれば、私は退場するしかないじゃありませんか」

「大丈夫、私も一緒よ。生まれ変わったら、次こそ番いとなって頂戴ね」

 凰華は祝福の口づけを贈る。

 触れたのは一瞬。青年から不思議そうな気配を感じとったけれど、彼が感じたものが明瞭になる前に、その魂を凰華は吸いだして、飲みこむ。

 魂を啜ってしまえば、青年は静かに事切れた。

 番いの魂はあまりにも甘美で、凰華の魂がよろこびにふるえる。

 その味を忘れぬうちに、ずるりと傾いだ番いの身体を抱きしめて、凰華は天を向いた。

謹請きんせいたてまつる。照覧しょうらん諸神しょしん諸真人しょしんじん――」


 天帝よ、公主よ、輪廻を守護する偉大な龍よ。

 燃えさかる命の灯火、再生の瑞鳥なる我が身の焔を、とくとご覧あれ。



 ❖  ❖  ❖



 花咲く竹に鈴なりに生った実が穂づく。石燈籠には茜の灯火がゆらぐ。甘露を満たした池は雲霞へ流れ、飛沫をあげる。

 龍の鱗の数だけ魂が輪廻を巡る、幻想郷。

 極彩色の雲海が波打つ中に聳える凌雲山の天辺に、鮮やかに咲き誇る緋色の仙宮がたたずむ。

 つい数日前まで空席だったその場所には、今は一人の天仙が棲んでいた。

 肩で切りそろえられた茜の髪に、闇夜を照らす満月のような金の瞳。まだ身体は幼いけれども、勤めを立派に果たすのは、凌雲山鳳凰洞が主人、鳳仙華ほうせんか

 鳳凰の化身である彼は、鳳凰を統べる女主人であった前任の容姿を濃く受け継いでいて、仙女とも見まごう美貌の持ち主だ。前任の女主人が番いの運命に惑わされ、輪廻に還って久しいけれど、ようやく凌雲山の最高位が埋まったのを、瑞鳥たちは喜んでくれた。まだ若いながらも、凌雲山の神仙や瑞鳥たちに鳳華ほうかと呼ばれ、親しまれている。

 そんな鳳華が仙境の朝を迎え、清々しい夜明けの風を仙宮へと通すべく露台へ出ると、庭に乱立する竹藪の一つから番いの鳳凰が飛び立った。

「今日は月詠公主にご挨拶に行かなくては。凌雲山の瑞鳥たちの龍鱗を管理するのも、鳳仙の役割、なんだよね?」

 竹藪から身を移し、欄干で羽を休め始めた一対の鳳凰に、鳳華は満面の笑顔で笑いかける。

「おはようございます、父様、母様。今日も素敵な一日になりますように」

 五彩の尾をゆるりと絡め、仲睦まじそうに寄り添う鳳凰たち。

 ――おはよう、鳳華。可愛い我らの吾子。

 彼らもまた、生まれたての愛し児へ囀った。

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